WIKIレンタル 大衆演劇探訪記
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藍と人形浄瑠璃のくにに残る本格的芝居小屋 「脇町劇場(オデオン座)」

藍と人形浄瑠璃のくにに残る本格的芝居小屋 「脇町劇場(オデオン座)」

久しぶりの四国の大衆演劇探訪です。
今回は徳島県にある芝居小屋「脇町劇場(オデオン座)」を訪ねます。

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脇町劇場は徳島県中部、美馬市にあります。
徳島駅からJR徳島線に乗りました。
電車は吉野川に寄り添うように西へ。穴吹駅に到着しました。

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JR穴吹駅舎。ここから劇場がある脇町までは遠い。タクシーで移動します。

ここでこの界隈の歴史について触れておきましょう。
吉野川は日本三大暴れ川に数えられるほど古来から洪水を繰り返してきました。せっかく稲作をしても夏の洪水で収穫前に流されてしまいます。そのため吉野川沿いでは稲作ではなく藍の生産が盛んになりました。藍は連作を嫌いますが洪水のたびに肥沃な土が流れてくるのはむしろ都合が良い。また藍は台風シーズンの前に収穫することができます。江戸時代には徳島藩は専売政策によって藍の全国市場を独占し、強い経済力をもった多くの藍商人が現れました。
江戸時代は川での輸送が重要な流通手段でした。吉野川沿いにはいくつもの流通の拠点が生まれました。美馬市の脇町もそんな「川湊(かわみなと)」のひとつで、藍の取引により発展しました。

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道の駅「藍ランドうだつ」でタクシーを降りました。
今も脇町に残る「うだつの町並み」を散策します。
ここは見逃すべからざる観光スポット。藍取引で富を得た商人の屋敷(明治時代頃のものを中心として江戸中期~昭和初期の伝統的建造物)が保存されている通りです。

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これが「うだつ」。
当初は防火の目的で造られましたが、だんだん装飾的要素が強くなり、富や成功の象徴となっていきました。
金持ちにならないと立派なうだつを飾れなかったことから、出世できないことを「うだつが上がらない」と言うようになりました。

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情緒ある町並み。映画のロケ現場にいるかのよう。

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現役で藍商品を取り扱っている店がありました。
私はここで藍染めのシャツを買いました。

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うだつの町並みの通りのつきあたりに川があります。その川の橋から上流方面を眺めますと・・・
見えました、脇町劇場の大きな建物。

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こちらは川の上流から見た脇町劇場

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川をはさんで正面から見た脇町劇場

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劇場正面

脇町劇場(オデオン座)は1934(昭和9)年に建てられました。
ところで「脇町劇場」と「オデオン座」どっちが正しい呼び名なのだろう…
ウィキペディアによると、パリにあるオデオン座の外観にちなんでオデオン座という別称がついたそう。
なので、正式名称は脇町劇場、普段皆が使う呼称はオデオン座、という感じでしょうか。

オデオン座ではどのような公演が行われてきたのでしょうか。美馬市HPでは以下のように説明されています。
戦前には歌舞伎や浪曲の上演で人気を集め、戦後には歌謡ショー公演や映画上映など地域の憩いの場として親しまれました。
その後、映画の斜陽化と建物の老朽化が重なり、閉館、取り壊される予定でした。しかし、山田洋次監督の松竹映画『虹をつかむ男』のロケ舞台となったことがきっかけで、平成11年に町指定文化財として昭和初期の創建時の姿に修復され、一般公開されることになりました。

「にほん全国芝居小屋巡り」(阪急コミュニケーションズ)という本でも脇町劇場は紹介されています。
戦前の描写だと思いますが「劇場のすぐ近くに大きな製糸工場があり、そこで働く多くの若い女性たちの娯楽の場として、定員600人を収容できる劇場はいつも活気であふれていた」とのこと。
平成11年に復元・修復された現在の劇場は収容人数250名のようなので、戦前の劇場はもっと大きかったのでしょう。平成11年の修復杮落とし公演では大衆演劇や人形浄瑠璃が公演されたそうです。

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横から見たオデオン座

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オデオン座ではさまざまな公演が行われています。
2019年7月7日~28日は三代目樋口次郎一座による大衆演劇公演。
もちろん私はこの公演をお目当てにやってきました。
本格的な芝居小屋での大衆演劇公演、楽しみです。

開場時間になりました。
券売窓口で木戸銭を払っていざ中へ!

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ジャーン!
オデオン座内部、、、

え?パイプ椅子?
畳の客席にシートが敷かれその上にパイプ椅子が並べられています。
風情より実利(お客さんの楽さ)をとったということでしょう。
まあ、やむなしかなと思います。
時代の変遷に伴い我々庶民の身体性も変わってしまいました。
50年後くらいに芝居小屋研究家がいたらこう言うかもしれません。
昭和は「床に座布団」でも観客が耐えられた時代、
令和は椅子でないと耐えられなくなった時代、
平成はその転換期であると。

ただ気になるのは、やはり舞台の見え方です。
舞台の高さはお客さんが床に座ることを前提に計算されています。椅子に座ったら目と頭の位置が高くなりますので、舞台を見た場合、前の席のお客さんの頭がだいぶ邪魔に思えるでしょう。

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下手の客席
花道の向こうの桟敷席と2階席が見えます。

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上手の客席
提灯の照明がアクセントになっています

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1階席前方から後方を眺める

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椅子席の前は小屋本来の客席である畳敷きスペース。舞台前に座布団が用意されています。

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オデオン座の座布団。渋い。
年季がはいっていそう。

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1階客席がなだらかな傾斜になっているのがおわかりでしょうか。

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1階上手桟敷席

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花道

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先ほどの花道の揚幕の裏
鳥屋のような部屋にはなっていない

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二階に行ってみましょう

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二階から見た場内

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一番後方、大向うより

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二階席下手側

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二階席上手側

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二階席上手側から見た場内

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二階席上手側舞台近くから後方を眺める

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二階席中央の投光

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天井

13時開演

大衆演劇公演に先立ってお客さんによる歌謡ショーがありました。
2名登場しました。
歌に合わせて地元の踊りの先生が踊る。
13時10分歌謡ショー終了

13時15分第1部お芝居開演。
この日の演目は「血桜お吉兇状旅」

第2部は舞踊ショー

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三代目樋口次郎座長

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椅子席最前列より

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椅子席の後ろの方より

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二階席より

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15時55分公演終了。
座長に紹介された座員が舞台から劇場出口へ移動します。

この日オデオン座で、全国の旅芝居小屋を巡っている旅烏の烏丸さんにお会いしました。
お互い全国を渡り歩く旅烏。
自由な旅烏が旅先で出会うなんて、それこそ芝居の一場面のようです。

この後、旅芝居談議をしながら徳島駅まで一緒に移動しました。

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脇町から穴吹駅へ向かう途中のタクシーの車窓。
吉野川にかかる脇町潜水橋。
潜水橋というのは増水時に水没することを想定した橋で欄干がありません。

徳島駅で二人の旅烏は兄弟分の盃を交わしてそれぞれ別の場所へ旅立ちました。

以上で脇町劇場(オデオン座)の旅日記を終わります。

* * * * *

私にとって、今回の旅は、徳島の伝統芸能の一端に触れることもテーマとなっていました。
その意識の基底にあるのは民族学者宮本常一が監修した「日本の詩情」というドキュメンタリーの一遍です。
宮本常一については、あまりに巨人すぎて私から説明するのははばかられるので割愛します。
20年くらい昔、「日本の詩情」を見た私は、宮本常一の著作を読んで、そのフィールドワークの足跡を訪ねて対馬を旅したこともありました。

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「日本の詩情」は昭和40~41年にかけて宮本常一の企画・監修により日経映画社が製作した映像作品で、日本全国のその土地に根付いた習俗を描いています。
その中から、「藍とデコ」を文章によるダイジェストでご紹介いたします。

前半は吉野川の川下の徳島の町並みと藍商人の屋敷や藍蔵、藍の生産工程の様子が映し出されます。
「つい最近まで染料の王者であった藍。それはそばに似たタデ科の小さな植物。秋には華憐な花をつける」
「藍の栽培は早春から始まる。苗床で育てた後畑に移して花の咲く前に刈り取る。刈り取った藍はその日のうちに小さく切り刻み十分乾燥して連枷(からさお)でうち葉藍となる」


労働歌を唄いながら蔵の中で作業する人々と藍の出来を確認する職人
「葉藍は寝床に移され水を吸って十分な発酵をとげると鮮やかな色を出し始める」
「昔は数千町歩を作った藍も今はわずか数町歩作られているにすぎない。天然の藍はすっかり化学染料にその座を譲ってしまった」


場面は変わって、鳴門近くにある元藍商人の豪壮な屋敷が映し出される。ここでは阿波藍の歴史研究が進められている。藍の生産に用いられた道具が映し出された後、突如箱が登場し蓋を開けると人形浄瑠璃の人形の顔がたくさん現れる。
「しかし阿波は藍によって発展した」
「染料となった藍は阿波の人たちによって行商販売された。その行商に伴って人形浄瑠璃の旅興行、すなわち「木偶回し(でこまわし)」も行われた。阿波の木偶回しは娯楽の少なかった昔の農民に喜ばれ、香り豊かな郷土芸能として今に伝えられている」

義太夫を語る娘の太夫。その隣に三味線弾き。舞台ではいかにも一般人の一座が人形を操っている。その会場の客席は人でいっぱい。老人が多く中には涙ぐんでいる老婆もいる。
『ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します』
「巡礼お鶴の悲しい物語『阿波の鳴門』」
「はじめ淡路島で盛んだった人形浄瑠璃は江戸時代藩主蜂須賀公の奨励によって阿波徳島の熱狂的な郷土芸能に育ったと伝えられる。観る者、演ずる者、老若男女その熱中ぶりにこの芸能の不思議な生命力をまざまざと観ることができる」


場面は徳島の山間部の村へ。家の縁側で人形の練習をしている二人の老人。
「徳島県には今でも庶民の間に芸能の古い姿が保たれている。その例が県下各地に分布している村持ちの座である」
「農閑期になると村人たちが集まって人形の箱を開き、互いに練習を重ね技術を競いあう。氏神祭りのときなどは村中の人を集めて公演を行う。それは村という共同体の結束を強める役割を果たしてきた」


二つの大きな箱を天秤棒で担ぐ男。家を訪ね、えびす人形を操る者と鼓を打つ者。その二人が食事をとっている姿。
「人形浄瑠璃の古い形をたどれば、それは信仰と結びついてくる。正月元旦の早朝から家々を訪れて回り歩く『えびすまわし』」
「神の遣いといわれるえびす人形を操って五穀豊穣を祈り家中を清めて一年の平安を神に願う」
「家々では祈りが終わるとこの人たちをもてなしてその労をねぎらう。信仰と娯楽のわかちがたく溶け合った素朴な姿がここにある」


柝を打ちながら田舎道を歩く男。男は大きな箱から人形を取り出す。村里の辻に村人が4人くらい集まり、流芸者一行が人形浄瑠璃の公演を行っている。小さい子供も何人かしゃがんでそれを眺めている。
「村々に拍子木の音を響かせ人を集めて道の上で演技を見せる『箱廻し』。これは村座以前の古い人形劇の姿である」
「中世の傀儡子を思わせえびすまわしの面影を残しているがすでに人形浄瑠璃の内容をそなえている」

天秤棒をかかえる男、三味線を手にする女が帰りゆく。
「何事によらず古い姿が急速に消えようとしている今日、阿波には今なお日本の人形芸能の伝統が生きている。幾層もの世代のひたむきな情熱によって支えられながら」

以上「藍とデコ」ダイジェスト終わり。

「日本の詩情」では、他に徳島を取材したものに「祖谷の神代踊り」があります。秘境の村に住む人々の踊りや労働の唄が記録されています。
浄瑠璃の国、阿波では豊かな生活の唄・労働の唄(粉挽唄、木挽唄、茶飲み唄、草刈唄など)が育まれてきました。
そんな、その土地だけで継承されてきたような阿波の民謡や生活歌の音源を集めたCDが2018年に発売されました。

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「阿波の遊行」
現代舞踊家の檜瑛司さんが1968年から1988年の20年間にわたるフィールドワークで集めた膨大な音源をCD2枚分に選び取ってまとめたものです。
阿波各地の土着の民衆芸能の素朴さと力強さ、生きるエネルギーをひしひし感じます。
YouTube「阿波の遊行」
https://www.youtube.com/watch?v=VSQ6rS82zw4

さてそんな下敷きのもと、今回の徳島の旅で私が向かったのは、阿波人形浄瑠璃の本拠地「阿波十郎兵衛屋敷」。

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徳島県立阿波十郎兵衛屋敷

阿波人形浄瑠璃の演目といえば「傾城阿波の鳴門」です。
これは実際に徳島藩で起きた事件がもとになっています。

吉野川がよく氾濫を起こし稲作に適さなかったのは前述のとおり。その昔幕府は藩が経済的に潤うことをよしとせず他国米の輸入を禁止していましたが、徳島藩士板東十郎兵衛は米の獲れない徳島藩に肥後米をこっそり輸入する仕事に関わっていました。そんな折、十郎兵衛と米輸入の船頭との間にトラブルが発生しました。これが長引いて幕府に知られたらやばいと思った徳島藩は、なんと十郎兵衛をうやむやな理由で処刑してしまったのです。同じタイミングで海賊も処刑されたので、巷では十郎兵衛が海賊と関わっていたという噂もたってしまいました。なんて悲運な十郎兵衛。
その70年後に、この事件をモチーフとして「阿波の鳴門」が作られました。

板東十郎兵衛の屋敷跡にある徳島県立阿波十郎兵衛屋敷は現代における阿波人形浄瑠璃の本拠地で毎日公演を行っています。

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人形浄瑠璃公演会場

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傾城阿波の鳴門「巡礼歌の段」

十郎兵衛屋敷には展示室などもあり、阿波人形浄瑠璃の基本的な知識はここで得ることができます。

さてこの日、十郎兵衛屋敷では夜に特別なイベントが開催されました。

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浪曲師玉川奈々福ライブ「阿波芸能巡礼」vol.1

阿波の土着の芸能のディープさに魅かれ、徳島の芸能聖地巡礼を目論んでいた奈々福さんの徳島プロジェクト第1弾。
奈々福さんの浪曲ライブの他、なんと、阿波木偶箱まわし保存会による「箱廻し」が実演されました!

「箱廻し」は阿波人形浄瑠璃の芸能で、一人か夫婦二人が一組になって、人形を入れた二つの木箱を天秤棒で前後に担いで巡業するという大道芸・門付け芸です(上記で紹介した「藍とデコ」の後半にもでてきました)。箱廻しを稼業とする人は明治の初め頃には200人ほどいたようですが1960年代にはほとんど見ることができなくなりました(オリンピックはこうした芸能の盛衰の転機だったようです)。
一度は廃れてしまった「箱廻し」は、1995年に辻本一英さんが興した阿波木偶箱まわし保存会によって復活しました。
今回はその保存会による実演公演です。

箱廻しの本領は、正月に一軒一軒の家を門付けして回る予祝芸です。
木偶遣いと鼓打ちの二人一組が、えびす人形等を操り五穀豊穣や無病息災などを予祝する「三番叟まわし」が演じられました。
「藍とデコ」で紹介されていた「えびすまわし」を生で見ることができました。えびすさんが出てくるのが阿波の三番叟の特徴です。

実演の後、辻本さん、奈々福さん、越路よう子さん(徳島と東京を拠点に活動されている歌手・CD「阿波の遊行」企画者)のトークコーナー。
濃いトークでした。辻本さん(自宅に浄瑠璃人形が何百体もあるそう)からは万華鏡のように次々と面白い話が展開されました。
明治維新の芸人の鑑札制度を転機として「迎える文化」が喪失してゆき予祝芸・門付け芸は芸態の変化を余儀なくされた、という話は、旅芝居を追いかけている私にとって印象的でした。昔浪曲と旅芝居が合体した節劇というのが流行ったことがありましたが、浪曲と人形浄瑠璃が合わさった芸能もあったらしく、こちらも現代に再現してほしい。

箱廻しは予祝芸だけでは稼ぎがありません。人形浄瑠璃を演じる娯楽としての大道芸としても全国に広まりました。それを示す資料にも言及がありました。

筑豊の炭坑で明治39年から昭和30年まで約50年間働いた山本作兵衛は膨大な絵と文章を遺しました(ユネスコの世界記憶遺産に登録されています)。その一部。
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「大ツヅラ二個を一荷にして担うて歩く傀儡師。一人で浄瑠璃も語り人形も使いわける」と説明されている絵。
阿波の箱廻しが筑豊までやってきたことがわかります。

トークの後は奈々福さんの浪曲「左甚五郎旅日記 掛川宿」
マクラでは、世界的にみれば日本は大変多くの伝統芸能を有している国なのだという話をされました。

阿波十郎兵衛屋敷で阿波の芸能の息吹を感じて、その余韻に浸りながら宿に帰りました。

* * * * *

阿波人形浄瑠璃のルーツは淡路にあります。1615年に淡路島が徳島藩の所領となり、淡路島の農民の人形芝居興行が流入し徳島で人形浄瑠璃が発達しました。

というわけで淡路人形浄瑠璃にも触れるべく淡路島に渡りました。

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淡路人形座
ここでは毎日4回!淡路人形浄瑠璃の公演が行われています。
現在世を席巻している講談師の神田松之丞さん(現伯山先生)や浪曲師の玉川太福さんの公演もここで行われましたね。

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人形座内部
とてもいい雰囲気

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客席

この日の公演内容は「人形説明」「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段」「大道具返し」
道具返しというのは襖からくりで、背景の襖が次から次へと変わってゆき最後は千畳敷の大広間になるというものです。

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公演の後、写真コーナーがありました。
座員の方と人形。

淡路人形座の目の前には鳴門名物の渦潮が観察できるクルーズ船乗り場があります。

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運よくこの日&この時間は大きい渦を見ることができました。

鳴門市の観光スポットといえば何といっても大塚国際美術館

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でかい。
噂には聞いていましたが、あまりものスケールの大きさ、展示物の充実度にたまげました。
複製とはいえ、数々の名画を目の前でじーっと眺めていられるのはうれしい。
ダヴィンチの絵が日本にきたら長い時間並んでも見るのはあっという間。

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フェルメール「真珠の耳飾りの少女」
吸い込まれるような肖像画。

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ピカソ「ゲルニカ」

* * * * *

充実した徳島・淡路島の旅でした。
いつか阿波の人形浄瑠璃の農村舞台も探訪したいと思っています。


(2019年7月探訪)

大衆演劇ジョーが似合う町の庶民派芝居小屋 「遊楽館」

大衆演劇ジョーが似合う町の庶民派芝居小屋 「遊楽館」

今回は2018年に尼崎にオープンした大衆演劇場「遊楽館」の探訪レポートです。

2019年8月某日、私は早朝に東京を出発する新幹線に乗り、10時前に尼崎駅に到着しました。
駅には「ジョーのある町 尼崎」という尼崎をPRするポスターがたくさん貼ってあります。
どうも今 尼崎は「ジョーのある町」として売り出し中のようです。

観劇の前に尼崎の町を散策しました。
さっそく「ジョー」を探したいと思います。

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2019年3月29日に一般公開が始まったばかりの尼崎城。

尼崎城は明治6年には廃城となったのですが、平成27年に家電量販店旧ミドリ電化の創業者・安保詮氏が尼崎城を建設し尼崎市に寄贈したいと申し出たとのこと。約12億円の私財を投じて、約140年ぶりに尼崎城天守が復活しました。

入場料でななく入城料を支払って中へ。

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尼崎城内にて。
いにしえの尼崎城を俯瞰できるモニターが面白かった。コントローラーを使って鳥のように自由に移動しながら眺めることができます。

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尼崎城の後は、観光案内所でもらった「ジョー下町歩きMAP」を手に散歩します。
寺町も尼崎の主要観光スポット。

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寺町を過ぎ、線路をくぐると商店街に着きました。
3つのアーケード商店街の入口が並んでいる珍しい光景。
実はこの写真には見えていない左手にも別の商店街の入口がある。

中央の三和本通商店街は南北に450mほど延びている商店街で、阪神尼崎駅近くから東西に延びている尼崎最大の商店街中央商店街と交差している。その交差している場所からちょっと西に行くと三和劇場があります。
今日の目的地遊楽館も中央商店街の途中で1本路地を隔てたところにある。

とにかく阪神尼崎駅東部には商店街の巣が張り巡らされていて、そんな界隈に大衆演劇場が2つ潜んでいるのであります。

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いざ商店街の迷宮へ。

・・・いや本当に地図なしで歩いていたら迷子になります。途中で方向感覚を失い、スマホでグーグルマップを見てもどっちにいっていいかわからなくなる。。。恐るべし尼崎の商店街。

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やっと遊楽館に着きました!

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入口

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入口入って右手に受付、正面に靴箱

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劇場内後方より

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座椅子と座布団がセットされています

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後ろの方の席

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前方

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花道

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客席左側にも靴箱と入口があります

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舞踊ショー

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私はこういう、靴を脱いで観劇できて舞台との距離が近い少し小さめの芝居小屋が好きです。
木戸銭1,600円ですが、前売券だと1,300円ととてもオトク。この庶民価格もうれしいですね。

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送り出し

あらためて尼崎は大衆演劇場が似合う町だなと思いました。
商店街の活気に寄り添う芝居小屋、いつまでも日本にあってほしい風景です。

(2019年8月探訪)

東京から無理なく日帰り観劇 大自然に囲まれた大型複合施設 「ニューサンピア埼玉おごせ」

東京から無理なく日帰り観劇 大自然に囲まれた大型複合施設 「ニューサンピア埼玉おごせ」

埼玉県の「越生(おごせ)」は東京23区に住んでいる者にはほぼ馴染みのない地名でしょう。
埼玉県の西部はほとんど山あいの土地で占められていますけれど、越生はちょうど関東平野と山地との境目あたりにあります。
東京駅から越生駅までは約1時間半。これは、八高線という八王子と高崎を結ぶ長い路線を利用するルートです。
もうひとつ、東武越生線を利用するという行き方があり、こちらは池袋駅から1時間強です(そう考えると池袋から急行で30分の川越は近く感じますね)。
東京からはちょっと行きにくいけれど、2つの路線が使えますし、越生は十分東京からの日帰り観劇圏内です。

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私は東武線を使って越生駅まで来ました。
駅ビルなんてものはない。いたって素朴な駅舎だ。

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駅前のアーチ

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駅舎を出てすぐ左手にバス停があります。ここからバスに乗ってニューサンピアに行きます。
(ニューサンピアのパンフレットには徒歩だと40分から1時間かかると書いてあります)

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バスはここを右折してニューサンピアの敷地に入ってゆきます。

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ニューサンピアのメインの建物

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ニューサンピア埼玉おごせのまわりはどんな環境なのか。
これはパンフレットの写真です。多くの運動施設を備えた広大な敷地は豊かな緑に囲まれています。

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テニスコート

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右手はプール
奥に見えるのはゴルフ練習場

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建物に入りました。
2階から見た1階ロビー。

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1階で大衆演劇観劇の受付。
チケットを受け取ります。

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お風呂にも入れるようなので入浴しました。

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軽食がとれる食事処。
ここ以外にもレストランがあります。

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大衆演劇場「越生劇場」の入口
12時30分開場、13時開演。
開場時間には私を含め数人が待っていました。開場になると後から来たおばさんがしれっと私より先に入場しました。
こういう「しれっとおばさん」はどの大衆演劇場にも出没する。

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受付

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演目掲示
今月は、島崎寿恵座長が率いるまな美座の公演。この日は寿恵座長の師匠だった若水照代先生がゲスト出演です。

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越生劇場後方より

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前方は座布団席

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後方は椅子席

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花道

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貸し座椅子100円

第1部お芝居 13:00~14:00
第2部舞踊ショー 14:30~15:30

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里見剣次郎
指がとてもしなやかに動きますよね。
昭和の絵ハガキ風に色合いを調整してみたのですがいかがでしょう。

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島崎寿恵座長
寿恵座長の情念こもった舞踊が好きです。

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寿恵座長の立ちもかっこいい

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ゲストの若水照代先生

まな美座の観劇を終え、再びバスで越生駅に戻りました。

駅前にこんな看板があります。
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江戸城の築城を手掛けた太田道灌は越生の出身だったのですね。
この看板に描かれている短歌と絵は道灌にまつわる逸話によっています。落語ファンは一発でピーンときたでしょう。

前座が落語を練習するのにもってこいの噺「道灌」(立川流は入門するとまずこの噺を教わるそうですね)にこの場面がでてきます。
道灌が山中でにわか雨にあった。近くのあばらやに入りそこの娘に雨具を借りたいと申し出たところ、娘は盆の上に山吹の枝を載せて道灌に差し出した。訳がわからず茫然としていた道灌に家来が伝えた。古来の歌に「七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだになきぞ悲しき」というのがあります、山吹は実のならないもの、これは蓑(みの)がないから雨具を貸せないという婉曲のお断りでしょう。そう家来から聞いた道灌はまだ自分は歌道に暗いと嘆いた。
この場面の絵に出くわすとは思いませんでした。

越生は梅林も有名です。
近くの農産物直売所で梅干しを買いました。

帰る前に美味しい蕎麦でも食べたい、と私と妻の意見が一致しました。

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日本料理山富貴でそば会席をいただきました。

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帰りも東武越生線に乗って帰りました。

ニューサンピア埼玉おごせは駅までの送迎バスがありません。団体以外のお客さんのほとんどはマイカーで来ているでしょう。
演劇公演にとても不利な立地です。そして、ホテルとスポーツセンターが合わさったような複合施設。
栃木にしろ越生にしろ、ニューサンピアの大衆演劇場は全国的にも異色の存在です。

(2018年9月探訪)

新館がオープンした「山桜桃の湯」で気になりすぎるつばさ準之助座長の舞踊を堪能

新館がオープンした「山桜桃の湯」で気になりすぎるつばさ準之助座長の舞踊を堪能

岩手県にある大衆演劇場「山桜桃の湯」を9年7か月ぶりに訪ねました。

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一ノ関駅。
前回は世界遺産平泉の観光がてらレンタカーで行きましたが今回は電車で一ノ関駅に来ました。

私は旅先での移動手段は極力タクシーを使わないようにしています。
だが駅から桃の湯までは遠い。なおかつ桃の湯方面に向かうバスはない。
仕方なくタクシーで行くことにしました。

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一ノ関駅からタクシーで10分で着きました。料金は1,890円(消費税8%)。
(ちなみに帰りも桃の湯から一ノ関駅へタクシーで移動しました。やはり1,890円でした)

ここは本館入口。10年前と変わりない。
視線を左の方に向けると、、

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本館に隣接する広い土地に新しい建物ができていました。
ここは2018年11月にオープンした山桜桃の湯の新館「〜世界遺産の隠れ宿〜果実の森」なのです。

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本館の玄関。
靴は下足箱にしまいます。

私はこの日ここに宿泊しますがチェックインにはまだ早い。
まずは大衆演劇昼の部を見ます。

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山桜桃の湯は2階建て。ここは1階廊下。左手にボディケア、右手に大浴場、奥には岩盤浴やリラックスルームがあります。

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大衆演劇場「桃の湯劇場」も1階。
この先にあります。

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桃の湯劇場

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畳の上に低いテーブルと座布団。基本の形。

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後方の席

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前方

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花道

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貸し座布団

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桃の湯劇場は持ち込み禁止です。
その代わり売店があります。
軽食やコーヒーの他、ビールやつまみもあります。

この日の公演は劇団つばさ。
私はつばさ準之助座長がゲスト出演する公演は観たことがありましたが、劇団つばさとしての観劇は初めてです。

つばさ準之助座長はずっと気になっていたのですが、
2019年3月に「エンタメ特化型情報メディアスパイス」に掲載されたお萩さんの記事『大衆演劇の入り口から[其之三十五]  気になりすぎて!舞踊の名手・つばさ準之助座長に新潟でロングインタビュー』を読んでさらに気になる度がグレードアップしていました。

5歳で舞台に立ってから舞踊一筋。37歳で「つばさ準之助」という名になり大衆演劇にかかわるようになったとのこと。
当初は舞踊だけのゲスト出演だったのが、今や劇団つばさとして大衆演劇の公演をうっている。2019年で43歳。
大衆演劇劇団の座長とはいえ役者としてのキャリアはまだ浅い。山桜桃の湯ではどんな公演を見せてくれるのか。

昼の部は13時開演。第一部お芝居は「上方土産」
これは落語の「風呂敷」を大衆演劇に移し替えた喜劇です。
「舞踊の人」のイメージが強かった準之助座長、お芝居いいじゃないですか!反射神経がいいですね。相手の会話にアドリブも交えてすぐリアクションできる。小気味よく会話が進む。リズムとテンポのよさはやはり舞踊のステージで培ったものなのだろうか。

お芝居が14時に終わり、休憩をはさんで第二部舞踊ショーが14時30分に始まりました。

つばさ準之助座長の舞踊はとてもかっこよかった。
当然のことながら動きがきれい。一連の動きに一般的な大衆演劇舞踊にはない緩急があるように思いました。動きの序破急とでも申しましょうか。ある動きは常に次の動きを見てみたいという興趣を誘う。そんな流れるような所作に私はひきこまれていました。
また、ある舞踊では何かに取り付かれて本能にまかせて舞っているようにも見え、自由の翼を獲得した者のみが纏うことができるオーラのようなものを私は感じていました。
座長は女形2、立ち2、相舞踊1、ラストショーと6本も出てくれましたけれども、私はもっと見てみたいという贅沢な望みを抱いていました。

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つばさ準之助座長の女形

さて、劇団つばさでは私の目が釘付けになった役者さんがもうひとりいました。

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それが つばさ真琴さん。

お客さんを楽しませようとすることに対する意欲と才能がすごい。真琴さんの舞台を見ていると楽しく幸せな気分になります。
福の神度・芸人度の高い稀有な女優さんではないでしょうか。

他の座員さんもみんな一生懸命さが伝わってきて好感が持てました。

つばさ準之助座長とつばさ真琴さんは一度はまったら抜け出せないような魅力をお持ちの役者さん。
すでに多くのファンを獲得していることでしょう。
私は劇団つばさとしての関東公演を待ち望んでおります。

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桃の湯劇場でのラストショー

昼の部終了後チェックインしました。
本館の客室は2階にあります。

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お部屋にはいってひと段落したら温泉へ。
桃の湯は源泉かけ流しと十七種のお風呂が自慢。

夕食は別館のレストランでバイキング。

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レストランの客席。
桃の湯は落ち着いた木目調を基本としたアジアンなデザインがコンセプトのようです。
アジアンといっても、HPで「大人のための癒し空間」と謳っているとおり、高級リゾート地の高級ホテルのような格調があります。
それでいてチラシなどは手作り感があって、スタッフの愛想もよく親しみが持てます。

バイキングは種類が多く、なにより落ち着いた雰囲気だったのが良くて満足しました。

夕食後はまた桃の湯劇場へ。
20時から始まる夜の部は舞踊ショーのみ。

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夜の部でもつばさ準之助座長の舞踊を堪能

一夜あけて翌朝。
朝食会場はなんと、昨年オープンしたばかりの世界遺産の隠れ宿果実の森にあるレストランでした。

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洗練されたデザインの廊下
桃の湯本館→別館→果実の森と移動します。

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自然に囲まれた宿の窓から朝の陽が差し込む

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ここは果実の森の客室エリアだろうか。とにかく雰囲気がいいです。
果実の森は全客室に源泉かけ流しの檜風呂があるとのこと。

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朝食バイキング会場もかっこいい。

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ロビー。
この他、ジャズが流れる喫茶室もありました。

ここは高級アジアンリゾートと温泉の両方が体験できる大人のための宿。
お値段が気になりますがリーズナブルなプランもあるみたい。
平泉を車で旅行する方にはこの宿をおすすめしたいですね。

東北地方の旅の途中、思いがけず別世界のくつろぎを得ました。
また劇団つばさが乗ることがあったら訪ねたいです。

(2019年9月探訪)

別府鉄輪温泉の大衆演劇場 「ヤング劇場」 が2020年3月末に閉館

別府鉄輪温泉の大衆演劇場 「ヤング劇場」 が2020年3月末に閉館

別府鉄輪温泉にあるヤングセンターが2020年3月末をもって閉館するそうです。
ネットのニュース記事によるとヤングセンターは1953年創業。ですから半世紀以上の歴史を持つのですね。
2019年9月に閉館することを従業員に伝えたとのこと。

そんなこととはつゆ知らず私はまさにその2019年9月にヤングセンターを訪ねていました。
その時の様子からして、私が行った時点ではまだ閉館が知らされていなかったのだと思います。

またひとつ昭和の雰囲気いっぱいの味わい深い大衆演劇場の灯が消える。
名残惜しさを胸に惜別のレポート綴りたいと思います。

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2019年9月私は九州大衆演劇場めぐりの旅をしていました。
別府駅西口から「鉄輪温泉・地獄めぐり 行き」のバスに乗りヤングセンターを目指します。

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鉄輪温泉バス停付近の案内板。
観光地は山の中腹の斜面に広がっています。その中央部にバス停。その上の方は「地獄」と呼ばれる温泉噴出口が点在しています。

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バス停から温泉街のメインストリートを下る。
道の両側にヤングセンターの看板。

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ヤングセンターが見えてきました。

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世界一の噴気沸騰泉と書かれた看板。
ヤングセンターも3つの温泉源泉を持っています。

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ヤングセンター

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ヤングセンターの大衆演劇場はいつからかヤング劇場と名乗るようになりました。

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役者の顔が大きく飾られたインパクトある看板。
長い間、毎月この看板を架け替えてきたのでしょう。

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来月以降の劇団予告看板

ヤング劇場に入りますとすぐ右手にフロントがあります。

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入口入って左手には階段があります。靴は階段の左側に靴箱に入れればよい。

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階段の上の休憩所。

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階段脇に靴箱がありましたが階段上にも「はき物ロッカー」があります。使用料100円。
わざわざこのロッカーを使う人がいるのでしょうか、と疑念に思った私はわざわざこのロッカーを使ってみました。
いまどき100円がかえってこないロッカー、むなしい。

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建物入口入って正面に温泉入口。

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温泉入口右手に掲示されていた演目案内とゲスト予告。
今月は澤村慎太郎劇団。本日昼の部の演題は「修善寺の決闘」

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劇場入口

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ここから先、劇場内はスリッパを脱ぎます。
松の木の絵をバックに昼夜2回公演を案内するポスター。
ヤングセンター内はかわいい絵の掲示が多い。

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劇場内。薄暗い。

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劇場後方。
貸出用の座椅子と座布団が積まれている。
この上方には私が入ったことがない2階席。

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暗い劇場内に浮かび上がるように存在している売店

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ビール、酒、焼酎も売っている

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幕の絵は私が以前訪れた時と変わっている。
舞台前にでているせり出しもこの劇場の特徴。

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せり出し舞台からトラロープが客席後方まで伸びている。
ただロープが置いてあるだけだが、役者が通るのでロープの間は座らないでね、というメッセージは十分伝わる。

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花道

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照明が灯ると劇場らしい雰囲気になってきます。

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ミニショーが始まりました。

ミニショー後の休憩時間にYシャツにネクタイ姿の従業員さんが舞台前に出てきてお客様にご挨拶。毎回公演中にご挨拶しているのでしょう、かなり慣れていてすらすらと親しみある口調でお客さんに語りかけます。この「息子」と呼ばれている方がヤングセンター社長の息子さんなのかなと推測しました。
「息子」さんが物販を始めました。シール式のはりと「まむし油」という塗り薬。ヤングセンターはヤングをメインターゲットにしたセンターではない。あちこち身体に不具合が出始めたオールドのための娯楽場。

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私はどちらも購入しました。それぞれ千円。
「自分で出来る!ヤングのはり」
「伊吹山特産 天然要素 ヤングのまむし油」
こういうあやしげ?な健康グッズを売っていても違和感がない。それが日本の旅芝居小屋。

旅芝居は人々の暮らしとともにある演劇だ。
大衆演劇場は人々の暮らしの場だ。
こういう劇場があることを、世界の演劇研究者(あるいは劇場研究者?庶民文化研究者?)が取材にこないものか。

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第二部お芝居に続き第三部舞踊ショー

ニュース記事によると土地・建物はホテル事業などを手掛ける東京都内の企業に売却するのだとか。
ということは温泉旅館としてリニューアルされるのだろうか。だとしたら大衆演劇場が復活する可能性があるかも?
閉館の理由は経営者の高齢化とのこと。えっ?ではあの時の「息子」さんは一体…。

ヤングセンターは大きな温泉街の中にはありますが演劇場としての立地はあまりよくないと思います。けれども毎年人気劇団も乗り長年愛され続けてきたのは、常連の団体さんが多くいらっしゃったからでしょう。逆にいえば、昨今は団体客を呼び込むのが難しくなっているのかもしれません。
でもあの屋外の看板を見れば社長さんが情熱をもって大衆演劇場経営に力を注いでいたことがわかります。
味わい深い大衆演劇場がなくなってしまうことが残念でなりません。
長い間本当にお疲れ様でした。

プロフィール

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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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