現存する日本最古の木造芝居小屋 「康楽館」 <場外編>
現存する日本最古の木造芝居小屋「康楽館」は秋田県鹿角郡小坂町にあります。
康楽館は明治43年に小坂鉱山で働く人々の厚生施設として完成しました。
小坂鉱山は江戸末期から開発が始まり、明治中期に革命的な精錬方法を造りだし当時世界第一級の溶鉱炉が完成してからめざましく発展しました。明治40年には鉱産額全国一を記録し、小坂町には水力発電により秋田県内初の電灯が灯り、上水道、電信電話、病院、鉄道などの社会資本を鉱山会社が整備したそうです。
歌舞伎芝居小屋として建てられた康楽館は、桟敷、花道(本花道・仮花道)、切穴(すっぽん)、回り舞台、奈落などを備えていました。大正期には新劇が上演され、昭和に入ってからは映画が上映されるなど、幅広い用途の娯楽場として賑わいました。
建物の老朽化やカラーテレビの普及により昭和45年に一般の興行は中止となりました。その後、町に康楽館復活の声があがると、施設は鉱山会社から町へ移管され昭和60年に修復工事が始まりました。
昭和61年の再オープンから大衆演劇の常設公演を中心にさまざまな公園が行われてきました。

近くに鉄道の駅はありませんので車かバスで行くことになります。
私は秋田駅から車で行きました。約135kmの道のりです。
「樹海ライン」を進むと康楽館の案内看板と幟がみえてきました。

廃線となった小坂鉄道の終点小坂駅がすぐ近くにあります。

樹海ラインを左折、康楽館までの道の両側には賑やかに幟が並んでいます。

康楽館に着きました。正面に立ってちょっとびっくり。モダンな洋風建築。予想以上の豪壮さ、美しさ。

実は康楽館は和洋折衷の建物。横からみるとそれがよくわかります。

正面から見えない部分はこのようにとてもレトロな「和」です。

康楽館の背後。小川が流れ草木が風にそよぎいたってのどか。

近くの鉱山事務所(この建物もすばらしい)の2階から康楽館の方を見やる。
のどかというか閑散としているというか。小坂町の最盛期はここから見た景色はもっと賑やかだったのでしょうか。
ここで毎日芝居が上演されているという。どんな芝居が行われどんな人が観に行っているのでしょう。
<場内編>へ続く
参考文献:星雲社「ザ・康楽館」
康楽館は明治43年に小坂鉱山で働く人々の厚生施設として完成しました。
小坂鉱山は江戸末期から開発が始まり、明治中期に革命的な精錬方法を造りだし当時世界第一級の溶鉱炉が完成してからめざましく発展しました。明治40年には鉱産額全国一を記録し、小坂町には水力発電により秋田県内初の電灯が灯り、上水道、電信電話、病院、鉄道などの社会資本を鉱山会社が整備したそうです。
歌舞伎芝居小屋として建てられた康楽館は、桟敷、花道(本花道・仮花道)、切穴(すっぽん)、回り舞台、奈落などを備えていました。大正期には新劇が上演され、昭和に入ってからは映画が上映されるなど、幅広い用途の娯楽場として賑わいました。
建物の老朽化やカラーテレビの普及により昭和45年に一般の興行は中止となりました。その後、町に康楽館復活の声があがると、施設は鉱山会社から町へ移管され昭和60年に修復工事が始まりました。
昭和61年の再オープンから大衆演劇の常設公演を中心にさまざまな公園が行われてきました。

近くに鉄道の駅はありませんので車かバスで行くことになります。
私は秋田駅から車で行きました。約135kmの道のりです。
「樹海ライン」を進むと康楽館の案内看板と幟がみえてきました。

廃線となった小坂鉄道の終点小坂駅がすぐ近くにあります。

樹海ラインを左折、康楽館までの道の両側には賑やかに幟が並んでいます。

康楽館に着きました。正面に立ってちょっとびっくり。モダンな洋風建築。予想以上の豪壮さ、美しさ。

実は康楽館は和洋折衷の建物。横からみるとそれがよくわかります。

正面から見えない部分はこのようにとてもレトロな「和」です。

康楽館の背後。小川が流れ草木が風にそよぎいたってのどか。

近くの鉱山事務所(この建物もすばらしい)の2階から康楽館の方を見やる。
のどかというか閑散としているというか。小坂町の最盛期はここから見た景色はもっと賑やかだったのでしょうか。
ここで毎日芝居が上演されているという。どんな芝居が行われどんな人が観に行っているのでしょう。
<場内編>へ続く
参考文献:星雲社「ザ・康楽館」