台風で休演となった「鈴蘭南座」の内部をちょっと見学
この日、名古屋は台風15号の接近により集中豪雨が発生、名古屋市では100万人に避難勧告が出され、JR・名鉄など主要鉄道も運休、という大変なことが起こっていたのですが、あまりニュースをチェックしない旅人だった自分は正常に運行している地下鉄で移動していたこともあり、今日は雨が強くてマイッタな程度にしか思っていませんでした。
鈴蘭南座の近くの大曽根駅に着くと、この交通の要所では多くの人々が立ち往生していました。交通網がかなり混乱していることがわかりました。

と思いつつも自分はあんまり気にかけず、めざす店に歩いて行き「うなぎ釜飯」とビールを注文。のんきにも外の状況を忘れて名古屋の味を堪能していました。店でケータイのニュースをチェックしたところ、どうもこのあたりの鉄道が麻痺しているよう。これはお客さんが芝居観にこれないな、と思いましたがとりあえずここから約10分歩いて鈴蘭南座に行ってみました。


鈴蘭南座は一部電気はついていたものの、ひっそりとしていました。
入口扉は施錠されています。
そこにこの小屋の方と思われるおじさんがあらわれました。聞くとやはり夜の部は休演となったようです。
「入口に「休演」ぐらい貼っとけばいいのになあ」「ちょっと前はこんなに道路が水浸しになっていて大変だった」「今日昼の部の終了直後に夜の部の中止が決まった。昼は貸切だったけど帰りの手配が大変だった」などとおじさんはおっしゃっていました。
せっかく来たので中を見学させてほしいと願いでると、一瞬だけちょっと困った表情をされましたが、快く対応してくださいました。

裏口から中に入れていただきました。
ひと目見るなりそのノスタルジー溢れる趣きにくらくらしそうでした。昔から何もかわっていないのだろうことがどこを見ても伝わってきます。シーラカンスを初めて見た学者の感動はこのようなものに近かったに違いない。

客席が畳敷きの劇場で、自分が行ったことがあるのは篠原演芸場と川崎大島劇場。僕は大島劇場に「サ・昭和ノスタルジー」を感じていたのですが鈴蘭南座はさらにその上をいくようです。

何十年という歴史を刻んできた舞台。

花道。この木の質感。この狭さ。
短い時間でしたが僕にとっては我を忘れるかなり恍惚なひとときでした。
おじさんにお礼をして劇場を出ました。

劇場入口にある看板。
「昔ながらの名物芝居小屋」と書かれています。
まさにその通り。今度こそ是非ここで昔ながらに芝居を見たいです。
(2011年9月)
鈴蘭南座の近くの大曽根駅に着くと、この交通の要所では多くの人々が立ち往生していました。交通網がかなり混乱していることがわかりました。

と思いつつも自分はあんまり気にかけず、めざす店に歩いて行き「うなぎ釜飯」とビールを注文。のんきにも外の状況を忘れて名古屋の味を堪能していました。店でケータイのニュースをチェックしたところ、どうもこのあたりの鉄道が麻痺しているよう。これはお客さんが芝居観にこれないな、と思いましたがとりあえずここから約10分歩いて鈴蘭南座に行ってみました。


鈴蘭南座は一部電気はついていたものの、ひっそりとしていました。
入口扉は施錠されています。
そこにこの小屋の方と思われるおじさんがあらわれました。聞くとやはり夜の部は休演となったようです。
「入口に「休演」ぐらい貼っとけばいいのになあ」「ちょっと前はこんなに道路が水浸しになっていて大変だった」「今日昼の部の終了直後に夜の部の中止が決まった。昼は貸切だったけど帰りの手配が大変だった」などとおじさんはおっしゃっていました。
せっかく来たので中を見学させてほしいと願いでると、一瞬だけちょっと困った表情をされましたが、快く対応してくださいました。

裏口から中に入れていただきました。
ひと目見るなりそのノスタルジー溢れる趣きにくらくらしそうでした。昔から何もかわっていないのだろうことがどこを見ても伝わってきます。シーラカンスを初めて見た学者の感動はこのようなものに近かったに違いない。

客席が畳敷きの劇場で、自分が行ったことがあるのは篠原演芸場と川崎大島劇場。僕は大島劇場に「サ・昭和ノスタルジー」を感じていたのですが鈴蘭南座はさらにその上をいくようです。

何十年という歴史を刻んできた舞台。

花道。この木の質感。この狭さ。
短い時間でしたが僕にとっては我を忘れるかなり恍惚なひとときでした。
おじさんにお礼をして劇場を出ました。

劇場入口にある看板。
「昔ながらの名物芝居小屋」と書かれています。
まさにその通り。今度こそ是非ここで昔ながらに芝居を見たいです。
(2011年9月)