トークイベント 「橋本正樹が熱と力で語る旅芝居≪ワールド≫」(2023.7.17) レポート
トークイベント 「橋本正樹が熱と力で語る旅芝居≪ワールド≫」(2023.7.17) レポート
2023年7月大阪にて貴重なイベントが開催されました。
大衆演劇について長年研究され、数多くのルポルタージュを執筆された橋本正樹さんから直接お話しをうかがうという素晴らしい企画です。

イベントのチラシ
チラシにも記載されている、橋本正樹さんのプロフィールをここにも記します。
1947年兵庫県尼崎市生まれ。
明治大学文学部演劇学専攻卒業。
大衆演劇研究の先駆者であり、第一人者。
1985年放送のNHK朝の連続テレビ小説
「いちばん太鼓』の考証を担当。
河内音頭の普及に尽力。
中国・上海、アメリカ・ラスベガスや
東京・国立小劇場、錦糸町大盆踊り大会など
国内外の公演をマネージメント。
作詞した河内音頭は十数作を数える。
このイベントに参加してきましたので、当日の様子をご紹介したいと思います。

会場となった ちんどん通信社(㈲東西屋)社屋
ちんどん通信社はその名のとおりちんどん屋の団体です。

会場
とてもなつかしい感じがする室内です。

めくり

橋本正樹さんといえば、大衆演劇雑誌「演劇グラフ」での旅役者列伝の連載でこのブログをお読みの皆さんにはお馴染みですね。
当日は連載をまとめた書籍「あっぱれ!旅役者列伝」「晴れ姿!旅役者街道」「風雲!旅役者水滸伝」を展示販売していました。
約20名の参加者のもと、14時に開会しました。
まずはじめに、この会場を提供してくださったちんどん通信社責任者の林さんからご挨拶がありました。
戦後に大阪にあったちんどん屋のエピソードをお話くださいました。そのちんどん屋の近くに旅芝居の小屋があり、そこからドロンしてきた幾人もの座員がちんどん屋に身を寄せていたそうです。
林さんも現在大衆演劇とはご縁があるようです。
続いて橋本正樹さんがお話をしました。
まず前半はご自身と大衆演劇とのかかわりについて述懐しました。

橋本正樹さん
尼崎生れの橋本さんは高校時代にシナリオライターを目指し、大学入学と同時に上京しました。大学時代は旅芝居には縁がありませんでした。
大学卒業後、病気療養のために故郷に帰っていた際に、尼崎の寿座に行ったのが大衆演劇との出会いでした。
その後、心を奪われる旅役者と出会い、大衆演劇の世界を記録することを決意し、数多くの旅役者に密着取材をしました。
次に、橋本さんがこれまでに撮影した旅役者の写真がたくさんスライドで紹介されました。
旅役者についてあまりにも膨大な知識と経験をお持ちだからでしょう、ひとりの役者がスクリーンに映し出されるたたびに言いたいことがあふれ出てしまうご様子で、それを自制しながら多くの役者を次々と紹介されました。
その写真のごく一部を以下ご紹介します。
プロジェクターからスクリーン投影された画像をデジカメで撮影したものなので、画質が悪いことはご容赦ください。

梅沢富美男

浪花三之介
昔、紙テープが流行っていた頃の記録写真
浪花三之介先生は2023年6月にお亡くなりになりました

勝小龍(小泉のぼる)
数十年前は多くの劇団が生バンドで演奏していました。

橋本正樹さんと歌手のたかだみゆきさん。
何年前の写真なのだろう。
たかだみゆきさんは大衆演劇では「与ろずや紫舟(さいしゅう)」という名で活動されていました。
「与ろずや柴舟お目通り」は大衆演劇定番ソングですが、最近めっきり聞かなくなったような気がする。
後半は本日のテーマに話が移行します。
(本イベントは今後もテーマを変えながら開催してゆく予定のようです!)
今回のテーマは「美里英二」
私は残念ながら生で見たことがないのですが、かつて美里英二の追っかけをしていたという浪曲師の玉川奈々福さんからはその素晴らしさを聞いておりました。また、「俺は天下の旅役者 自伝・美里英二」を読んで、飾り気のない素直で温かな方だなという印象を私は持っていました。
昔は、前狂言・中狂言・舞踊ショー・切狂言の4本立ての公演だったそうですが、美里英二はどんなにお客さんが少なくても決して手抜きをしなかったそうです(橋本さんは美里英二の公演を数百回見ているそう)。
スーパースターだった美里英二も劇団旗揚げの頃は大変お金に苦労したそうです。
橋本さん秘蔵の記録も披露くださいました。
美里英二にインタビューした際の録音テープ。
美里英二(58歳で引退)の引退前の10日間を追ったビデオ。
たいへん貴重な記録。このイベントの価値の高さよ。
前半・後半のお話が終わり、参加者からの質問に橋本さんが答えるコーナーになりました。
大衆演劇にまつわるさまざまな質問に答えてくださいました。
その中で印象に残ったお話がいつくかあります。
大衆演劇が関西でさかんなのは、関西の人が芸事が好きだからだと思う。
関西のお客さんの、良いものは良い、悪いものは悪いとはっきりと言う性格が役者さんを育てた。
股旅物の芝居(三度笠の姿)が似合う役者が少なくなった。(これには私も共感)
16時、2時間にわたるトークイベントが終了し、最後は皆で三本締めで締めました。

会場に展示されていた、橋本さんがお持ちの資料(インタビューノートなど)。
嘉穂劇場の木札(入場券にあたるもの)、寿座の下足札もありました。

当日の配布資料。
橋本さんが母校の尼崎北高校の同窓会の会報に寄稿した文章のコピーと、橋本さんの大親友の岩田健三郎さん(橋本さんの著書の装丁もされている)の漫画(岩田さんが橋本さんの大衆演劇ルポの旅に同行した様子を描いた話)。
私はこの日初めて橋本さんにお会いしました。
たくさんの旅芝居ルポルタージュを読んで、情熱的で剛直で裏表のないはっきりした方という印象を私は持っていましたが、
実際お会いしてみますと、とても柔和でフレンドリーな雰囲気の方でした。
大衆演劇のどんなことを聞いてもあふれ出るようにコメントが返ってきます。生き字引とはこういう方のことを言うのだなと思いました。また、橋本さんの大衆演劇への愛情をあらためて感じました。
和気藹々とした楽しい会でした。
橋本さんはいろんな話題を頭の中で用意していたようだけれども、そのうち少ししかお話できなかったみたい。
是非、本企画をシリーズ化していただき、橋本さんの貴重なお話をもっともっとおうかがいしたいです。

橋本さんからいただいた、旅芝居公演のポスターのコピー。
昭和30年代のもののようです。
2023年7月大阪にて貴重なイベントが開催されました。
大衆演劇について長年研究され、数多くのルポルタージュを執筆された橋本正樹さんから直接お話しをうかがうという素晴らしい企画です。

イベントのチラシ
チラシにも記載されている、橋本正樹さんのプロフィールをここにも記します。
1947年兵庫県尼崎市生まれ。
明治大学文学部演劇学専攻卒業。
大衆演劇研究の先駆者であり、第一人者。
1985年放送のNHK朝の連続テレビ小説
「いちばん太鼓』の考証を担当。
河内音頭の普及に尽力。
中国・上海、アメリカ・ラスベガスや
東京・国立小劇場、錦糸町大盆踊り大会など
国内外の公演をマネージメント。
作詞した河内音頭は十数作を数える。
このイベントに参加してきましたので、当日の様子をご紹介したいと思います。

会場となった ちんどん通信社(㈲東西屋)社屋
ちんどん通信社はその名のとおりちんどん屋の団体です。

会場
とてもなつかしい感じがする室内です。

めくり

橋本正樹さんといえば、大衆演劇雑誌「演劇グラフ」での旅役者列伝の連載でこのブログをお読みの皆さんにはお馴染みですね。
当日は連載をまとめた書籍「あっぱれ!旅役者列伝」「晴れ姿!旅役者街道」「風雲!旅役者水滸伝」を展示販売していました。
約20名の参加者のもと、14時に開会しました。
まずはじめに、この会場を提供してくださったちんどん通信社責任者の林さんからご挨拶がありました。
戦後に大阪にあったちんどん屋のエピソードをお話くださいました。そのちんどん屋の近くに旅芝居の小屋があり、そこからドロンしてきた幾人もの座員がちんどん屋に身を寄せていたそうです。
林さんも現在大衆演劇とはご縁があるようです。
続いて橋本正樹さんがお話をしました。
まず前半はご自身と大衆演劇とのかかわりについて述懐しました。

橋本正樹さん
尼崎生れの橋本さんは高校時代にシナリオライターを目指し、大学入学と同時に上京しました。大学時代は旅芝居には縁がありませんでした。
大学卒業後、病気療養のために故郷に帰っていた際に、尼崎の寿座に行ったのが大衆演劇との出会いでした。
その後、心を奪われる旅役者と出会い、大衆演劇の世界を記録することを決意し、数多くの旅役者に密着取材をしました。
次に、橋本さんがこれまでに撮影した旅役者の写真がたくさんスライドで紹介されました。
旅役者についてあまりにも膨大な知識と経験をお持ちだからでしょう、ひとりの役者がスクリーンに映し出されるたたびに言いたいことがあふれ出てしまうご様子で、それを自制しながら多くの役者を次々と紹介されました。
その写真のごく一部を以下ご紹介します。
プロジェクターからスクリーン投影された画像をデジカメで撮影したものなので、画質が悪いことはご容赦ください。

梅沢富美男

浪花三之介
昔、紙テープが流行っていた頃の記録写真
浪花三之介先生は2023年6月にお亡くなりになりました

勝小龍(小泉のぼる)
数十年前は多くの劇団が生バンドで演奏していました。

橋本正樹さんと歌手のたかだみゆきさん。
何年前の写真なのだろう。
たかだみゆきさんは大衆演劇では「与ろずや紫舟(さいしゅう)」という名で活動されていました。
「与ろずや柴舟お目通り」は大衆演劇定番ソングですが、最近めっきり聞かなくなったような気がする。
後半は本日のテーマに話が移行します。
(本イベントは今後もテーマを変えながら開催してゆく予定のようです!)
今回のテーマは「美里英二」
私は残念ながら生で見たことがないのですが、かつて美里英二の追っかけをしていたという浪曲師の玉川奈々福さんからはその素晴らしさを聞いておりました。また、「俺は天下の旅役者 自伝・美里英二」を読んで、飾り気のない素直で温かな方だなという印象を私は持っていました。
昔は、前狂言・中狂言・舞踊ショー・切狂言の4本立ての公演だったそうですが、美里英二はどんなにお客さんが少なくても決して手抜きをしなかったそうです(橋本さんは美里英二の公演を数百回見ているそう)。
スーパースターだった美里英二も劇団旗揚げの頃は大変お金に苦労したそうです。
橋本さん秘蔵の記録も披露くださいました。
美里英二にインタビューした際の録音テープ。
美里英二(58歳で引退)の引退前の10日間を追ったビデオ。
たいへん貴重な記録。このイベントの価値の高さよ。
前半・後半のお話が終わり、参加者からの質問に橋本さんが答えるコーナーになりました。
大衆演劇にまつわるさまざまな質問に答えてくださいました。
その中で印象に残ったお話がいつくかあります。
大衆演劇が関西でさかんなのは、関西の人が芸事が好きだからだと思う。
関西のお客さんの、良いものは良い、悪いものは悪いとはっきりと言う性格が役者さんを育てた。
股旅物の芝居(三度笠の姿)が似合う役者が少なくなった。(これには私も共感)
16時、2時間にわたるトークイベントが終了し、最後は皆で三本締めで締めました。

会場に展示されていた、橋本さんがお持ちの資料(インタビューノートなど)。
嘉穂劇場の木札(入場券にあたるもの)、寿座の下足札もありました。

当日の配布資料。
橋本さんが母校の尼崎北高校の同窓会の会報に寄稿した文章のコピーと、橋本さんの大親友の岩田健三郎さん(橋本さんの著書の装丁もされている)の漫画(岩田さんが橋本さんの大衆演劇ルポの旅に同行した様子を描いた話)。
私はこの日初めて橋本さんにお会いしました。
たくさんの旅芝居ルポルタージュを読んで、情熱的で剛直で裏表のないはっきりした方という印象を私は持っていましたが、
実際お会いしてみますと、とても柔和でフレンドリーな雰囲気の方でした。
大衆演劇のどんなことを聞いてもあふれ出るようにコメントが返ってきます。生き字引とはこういう方のことを言うのだなと思いました。また、橋本さんの大衆演劇への愛情をあらためて感じました。
和気藹々とした楽しい会でした。
橋本さんはいろんな話題を頭の中で用意していたようだけれども、そのうち少ししかお話できなかったみたい。
是非、本企画をシリーズ化していただき、橋本さんの貴重なお話をもっともっとおうかがいしたいです。

橋本さんからいただいた、旅芝居公演のポスターのコピー。
昭和30年代のもののようです。