WIKIレンタル 大衆演劇探訪記 長崎さすらい 冬の大村湾 カラオケ居酒屋から生まれ変わった演芸場 優木劇団単独公演 「松原の大衆演芸場 美山」
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長崎さすらい 冬の大村湾 カラオケ居酒屋から生まれ変わった演芸場 優木劇団単独公演 「松原の大衆演芸場 美山」

長崎さすらい 冬の大村湾 カラオケ居酒屋から生まれ変わった演芸場 優木劇団単独公演 「松原の大衆演芸場 美山」

長崎さすらい 1日目

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早朝の羽田空港。
乗客を飛行機へ輸送するバスの待機所で私はひとり、旅立ちの朝特有の胸のときめきを静かにかみしめていました。

9:20頃、飛行機は大村湾に浮かぶ島のような長崎空港に到着。
私は諫早方面行きのバスに乗りました。

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大村駅前バス停で下車し、駅舎に行って電車の時刻表を確認します。
目指す松原駅に停まる電車が来るまであと1時間近くあります。

大村はかつての城下町。玖島(くしま)城跡がある大村公園に行きたかったけれど、駅からちょっと離れていて時間が足りなそう。アーケード商店街など大村の町を散策する。
閑散とした通りで、保育士さんに連れられた保育園児の一群と何度かすれ違う。

10:53大村駅からJRシーサイドライナー・佐世保行に乗る。
その名の通り電車は大村湾の近くを走行する。
海と線路がかなり接近してきたところで、電車は松原駅に到着。

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ひっそりとした無人駅。
冷たい空気をたたえた冬の青空と遠くの山並み。雑然とした東京から離れた解放感。
今日はこの駅の近くにあるという大衆演芸場を訪ねます。

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観劇帰りの電車の時刻をチェック。
1時間に1本程度しか電車がこないので、帰る時間には要注意だ。

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駅から少し歩くと、遮断機のない人間専用の踏切がありました。
線路を横断します。

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演芸場の裏手らしきところに着きました。
表にまわってみましょう。

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まさにここが今日の目的地「大衆演芸場 美山」でした。

あまり栄えていない、というよりむしろ人の気配に乏しい地域。その国道沿いに、ぽつりと不思議に存在する演芸場。
古そうに見える1階建て、たて長の家屋は「小屋」と表現したくなる愛らしさがあります。

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近くに寄ると、タイムスリップして数十年前に来たような味わい深さを感じます。
でもここは令和にオープンした大衆演劇場なのです。

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「大衆演劇」ではなく「大衆演芸」という語を使っているのがいいな。
「プラン」という語に、ちょっと遠くからでも小旅行気分で来てくださいというニュアンスを感じます。

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私が訪ねた日はお正月特別公演期間中でした。
受け持つのは優木誠座長率いる優木劇団。
2018年3月の青森県の深浦観光ホテル以来の優木劇団単独公演です。
そしてこの1月公演を機に、花形だった優木直弥さんは若座長に昇進しました。

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小屋のとなりに宣伝車が停まっていました。
旅芝居の宣伝車。風情があってよさそうですね。
どのような音楽やアナウンスを流しながらどんなところを走っていたのだろう。

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この大衆演芸場は以前はカラオケ居酒屋でした。その時のものと思われる看板がまだ小屋の外壁に残っていました。

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入口扉の両脇に大きな門松が飾ってあります。

昼の部は13時開演ですが、演芸場は11頃には入場可能となります。
まだ11時過ぎですが、場内に入ってゆっくり開演を待ちたいと思います。

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入口扉入ってすぐ左手に受付があります。

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手書きの掲示、いいですね。

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入口扉入ってすぐ右手の靴箱に靴を入れます。
正面のカーテンをくぐるといよいよ場内です。

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大衆演芸場美山場内後方より

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長机に座布団。地方の大衆演劇場ではオーソドックスな形式です。

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前方。
定式幕ではなく白いカーテンのような幕。
早く来すぎたようで、カーテンの奥の舞台ではショーの稽古をやっているようでした。

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場内左側面の様子

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このように花道が設けられています。立派な旅芝居小屋です。

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場内前方から後方を見たところ

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元カラオケ居酒屋だったということで、酒場っぽいスペースがあります。

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演劇グラフが積まれていて、料金箱が置かれています。
地方に行くとよく道端に無人の野菜販売所を見かけますが、あれと同じのどかさを感じますね。

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ここではお酒やソフトドリンクもセルフ購入です。
昔の地方の村では外出するときにいちいち家の鍵をかけなかったようですが、悪人の存在を想定しない古き良き日本の風情がここにもありますね。

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今回の座組には演歌歌手も加わっているようです。
優木劇団といえば優木誠座長と優木直弥若座長の二人。今回の公演では他にどんな座員が加わるのか気になるところです。

のんびりと場内で開演を待つ。舞台での稽古も終わったようで、場内には演歌が流れています。
場内にひょっこり優木直弥若座長が現れて演芸場のスタッフのおじさんとなにやら話していました。
その後私を見つけた若座長。私は東京の優木劇団ファンとして認識されていたようで、「あれ、いるはずのない人がここにいる」などとおどけたことを言って私に挨拶してくれました。

また場内で開演を待っていると、この演芸場のマスター美山豊さんが私に挨拶に来てくれて名刺をいただきました。
劇場内に、美山豊さんおよび大衆演劇場美山を取材した新聞記事が掲示してあり、次のようなことが書かれていました。

2021年9月19日の毎日新聞の記事より
「大衆演劇場 美山」劇場主 美山豊さん(72)
大村市出身。大学卒業後建設会社や政治家秘書を務めた後、30代半ばに大衆演劇に魅せられ劇団美山に入る。40代は座員として活躍。57歳の時、大村市松原にカラオケ居酒屋を開店。今年6月に知人の熊本の劇団の座長から「コロナ禍で公演の場がない。助けてほしい」と依頼され、7月に「大衆演芸場 美山」に衣替えし大衆演劇の公演を始める。

なんとマスターは元大衆演劇役者だったのですね。
場内には「美山豊太郎」という役者の写真が飾ってあったけれどこれがかつてのマスターの姿なのかな。

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美山豊マスターがコーヒーをサービスしてくださいました。
旅先のインスタントコーヒーって妙に美味しいのですよね。

次第にお客さんが集まってきました。
団体のお客さんもいます。
若いお客さんはいない。皆ご高齢の方。

13時。いよいよ昼の部の公演が始まりました。

第一部はお芝居。お芝居の演題は場内のどこにも掲示されていません。開演前のアナウンスで初めて演目がわかる、昔ながらの姿。

この日の芝居は、大衆演劇ではおなじみの演目「三人出世」

ちゃんと書割(背景幕)を使った芝居でした。
頭が足りない目明しのトモ役は優木直弥若座長。
その幼馴染、今は怪盗定吉となっているサダ役は優木誠座長。
あとは優木劇団新入りと思われる女優さんが2名と演歌歌手の愛川あいさんが出演されていました。
優木直弥若座長大活躍の芝居でした。芝居の途中で場内から電話の音(多分演芸場の電話)が鳴っても、さらっとアドリブで受け流すあたり十代ながらキャリアを感じます。
涙を誘うラストシーンがあり芝居の幕が閉じました。

続いて口上挨拶

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口上を務めるのは優木直弥若座長。
どんな口上をするのかなと思っていたら、いやー直弥若座長意外と饒舌なんですねえ。

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立ち上がって積極的にお客さんとコミュニケーションをとる若座長。
たっぷり時間を使って場を盛り上げていました。

引き続き、ご祝儀レイ、劇団グッズ等をを販売。

口上挨拶、販売が終わり休憩をはさんで第二部舞踊ショーへ。

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舞踊ショートップステージ。

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舞踊ショーは直弥若座長を中心に構成されています。

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いろいろなスタイルを披露する直弥若座長

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直弥若座長の女形

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優木誠座長
2021年はあまり舞台にたっていらっしゃならかったようですが、ブランクなどまったく感じさせない色気ムンムンの舞踊。

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優木誠座長の女形

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ラストショー。
劇団には3人の女優さんがいるようで、皆さんが舞台に揃いました。

15時45分頃昼の部が終演しました。
芝居に舞踊に口上挨拶に大活躍だった優木直弥若座長。実力あるし芸熱心だしお客さんとの触れ合いを大事にするし、将来いい座長になるでしょうね~。

終演後優木誠座長にもご挨拶をして大衆演芸場美山を後にしました。

松原駅から再びシーサイドライナーに乗って佐世保に向かいます。

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シーサイドライナーの車窓から眺める大村湾の夕暮れ。
車両の中の人々はみんな黙って列車の音だけが響いてる。

佐世保の宿にチェックインして佐世保の夜の街を散歩。
自然派ワインを中心に扱っているイタリアンがあったのでそこで夕食としました。
近辺にワインバーが多い気がしたのでシェフに訊いてみると、佐世保は米軍基地があった関係で古くからワインがよく流通していたとのこと。九州の他の地域よりワインに親しむ人が多いのだそうです。

旅の楽しさが手伝っていつもより多く飲んでしまう。
ホテルに戻って就寝。


長崎さすらい 2日目

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はじめてハウステンボスにやってきました

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ハウステンボスのシンボルタワー、ドルトームンの展望室から眺めた園内。
ハウステンボスは海沿いにあり園内には運河が張り巡らされていてゴンドラで周遊できます。

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さて、ハウステンボスの第一のお目当ては「歌劇 ザ・レビュー ハウステンボス」という歌劇団の公演の観劇です。簡単にいうと宝塚のハウステンボス版ですね。宝塚音楽学校のように歌劇団員を養成する学校もあるようです。チームは6組もあり、それぞれにスターがいます。

11時30分からの昼公演、14時からの屋外公演、そして16時30分からの公演を全部観ました。

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屋内公演が行われるMUSE HALL.。

昼の部はチーム奏(ハピネス)の「ファンタジーミュージカル孫悟空」でした。ミュージカルとショー合わせて約1時間の公演。みなさんクオリティ高かったです。見応えがありました。ちなみにチーム奏のスターは夕貴まことさん。前の日もこの日も観た劇団のトップが「ゆうきまこと」さんでした。

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屋外公演はアムステルダム広場という場所で行われます。とても寒いのに、薄着でも笑顔を絶やさない団員さん。

歌劇団観劇の合間に空いてそうなアトラクションにいくつか入りました。

「ワインの城」というところがありました。園内はお客さんで賑わっているのに、ここにはほとんどお客さんがいない。
ボトルワインの販売の他、グラスでもワインが飲める施設です。
目を引いたのは世界の銘醸ワインがグラスで飲めるコーナー。私のようなワイン初級者涎垂のボトルがいくつも並んでいます。驚いたことに高級ワインのオーパスワンまでもがグラスで飲めるのです。
シャブリのプルミエクリュまでは買って家で飲んだりしているのですがグランクリュは飲んだことがない。チャンスと思いグラスでいただきました。ウマー。ふだんは高級ワインに手が出ない私ですが、誘惑に耐え切れず、五大シャトーのひとつシャトー・ムートン・ロートシルトのセカンドラベルを注文。おお、なんと繊細な香りなのでしょう。旅の解放感も手伝って1杯数千円もするグラスワインを飲んでしまいました。

夕方の歌劇団の公演を観終わると、夕暮れが近づいていました。
空が暗くなった後ライトアップイベントがあるというので観に行きました。

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再びアムステルダム広場。男性二人が歌を歌って場が盛り上がったところでライトアップ。白銀の世界が現れました。

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夜の園内

美しい夜のハウステンボスを後にして再び佐世保へ。
またしてもレストランでワインを飲んでホテルで就寝。


長崎さすらい 3日目

シーサイドライナーに乗って佐世保から長崎へ移動。

昔、隠れキリシタンに興味を持ち関連史跡をめぐって長崎を旅したことがありました。
久し振りに国宝の大浦天主堂に行ってみたい。

路面電車を乗り継ぐ。東京で使っているSUICAがそのまま使えるので便利だ。

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大浦天主堂。
お正月だからか受付に日本国旗が掲揚してある。その向こうに厳然と佇む白い教会。

教会付属の資料館もとても見ごたえがあり、その古風な建物が味わい深いが、あんまりじっくり過ごす時間がない。

大浦天主堂の近くに「軍艦島デジタルミュージアム」があります。軍艦島も今回の旅のテーマのひとつ。
軍艦島、正式名称端島(はしま)は2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」の一つとして世界遺産に登録されました。

その軍艦島をデジタル技術によって再現した施設です。
なかなか工夫されていて興味深く鑑賞できる施設でした。特に、バーチャルリアリティー用のゴーグルをつけて軍艦島上空をエアロバイクで飛行できる体験が面白かった。

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デジタルミュージアムの中には当時の軍艦島の内部を再現したエリアもありました。

さて、ミュージアムの後はリアルの軍艦島へ向かいます。
路面電車を乗り継いで港へ。

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予約したあった軍艦島上陸ツアーに参加。クルーズ船に乗り込みます。

屋外デッキで冬の風を受けながら長崎の海をクルーズ。
軍艦島に向かうまでにいろんな島があって、ガイドさんが丁寧に説明してくれます。

40分ほどで軍艦島(端島)が見えてきました。

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その姿が軍艦「土佐」に似ていることから「軍艦島」と呼ばれるようになった。
これが軍艦に似ていると言われているアングルらしい。

端島は江戸時代に石炭が発見され、1890(明治23)年に三菱が経営に乗り出した。1916(大正5)年には日本初の鉄筋コンクリート造の高層集合住宅が建設される。最盛期には5300人もの人々が住み、映画館やパチンコホールもあった。
エネルギー需要が石炭から石油に移ったことで出炭量が減少し、1974(昭和49)年に閉山。同年に無人島となった。

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ついに軍艦島に上陸。
元島民の方がいろんな廃墟を解説してくれました。

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再び船に乗って軍艦島のまわりを周遊。
びっしりとビル群の廃墟が立ち並んでいるのが海からよく見えます。

国家的に反日プロパガンダをしている韓国では、端島で朝鮮人が強制労働により苦しめられたとして「軍艦島は地獄島」などと反日報道している。元島民の証言からも端島にかかわる資料からもこれらが歴史を歪曲した報道であることは明らかである。私は端島炭鉱の第一次資料に触れたわけではないけれども、当時の写真・動画を見て実際に足を踏み入れた体感として、過酷な労働ではあっただろうが反人道的な差別があったとはとても思えない。

さて、軍艦島探訪を終えても、夜の飛行機の離陸までまだまだ時間はあります。どこをさすらおうか。

元マヒナスターズメンバーにしてお笑い芸人のタブレット純さんの「ムードコーラス聖地純礼」という本に長崎聖地巡礼という項があり、長崎ムード歌謡全盛期を偲ぶ散策も頭をよぎりましたが、かつてのキャバレーは今は跡形もないようでもありあまりにもマニアックな放浪な自重しました。
ちなみにムード歌謡の聖地としての長崎についてこの本にはこのようなことが書かれています。

高度成長期、昭和40年代の長崎の街にはキャバレーが大小合わせて十軒くらいあった。その筆頭が「十二番街」というナイトクラブ。東京からお偉いさんが来たらまず「十二番街」で接待するという高級クラブですごいホステスさんが揃っていた。ここで活動していたグループがコロラティーノ。ある時何のトラブルからか、コロラティーノから内山田洋ら4人が脱退して「銀馬車」というキャバレーの専属バンドとなる。これがクール・ファイブ。内山田洋の弟子だった前川清もクール・ファイブに加入してボーカルを務める。一方コロラティーノはサックスの川原弘を迎え彼の作による「思案橋ブルース」を発売して大ヒット。クールファイブは渡辺プロに見いだされて東京で活動を始めるも全く売れず。前川清以外は妻帯者だったが、東京のマンションに共同で棲みながら耐えしのぶ。コント55号が司会の「お昼のゴールデンショー」というテレビ番組に出演したことを契機に大ブレイク。デビュー曲の「長崎は今日も雨だった」は大ヒットとなった。

当時のキャバレーは毎日大変賑わっていたそう。そんな古き良き昭和の長崎繁華街を夢想しながら、令和の長崎繁華街をぶらぶら散歩。

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思案橋横丁にて

ちょうどこの旅の直前に、ローカルな旅番組で思案橋近くの中華料理屋を紹介していたので、その店に入ることにしました。
かなりひなびた感じのいかにも昔ながらの大衆中華といったお店でした。

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皿うどんと餃子のセット。

う、うまい。予想を超える皿うどんの旨さに驚愕しつつ、最初はこんなに食べきれるかなーと思った量をもくもくと完食。一見醤油差しに見える容器には実はソースが入っていて、これを皿うどんにかけるのが地元流のようだ。確かにソースをかけると大衆食堂ならではの味わいが深まり瓶ビールとの相乗効果で庶民的恍惚感を得る。

冬の長崎の街に陽が落ちる頃、路面電車に乗って一人長崎駅へ。
コインロッカーから荷物を取り出して空港行きバスに乗り込む。

 さがし さがし求めて
 ひとり ひとりさまよえば
 行けど切ない 石だたみ

頭の中で「長崎は今日も雨だった」を再生しながら車窓の街を眺めていると、旅の終わりのさみしさがそっと私を包んでいくようでした。

長崎さすらい おわり

(2022年1月探訪)


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プロフィール

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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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