WIKIレンタル 大衆演劇探訪記 大阪の下町にある小さな劇団のための小さな劇場 「水車小屋」
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大阪の下町にある小さな劇団のための小さな劇場 「水車小屋」

大阪の下町にある小さな劇団のための小さな劇場 「水車小屋」

大衆演劇について論じた貴重な書籍である芸双書「かぶく━━大衆演劇の世界」(1982年白水社刊行)に掲載されている橋本正樹さんの寄稿文に以下のような記述があります。

昭和十年から十六年の第一期、敗戦直後から二十八年までの第二期黄金時代には(中略)一座が全国で七百を超えていたと推定される。そして現在、常設館およびヘルスセンターを拠点に公演をつづける大衆劇団は六十五である。全盛期の一割に減少したわけだ。劇団員数も往時とくらべると(中略)三分の一ないし五分の一の平均十二、三人に減っている。

最盛期には劇団員40や50といった劇団はザラにあったのでしょう。すごい世界ですね。そんなに大きい劇場や大きい宿舎がたくさんあったのでしょうか。全盛期を過ぎると劇団の規模が縮小化してゆきます。この本の巻末にある全国の劇団情報によると多くの劇団は座員数が10~15名で、20人を超えると多いなという印象を受けます。

この本が刊行されたのが今から約40年前の昭和57年(1982年)です。ではそれから現在に至るまで大衆演劇をとりまく状況はどのように変化しているでしょうか。1982年と2022年を比較してみましょう。(正確なデータではありません、目安とお考えください)

・常打ちの公演地
[1982]72程度 → [2022]86程度
・劇団数
[1982]65程度 → [2022]100強
・平均的な劇団員数
[1982]10~15 → [2022]10以下?

2022年の平均劇団員数についてはデータがありませんが、私の感覚からして、子役を除けば10人以下の劇団が多いのではないかと思うのでこう記しておきます。

上記の1項目目と2項目目の数字だけ読めば、ここ40年では公演地も劇団数は増えているので、大衆演劇業界がだいぶ活性化しているように見えます。しかし実際はそうではありません。それは上記3項目目の数字、ひとつの劇団の座員数が減っているという傾向から読み取ることができます。劇団数は増えているが劇団員数は減っている。このことにはどのような背景があるのでしょう。

多くの大衆演劇劇団は家族・親族を核として構成されています。仮に劇団座員を[A:家族・親族]と[B:A以外]に分類して、劇団はA+Bで構成されているとしましょう。
私は、ここ数十年の業界には[Aの分裂]と[Bの減少]という傾向があり、少人数劇団の増加という結果に至っていると考えています。

劇団数は増えているということは、座長が増えていると言い換えることができます。
ある座長に子供が何人もいたとして、その子供たちが実力ある役者に成長するとどうなるでしょう。兄弟がそれぞれ座長となって同じ劇団を支えるケースもありますが、子供が本家と分家のように別れて別の劇団を構えることもあります。
また複数の親族が合同で一座を結成していた場合、一つの親族が独立して劇団を立ち上げることもあります。
世代交代の際などに劇団が分裂するのが[Aの分裂]という現象です。

大衆演劇の役者は、親が旅役者だから自分も旅役者になったという役者が多いですが、そのような血縁なく、物心ついてから単身この業界に飛び込んできた者も少なくありません。こうした役者の中には業界内で伴侶を見つけて劇団内で家庭を持つ者がいます。けれども、そのように至らなかった役者についてみると、劇団に残らず結局は業界から去ってしまう方の割合が昔より増えているのではないかと思っています。これが[Bの減少]という傾向です。

[Aの分裂]と[Bの減少]の背景を考えるにあたって、私は[役者一人あたりのお客さん数]という指標を用いてみたいと思います。ある公演において、その公演にかかわる劇団員数の数と来場したお客さんの数の比をみるということです。
[役者一人あたりのお客さん数]が高ければ座員一人あたりの収益性が高く、低ければ座員一人当たりの収益性が低いと言えます。
当然自然の成り行きとして、一人当たりの収益性が高くなる方向=[役者一人あたりのお客さん数]を増やす方向に劇団は向かいます。
ここでの方向は二つ
・お客さんを増やすために公演内容を充実させる→設備や衣装に投資をする。座員を増やして、劇団ができることを増やす。
・少ない座員でもお客さんを集客できるように頑張る
ほぼすべての劇団が、まず前者の方向を志向するでしょう。でもそれがかなわず結局後者の状況になるケースが多いのではないかと思います。
前者を志向したことにより、劇団の持つ資産は数十年前よりとてつもなく増えているでしょう。つまり毎月の移動の経費もかなりの額になっていると思います。だけれどもお客さんが入らずなかなか経費を補填できない。結局座員に還元できる報酬はごく少ないものになるでしょう。[Bの減少]はやむなきことです。企業が労働者に対して不当に低賃金や長時間労働を強いる行為をもって「やりがい搾取」などと言われるようになりました。現代は昔に比べて「やりがい」だけで組織に帰属意識をもたせようとするのは難しくなっていると思います。
投資すればお客さんが増える。この目論見が思いの他うまくいかないことを多くの劇団が気付いたことでしょう。今や劇団員が20名を超える劇団はほとんどありません。劇団員が多いと[役者一人あたりのお客さん数]が小さくなってしまい、経営が厳しくなります。収益性を上げるためには、劇団の規模を小さくせざるを得ません。[Aの分裂]は必然的な傾向と思えます。
これらの傾向の根本の原因は、言うまでもなく、劇場に足を運ぶお客さんの総数が少ないことにあります。新しい大衆演劇ファンを獲得してゆくこと、大衆演劇の認知度をあげることに業界全体(ファンも含め)が力を入れてゆくことが今は何より大事だと思っています。

先ほど、投資してお客さんが増そうと思ってもうまくいかない、と書いてしまいましたが、決して各劇団の努力や工夫が十分でなかったと言っているわけではありません。構造的な問題があると思っています。それはお客さんというパイ(業界ファンの総数)が増えないことと劇場の立地事情です。ここ数十年のうちにできた大衆演劇場は、演劇という商業活動をするには適しているとは言えない立地にあることが多いと思います。そんな劇場でも、娯楽が多様化していなかった時代に育った世代のお客さんが多かった頃はある程度の固定客が確保できていたのだと思います。ところがそんな世代のお客さんが減ったことにより「劇場の常連」も減ってしまったのではないでしょうか。「気軽に観に行ける」のが大衆娯楽の原点。でも劇場が立地の悪い場所にあったら気軽に行くのではなく「わざわざその劇場に足を運ぶ」という行為となります。どの劇団もコンテンツを充実させようと思っています。けれども出し物の力で「劇場の立地の悪さ」という悪条件を克服するのは簡単ではありません。悪立地をものとも思わず遠くからでも来てくれる「役者のファン」を増やすことが集客のよりどころとなってしまうでしょう。近年の業界では、劇団全体で高めるべき芝居の完成度よりも役者個人の魅力を引き立てることを強化してゆく方向、芝居より舞踊ショー重視の方向に進んでいるように思います。

演芸の楽しさには、刹那的な興奮もあればじんわり沁みる感動もあります。どちらも大切な娯楽の要素です。最近の劇団はどうも前者の方に目がいきがちのように私には思えます。衣装に凝る、照明に凝るといった投資もその例です。もちろんそれはいいことなのですが、そちらに目を向けるあまり後者に意識が向かなくなってしまうことを懸念します。旅役者の芸の真骨頂は、お客さんの心根に響くような深い感動を与えることだと思います。芸にかける心意気がお客さんの琴線に触れ、お客さんの心を豊かにします。お客さんを心の底から楽しませる芝居を目指すのにあたって座員の少なさは大きなハンディキャップです。劇団員の縮小化が進んでいる昨今、このハンデを乗り越えようという意識をどれだけ強く持つかが各劇団に問われていると思います。最近の若いお客さんは芝居をしっかり見てくれないとぼやいている役者さんがいます。「だから舞踊の方に力を入れよう」と劇団が考えることに危惧を覚えます。それではいつまでたってもお客さんの「芝居を見る目」が肥えません。「少ない人数でも見ごたえのある芝居をもっと追及しよう」という心意気があればこそ、お客さんの芝居の目がだんだんと肥えてゆくのだと思います。そのことによって業界全体が豊かに熟してゆくでしょう。刹那的笑いをとるためにアドリブで内輪ネタ等を盛り込みその芝居の本質を損なう行為(それは芝居を退屈と思うお客さんへのおもねりでしょう)がこれ以上無暗に横行しないことを願っています。

話を戻しますと、大衆演劇の劇団数は増えていますが劇団員数は減っています。それに呼応するように大衆演劇場の在り方も変わっています。その象徴が大阪の劇場事情です。
先ほど、公演地の数の変化を記しましたが、これを大阪に絞ってみてみましょう。

・大阪の常打ちの公演地
[1982]4程度 → [2005]8程度 → [2022]20程度

ここ数年、大阪では劇場数の増加が顕著です。収容規模の小さい劇場がいくつもできました。数が増え、規模が縮小している。大阪の大衆演劇場は大衆演劇劇団とまさに同じ傾向をたどっています。
いろんな場所に大衆演劇場ができるというのは、いろんな場所にファンを生むことにつながります。首都圏では大衆演劇の存在すら知らない人が多いですが、大阪では東京よりもずっと身近な娯楽として認知されているでしょう。まさに大阪は現代の大衆演劇のメッカです。
小さな劇場に地元の方が集う。私がとても好きな光景です。ですから大阪の小劇場に行くのはいつも楽しみです。

今回は2021年5月というコロナ禍のまっさなかにオープンした大阪にある水車小屋という大衆演劇場を訪ねます。

水車小屋があるのは大阪市生野区。最寄駅は大阪メトロ千日前線の「北巽(きたたつみ)駅」または「小路(しょうじ)駅」。どちらから行ってもそんなに時間は変わらないでしょう。
いかにも下町な場所にある大衆演劇場。わくわくしますね。

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これは北巽駅4番出口を上がって国道を北方面に見たところ。このまま大通りを進みます。

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これは小路駅4番出口。国道を南方面にみたところ。このまま大通りを進みます。

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北巽駅と小路駅の間くらいに「小路東4」という交差点があります。ここを西方面にまさに小路に入ってゆきます。

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しばらく進みますと右手に白く長い建物が見えてきます。

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これが大衆演劇場「水車小屋」がはいっている建物です。
とても昭和なテイストを感じるたたずまい。

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ちなみに白い建物の先には、水車を飾った家屋がありますが、こちらは劇場ではありません。

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焼き鳥屋さんと床屋さんの間に「演劇館水車小屋」の赤い看板。その下にある魅惑の暗がり。吸い込まれそう、、、

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お隣の床屋さんもとっても素敵な雰囲気です。壁際にしまわれている看板には「さんぱつや」と書かれているのでしょうか。

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さあ魅惑の暗がりに入ってゆきましょう。夜の部の前、暗がりに明かりが灯りました。

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暗がり入口付近の壁にある掲示群。休館日などを告知しています。ひっそりと椅子の上に置かれたカゴにはチラシが入っています。劇団ポスターの横には水車小屋の絵が飾ってありますね。

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壁に貼られた開場時間案内。

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建物内部に進みますと左手に劇場入口が見えました。出入口扉のすぐ横についたてみたいのがあって、その裏に受付の方がいらっしゃいます。受付のおじさまに木戸銭を支払い当日券チケットを受け取っていざ内部へ。

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劇場内後方より。客席50に満たない小劇場です。

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右前方から後方を見たところ

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左前方から見渡す場内

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前から4列目は段を設けて高くなっています。

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壁に飾られた水車の写真

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お手洗いは劇場後方

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天井にはミラーボール。
ここはもともとカラオケ店だったようで、その名残ですね。

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前方
舞台と客席がすごく近いです。これが小劇場の醍醐味です。

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幕を開いたところ。天井が高くありませんから舞台も高くありません。

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公演中の様子。

地元のおばさま、いやおねえさまらしき方々も集い、劇団ファンも集い、とてもアットホームな公演でした。
下町の夜の一隅で行われている小さな旅芝居公演。大阪ではこんな舞台の明かりが毎日いろんな場所で灯っています。

東京で毎日あくせく働いていると
大阪で小劇場に通いながらひっそりとつつましく暮らす日々を妄想してしまいます。

小さな劇団と小さな芝居小屋と小さな暮らし。
愛しの大衆演劇よいつまでも。

(2021年12月探訪)

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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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