北海道中西部の温泉ホテルでの単発公演 「くりやま温泉ホテルパラダイスヒルズ」
北海道中西部の温泉ホテルでの単発公演 「くりやま温泉ホテルパラダイスヒルズ」
今回は2年振りの北海道遠征のレポートです。
今回の目的地は、北海道夕張郡栗山町にあるくりやま温泉ホテルパラダイスヒルズ。
2021年10月・11月に大衆演劇公演を行っていました。
私は10月下旬に旅に出立しました。

ホテルパラダイスヒルズの場所はここ。
札幌からも、新千歳空港からもそう遠くないところにあります。

羽田空港から新千歳空港へ向かいます。
新千歳空港からレンタカー屋に移動して車に乗りました。
目指すホテルに直行すると早く着きすぎてしまうので、午前中は栗山町から20kmほど離れた岩見沢の街を散策することにしました。

岩見沢市の人口は約8万人。街中に繁華街があります。
ちなみに栗山町の人口は約12000人です。

私は知らない街を散歩する際、ついスナック街を探してしまう。
スナックの数や雰囲気がその街の庶民文化の活性度のバロメーターのように思えるのです。
お昼が近づいてきましたので、ホテルパラダイスヒルズに向かいます。

国道を走っていると看板と幟が見えてきました。
この脇道に入ります。

ホテルが見えてきました。

ホテルと隣接して、栗山さくらキャンプ場があります。

ホテルパラダイスヒルズの建物

入口を入りますとゲートがありました。ここで消毒・検温をします。
ゲートをくぐってすぐ左のフロントでチェックイン。
私は大衆演劇観劇(昼・夜)付き宿泊プランを予約していました。チェックインの際に、演劇場の座席表から好きな席を選び、指定席券を受け取りました。

今日宿泊する部屋です。
和洋折衷のつくり。

ホテルに貼ってあったポスター。
ホテルパラダイスヒルズでの公演は劇団駒三郎が二か月間受け持ちます。
ここホテルパラダイスヒルズでは昨年も劇団駒三郎が単発公演を行いました。
ポスターに載っているのは三好辨太郎座長と南條友李愛若座長。駒三郎総座長は写真はなく名前のみ。
そう、劇団駒三郎は昨年体制が変わりました。
南條駒三郎座長は長谷川駒三郎と名前を変え総座長となり、副座長だった三好辨太郎が座長になりました。
昼の部が近づいて来ましたので大衆演劇場に移動します。
ホテルの1階に大衆演劇場(イベント会場)と温泉施設があり、上階が客室です。

1階イベント会場へ向かう廊下。

イベント会場入口

イベントホールの半分を使って大衆演劇公演スペースが設置されていました。

舞台前方から後方を見たところ

ホールの後方は、観客席ではなくレストランの形状となっていました。

前方

投光の前など、一部座椅子席があります。

花道
13時第一部お芝居開演。
この日は「会津の親子」という長丁場の芝居で、第一部は14時15分頃終わりました。
その後、三好辨太郎座長による口上挨拶。レイの販売。お客さんは全部で13人くらいでしたけれどレイは5人くらいの方が買っていました。
14時35分頃第二部舞踊ショー開演

舞踊ショーの様子

三好辨太郎座長
私は三好辨太郎座長の実直でスタンダードさを感じる演技が好き。

南條友李愛若座長
肩書が人をつくるというけれど、若座長になってぐっと貫禄がついてきました。

今回の私の注目は南條まりあ。栗山中学校に通う中学生。
明るく元気がよい。舞台が華やかになります。芝居はまだこれからだけど踊りはなかなかいい。まだ中学生なのにオトナの女に扮する舞踊が達者。今後注目したいと思います。
15時30分頃昼の部終了。
役者さんは廊下に出てお見送り。
私は客室に戻ってお風呂へ。
露天風呂もあり気持ちよい。
私の好きなサウナもありました。サウナ・水風呂・休憩を3セット。ととのいました。
夜の部は18時から昼と同じイベント会場で行われます。
舞踊ショーのみの1時間公演です。
夜の部の後はすぐ夕食となります。夕食会場もイベントホール。
劇団お見送りの後、そのまま廊下で待機。夕食の準備が整うとスタッフから声がかかりました。

すき焼きと毛ガニはすでにテーブルに並べられています。
それ以外はバイキング。

道産牛のすき焼き
食事の途中で劇団の若手が1名食事会場にやってきました。
どうやら劇団の方の夕食も同じ会場で同じ食事をとるようですね。
予約プランをよく見ると「ご夕食は公演に出演した劇団員とともにお楽しみください!」と書いてありました。
夕食の後はまたお風呂。
至福の心地で就寝。

朝食はレストランで。
このレストランは夜はちゃんこ鍋を出しているようです。

朝食
北海道の旅2日目。
朝食の後は車で洞爺湖に向かいました。

快晴の洞爺湖
洞爺湖はカルデラ湖。
洞爺湖や近くの有珠山は日本のジオパークに登録されています。
洞爺湖には大きな島が浮かんでいます。

観光船に乗って、洞爺湖の島に向かいました。

観光船から見た洞爺湖温泉街。
洞爺湖観光の後は昭和新山・有珠山へ。

昭和新山
昭和19年、畑だった場所に火山活動が起こって地面が隆起。噴火を繰り返し溶岩ドームが盛り上がって、現在の形にまでなったそうです。
昭和新山のすぐ近くにあるのが有珠山。2000年にも噴火したという活火山です。
有珠山ロープウェーに乗りました。

有珠山ロープウェー山頂駅にて

山頂駅から眺めた洞爺湖と昭和新山のパノラマ写真
ロープウェーで降りて来た後は熊牧場に入りました。
たくさんの熊が飼育されています。
熊用のクッキーの自動販売機があります。

熊たちはクッキーを持っている観光客を見つけるとそわそわしだします。
手を振ったり爪を鳴らしたりしてクッキーをねだります。熊にも芸をしこめるんですねー。
この後、登別温泉の宿に泊まりました。
源泉100%、源泉かけ流しのザ・登別の湯(白濁した硫黄泉)を楽しめる宿を選びました。
北海道の旅、三日目。
登別温泉を出発した私は、そこから車で30分ほどのところにあるウポポイ(民族共生象徴空間)に行きました。簡単に言えばアイヌ文化を紹介する施設で2020年7月にオープンしました。
ここでアイヌについて現在の私の認識を記しておきます。
--
北海道で38000万年前の磨製石器が発掘されているとおり、旧石器時代から北海道に人類は住んでいた。
かつては北海道と本州はつながっており、同じ文化を持つ同じ民族が住んでいた。
本州でも北海道でも縄文式土器が造られるようになり縄文人が住む縄文時代となる。
5世紀頃、北方からオホーツク文化を持つ民族が北海道にやってきた。
オホーツク人と縄文人の混血が進み、その子孫によるアイヌ文化が13世紀(鎌倉時代後期)に成立する。
やがて狩猟採集社会のアイヌは和人との交易を始める。
江戸時代、松前藩との不平等な取引に不満を持ったアイヌが蜂起するが鎮圧され、アイヌは松前藩に服従することとなる。
明治時代、明治政府による開拓が進み北海道の人口が急増する(以降昭和になっても飛躍的に人口が増え続け相対的にアイヌの人口比率はごくわずかとなる)。
明治政府はアイヌ民族の風俗習慣を禁止してゆく。アイヌ民族も日本語を覚えるようになる。明治政府が北海道の土地の所有権を決めてゆく過程でアイヌから土地が奪われる。
明治23年にはアイヌを保護するという名のもとに、アイヌに農耕民族化を勧め、小学校を設置して日本国民として教化する法律が制定される。
戦後GHQの農地改革によってアイヌは多くの土地を失う。明治以降の長い年月の間に同化が進み、アイヌ固有の伝統文化が失われるなか、見世物興行で身をたてる「観光アイヌ」も増えてゆき、形骸化された儀式が披露されるようになる。観光としてのアイヌ産業にはアイヌの血脈をもたない人々もかかわるようになる。
2009年に有識者の懇談会でアイヌは北海道の先住民族という見解が示される。
この頃から「アイヌは先住民族だ」とする活動が活発になる。
2019年にアイヌ新法が成立。その背後に「アイヌは先住民族」(だから先住民族を迫害した和人は償いをしなければならない、先住民族であるアイヌを優遇しなければならない)とするイデオロギーを持った人々がある。以降アイヌ政策に対して巨額の税金が投入されるようになる。
現在人種としてのアイヌ民族はないが、誰でも希望すればアイヌのグループに入ることができ、古来のアイヌの血を継承していないがアイヌのグループに所属する者が存在する。さらに近年は、アイヌ政策に巨額の金が投じられているようになり、その利権に与ろうとする者が多い。そしてアイヌ利権に与ろうとする者(アイヌグループに所属する者や地方行政にかかわる者)が「アイヌは先住民族」「アイヌは迫害を受けた」とする活動に加担している。
--
以上はあくまで私個人の認識であり、間違っている点があるかもしれませんし、違う認識を持っておられる方も多かろうと思いますが、苦情・クレームはご容赦ください。

さて、アイヌ新法後のアイヌ政策の象徴ともいえるウポポイに興味がてら行ってきました。
後で調べたところ、ウポポイには年間数十億円といった維持管理費等の金が投入(もちろん税金)されているようですね。
さすがに立派な建物でした。が、アイヌという13世紀から8世紀にわたって根付いた民族文化を紹介する施設としてはあまりにもモダーンなデザインに違和感がありました。
展示施設には、「古来のアイヌ民族の文化や生活を忠実に紹介しよう」というより「アイヌを観光資源として最大限活用しよう」という方向性が感じられました。
アイヌ文化は今なお現役の文化だというメッセージが無理に強調されている印象があり、とても現代的に脚色されたアイヌ文化を見せつけられた心持ちがしました。
アイヌの問題といえば、明治から昭和にかけてアイヌの方々が受けてきただろう差別が思い当たります。その事実をしっかり記録しておくことは社会的に意義があると思いますが、どうもその辺はあまり説明しない方針のようでした。
ホールでは、伝統文化(踊りなど)の実演やアイヌの伝説にまつわるアニメーション上映がありました。内容がアイヌ文化に忠実なのかどうかはわかりませんが、どちらもそれなりに楽しめました。アニメーションはクオリティが高くとてもいいなと思いました。実演の方も、演出がしっかりしており、出演者がちゃんと稽古を積んでいることが感じられ、単純に演芸として見て楽しめるものでした。さすが大金が投入されているだけあって出し物が洗練されています。
アイヌ民族博物館ではアイヌの歴史を紹介する上映もありました。上記のとおり私は、北海道の先住民族は縄文人であり、アイヌ民族はそこに侵略してきたオホーツク人の末裔と認識しているのですが、この施設で見た映像作品からは、アイヌこそが北海道の先住民族でありそれを後から来た和人が迫害した、という印象を受けました。確かに数世紀にわたってアイヌ民族は北海道に暮らしていましたから先住民族としてもよかろうと思います。ただ現在はアイヌの血をひく方々は生活の上では日本人と同化しているのですからことさら特別視する必要はないのではないかと思っています。ウポポイでは、現在も日本人とは別個に生粋のアイヌ民族がいて、アイヌ民族は特別に扱わなければいけないという印象操作があるように感じました。私はアイヌの方々も我々も縄文人の血を受け継ぐ同じ日本人だと思っています。
私は民族の共生や民族の文化の保存・継承はとても大事なことだと思っており、アイヌ民族の血を継承する方々の誇りを尊重したいと思っていますが、ことウポポイに関しては正直胡散臭さを感じました。
アイヌの問題は他人事のように思えない面もあります。というのは、アイヌ文化が観光地において現代人の興味の対象となるように変容してきたように、大衆演劇という文化も時代に合わせて大きく変容してきているからです。古き良き文化の継承が途絶えてしまうことには誰しもさみしさを感じます。でも、変化すればするほど本来のものと乖離してゆくアイヌ文化とは違い、大衆演劇にはもともと「これぞ正当な大衆演劇文化」というものはありませんから、変化したその有り様がその時代の大衆演劇文化ということができるでしょう。古典芸能と違い、変化できることが大衆演劇の強みといえます。
ウポポイの後は苫小牧へ。
苫小牧は水揚げ日本一のホッキ貝が名物です。

ということで、苫小牧の市場で、ホッキ貝・ウニ・イクラの三食丼をいただきました。
この後は新千歳空港近くでレンタカーを返して帰途につきました。
大衆演劇・ジオパーク・海の幸と満喫できた旅でした。
(2021年10月探訪)
今回は2年振りの北海道遠征のレポートです。
今回の目的地は、北海道夕張郡栗山町にあるくりやま温泉ホテルパラダイスヒルズ。
2021年10月・11月に大衆演劇公演を行っていました。
私は10月下旬に旅に出立しました。

ホテルパラダイスヒルズの場所はここ。
札幌からも、新千歳空港からもそう遠くないところにあります。

羽田空港から新千歳空港へ向かいます。
新千歳空港からレンタカー屋に移動して車に乗りました。
目指すホテルに直行すると早く着きすぎてしまうので、午前中は栗山町から20kmほど離れた岩見沢の街を散策することにしました。

岩見沢市の人口は約8万人。街中に繁華街があります。
ちなみに栗山町の人口は約12000人です。

私は知らない街を散歩する際、ついスナック街を探してしまう。
スナックの数や雰囲気がその街の庶民文化の活性度のバロメーターのように思えるのです。
お昼が近づいてきましたので、ホテルパラダイスヒルズに向かいます。

国道を走っていると看板と幟が見えてきました。
この脇道に入ります。

ホテルが見えてきました。

ホテルと隣接して、栗山さくらキャンプ場があります。

ホテルパラダイスヒルズの建物

入口を入りますとゲートがありました。ここで消毒・検温をします。
ゲートをくぐってすぐ左のフロントでチェックイン。
私は大衆演劇観劇(昼・夜)付き宿泊プランを予約していました。チェックインの際に、演劇場の座席表から好きな席を選び、指定席券を受け取りました。

今日宿泊する部屋です。
和洋折衷のつくり。

ホテルに貼ってあったポスター。
ホテルパラダイスヒルズでの公演は劇団駒三郎が二か月間受け持ちます。
ここホテルパラダイスヒルズでは昨年も劇団駒三郎が単発公演を行いました。
ポスターに載っているのは三好辨太郎座長と南條友李愛若座長。駒三郎総座長は写真はなく名前のみ。
そう、劇団駒三郎は昨年体制が変わりました。
南條駒三郎座長は長谷川駒三郎と名前を変え総座長となり、副座長だった三好辨太郎が座長になりました。
昼の部が近づいて来ましたので大衆演劇場に移動します。
ホテルの1階に大衆演劇場(イベント会場)と温泉施設があり、上階が客室です。

1階イベント会場へ向かう廊下。

イベント会場入口

イベントホールの半分を使って大衆演劇公演スペースが設置されていました。

舞台前方から後方を見たところ

ホールの後方は、観客席ではなくレストランの形状となっていました。

前方

投光の前など、一部座椅子席があります。

花道
13時第一部お芝居開演。
この日は「会津の親子」という長丁場の芝居で、第一部は14時15分頃終わりました。
その後、三好辨太郎座長による口上挨拶。レイの販売。お客さんは全部で13人くらいでしたけれどレイは5人くらいの方が買っていました。
14時35分頃第二部舞踊ショー開演

舞踊ショーの様子

三好辨太郎座長
私は三好辨太郎座長の実直でスタンダードさを感じる演技が好き。

南條友李愛若座長
肩書が人をつくるというけれど、若座長になってぐっと貫禄がついてきました。

今回の私の注目は南條まりあ。栗山中学校に通う中学生。
明るく元気がよい。舞台が華やかになります。芝居はまだこれからだけど踊りはなかなかいい。まだ中学生なのにオトナの女に扮する舞踊が達者。今後注目したいと思います。
15時30分頃昼の部終了。
役者さんは廊下に出てお見送り。
私は客室に戻ってお風呂へ。
露天風呂もあり気持ちよい。
私の好きなサウナもありました。サウナ・水風呂・休憩を3セット。ととのいました。
夜の部は18時から昼と同じイベント会場で行われます。
舞踊ショーのみの1時間公演です。
夜の部の後はすぐ夕食となります。夕食会場もイベントホール。
劇団お見送りの後、そのまま廊下で待機。夕食の準備が整うとスタッフから声がかかりました。

すき焼きと毛ガニはすでにテーブルに並べられています。
それ以外はバイキング。

道産牛のすき焼き
食事の途中で劇団の若手が1名食事会場にやってきました。
どうやら劇団の方の夕食も同じ会場で同じ食事をとるようですね。
予約プランをよく見ると「ご夕食は公演に出演した劇団員とともにお楽しみください!」と書いてありました。
夕食の後はまたお風呂。
至福の心地で就寝。

朝食はレストランで。
このレストランは夜はちゃんこ鍋を出しているようです。

朝食
北海道の旅2日目。
朝食の後は車で洞爺湖に向かいました。

快晴の洞爺湖
洞爺湖はカルデラ湖。
洞爺湖や近くの有珠山は日本のジオパークに登録されています。
洞爺湖には大きな島が浮かんでいます。

観光船に乗って、洞爺湖の島に向かいました。

観光船から見た洞爺湖温泉街。
洞爺湖観光の後は昭和新山・有珠山へ。

昭和新山
昭和19年、畑だった場所に火山活動が起こって地面が隆起。噴火を繰り返し溶岩ドームが盛り上がって、現在の形にまでなったそうです。
昭和新山のすぐ近くにあるのが有珠山。2000年にも噴火したという活火山です。
有珠山ロープウェーに乗りました。

有珠山ロープウェー山頂駅にて

山頂駅から眺めた洞爺湖と昭和新山のパノラマ写真
ロープウェーで降りて来た後は熊牧場に入りました。
たくさんの熊が飼育されています。
熊用のクッキーの自動販売機があります。

熊たちはクッキーを持っている観光客を見つけるとそわそわしだします。
手を振ったり爪を鳴らしたりしてクッキーをねだります。熊にも芸をしこめるんですねー。
この後、登別温泉の宿に泊まりました。
源泉100%、源泉かけ流しのザ・登別の湯(白濁した硫黄泉)を楽しめる宿を選びました。
北海道の旅、三日目。
登別温泉を出発した私は、そこから車で30分ほどのところにあるウポポイ(民族共生象徴空間)に行きました。簡単に言えばアイヌ文化を紹介する施設で2020年7月にオープンしました。
ここでアイヌについて現在の私の認識を記しておきます。
--
北海道で38000万年前の磨製石器が発掘されているとおり、旧石器時代から北海道に人類は住んでいた。
かつては北海道と本州はつながっており、同じ文化を持つ同じ民族が住んでいた。
本州でも北海道でも縄文式土器が造られるようになり縄文人が住む縄文時代となる。
5世紀頃、北方からオホーツク文化を持つ民族が北海道にやってきた。
オホーツク人と縄文人の混血が進み、その子孫によるアイヌ文化が13世紀(鎌倉時代後期)に成立する。
やがて狩猟採集社会のアイヌは和人との交易を始める。
江戸時代、松前藩との不平等な取引に不満を持ったアイヌが蜂起するが鎮圧され、アイヌは松前藩に服従することとなる。
明治時代、明治政府による開拓が進み北海道の人口が急増する(以降昭和になっても飛躍的に人口が増え続け相対的にアイヌの人口比率はごくわずかとなる)。
明治政府はアイヌ民族の風俗習慣を禁止してゆく。アイヌ民族も日本語を覚えるようになる。明治政府が北海道の土地の所有権を決めてゆく過程でアイヌから土地が奪われる。
明治23年にはアイヌを保護するという名のもとに、アイヌに農耕民族化を勧め、小学校を設置して日本国民として教化する法律が制定される。
戦後GHQの農地改革によってアイヌは多くの土地を失う。明治以降の長い年月の間に同化が進み、アイヌ固有の伝統文化が失われるなか、見世物興行で身をたてる「観光アイヌ」も増えてゆき、形骸化された儀式が披露されるようになる。観光としてのアイヌ産業にはアイヌの血脈をもたない人々もかかわるようになる。
2009年に有識者の懇談会でアイヌは北海道の先住民族という見解が示される。
この頃から「アイヌは先住民族だ」とする活動が活発になる。
2019年にアイヌ新法が成立。その背後に「アイヌは先住民族」(だから先住民族を迫害した和人は償いをしなければならない、先住民族であるアイヌを優遇しなければならない)とするイデオロギーを持った人々がある。以降アイヌ政策に対して巨額の税金が投入されるようになる。
現在人種としてのアイヌ民族はないが、誰でも希望すればアイヌのグループに入ることができ、古来のアイヌの血を継承していないがアイヌのグループに所属する者が存在する。さらに近年は、アイヌ政策に巨額の金が投じられているようになり、その利権に与ろうとする者が多い。そしてアイヌ利権に与ろうとする者(アイヌグループに所属する者や地方行政にかかわる者)が「アイヌは先住民族」「アイヌは迫害を受けた」とする活動に加担している。
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以上はあくまで私個人の認識であり、間違っている点があるかもしれませんし、違う認識を持っておられる方も多かろうと思いますが、苦情・クレームはご容赦ください。

さて、アイヌ新法後のアイヌ政策の象徴ともいえるウポポイに興味がてら行ってきました。
後で調べたところ、ウポポイには年間数十億円といった維持管理費等の金が投入(もちろん税金)されているようですね。
さすがに立派な建物でした。が、アイヌという13世紀から8世紀にわたって根付いた民族文化を紹介する施設としてはあまりにもモダーンなデザインに違和感がありました。
展示施設には、「古来のアイヌ民族の文化や生活を忠実に紹介しよう」というより「アイヌを観光資源として最大限活用しよう」という方向性が感じられました。
アイヌ文化は今なお現役の文化だというメッセージが無理に強調されている印象があり、とても現代的に脚色されたアイヌ文化を見せつけられた心持ちがしました。
アイヌの問題といえば、明治から昭和にかけてアイヌの方々が受けてきただろう差別が思い当たります。その事実をしっかり記録しておくことは社会的に意義があると思いますが、どうもその辺はあまり説明しない方針のようでした。
ホールでは、伝統文化(踊りなど)の実演やアイヌの伝説にまつわるアニメーション上映がありました。内容がアイヌ文化に忠実なのかどうかはわかりませんが、どちらもそれなりに楽しめました。アニメーションはクオリティが高くとてもいいなと思いました。実演の方も、演出がしっかりしており、出演者がちゃんと稽古を積んでいることが感じられ、単純に演芸として見て楽しめるものでした。さすが大金が投入されているだけあって出し物が洗練されています。
アイヌ民族博物館ではアイヌの歴史を紹介する上映もありました。上記のとおり私は、北海道の先住民族は縄文人であり、アイヌ民族はそこに侵略してきたオホーツク人の末裔と認識しているのですが、この施設で見た映像作品からは、アイヌこそが北海道の先住民族でありそれを後から来た和人が迫害した、という印象を受けました。確かに数世紀にわたってアイヌ民族は北海道に暮らしていましたから先住民族としてもよかろうと思います。ただ現在はアイヌの血をひく方々は生活の上では日本人と同化しているのですからことさら特別視する必要はないのではないかと思っています。ウポポイでは、現在も日本人とは別個に生粋のアイヌ民族がいて、アイヌ民族は特別に扱わなければいけないという印象操作があるように感じました。私はアイヌの方々も我々も縄文人の血を受け継ぐ同じ日本人だと思っています。
私は民族の共生や民族の文化の保存・継承はとても大事なことだと思っており、アイヌ民族の血を継承する方々の誇りを尊重したいと思っていますが、ことウポポイに関しては正直胡散臭さを感じました。
アイヌの問題は他人事のように思えない面もあります。というのは、アイヌ文化が観光地において現代人の興味の対象となるように変容してきたように、大衆演劇という文化も時代に合わせて大きく変容してきているからです。古き良き文化の継承が途絶えてしまうことには誰しもさみしさを感じます。でも、変化すればするほど本来のものと乖離してゆくアイヌ文化とは違い、大衆演劇にはもともと「これぞ正当な大衆演劇文化」というものはありませんから、変化したその有り様がその時代の大衆演劇文化ということができるでしょう。古典芸能と違い、変化できることが大衆演劇の強みといえます。
ウポポイの後は苫小牧へ。
苫小牧は水揚げ日本一のホッキ貝が名物です。

ということで、苫小牧の市場で、ホッキ貝・ウニ・イクラの三食丼をいただきました。
この後は新千歳空港近くでレンタカーを返して帰途につきました。
大衆演劇・ジオパーク・海の幸と満喫できた旅でした。
(2021年10月探訪)