WIKIレンタル 大衆演劇探訪記 天保水滸伝の原点 嘉永三年版「天保水滸伝」
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天保水滸伝の原点 嘉永三年版「天保水滸伝」

天保水滸伝の原点 嘉永三年版「天保水滸伝」

大正2年に刊行された「侠客全伝」という本に「天保水滸伝」という実録体小説が収められています。この小説の序文には「嘉永三年」と記されており、おそらくこれが現在残っている最古の天保水滸伝の物語ではないかと思います。
ただし、大正2年に刊行されたものは嘉永3年版より加筆が進んだバージョンと推測されます。
「侠客全伝」収録の天保水滸伝がどのように書かれ加筆されていったのかはよくわかりませんが、演芸としての天保水滸伝の発祥を調べるうえでの最重要資料であることは間違いありません。
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天保水滸伝序文

以下、各話のタイトルとあらすじを紹介します。
※あらすじは今後少しづつ追加してゆきます。

<天保水滸伝>

初編巻之一 

下総国銚子観世音利益の事 ならびに 銚子五郎蔵、飯岡助五郎が事 附 助五郎、生田角太夫を取挫く事

下総国銚子に利益が広大無量な久世観音があった。ここに子分数百人を持つ五郎蔵という大親分があった。飯岡助五郎は末の子分であったが、今は五郎蔵ら大半が死んでしまって、助五郎他わずかな子分が生き残っているだけである。
飯岡、銚子、松岸などを傍若無人に荒らし回っている生田角太夫という戸田流の達人の浪士がいた。角太夫がいつものように酒楼に入って飲み倒そうと、飯岡の住屋という店に入った。他の客は角太夫を見て逃げ帰ったが、そこで飲んでいた助五郎は素知らぬふりをして飲んでいた。角太夫は自分に礼儀を尽くさぬ助五郎を見て怒った。角太夫と助五郎の喧嘩になった。助五郎は親指を斬り落とされたが、角太夫は両目をつぶされて悶絶した。角太夫は役人に引き立てられ重い刑に処せられた。このことにより助五郎の名は知れ渡り、数百人の子分を持つようになった。

初編巻之二 

荒生留吉、小船木半次が事 ならびに 半次留吉、小美川にて口論の事

銚子の五郎蔵の組の内に、長指(ながざし)の権次という者がいた。権次は助五郎の兄貴分で、荒生の留吉、風窓(かざまど)の半次という二人の子分がいた。半次は小船木の菓子屋の倅だが風窓次郎右衛門という柔術の達人の門弟になり、風窓半次と名乗った。半次と留吉は兄弟分で助五郎とも懇意にしていた。ある日半次が開いていた小美川の賭場で半次と留吉が激しい言い争いをした。その時、留吉の子分の手玉の長こと長太は何もせずただ黙っていた。留吉は帰ってから、何の手出しもしなかった長太を責め立てた。長太は、留吉に世話になる前に半次の世話になっていたことがあり双方への義理から手出ししなかったと弁明したが、留吉は長太を追い出した。長太は助五郎の元に行き、半次と留吉を和睦してもらえないかと頼んだ。

助五郎、留吉が宅に赴く事 ならびに 半次、留吉、松岸にて戦う事

飯岡の助五郎は角太夫の一件以来遠近に名を響かせて、役人からは目明しを仰せつかり御用の風を吹かせていた。天保七年の六月十三日、半次と留吉を和談させようと留吉のもとに向かうことにした。
小見川の賭場で言い争いをした後の半次と留吉は、しばらくは面とは向かわずに相手を罵っていた。その噂が双方の耳に入ると、半次も留吉も怒り相手方へ乗り込もうとした。ついに小船木と松岸の間で決闘となった。
助五郎が留吉宅を訪ねると、留吉は留守であった。小船木に用があると言って出かけたことを知ると、助五郎は一目散に小船木へ駆け出した。

初編巻之三

半次、留吉、和談の事 ならびに 助五郎、留吉、不快の事

半次と留吉の決闘に助五郎が割って入った。何とか二人を説き伏せ、日を改めて松岸の茶屋で仲直りさせることとした。手打ち式には近在の者も大勢集まり、無事半次と留吉は和談の盃を交わした。
数日経って、助五郎は留吉に長太を堪忍してほしいと頼むが、留吉は断った。強情も大概にしろと助五郎が意見すると、ならばもう一度半次と決闘に行くと留吉は楯突いた。結局長太は助五郎が引き取ることとなった。この時以来、留吉は助五郎を不快に思うようになった。

洲崎正吉生立の事 ならびに 政吉が父政右衛門、身延参詣の事

助五郎の子分に房州洲崎出身の政吉という者がいた。
政吉の父親の政右衛門は四十才になっても子を授からなかった。貰い子を育てれば実の子も生まれるという言い伝えにあやかり、那古村から二歳の男児を貰い受けると政吉と名付け、乳母をあてがって育てた。翌年実の子も生まれ政次郎と名付けた。政吉が十九才、政次郎が十七才に成長すると、政右衛門は家業を政吉に任せ、自身は身延山への参詣に行くこととした。参詣の帰路、甲州街道鶴川宿の茶屋で、政右衛門が遅れている供の者を待っている時に、野州名垂の出身という二十一二才の若者と出会った。この若者も江戸に用事があるとのことで、一緒に江戸に向かうこととなった。ようやく供の男が追いついたが足の爪を怪我していてゆっくりとしか歩けない。名垂の若者は供の男を助けながら進み、一行は小原宿のふじ屋という宿に泊まった。

初編巻之四

助五郎、甲州にて政右衛門の危難を救う事 ならびに 政吉、助五郎が子分と為る事

助五郎は所用で上州桐生に行った後、甲府にまわり身延山を参詣した。土地の名のある者に面会をしながら帰る途中、幡村の四郎兵衛という知人のもとに逗留し小原宿の賭場に通った。ある夜面白くないことが起きて、助五郎は賭場を立って帰ることにした。小仏峠の辻堂に入って微睡んでいると、明け方叫び声が聞こえた。血に染まった男が一人倒れていて、刀を持った若い男が別の男を脅しているところだった。助五郎は飛びかかって刃を奪い若い男の腹を蹴飛ばした。生け捕りにしようとしたが、若い男は谷底に落ちてしまった。助かった政右衛門はこれ以来助五郎を命の恩人として慕うようになる。
一方政吉は、家業を疎かにし、博奕に明け暮れるようになっていた。ある日、助五郎は那古村の知人を訪ねたついでに政右衛門を訪ねた。政右衛門は助五郎から政吉に意見をしてもらうよう頼んだ。助五郎が政吉に説教をすると、政吉は隠していた本心を打ち明けた。大恩ある親父様の家督を継ぐのは養子の自分ではなく、実子の政次郎であってほしい。でも正直に願い出ても受け入れてもらえないだろうから、放蕩に身を持ち崩して勘当されようと思った。これを聞いた助五郎と政右衛門は、義理を通そうとする政吉の心意気に感心し、政吉は助五郎が預かることとなった。

荒町勘太、御下利七が事 ならびに 勘太酔狂の事

助五郎の子分に、常陸荒町出身の勘太と御下村出身の利七がいた。勘太は身の丈六尺で色黒く、力が強くて素人角力では敵う者がいなかった。利七も力持ちだが性格は極めて温厚だった。二人は仲睦まじく水魚の交わりであった。ある時大酒飲みの勘太が酔っ払って、下総では角力で自分に並ぶものはいないと傍若無人に高慢な態度をとると、利七がいつもの大言壮語が始まったと笑った。それを見た勘太は怒り、ついに二人は喧嘩となった。そこに洲崎政吉が通りかかって二人を仲裁した。勘太と利七は反省して、政吉も一緒にまた飲み始めた。

初編巻之五

鏑箭馬仁蔵、岩瀬福松が事 ならびに 福松大勇不適の事

江戸では三十六人の町奴が異形の格好をして狼藉を働いていたところ、奉行が町奴狩りを行って、このような者は死罪にすると触れたため、男達(おとこだて)と名乗る者は市中にいなくなった。しかし下総、常陸、上州には長脇差を携えて博奕を渡世とする者が後を絶えなかった。銚子の五郎蔵、飯岡の助五郎もそうした男達長脇差である。
下総の笹川は勢洲津の城主藤堂和泉守様御飼葉領で小領ではあったが、諸国の達衆が集まって賑わっていた。諏訪大明神の境内では地角力が行われていて達衆が勝負を争って賑わっていた。
笹川村の百姓与兵衛の孫の福松は成人してから鏑箭馬(やぶさめ)仁蔵の子分となった。仁蔵が死んだ後、福松は岩瀬繁蔵と名乗り大達衆となった。
繁蔵は幼少の頃から角力が好きで大変強く、成人してからも敵う者がいなかった。ある時、一匹の大牛が逃げて町中を駆け出し、誰も手出しができなかったところ、繁蔵が牛を取り押さえて急所を打って鎮め、持ち主に返した。
仁蔵は野洲栃木の出身で、武道に励み、剣道や柔術を学んだ。特に鏑箭馬が巧みだったので鏑箭馬仁蔵と呼ばれていた。仁蔵がまだ栃木にいたところ、領主の元に大島甚蔵という役人がいた。甚蔵は大変傲慢で不法難題をふっかけて歩いていたので土地の者は大変迷惑していた。ある時仁蔵が料理屋で飲んでいると甚蔵がやってきた。仁蔵は飛びかかって投げ飛ばし、人を苦しめる人畜め、二度とここへ来るなと罵った。甚蔵は怒り刀を抜いたが、仁蔵はわけもなく返り討ちし、甚蔵は斬り倒された。仁蔵は栃木を逐電し、小美川に移り住み、名を繁蔵と改め、この地で多くの子分を持った。
それから二十数年が経ち、年老いた仁蔵は賭場を子分の頭に預けていた。あるとき笹川の福松という若者が仁蔵の賭場に現れ、賭場を荒らした。仁蔵の子分たちは福松を叩き伏せ、簀巻きにして川に打ち捨てた。

鏑箭馬繁蔵、福松へ対面の事 ならびに 福松、鏑箭馬が養子と為る事

与兵衛の知人の小助という者が夜網しているときに、簀巻きになった物が小助の船に流れ着いた。解きほどいてみると、福松だったので、驚いて助けた。福松は蘇生して笹川に帰った。
それから四五日して、福松は鏑箭馬繁蔵のもとにひとり乗り込んだ。鏑箭馬は、怒って刀を抜く子分達を制して福松の相手となった。鏑箭馬は福松の攻撃を受け流すと、福松の刀を落とし両足を払った。鏑箭馬は、福松の死を恐れぬ肝っ魂に感心し、話をしようと奥の一間に福松を招き入れた。

初編巻之六

岩瀬源四郎直澄由緒の事 ならびに 源四郎遊里通の事

鏑箭馬繁蔵が福松に「その肝っ魂を見込んで頼みがある。俺も寄る年波。うちの子分にはお前ほど器量のある者はいない。賭場を譲るから自分に成り代わってここの親分になってほしい」と言うと、福松は多くの兄貴分を差し置いてそれはできないと断ろうとする。鏑箭馬は無理に福松を子分達の前に出し、福松を婿養子にとるから今日から福松を俺と思ってくれと宣言し、福松と子分達を和解させた。後日養子の披露目をして、福松は二代目鏑箭馬繁蔵と名を改め、大達衆となった。次第に子分も増え、小南の庄助、清滝の佐吉、勢力富五郎、五郷内の忠蔵、名垂の岩松、羽計勇吉、夏目の新助も子分となった。福松は鏑箭馬繁蔵ではなく岩瀬繁蔵と呼ばれるようになった。
文化年間の頃、笹川に岩瀬源四郎直澄という浪人がいた。
源四郎が故郷の播州にいた頃の話。藩より高禄を頂戴していた父源左衛門の家督は源四郎が継ぐこととなっていた。ある時源四郎は父に京都勤番を願い出て京都の屋敷に勤仕した。人柄の良い源四郎は周りからの評判がよかった。一年経ったある春の日、友人と嵐山へ花見に出かけた。その帰り、関口権蔵が源四郎を無理に嶋原の遊里に引き連れた。権蔵は馴染みの遊女を呼んで大騒ぎしたが、初めて遊里に足を踏み入れた源四郎は尻込みしていた。松人(まつんど)という遊女が酔っ払った源四郎を座敷から部屋へ案内して介抱した。

源四郎勘当の身と成る事 ならびに 源四郎、下総笹川に住居の事

堅物の源四郎だったがすっかり松人の虜になってしまった。それから遊里通いが続き、刀まで質に入れ、多大な借金を作ってしまった。このことが父源左衛門の知るところとなり、源四郎は勘当となった。剣道や柔道の指南をしながら諸国を遍歴すること四年、源四郎は下総笹川に流れ着いた。ここには長脇差の渡世人が多く、源四郎には多くの門弟ができた。源四郎は百姓与兵衛の娘の富を下女として雇い入れた。

初編巻之七

岩瀬源四郎故主へ帰参の事 ならびに お富、源四郎に名残を惜しむ事

源四郎が笹川に居を定めて三年、故郷より手紙が届いた。父源左衛門が急病なのですぐ帰ること、源四郎の勘当を解くので家督を継ぐことが書かれていた。すでにこの時、源四郎と富は夫婦の契りは結んでいないものの相思相愛の仲となっており、富は懐妊していた。源四郎は家督を継ぐために故郷に戻ることを富と与兵衛に伝え、二人もそれに理解を示し、涙を流して一生の別れを惜しんだ。

岩瀬福松出生の事 ならびに 富死去の事

富は源四郎を恋い慕う毎日だった。ついに臨月を迎え、男子を産み落としたが、産後の肥立ちが悪く富は十九歳で死んでしまった。残された与兵衛は赤子を福松と名付け乳母を招いて大切に育てた。福松が十四歳の春、与兵衛は病に倒れ、源四郎が置いて行った言葉の一部始終を福松に聞かせると死んでしまった。福松は孤児になったが憂いもせず、誰を怖がることもなく育ち、ついには達衆の頭となり、岩瀬繁蔵と名乗るに至った。

初編巻之八

岩瀬繁蔵諏訪の社内に石碑を営む事 ならびに 近郷の若者供、社内に於て角力の事

繁蔵は生来角力が好きで、近郷の若者が繁蔵を師と仰ぐほどだった。繁蔵は諏訪明神の境内に野見宿彌(のみのすくね)の霊を崇める石碑を建て、土俵を築いた。天保八年の七月、繁蔵が土俵開きとして角力大会を行うことを触れ知らせると、我も我もと若者が集まり、達衆の親分たちは子分を引き連れてやって来た。繁蔵は親分衆に応対し、飯岡助五郎の名代の洲崎政吉には特に丁寧に挨拶をした。繁蔵は多くの勝負を取り仕切ったが、ある日飯岡方の子分達の過半が負けてしまうことがあった。それを知った助五郎は翌日、元力士の神楽獅子大八をはじめ荒町の勘太、黒浜の松五郎、御下の利七、桐島の清次など角力が強い子分を遣わして、自身は相模屋という料理屋に陣取った。繁蔵は体調が悪く、子分の小南の庄助が名代として現場に居た。
繁蔵の子分の夏目の新助が飯岡の子分を二人投げると、荒町の勘太が出てきて新助を投げた。今度は繁蔵方から名垂の岩松がでてきて勘太を投げた。岩松はそのまま四連勝した。素人角力では五連勝すると大関となる。助五郎は神楽獅子大八を土俵に上げた。大八は強く、岩松は一突きで土俵の外へ突き倒された。この後大八は、名うての者を七人投げ飛ばし、誰でもやってこいと高慢に振舞った。

勢力富五郎、神楽獅子を組留むる事 ならびに 助五郎、繁蔵、対面の事

繁蔵の子分に萬歳村出身の勢力富五郎という角力が強い若者がいた。繁蔵の用事で外に出ていた勢力が戻って来ると、大八が土俵上で傍若無人な態度を見せていた。これを憎たらしいと思った勢力は静かに土俵に上がり、大八に勝負を挑んだ。体格は大八の方が大きいが、角力巧者の勢力は大八を土俵に沈めた。
助五郎が相模屋に戻ると、諸方の親分衆は相模屋に入って助五郎に挨拶をして、大酒宴が始まった。それを聞いた繁蔵は、まだ助五郎に会ったことがなかったので、勢力富五郎ら子分を引き連れて相模屋に入った。繁蔵は助五郎に初めて対面すると丁寧に挨拶を述べた。助五郎は勢力の角力の強さを口では褒めたが、内心は快く思っていなかったのでその言葉には棘があった。勢力もその言葉の針に内心怒ったが、表面上は穏便に助五郎に挨拶した。

初編巻之九

風窓半次、助五郎を説く事 ならびに 助五郎、繁蔵へ和談を言入るゝ事

風窓半次は親分の長指の権次が死んだので角力は見に行かなかった。墓参りの帰り、助五郎の家を訪ねると助五郎は角力の負けを口惜しがっていた。半次は助五郎に勝負は時の運なので気にすることはないと告げると、助五郎は納得して心が晴れ、繁蔵と富五郎に相模屋での言葉を詫びようと思った。
飯岡近くの酒楼で、笹川一家の三人が角力の高慢話を大声で始めたことがきっかけで、助五郎一家の四五人と喧嘩になった。人数の少ない笹川一家の三人は縛り上げられたが、そこに御下の利七がやってきた。助五郎親分が繁蔵と和解しようとしていることを承知している利七は繁蔵の子分の縄を解き介抱して喧嘩の後始末をした。助五郎はこの一件を驚いて、丸く収めるようにと利七に言い含めて笹川に遣わした。喧嘩の話は笹川にも届いていて繁蔵は助五郎が喧嘩をふっかけたものと怒り、利七が訪ねてきても居留守を使った。利七は繁蔵の子分の勇吉に、角力の遺恨で喧嘩を起こしたのではない旨伝言を頼んだ。繁蔵はこの伝言を聞いて、助五郎の狸の化かし口上と嘲笑った。

羽計の勇吉、利七を嘲弄の事 ならびに 清瀧の佐吉が事


初編巻之十
助五郎、佐吉へ利解の事 ならびに 佐吉、再度助五郎方へ赴く事
佐吉、江戸にてお常に逢う事 ならびに 繁蔵、常を貰ひ受くる事

初編巻之十一
荒生留吉怪異を見て財を得る事 ならびに 留吉、三河屋の手代を救ふ事
佐吉、留吉より金子借用の事 ならびに お常遊女に身を沈むる事

初編巻の十二
勢力富五郎、鹿島へ赴く事 ならびに 平手造酒、高島剛太夫、果合の事
勢力富五郎、平手造酒を助くる事 ならびに 勢力、造酒へ異見の事

初編巻之十三
信州諏訪関口屋丈右衛門が事 ならびに 丈右衛門妾の色に溺るゝ事
丈右衛門八代にて悪者に出逢ふ事 ならびに 菊次奸計、丈右衛門方へ入込む事

初編巻之十四
関口丈右衛門、月の宴を催す事 ならびに おこよ、菊次、密会の事
番頭忠助、丈右衛門へ諫言の事 ならびに 丈右衛門怒って忠助を暇の事

初編巻之十五
忠助遠謀の事 ならびに おこよ、菊次、奸計を企つる事
岩瀬、勢力、羽州山県へ赴く事 ならびに 忠助、主人の跡を追ふ事

二編巻之一
番頭忠助、丈右衛門へ再び忠義を述ぶる事 ならびに 関口屋家内盗賊の事 附 忠助、主人の末期に対面の事

二編巻之二
丈右衛門末期に身の懺悔の事 ならびに 忠助、おこよ、双方訴えの事
雨傘勘次、岩瀬繁蔵が子分となる事 ならびに 関口屋一件、江戸表差立となる事

二編巻之三
諏訪家より関口屋一条、江戸表へ差出の事 ならびに 矢部駿河守殿、双方御呼出の事
矢部殿再度双方御聞糺の事 ならびに こよ、菊次、奸計の事

二編巻之四
矢部殿、証書証人を以て御吟味の事 ならびに こよ、菊次、強弁の事

二編巻之五
矢部殿御糺明、悪人共罪に服する事 ならびに 御処刑、忠助菩提の道に入る事
洲崎政右衛門、雨傘勘次を見出す事 ならびに 助五郎、雨傘勘次を捕ふる事

二編巻之六
坂田屋留次郎、潮来の河内屋へ通ふ事 ならびに 繁蔵女房美代が事
地潜又蔵、留次郎を手込の事 ならびに 清瀧佐吉、留次郎を救ふ事

二編巻之七
岩瀬繁蔵、助五郎が土場を荒す事 ならびに 助五郎、繁蔵へ書面を贈る事
政吉、再び十日市場へ土場を開く事 ならびに 新助、忠蔵、政吉が土場へ来る事

二編巻之八
勢力富五郎、思慮遠謀の事 ならびに 繁蔵等七人、三河屋へ無心の事
岩瀬繁蔵等七人の者、助五郎が妾宅へ切入る事 ならびに 助五郎、政吉宅へ走る事

助五郎は、賭場は洲崎政吉に任せ、網元の仕事は息子に任せ、自分は別宅にて妾および下男下女ひとりずつと豊かに暮らしていた。そこに繁蔵ら七人が斬りこんできた。助五郎はわずかに怪我を負ったが庭に逃れそのまま政吉の家へ逃げ込んだ。
実は政吉は繁蔵が踏み込んでくるのを予想していて、その四日前から、荒町勘太、桐島清次、神楽獅子大八、矢切の庄太、提緒の伊之助、地潜又蔵、御下の利七らと政吉宅に陣取っていたのだった。三日たっても繁蔵がこないので解散したが、その翌日に繁蔵が斬りこみがあって、助五郎が政吉宅へ逃げ込んできたのである。政吉は医者に助五郎の傷を手当させると、繁蔵の帰りを討とうと手配をかけた。繁蔵ら七人は、助五郎は本宅か政吉の家に行ったに違いないと、助五郎の本宅に押しかけ、家財を破壊するなどさんざんに荒らしまわった。本宅に助五郎はおらず、政吉の家にいると思われたが、政吉の家には大勢の子分がいるに違いないのでいったんは笹川に引き上げることにした。
近在の村に法螺貝の音がして、大勢の飯岡一家の者が出動し、繁蔵らは囲まれてしまった。絶体絶命だったが、繁蔵一家から加勢が来て、繁蔵らは何とかその場を切り開いて笹川に戻った。

二編巻之九

政吉即智、繁蔵を襲ふ事 ならびに 荒生留吉、笹川へ内通の事

繁蔵らがあっという間に数百の者に囲まれたのは、飯岡一家の者が手分けして村人に、盗賊が出たから集まって生捕れ、と触れ回ったからであり、これは政吉の策略だった。繁蔵は死力を尽くして何とか逃げ帰った。助五郎は政吉の活躍を喜び、この遺恨を返報しようと翌日笹川へ乗り込むことを決めた。これを聞いて助五郎の子分らが我も我もと七十人集まった。陸地からでは目立つので川から笹川を不意打ちすることに決め、日が暮れるのを待った。
天保十二年八月二十三日、初夜の鐘を合図に出船した。一番船は、荒町の勘太を頭に二十五人、二番船は洲崎政吉を頭として二十五人、三番船には助五郎が乗り込んだ。
一方笹川では、繁蔵は助五郎がすぐに仕返しに来ないだろうとたかを括っていたが、勢力は知略に長けた政吉がこちらの油断をついてくるかもしれないと繁蔵を説得して、七人は日が暮れる前に繁蔵の家に集まっていた。
夜の十時頃、一人の飛脚が息せき切って走って来て繁蔵宅にいる清瀧の佐吉に手紙を届けた。これは荒生留吉から佐吉宛の手紙であった。助五郎が昨夜の仕返しに七十余人で川から乗り組んでくるということが書いてある。留吉は息子の留次郎が大恩を受けたお礼に、飯岡の動静を佐吉に内通したのだった。これを知った繁蔵と勢力は子分を寄せ集めた。清瀧の佐吉、夏目新助、羽計の勇吉、平手造酒ら十四五人が集まった。道の狭い藪道の両側の笹薮に子分八人が潜んで槍で突き、残りの者は鉄砲を持って身を隠すという作戦を立てた。

助五郎、笹川へ船にて押寄する事 ならびに 笹川大喧嘩の事

出入りが内通されているとは夢にも思わない飯岡方は、繁蔵と平手造酒を真っ先に討ち取ってしまおうと計画をたてていた。午前一時頃、飯岡方の船が笹川に近づくと、見張っていた笹川一家の子分が繁蔵に報告した。
一番船の荒町勘太、桐島清次、堤緒の伊之助、大矢木熊五郎らは船を降りて明神の森まで押し寄せた。二番船も着岸したが、政吉は備えを固くして慎重に進むよう子分に指示した。荒町勘太の一隊と明神の森で待ち受けていた笹川一家との決闘が始まった。飯岡方はすぐに七八人が打倒され、他の子分は逃げだしたが、勘太や青次や伊之助はここを死に場所と奮闘した。

二編巻之十

荒町、大矢木、桐島等最後の事 ならびに 洲崎政吉憤死の事

槍を構えた繁蔵子分が潜んでいる明神の森の笹薮に、政吉の一隊が来た。政吉は胴と腹を左右から一度に突かれた。政吉隊の者は笹薮にいる繁蔵一味に斬りこみ乱闘となった。笹薮の上手より夏目新助ら、下手より平手造酒、羽計勇吉らが加勢してきて、政吉隊を斬りまくった。そこに三番船に乗っていた神楽獅子大八、矢切の庄助、御下の利七ら助五郎の一味二十八人が押し寄せてきた。まず造酒を討取ろうと躍起になっている一団に、「汝等が目指す平手造酒は我なり、見事討ち取って手柄にせよ」と造酒は向かっていった。これに夏目新助、羽計勇吉らが続き、壮絶な修羅の争いが展開された。一方繁蔵、勢力、佐吉らは荒町勘太の一隊と闘っていた。桐島清次は勢力と佐吉に討ち取られた。大八木熊五郎は猿田平次と貝塚半七に討ち取られた。繁蔵と荒町勘太は一騎討ちの末、繁蔵が勘太を討ち取った。すでに瀕死の政吉は笹薮に加勢に行く平次を見つけると最後の力で討ち取った。しかし佐吉ら四人が駆け付けてついに飯岡屈指の荒者と言われた政吉は斬り殺された。

神楽獅子大八勇猛、飯田兄弟を討取る事 ならびに 平手造酒武勇、討死の事

平手造酒一人に対して飯岡一家の十一人がぐるりと取り巻いた。一方神楽獅子の一団は夏目新助の一団と一進一退の攻防をしていた。力の強い神楽獅子大八は九尺ある棒を振り回して繁蔵の子分を叩き伏せながら進む。繁蔵子分の飯田兄弟が大八の左右から斬りかかったが、大八はものともせず二人を叩き殺した。
平手は十一人を相手に秘術を尽くして切り結ぶが、命運尽きたか平手の刀がぽっきり折れてしまった。平手はずたずたに斬りつけられ三十一歳の生涯を閉じた。

二編巻之十一

繁蔵大勇、神楽獅子を討取る事 ならびに 御下、黒濱、提緒等、助五郎を落す事

人数の多い神楽獅子の一団に夏目新助の一団は押されていた。そこに、繁蔵、勢力、佐吉らの加勢があって、すさまじい決闘は続いた。繁蔵の勢いはものすごく飯岡方が崩れ出した。
船場に控えて様子を見ていた助五郎のもとに血だらけになった堤緒の伊之助が馳せ参じた。伊之助は助五郎に、繁蔵方の策略にはまり多く者が命を落とした、このままでは一人も助からないので助五郎親分は船で引き上げてほしいと注進した。深手を負って船に引き上げてきた子分を他の子分に介抱させ、助五郎は陸に降り立った。繁蔵が遠くから、尋常に勝負せよと助五郎めがけて馳せて来た。繁蔵と助五郎は切り結んだが繁蔵の勢いが勝っていた。そこに神楽獅子大八が助けに入った。繁蔵と大八の闘いとなった。繁蔵は大八が持っている棒を斬り落とし、ついには大八も斬り捨てた。これを見て多くの助五郎の子分たちは崩れ、船場の方へ逃げ出した。御下の利七、黒濱の松五郎、堤緒の伊之助は、手玉の長太に助五郎を船まで送らせ、笹川勢の進軍を食い止めようと死ぬ覚悟で闘った。

黒濱、御下、提緒等勇猛、切死の事 ならびに 助五郎、風窓方へ退去の事

黒濱、御下、提緒は火花を散らして勇敢に闘った。助五郎を船に連れて行った手玉の長太は命を賭して助五郎を守ろうと笹川の軍勢に入っていった。以前長太は荒生の留吉の子分だったが、留吉に臆病者と罵られて放り出されたところを助五郎が引き取ってくれたという恩があるのだ。だが、長太は夏目新助と渡り合った末に斬り殺された。
勢力は黒濱と、佐吉は伊之助と切り結んでいた。利七は助五郎が気になって船場まで引き返した。助五郎が船で退却したのを確認すると安心して、追ってきた繁蔵方の数人に対して飛鳥のごとく闘った。やはり仲間が退却できたか気になって引き返してきた伊之助も利七の喧嘩場に加わった。利七と伊之助は大勢を相手に互角に渡り合っていたがついには討ち取られた。黒濱は勢力に傷を負わせたものの斬り倒された。
助五郎らは船を小船木につけ、風窓半次の家に行った。助五郎は、股肱の子分を何人も殺されおめおめと退却したことが口惜しくてならなかった。
繁蔵は、助五郎は必ず風窓半次のもとに退却するに違いないと見込み、いったん自宅に戻って食事をとって身支度を整え、小船木へ向かった。

二編巻之十二
風窓半次、助五郎が子分を労る事 ならびに 繁蔵等風窓が宅へ切込む事
八州廻の役人、繁蔵等を召捕に向ふ事 ならびに 繁蔵勢力等、所々へ逃隠るゝ事 附 沼田の権次召捕らるゝ事

二編巻之十三
銚子陣屋の役人方、助五郎を召捕らるゝ事 ならびに 新町の常蔵、波紋兄弟を服せしむる事
繁蔵、錣山に狩する事 ならびに 繁蔵、兎を追うて異人に逢ふ事

二編巻之十四
繁蔵計らず父に逢うて安危を語る事 ならびに 直澄、我旧事を物語る事
繁蔵、父の物語を聞きて難問の事 ならびに 直澄、我子繁蔵に凶を示す事

二編巻之十五
繁蔵、播州に赴き、弟源助に対面の事 ならびに 繁蔵再び笹川へ帰る事
勢力、破門兄弟を勝巻へ落す事 ならびに 繁蔵驕慢、飯岡の子分、繁蔵を附覘ふ事。

三編巻之一
勢力、佐吉、子分を連れて笹川へ帰る事 ならびに 勢力、繁蔵を諫むる事
繁蔵驕慢、助五郎を罵る事 ならびに 助五郎、子分を集めて密議を凝す事 附 繁蔵、亡父追善の事

三編巻之二

助五郎、再度子分を集めて謀議を凝す事 ならびに 桐島松五郎、垣根の虎蔵、闇の弁蔵の事

繁蔵がますます傲慢になって傍若無人に振舞うようになり、助五郎は怒りをこらえることができなくなっていた。笹川の喧嘩の遺恨をはらすのはこの時だと子分を残らず集めた。
その中には、死んだ洲崎の政吉と同郷で政吉とも親しかった闇の弁蔵がいた。また、笹川の喧嘩で討たれた桐島清次の弟の桐島松五郎も加わった。同じく笹川で命を落とした堤緒の伊之助の従弟の垣根の虎蔵という力の強い若者も仲間になった。
助五郎たちは繁蔵討ち取りの計略を立てた。各々目立たないように変装して笹川に潜入して繁蔵の外出をうかがい、外出の折には帰り道を待ち伏せして斬りかかるという計画であった。

繁蔵敵を軽んじて助五郎が弶(わな)に懸る事 ならびに 勢力、夢を告げて繁蔵を諫むる事

ある日勢力は、繁蔵が血まみれになった夢を見て、何かの悪い予兆ではないかと思った。繁蔵は、助五郎一味はこちらの威勢におされて逃げ隠れてしまったと図に乗っていた。勢力は、これは計略かもしれないから油断しないように、夜間の外出は控えるようにと繁蔵を諫めるが、繁蔵は笑って相手にしなかった。相手をあなどり軽んじる繁蔵親分に勢力はあきれ果てた。繁蔵に同調する子分の中には勢力こそ臆病者だと嘲る者がいた。数日過ぎて、繁蔵は自宅で女房の美代と酒を酌み交わしていた。

三編巻之三

飯岡の子分等、繁蔵の帰途を待ちて恨みを報ゆる事 ならびに 繁蔵、後原にて最期の事

繁蔵が家で妻の美代と飲んでいるところに、大山から帰ってきた川口の若者達が挨拶に来た。繁蔵は、この若者達を川口まで送り届けた。このことを察知した助五郎の子分たちは、川口と笹川の近道の後原というところの田圃のそばの森に隠れ、繁蔵が川口から帰ってくるところを待ち伏せた。
天保十五年七月二十一日の深夜、繁蔵は後原の田圃にて、太田の新八、矢切の庄太、親田の房八、小澤の友次、桐島松五郎、垣根の虎蔵、闇の弁蔵、舎利の源次、地潜の又蔵らの手にかかって命を落とした。助五郎の子分らは繁蔵の首を取り、胴体は川に打ち捨てた。

清瀧村善兵衛由緒の事 ならびに 売僧是明院愚民を惑す事

三編巻之四
村長源左衛門、是明院を招く事 ならびに 善兵衛、是明院が邪法を挫く事
松波善兵衛、貝塚にて危難の事 ならびに 善兵衛が難を救ふ事

三編巻の五
勢力、松波が娘を恋慕の事 ならびに 勢力、娘みちと通ずる事
勢力、繁蔵が凶変に驚く事 ならびに 勢力、繁蔵が死骸を引取る事

三編巻之六
勢力、妻子を捨てゝ仇を報いんと計る事 ならびに 繁蔵後家みよ、父の許へ帰る事
勢力深慮、智計を述ぶる事 ならびに 佐吉、勢力と不和の濫觴の事

三編巻之七
助五郎、佐吉方へ間者を入るゝ事 ならびに 丑蔵、傳次、清瀧が子分と成る事
姉崎傳次郎放蕩の事 ならびに 飛鳥山にて美女を挑む事

三編巻之八
姉崎傅次郎久離勘当の事 ならびに 丑蔵、傳次、彌助、大塚にて悪事の事
助五郎、勢力が手段を察し奇謀を囁く事 ならびに 鰐の甚助、風間に剣道を学ぶ事

三編巻之九
鰐の甚助、鯨山龍右衛門を投ぐる事 ならびに 甚助酔狂乱暴の事
佐吉、子分を率ゐて飯岡近郷を騒す事 ならびに 土浦の皆次、助五郎と閑談の事

三編巻之十
勢力、筑波山中に於て野猪に逢ひ、危難の事 ならびに 水島破門兄弟不覚の事
勢力、笠を深くして故郷へ帰る事 ならびに 矢切庄助、闇の弁蔵、偽りて勢力が子分と成る事

三編巻之十一
勢力、子分に密意を示して、心を固むる事 ならびに 猿の傳次、親分佐吉へ異見の事
勢力、同輩を集め計議の事 ならびに 伊之助、才助、破門と口論の事

三編巻之十二
勢力述懐、清瀧が心底を憤る事 ならびに 勢力一手を以て飯岡へ切入る事
助五郎、玉崎の社地に子分を伏置く事 ならびに 勢力、助五郎が奇計に陥る事

三編巻之十三
助五郎、偽謀を構へて勢力を砕(くだ)く事 ならびに 勢力、憤闘、飯岡の囲を破る事
勢力、矢太郎が心底を訝る事 ならびに 勢力再び飯岡へ切入る事

三編巻之十四
鰐の甚助驍勇、勢力を悩す事 ならびに 飯岡の子分等苦闘の事 附 水島破門、太田新八を討つ事
桐島松五郎深慮、助五郎を救ふ事 ならびに 桐島、仲間を催促して勢力を追ふ事

三編巻之十五
猿の傳次、佐吉を勧めて助五郎を討たんと計る事 ならびに 傳次、伊之助、争論の事
助五郎、願文を以て勢力が乱妨を訴ふる事 ならびに 清瀧佐吉、飯岡へ切入る事

四編巻之一
勢力、佐吉へ加勢の事 附 皆次、半次、権次、助五郎へ加勢の事 ならびに 佛市五郎、羅漢の竹蔵が事

四編巻之二
一紙の書面にて諸方の達衆、飯岡へ集る事 ならびに 猿の傳次、助五郎に迫る事
鰐の甚助、桐島の松五郎、助五郎を救ふ事 ならびに 那古の伊助、同和助、加勢の事

四編巻之三
猿の傳次、剣道名誉働(はたらき)の事 ならびに 傳次、鰐の甚助を悩す事
土浦の皆次、勢力を喰留むる事 ならびに 波切、滑方、武術の事

四編巻之四
佐吉が妬心、勢力が義心を破る事 ならびに 伊之助、傳次と口論の事
傳次、伊之助、不快の事 ならびに 六蔵、生首の異名を物語る事

四編巻之五
助五郎、皆次、諸方の親分達を饗応の事 ならびに 波切重三、滑方紋彌由緒の事
傳次、丑蔵、成田の土場へ赴く事 ならびに 傳次、丑蔵、悪計を企つる事

四編巻之六
勢力、常蔵が死を聞きて再度奥州へ赴く事 ならびに 皆次、太田原に子分を伏する事
旅僧、勢力に未然を示す事 ならびに 桐島親田等、勢力に迫る事 附 闇夜の炮弾、勢力を救ふ事

四編巻之七
破門、闇路に曲者と柔術を争ふ事 ならびに 破門、傳次、霧太郎、出会の事
龍蔵、おなよ、謀って夫を害せんとする事 ならびに 勢力谷を廻って、宿六を助くる事

四編巻の八
庄屋非義兵衛、勢力を誑計(たばか)る事 ならびに 安式内匠(あしきたくみ)の非道、勢力を陥(おとしい)るゝ事
勢力怒って内匠を罵る事 ならびに 内匠謀って破門を生捕る事

四編巻の九
安式内匠、氷上慾蔵を語(かたら)ふ事 ならびに 内匠の妻おひね、夫へ勢力毒害を勧むる事
霧太郎、再び勢力破門を救ふ事 ならびに 霧太郎、我身の素姓を物語る事

四編巻之十
霧太郎懐旧物語の事 ならびに 霧太郎、宿六を野州へ送届くる事
勢力富五郎、水島破門、内談の事 ならびに 富五郎、破門、夜中内匠が家に入込む事

四編巻之十一
勢力富五郎、水島破門、安式一家を鏖殺(みなごろし)の事 ならびに 氷上慾蔵、勢力に討たるゝ事

四編巻之十二
富五郎、助五郎を伺ふ事 ならびに 勢力、十太に逢ふ事

四編巻之十三
富五郎、甲州へ赴く事 ならびに 勢力、松浦齋宮を助くる事

四編巻之十四
國定忠次、お花の危難を助くる事 ならびに 勢力、中津淺原の二人を挫(とりひし)ぐ事

四編巻之十五
清瀧佐吉召捕らるゝ事 ならびに 勢力富五郎江戸へ出づる事
木隠霧太郎辞世を残す事 ならびに 勢力、破門、下総へ赴く事
勢力富五郎、奮闘最期の事 ならびに 干潟領の者共所刑の事


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東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
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