浪曲 広沢虎造「国定忠治」 あらすじ
浪曲 広沢虎造「国定忠治」 あらすじ
国定忠治は浪曲でももちろん人気演目で、現代でもかけられているネタです。
国民的人気を誇った広沢虎造の音源が手に入りやすいです。
板割の浅太郎の勘助の首取りの場は、浪曲では様々なバージョンがあるようです。
A.忠治が浅太郎に勘助の首をとってこいというのは、勘助のもとに堅気になった浅太郎を戻してやろうという情けであり、それを汲み取れなかった浅太郎が命令を間に受けて勘助の首をとってしまう。
B.忠治は勘助が本当に裏切ったと思い込み、短絡的にも浅太郎に勘助の首取りを命じてしまう。
浪曲では前者が多いようですが、虎造版では後者をとっています。
* * *
浪曲 広沢虎造「国定忠治」
※クリックするとあらすじにとびます
・忠治唐丸篭破り
・火の車お萬
・赤城の血煙り
・名月赤城山
・忠治さすらい(二人忠治~忠治大戸の別れ)
・山形屋乗り込み
■忠治唐丸篭破り
上州佐位郡(さいごおり)国定村の近くの百々村(どうどうむら)に紋治という貸元がいた。紋治には子供がなく、国定村で馬方をしていた16歳の忠治を養子にとった。忠治が21歳のときに紋治は跡目を忠治に譲って隠居した。その半年後、紋治は死に際に、島村の伊三郎とだけは付き合うなと言い遺して死んだ。
ある日忠治が一人で高崎城下へ出かけてゆくと、罪人を運ぶ唐丸篭が通った。大天狗額太郎と記してある。篭の覗き穴から見えた顔から、忠治は罪人が6年前に助けてくれた大恩人だと気づいた。忠治は唐丸篭の後を付け、梅鉢屋という旅籠屋に入ったのを確認した。夜、忠治は額太郎を救い出そうと梅鉢屋に忍び込んだ。
忠治は、長脇差を着物に包んで帯で結わいて松の枝にぶらさげると、雪隠の掃除口に侵入しそこから屋敷に忍びこもうとした。そこにちょうど役人に連れられて額太郎が雪隠に来た。額太郎は忠治から受け取った小刀で縄を切り、忠治にかかえられて屋敷から脱出した。地蔵堂まで来て一息ついたが額太郎はまだ自分を助けたのが誰だかわからない。忠治は、馬方をしていた6年前、客にあぶれて困っていた雪の日に、堅気になれ親孝行しろと意見をくれた上に5両もの金をめぐんでくれた恩人が額太郎であることを告げ、額太郎もそれを思い出した。地蔵堂で忠治は、やはり額太郎を救い出そうと待ち伏せしていた額太郎の兄弟分の三ツ木の文蔵にも出会う。大天狗額太郎は名を改め日光円蔵となる。円蔵と文蔵が番頭役になり、国定忠治は上州一の男になった。
■火の車お萬
国定村から離れた忠治。床屋をみつけるとそこにはいった。忠治が髭をあたってもらっているところに真庭村の貸元、火の車お萬という女親分が床屋に立ち寄って、今日は堅気の衆だけが集まるよい賭場を開くと、この床屋の主人亀吉に告げる。実は亀吉はお萬の子分で博奕好き。お萬に興味がある忠治は、自分を国定村の質屋の番頭と偽って、一緒に真庭村のお萬の家へ連れてゆくよう亀吉にたのむ。これを聞いた亀吉内心喜んだ。実は、お萬の子分でいかさま賽を使う壺振りの三次と亀吉は、床屋に金持ちの客が来たら賭場に連れてきて金を巻き上げようと以前から共謀していのだ。
お萬の家の賭場で、忠治は勝負に負けて二百両をすってしまう。忠治は正体を明かして右足を差し出して、この足をカタに二百両賭けると言い出す。そこに火の車お萬が現れる。お萬は質屋が忠治であることを見抜いていた。以前お萬は、小金井の賭場でいかさま賽を使ったのがばれて命がないところだった三次を救いだした。三次には二度といかさま賽を使うなと約束させて一家に置いていたのにこんなことになってしまったと、お萬は忠治に手をついて詫びた。忠治とお萬の馴れ初めの一席。
■赤城の血煙り
島村伊三郎のところへ日光の円蔵が忠治からの喧嘩状を届けた。「天保八年四月十六日喧嘩の場所は赤城山明神付近 返事を待つ 忠治より伊三郎どん」と書いてあり、伊三郎はこれを受けた。
羽黒山の法印だった清水の頑鉄は喧嘩好きで乱暴者。ついに山にはいられなくなって、忠治を頼ってやくざになろうと上州に出てきた。茶屋で飲んでいると、今日は忠治一家と伊三郎一家の喧嘩の日だという。女中の話では忠治一家百人に対し伊三郎一家は三百人。それにさっきこの茶屋を出た島村方の用心棒、国蔵と幸吉ら六人はめっぽう強いとのこと。それを聞いた頑鉄は赤城山まで追いかけて行ってこの六人を斬り倒した。
喧嘩場では両一家が対峙している。伊三郎方の用心棒、鹿島流の棒遣い熊川大五郎が忠治の前に現れた。私が相手しましょうと忠治の女房の火の車お萬が出てきた。一対一では忠治に引けをとらぬ長刀遣いのお萬だったが、わらじの紐が木の枝に引っかかって倒れてしまい、ついには大五郎に殺された。そこに清水の頑鉄が「我こそは国定忠治の子分四天王の一人で清水の頑鉄なり」と勝手に名乗りを上げて現れて、熊川大五郎を斬り殺した。頑鉄は伊三郎方の用心棒をもうひとり討ち取る。
喧嘩場では忠治と伊三郎の一騎討ちが始まっていた。
■名月赤城山
忠治が一人で赤城の山を下って茶屋で休んでいると、役人に取り囲まれた。どうやら忠治が山を下ったのを目明しに密告したものがあるらしい。忠治は役人を斬りつけながらなんとか切り抜けようとする。そこに目明しの御室の勘助が現れて十手をつきつけてきた。そこからなんとか赤城の山まで逃げてくることができた。忠治は板割の浅太郎を呼ぶ。忠治は浅太郎に、浅太郎の伯父の御室の勘助が俺をつかまえようとした、俺が山を下るのをお前が勘助に内通したのだろう、もし違うというのなら身の潔白を晴らすために勘助の首を持ってこい、でなければ親分子分の縁は切る、と言う。親分思いの浅太郎は山を下って伯父の勘助の家を訪ねた。勘助は三年前に病で目が見えなくなりそうになったところ忠治に助けてもらった恩がある。女房は看病疲れで死んでしまったが今は幼い勘太郎と暮らしている。浅太郎は勘助を背後から斬りつける。内心感づいて覚悟を決めていた勘助は浅太郎に告げる-親分に殺された代官松田軍兵衛の息のかかった目明しが待ち構えているところへ忠治親分がその網にかかったと知らせがあり飛んでいった。忠治が道に迷っているようだったから捕まえるふりをして耳元で赤城山への道のりを教えてやった。でも忠治親分のために死ぬなら本望だ。昨日、お上から八州の中山清一郎様にむこう十日の間に忠治を必ず召し捕れという厳しいご沙汰があった。もしできなければ中山様はお役を召し上げられ、切腹なさるに違いない。中山様には親分を目にかけてくれた恩がある。忠治親分が赤城山から姿を消せばよい。ひとまず山を下ってくれと忠治親分に伝えてほしい。俺が死んだら勘太郎のことを頼む。堅気に育ててくれ-
勘助は、浅太郎を伯父殺しの大罪人にしたくないと、脇差を取って自分の腹を突いて死んだ。
浅太郎は勘助の首をとって、勘太郎を背負って赤城山を登った。浅太郎は勘助の言葉を忠治に伝えた。すでに忠治は思い違いしていたことを後悔していた。忠治は持ち金を子分に配って山を下ることとした。子分の仙八が忠治の山下りを目明しに密通したことがわかり忠治は仙八を斬った。
■忠治さすらい(二人忠治~忠治大戸の別れ)
旅に疲れた忠治の一行七人は上州と信州の境に近い大戸の宿へ。忠治は加部安左門の屋敷を訪ねる。二年前、安左衛門と娘のおさよは赤城明神の祭りの帰り、おいはぎに襲われたところを忠治に助けてもらったことがある。安左衛門は忠治一家をもてなす。
夜、どなり声が聞こえて忠治が見に行くと、四人の押し込み強盗が安左衛門と番頭の新兵衛前に金を強請っている。強盗は自らを、国定忠治、三ツ木の文蔵、板割の浅太郎、清水の頑鉄、と騙った。忠治に起こされた本物の文蔵と頑鉄も強盗を覗きにゆく。あれは、去年赤城の出入りでお万をだまし討ちにした鬼の大八だ。
忠治達は外に出て谷の近くで大八らを待ち伏せた。そこに大八らがやって来て本物の忠治を見て驚く。忠治一味は大八ら四人を斬り倒した。忠治は盗られた三千両を安左衛門に返す。忠治は安左衛門に、浅太郎が連れていた五才の勘太郎を育ててほしいと頼む。安左衛門は引き受け、忠治らは信州へ向かった。
■山形屋乗り込み
善光寺街道を通りかかった忠治。老人が川に身投げしようとしている。訳を聞くと、この老人は越後柏崎の百姓嘉右衛門といい、年貢の金に困り一人娘のお光を権堂の廓の山形屋に身売りして五十両の金を受け取って国に帰ろうとしたところおいはぎに出会ってその金をとられたとのこと。山形屋藤蔵は300人の子分がいる信州きっての目明しでもある。忠治はその金を取り返そうと、嘉右衛門と一緒に山形屋に行く。
忠治は、嘉右衛門の遠縁の者で甲州吉田の忠兵衛と名乗って、おいはぎに五十両を盗られたのでもう五十両貸してほしいと頼むが藤蔵に断られる。だが忠治が、善光寺近くの庚申堂でおいはぎ同士の会話を聞いたこと、そしてそのおいはぎそっくりの者が藤蔵の後ろにいることを告げると、藤蔵は怒りだす。藤蔵の子分が忠治を縛り付けようとするが逆に忠治に打ち据えられる。忠治は藤蔵を組み伏せると正体を明かした。忠治と聞いて藤蔵は態度を変え、下手に出るように。忠治は藤蔵から五十両を受け取り嘉右衛門に渡す。お光も返してもらい、嘉右衛門とお光を駕篭で越後に送った。
国定忠治は浪曲でももちろん人気演目で、現代でもかけられているネタです。
国民的人気を誇った広沢虎造の音源が手に入りやすいです。
板割の浅太郎の勘助の首取りの場は、浪曲では様々なバージョンがあるようです。
A.忠治が浅太郎に勘助の首をとってこいというのは、勘助のもとに堅気になった浅太郎を戻してやろうという情けであり、それを汲み取れなかった浅太郎が命令を間に受けて勘助の首をとってしまう。
B.忠治は勘助が本当に裏切ったと思い込み、短絡的にも浅太郎に勘助の首取りを命じてしまう。
浪曲では前者が多いようですが、虎造版では後者をとっています。
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浪曲 広沢虎造「国定忠治」
※クリックするとあらすじにとびます
・忠治唐丸篭破り
・火の車お萬
・赤城の血煙り
・名月赤城山
・忠治さすらい(二人忠治~忠治大戸の別れ)
・山形屋乗り込み
■忠治唐丸篭破り
上州佐位郡(さいごおり)国定村の近くの百々村(どうどうむら)に紋治という貸元がいた。紋治には子供がなく、国定村で馬方をしていた16歳の忠治を養子にとった。忠治が21歳のときに紋治は跡目を忠治に譲って隠居した。その半年後、紋治は死に際に、島村の伊三郎とだけは付き合うなと言い遺して死んだ。
ある日忠治が一人で高崎城下へ出かけてゆくと、罪人を運ぶ唐丸篭が通った。大天狗額太郎と記してある。篭の覗き穴から見えた顔から、忠治は罪人が6年前に助けてくれた大恩人だと気づいた。忠治は唐丸篭の後を付け、梅鉢屋という旅籠屋に入ったのを確認した。夜、忠治は額太郎を救い出そうと梅鉢屋に忍び込んだ。
忠治は、長脇差を着物に包んで帯で結わいて松の枝にぶらさげると、雪隠の掃除口に侵入しそこから屋敷に忍びこもうとした。そこにちょうど役人に連れられて額太郎が雪隠に来た。額太郎は忠治から受け取った小刀で縄を切り、忠治にかかえられて屋敷から脱出した。地蔵堂まで来て一息ついたが額太郎はまだ自分を助けたのが誰だかわからない。忠治は、馬方をしていた6年前、客にあぶれて困っていた雪の日に、堅気になれ親孝行しろと意見をくれた上に5両もの金をめぐんでくれた恩人が額太郎であることを告げ、額太郎もそれを思い出した。地蔵堂で忠治は、やはり額太郎を救い出そうと待ち伏せしていた額太郎の兄弟分の三ツ木の文蔵にも出会う。大天狗額太郎は名を改め日光円蔵となる。円蔵と文蔵が番頭役になり、国定忠治は上州一の男になった。
■火の車お萬
国定村から離れた忠治。床屋をみつけるとそこにはいった。忠治が髭をあたってもらっているところに真庭村の貸元、火の車お萬という女親分が床屋に立ち寄って、今日は堅気の衆だけが集まるよい賭場を開くと、この床屋の主人亀吉に告げる。実は亀吉はお萬の子分で博奕好き。お萬に興味がある忠治は、自分を国定村の質屋の番頭と偽って、一緒に真庭村のお萬の家へ連れてゆくよう亀吉にたのむ。これを聞いた亀吉内心喜んだ。実は、お萬の子分でいかさま賽を使う壺振りの三次と亀吉は、床屋に金持ちの客が来たら賭場に連れてきて金を巻き上げようと以前から共謀していのだ。
お萬の家の賭場で、忠治は勝負に負けて二百両をすってしまう。忠治は正体を明かして右足を差し出して、この足をカタに二百両賭けると言い出す。そこに火の車お萬が現れる。お萬は質屋が忠治であることを見抜いていた。以前お萬は、小金井の賭場でいかさま賽を使ったのがばれて命がないところだった三次を救いだした。三次には二度といかさま賽を使うなと約束させて一家に置いていたのにこんなことになってしまったと、お萬は忠治に手をついて詫びた。忠治とお萬の馴れ初めの一席。
■赤城の血煙り
島村伊三郎のところへ日光の円蔵が忠治からの喧嘩状を届けた。「天保八年四月十六日喧嘩の場所は赤城山明神付近 返事を待つ 忠治より伊三郎どん」と書いてあり、伊三郎はこれを受けた。
羽黒山の法印だった清水の頑鉄は喧嘩好きで乱暴者。ついに山にはいられなくなって、忠治を頼ってやくざになろうと上州に出てきた。茶屋で飲んでいると、今日は忠治一家と伊三郎一家の喧嘩の日だという。女中の話では忠治一家百人に対し伊三郎一家は三百人。それにさっきこの茶屋を出た島村方の用心棒、国蔵と幸吉ら六人はめっぽう強いとのこと。それを聞いた頑鉄は赤城山まで追いかけて行ってこの六人を斬り倒した。
喧嘩場では両一家が対峙している。伊三郎方の用心棒、鹿島流の棒遣い熊川大五郎が忠治の前に現れた。私が相手しましょうと忠治の女房の火の車お萬が出てきた。一対一では忠治に引けをとらぬ長刀遣いのお萬だったが、わらじの紐が木の枝に引っかかって倒れてしまい、ついには大五郎に殺された。そこに清水の頑鉄が「我こそは国定忠治の子分四天王の一人で清水の頑鉄なり」と勝手に名乗りを上げて現れて、熊川大五郎を斬り殺した。頑鉄は伊三郎方の用心棒をもうひとり討ち取る。
喧嘩場では忠治と伊三郎の一騎討ちが始まっていた。
■名月赤城山
忠治が一人で赤城の山を下って茶屋で休んでいると、役人に取り囲まれた。どうやら忠治が山を下ったのを目明しに密告したものがあるらしい。忠治は役人を斬りつけながらなんとか切り抜けようとする。そこに目明しの御室の勘助が現れて十手をつきつけてきた。そこからなんとか赤城の山まで逃げてくることができた。忠治は板割の浅太郎を呼ぶ。忠治は浅太郎に、浅太郎の伯父の御室の勘助が俺をつかまえようとした、俺が山を下るのをお前が勘助に内通したのだろう、もし違うというのなら身の潔白を晴らすために勘助の首を持ってこい、でなければ親分子分の縁は切る、と言う。親分思いの浅太郎は山を下って伯父の勘助の家を訪ねた。勘助は三年前に病で目が見えなくなりそうになったところ忠治に助けてもらった恩がある。女房は看病疲れで死んでしまったが今は幼い勘太郎と暮らしている。浅太郎は勘助を背後から斬りつける。内心感づいて覚悟を決めていた勘助は浅太郎に告げる-親分に殺された代官松田軍兵衛の息のかかった目明しが待ち構えているところへ忠治親分がその網にかかったと知らせがあり飛んでいった。忠治が道に迷っているようだったから捕まえるふりをして耳元で赤城山への道のりを教えてやった。でも忠治親分のために死ぬなら本望だ。昨日、お上から八州の中山清一郎様にむこう十日の間に忠治を必ず召し捕れという厳しいご沙汰があった。もしできなければ中山様はお役を召し上げられ、切腹なさるに違いない。中山様には親分を目にかけてくれた恩がある。忠治親分が赤城山から姿を消せばよい。ひとまず山を下ってくれと忠治親分に伝えてほしい。俺が死んだら勘太郎のことを頼む。堅気に育ててくれ-
勘助は、浅太郎を伯父殺しの大罪人にしたくないと、脇差を取って自分の腹を突いて死んだ。
浅太郎は勘助の首をとって、勘太郎を背負って赤城山を登った。浅太郎は勘助の言葉を忠治に伝えた。すでに忠治は思い違いしていたことを後悔していた。忠治は持ち金を子分に配って山を下ることとした。子分の仙八が忠治の山下りを目明しに密通したことがわかり忠治は仙八を斬った。
■忠治さすらい(二人忠治~忠治大戸の別れ)
旅に疲れた忠治の一行七人は上州と信州の境に近い大戸の宿へ。忠治は加部安左門の屋敷を訪ねる。二年前、安左衛門と娘のおさよは赤城明神の祭りの帰り、おいはぎに襲われたところを忠治に助けてもらったことがある。安左衛門は忠治一家をもてなす。
夜、どなり声が聞こえて忠治が見に行くと、四人の押し込み強盗が安左衛門と番頭の新兵衛前に金を強請っている。強盗は自らを、国定忠治、三ツ木の文蔵、板割の浅太郎、清水の頑鉄、と騙った。忠治に起こされた本物の文蔵と頑鉄も強盗を覗きにゆく。あれは、去年赤城の出入りでお万をだまし討ちにした鬼の大八だ。
忠治達は外に出て谷の近くで大八らを待ち伏せた。そこに大八らがやって来て本物の忠治を見て驚く。忠治一味は大八ら四人を斬り倒した。忠治は盗られた三千両を安左衛門に返す。忠治は安左衛門に、浅太郎が連れていた五才の勘太郎を育ててほしいと頼む。安左衛門は引き受け、忠治らは信州へ向かった。
■山形屋乗り込み
善光寺街道を通りかかった忠治。老人が川に身投げしようとしている。訳を聞くと、この老人は越後柏崎の百姓嘉右衛門といい、年貢の金に困り一人娘のお光を権堂の廓の山形屋に身売りして五十両の金を受け取って国に帰ろうとしたところおいはぎに出会ってその金をとられたとのこと。山形屋藤蔵は300人の子分がいる信州きっての目明しでもある。忠治はその金を取り返そうと、嘉右衛門と一緒に山形屋に行く。
忠治は、嘉右衛門の遠縁の者で甲州吉田の忠兵衛と名乗って、おいはぎに五十両を盗られたのでもう五十両貸してほしいと頼むが藤蔵に断られる。だが忠治が、善光寺近くの庚申堂でおいはぎ同士の会話を聞いたこと、そしてそのおいはぎそっくりの者が藤蔵の後ろにいることを告げると、藤蔵は怒りだす。藤蔵の子分が忠治を縛り付けようとするが逆に忠治に打ち据えられる。忠治は藤蔵を組み伏せると正体を明かした。忠治と聞いて藤蔵は態度を変え、下手に出るように。忠治は藤蔵から五十両を受け取り嘉右衛門に渡す。お光も返してもらい、嘉右衛門とお光を駕篭で越後に送った。