私のもさく座探訪日記 その4:衝撃的だった橘鈴丸座長の入魂の舞踊、歴史のまち行田の中心地を行く
私のもさく座探訪日記
その4:衝撃的だった橘鈴丸座長の入魂の舞踊、歴史のまち行田の中心地を行く
行田市にある大衆演劇場、湯本天然温泉茂美の湯の「もさく座」の探訪日記シリーズ第4回目。
かつての私は、行田という土地に対して、ゼリーフライという郷土料理があるらしい、くらいの知識しかありませんでした。
もさく座探訪をきっかけに行田がとても歴史ある町であることを知ることになります。
今回は大衆演劇観劇の前に行田の歴史を探訪します。
2019年12月、それまで遠く眺めることしかなかった忍城(おしじょう)を目指しました。
忍城は秩父鉄道行田市駅が最寄駅。
東京在住の私は上野から高崎線に乗り、北鴻巣(もさく座への送迎バスがでる駅)を通りすぎて熊谷駅まで行き、秩父線に乗り換えました。
熊谷駅から西に3駅目に行田市駅があります。

秩父鉄道行田市駅の改札を出て地上に降りる途中に「忍城」の幟がたくさん並んでいました。

秩父鉄道行田市駅
ちなみにJR高崎線には行田駅があります。行田市駅と行田駅とは5kmくらい離れています。
行田市駅界隈が、江戸時代に忍藩十万石の城下町の名残があり、古くからの市の中心街といえます。

駅近くの歩道橋。
「埼玉県名発祥の地 行田」と書かれています。
埼玉県名の由来も行田の歴史にかかわっていそうです。それは後ほどわかります。
街を散歩していますと、看板に「フライ」と書かれた店を見かけました。焼きそば、ミックスという文字も見えます。
ミックスというのはフライと焼きそばを一緒に食べられる一品のようです。



忍城は駅から歩いて15分ほどのところにあります。
忍城は文明10年(1478年)頃築城された難攻不落の名城で関東七名城のひとつ。
1590年豊臣秀吉の関東平定の中で、石田三成による水攻めにも耐え「忍の浮城(うきしろ)」とも称されました。明治維新の際に取り壊された城郭は1988年。
2012年公開の映画「のぼうの城」は忍城を舞台とした物語です。

忍城の本丸跡地には「行田市郷土博物館」があります。
この郷土博物館に入場しますと通路を渡って忍城の中に入れます。
郷土博物館の中には行田の文化材・歴史遺産を並べた展示がありました。
行田の郷土料理「フライ」と「ゼリーフライ」について確認しておきましょう。

フライ
小麦粉を溶いてねぎを入れ、薄く延ばして焼き上げたお好み焼きに似た郷土料理。足袋工場に勤める女工さんのおやつとして普及した。
ゼリーフライ
おからとジャガイモを混ぜて揚げたコロッケに似た郷土料理。足袋工場に勤める人々に、おやつとして愛されている。
どちらも、足袋工場に勤める人々のおやつ、とあります。
そう、足袋は行田市の近代化を支えた産業なのです。
江戸時代に城下町として拡張整備が進むなか、行田の足袋は名産として知られるようになりました。天保年間の町絵図では27軒の足袋屋が記されています。
足袋は町の中心作業となり、明治20年代にミシンが導入されると大量生産されるようになります。明治22年の忍町誕生から昭和24年の行田市誕生までの60年間が行田足袋の全盛から衰退期までの時代でした。
昭和13年には年間約8500万足を生産し、なんと全国シェアの約8割を占めていたとのこと。市の中心地には足袋蔵と呼ばれる洋風の倉庫が建てられ、今もそのいくつかが街に残っています。

そういうわけで行田の街中には「足袋蔵のまち行田」という幟をあちこちに見かけます。
郷土博物館には、江戸時代の足袋屋の店構えを再現したものや、足袋の製造工程などくわしく展示されています。

江戸~明治の足袋の展示
右下は18世紀中頃の東海道と中山道のガイドブック。「忍のさし足袋」の記載があります。

足袋の商品ラベル

私が選ぶNo.1はこれ。
「登録商標 たびはみちづれ」

郷土資料館内から忍城三階櫓(天守)に入りました。

幕末の忍城の模型
複雑な水上都市の様相。容易に敵は寄せ付けない城であることがよくわかる。

忍城址では、観光事業として「忍城おもてなし甲冑隊」の屋外公演が行われています。
郷土博物館を出て、甲冑隊のパフォーマンスを楽しみました。
おもてなし甲冑隊の方々は大衆演劇を観に行って参考にしたりしているのかな。

バスの時間まで街中を散策しました。
ところどころにレトロな建物を見かけます。

足袋蔵。現在は別用途として再活用しているよう。
忍城付近から湯本天然温泉茂美の湯へ移動します。
「市内循環バス」の「観光拠点循環コース」という路線を使います。
「右回り」のバスに乗り「市役所前」バス停から「埼玉古墳公園前」バス停まで約24分。

市役所前バス停の時刻表。(ダイヤ改正により現在と時刻が違います)
右回りバスは1日5便しか出ていません。
もさく座昼の部前の12時すぎに到着できそうな便をピンポイントで狙って乗ります。

市内循環バス

「埼玉古墳公園前」バス停で下車
遠くに茂美の湯の黄色い建物が見えます。
このバス停や古墳公園がある界隈の地名は「埼玉県行田市埼玉」
そうなのです、埼玉県の県名の由来となっている「埼玉(さきたま)」という地名が残る場所です。古墳公園に隣接して前玉(さきたま)神社があります。
(埼玉古墳公園については、もさく座探訪日記第3回をご覧ください)

明治4年7月に廃藩置県が布告され、同11月に現在の埼玉県のエリアは西部が入間県、東部が埼玉県となりました。江戸時代に埼玉郡という郡があったそうで、それが県名に使われました。
(写真は行田市郷土博物館内の展示物)
明治9年にはほぼ現在と同じ埼玉県ができました。
ということで古来から現在まで「埼玉」の地を有する行田が「埼玉県名発祥の地」と名乗っているのです。

茂美の湯に到着。
今月の劇団は、橘小竜丸劇団鈴組。

とりあえず天然温泉に入ってから食事。
ゼリーフライをいただきました。

久しぶりに来たもさく座。

以前の座椅子席はなくなり、ちょい高イスになりました。

劇場の中ほどの席

劇場後方
さて、この日は橘小竜丸劇団の公演を昼の部・夜の部と楽しみました。
このブログで何度か鈴丸特集記事を載せましたとおり、私は鈴丸座長ファンです。
この日の鈴丸座長をオンパレードでご紹介します!








この日、私の胸が異様に高鳴ってしまった舞踊がありました。衝撃的でした。以下4段階に分けて(私の勝手な印象を添えて)写真でご紹介します。
SNSでの曲名表示はNGですので伏せます(ヒント:とある柑橘)。
Ⅰ

読書をしている青年。
何かが胸に去来したのだろうか。
天を仰ぐ。
振りほどけない追憶になすすべもなく。
Ⅱ

青年は立ち上がる。
自分の意志ではなく心の中の何かによって動かされているかのように。
眼鏡をはずす。
青年の瞳に映っているのは遠い過去か。
次第に溢れてくる思いに身体を委ねてゆく。
Ⅲ

やるせない感情が青年をせきたてる。
突き動かされたように青年は激しく舞う。
幻想と現実が入り混じった世界。
Ⅳ

青年の動作は鎮まってゆくが、そこには強い意志と力強さを感じる。
自分の中に残っている思いは自分そのものだ。
そこには自分が生きた証が輝いている。
それを噛みしめているかのように。
ストーリー性のある構成、舞踊の主人公への強い思い入れ、鈴丸座長らしい舞踊でした。
鈴丸座長の舞踊はどれも素晴らしいですけれど、
私の胸を揺さぶったこの一本は私にとっては正真正銘の「当たり」でした。
帰りは茂美の湯の送迎車で北鴻巣駅に運んでもらい、高崎線で帰りました。
歴史の町の探訪と魂のこもった鈴丸座長の舞踊、充実した一日となりました。
(2019年12月探訪)(2021年1月執筆)
「私のもさく座探訪日記」リンク
第1話:橘小竜丸劇団にみた一本刀土俵入の素晴らしさ、「ゆもと祭り」&「お食事会」のW衝撃
第2話:子役が活躍、マルチ座長率いる劇団暁、初体験のゼリーフライと座長部屋
第3話:それぞれ乗り越えてきた道 劇団千章、行田はみどころたくさん 城と古墳と国宝
その4:衝撃的だった橘鈴丸座長の入魂の舞踊、歴史のまち行田の中心地を行く
行田市にある大衆演劇場、湯本天然温泉茂美の湯の「もさく座」の探訪日記シリーズ第4回目。
かつての私は、行田という土地に対して、ゼリーフライという郷土料理があるらしい、くらいの知識しかありませんでした。
もさく座探訪をきっかけに行田がとても歴史ある町であることを知ることになります。
今回は大衆演劇観劇の前に行田の歴史を探訪します。
2019年12月、それまで遠く眺めることしかなかった忍城(おしじょう)を目指しました。
忍城は秩父鉄道行田市駅が最寄駅。
東京在住の私は上野から高崎線に乗り、北鴻巣(もさく座への送迎バスがでる駅)を通りすぎて熊谷駅まで行き、秩父線に乗り換えました。
熊谷駅から西に3駅目に行田市駅があります。

秩父鉄道行田市駅の改札を出て地上に降りる途中に「忍城」の幟がたくさん並んでいました。

秩父鉄道行田市駅
ちなみにJR高崎線には行田駅があります。行田市駅と行田駅とは5kmくらい離れています。
行田市駅界隈が、江戸時代に忍藩十万石の城下町の名残があり、古くからの市の中心街といえます。

駅近くの歩道橋。
「埼玉県名発祥の地 行田」と書かれています。
埼玉県名の由来も行田の歴史にかかわっていそうです。それは後ほどわかります。
街を散歩していますと、看板に「フライ」と書かれた店を見かけました。焼きそば、ミックスという文字も見えます。
ミックスというのはフライと焼きそばを一緒に食べられる一品のようです。



忍城は駅から歩いて15分ほどのところにあります。
忍城は文明10年(1478年)頃築城された難攻不落の名城で関東七名城のひとつ。
1590年豊臣秀吉の関東平定の中で、石田三成による水攻めにも耐え「忍の浮城(うきしろ)」とも称されました。明治維新の際に取り壊された城郭は1988年。
2012年公開の映画「のぼうの城」は忍城を舞台とした物語です。

忍城の本丸跡地には「行田市郷土博物館」があります。
この郷土博物館に入場しますと通路を渡って忍城の中に入れます。
郷土博物館の中には行田の文化材・歴史遺産を並べた展示がありました。
行田の郷土料理「フライ」と「ゼリーフライ」について確認しておきましょう。

フライ
小麦粉を溶いてねぎを入れ、薄く延ばして焼き上げたお好み焼きに似た郷土料理。足袋工場に勤める女工さんのおやつとして普及した。
ゼリーフライ
おからとジャガイモを混ぜて揚げたコロッケに似た郷土料理。足袋工場に勤める人々に、おやつとして愛されている。
どちらも、足袋工場に勤める人々のおやつ、とあります。
そう、足袋は行田市の近代化を支えた産業なのです。
江戸時代に城下町として拡張整備が進むなか、行田の足袋は名産として知られるようになりました。天保年間の町絵図では27軒の足袋屋が記されています。
足袋は町の中心作業となり、明治20年代にミシンが導入されると大量生産されるようになります。明治22年の忍町誕生から昭和24年の行田市誕生までの60年間が行田足袋の全盛から衰退期までの時代でした。
昭和13年には年間約8500万足を生産し、なんと全国シェアの約8割を占めていたとのこと。市の中心地には足袋蔵と呼ばれる洋風の倉庫が建てられ、今もそのいくつかが街に残っています。

そういうわけで行田の街中には「足袋蔵のまち行田」という幟をあちこちに見かけます。
郷土博物館には、江戸時代の足袋屋の店構えを再現したものや、足袋の製造工程などくわしく展示されています。

江戸~明治の足袋の展示
右下は18世紀中頃の東海道と中山道のガイドブック。「忍のさし足袋」の記載があります。

足袋の商品ラベル

私が選ぶNo.1はこれ。
「登録商標 たびはみちづれ」

郷土資料館内から忍城三階櫓(天守)に入りました。

幕末の忍城の模型
複雑な水上都市の様相。容易に敵は寄せ付けない城であることがよくわかる。

忍城址では、観光事業として「忍城おもてなし甲冑隊」の屋外公演が行われています。
郷土博物館を出て、甲冑隊のパフォーマンスを楽しみました。
おもてなし甲冑隊の方々は大衆演劇を観に行って参考にしたりしているのかな。

バスの時間まで街中を散策しました。
ところどころにレトロな建物を見かけます。

足袋蔵。現在は別用途として再活用しているよう。
忍城付近から湯本天然温泉茂美の湯へ移動します。
「市内循環バス」の「観光拠点循環コース」という路線を使います。
「右回り」のバスに乗り「市役所前」バス停から「埼玉古墳公園前」バス停まで約24分。

市役所前バス停の時刻表。(ダイヤ改正により現在と時刻が違います)
右回りバスは1日5便しか出ていません。
もさく座昼の部前の12時すぎに到着できそうな便をピンポイントで狙って乗ります。

市内循環バス

「埼玉古墳公園前」バス停で下車
遠くに茂美の湯の黄色い建物が見えます。
このバス停や古墳公園がある界隈の地名は「埼玉県行田市埼玉」
そうなのです、埼玉県の県名の由来となっている「埼玉(さきたま)」という地名が残る場所です。古墳公園に隣接して前玉(さきたま)神社があります。
(埼玉古墳公園については、もさく座探訪日記第3回をご覧ください)

明治4年7月に廃藩置県が布告され、同11月に現在の埼玉県のエリアは西部が入間県、東部が埼玉県となりました。江戸時代に埼玉郡という郡があったそうで、それが県名に使われました。
(写真は行田市郷土博物館内の展示物)
明治9年にはほぼ現在と同じ埼玉県ができました。
ということで古来から現在まで「埼玉」の地を有する行田が「埼玉県名発祥の地」と名乗っているのです。

茂美の湯に到着。
今月の劇団は、橘小竜丸劇団鈴組。

とりあえず天然温泉に入ってから食事。
ゼリーフライをいただきました。

久しぶりに来たもさく座。

以前の座椅子席はなくなり、ちょい高イスになりました。

劇場の中ほどの席

劇場後方
さて、この日は橘小竜丸劇団の公演を昼の部・夜の部と楽しみました。
このブログで何度か鈴丸特集記事を載せましたとおり、私は鈴丸座長ファンです。
この日の鈴丸座長をオンパレードでご紹介します!








この日、私の胸が異様に高鳴ってしまった舞踊がありました。衝撃的でした。以下4段階に分けて(私の勝手な印象を添えて)写真でご紹介します。
SNSでの曲名表示はNGですので伏せます(ヒント:とある柑橘)。
Ⅰ

読書をしている青年。
何かが胸に去来したのだろうか。
天を仰ぐ。
振りほどけない追憶になすすべもなく。
Ⅱ

青年は立ち上がる。
自分の意志ではなく心の中の何かによって動かされているかのように。
眼鏡をはずす。
青年の瞳に映っているのは遠い過去か。
次第に溢れてくる思いに身体を委ねてゆく。
Ⅲ

やるせない感情が青年をせきたてる。
突き動かされたように青年は激しく舞う。
幻想と現実が入り混じった世界。
Ⅳ

青年の動作は鎮まってゆくが、そこには強い意志と力強さを感じる。
自分の中に残っている思いは自分そのものだ。
そこには自分が生きた証が輝いている。
それを噛みしめているかのように。
ストーリー性のある構成、舞踊の主人公への強い思い入れ、鈴丸座長らしい舞踊でした。
鈴丸座長の舞踊はどれも素晴らしいですけれど、
私の胸を揺さぶったこの一本は私にとっては正真正銘の「当たり」でした。
帰りは茂美の湯の送迎車で北鴻巣駅に運んでもらい、高崎線で帰りました。
歴史の町の探訪と魂のこもった鈴丸座長の舞踊、充実した一日となりました。
(2019年12月探訪)(2021年1月執筆)
「私のもさく座探訪日記」リンク
第1話:橘小竜丸劇団にみた一本刀土俵入の素晴らしさ、「ゆもと祭り」&「お食事会」のW衝撃
第2話:子役が活躍、マルチ座長率いる劇団暁、初体験のゼリーフライと座長部屋
第3話:それぞれ乗り越えてきた道 劇団千章、行田はみどころたくさん 城と古墳と国宝