現代の大衆演芸(講談・浪曲・大衆演劇)における「天保水滸伝」 体験記
現代の大衆演芸(講談・浪曲・大衆演劇)における「天保水滸伝」 体験記
このブログでは
私が実際に観た(あるいは情報を得た)現代の大衆演芸の天保水滸伝についてご報告します。
天保水滸伝の全体像を知りたい方は
「大衆演芸ファンのための天保水滸伝入門」をご覧ください。
【もくじ】
【講談】(←クリックするとその項へ移動します)
◆2014年5月3日~6日 神田春陽・神田松之丞 GW特別番組4日連続俥読み「天保水滸伝」(於:お江戸日本橋亭)
◆2015年1月7日 神田愛山・玉川奈々福・玉川太福・神田松之丞 「天保水滸伝車読みの会」(於:お江戸日本橋亭)
◆2015年1月17日 神田松之丞「松之丞ひとり会」(於:赤坂峰村)
◆2016年6月4日 神田松之丞 「ひとり天保水滸伝」(於:紀尾井ホール)
【浪曲】(←クリックするとその項へ移動します)
◆2014年7月5日 玉川奈々福・玉川太福「奈々福・太福のガチンコ!浪曲勝負 天保水滸伝の巻」(於:なってるハウス)
◆2015年3月7日~8日「天保水滸伝の里めぐりツアー」
◆2016年3月26日「天保水滸伝の里めぐりモニターツアー」
◆2016年10月22日 神田愛山・玉川奈々福・玉川太福・神田松之丞「講談と浪曲で聴く天保水滸伝」(於:東庄町公民館大ホール)
◆2017年8月11日~16日 玉川太福 「朝練講談会 灼熱の六日間連続読みの会」(於:お江戸日本橋亭)
◆2019年4月24日・25日 玉川奈々福・玉川太福「二人天保水滸伝」(於:木馬亭)
◆2019年6月19日 玉川奈々福 新曲「刀剣歌謡浪曲 舞いよ舞え」発売
◆2019年8月10日~11日 「天保水滸伝の里めぐりツアー」
【大衆演劇】(←クリックするとその項へ移動します)
『笹川の花会』
『三浦屋孫次郎』
『座頭市と平手造酒』
『大利根月夜』
* * * * *
【講談】
◆2014年5月3日~6日にお江戸日本橋亭で行われた、GW特別番組4日連続俥読み「天保水滸伝」 に行きました。その内容をご紹介します。
「相撲の啖呵」神田松之丞…繁蔵の話。相撲時代~十一屋の跡目を継ぐ
「鹿島の棒祭」神田春陽…平手造酒の話。千葉道場を去る~繁蔵の客人になる~鹿島の棒祭りでの喧嘩
「ボロ忠売り出し」神田松之丞…天保水滸伝とは関係なし(「笹川の花会」に、花会の後見役親分としてちょこっとでてくる忠吉の話)
「笹川の花会」神田春陽…大衆演劇の「笹川の花会」とほぼ同じ内容
「潮来の遊び」神田松之丞…留吉の息子留次郎の話。落語の「明烏」のような内容。
「平手造酒の最期」神田春陽…主に平手造酒の話。尼寺(妙円寺)での療養~喧嘩で死ぬ
「三浦屋孫次郎の義侠」神田松之丞…討ち取った繁蔵の首を無下に扱う助五郎に憤りを感じた孫次郎が助五郎との縁を切って笹川へ首を持って行く。
「天保水滸伝外伝 忠太郎月夜唄」神田春陽…長谷川伸「瞼の母」の第一場「金町瓦焼の家」のアレンジ
以上一日二席、全部で八席。外伝は春陽作であとは神田愛山先生の持ちネタ。笹川の花会以外は愛山先生から習ったとのことです。
神田松之丞の凄みをきかせた啖呵がカッコイイ。ド迫力の一席の後、神田春陽が軽妙なマクラで場の雰囲気を和らげて本題に入るというパターン。(本題と全く関係のないと思われた連続マクラが最終日に「日ノ出町にある長谷川伸の碑」で本題とつながる。マクラの内容は伏せます)
個人的には以下のエピソードが印象に残りました。
・平手造酒が下総を目指したのは飯岡助五郎の用心棒になろうと思ったから。
・平手造酒は、助五郎より繁蔵の方が力が弱いことを知り、繁蔵の味方になることを決める。
・留吉は房総では名の知れた大親分だったが今がかたぎになって商売をしている。
・助五郎の笹川入りを繁蔵方に密通したのは勢力富五郎に恩がある留次郎。
・繁蔵を闇討ちにしたのは成田の甚蔵と三浦屋孫次郎の二人で、首のない繁蔵の体はその場にうち捨てられていたのを繁蔵の子分が見つけた。
・勢力富五郎、清滝の佐吉らは助五郎方に殴り込みに行く。
「三浦屋孫次郎の義侠」は、天保水滸伝の中でも助五郎の悪役度が高く描かれており、大衆演劇の演目「三浦屋孫次郎」と同じく、助五郎が繁蔵の首に唾をかけたり首を放り投げたりします。
初日は東庄町が作成した天保水滸伝のパンフレットと笹川繁蔵の年表が配付されました。東庄町のパンフは天保水滸伝の概要がわかりやすくコンパクトにまとめられていると思います(ちょっと内容が笹川よりに思いますが)。

たいへん楽しい連続読みでした。やっぱり天保水滸伝は講談で楽しむものだ、という気さえしました。
特に松之丞さんのやくざの啖呵が印象的でした。
◆2015年1月7日にお江戸日本橋亭で「天保水滸伝車読みの会」が行われました。
講談2席、浪曲2席という楽しい趣向の車読みです。浪曲は講談の釈台の前に座っての口演。
講談「相撲の啖呵」神田松之丞
浪曲「鹿島の棒祭り」玉川太福 曲師沢村豊子
浪曲「平手造酒の最期(平手の駆け付け)」玉川奈々福 曲師沢村豊子
講談「三浦屋孫次郎の義侠」神田愛山
昨年リニューアルされたばかりの東庄町作成の天保水滸伝パンフレットが配布されました。

私は松之丞さんの話にどっぷりひき込まれました。
奈々福さんの平手造酒の最期の場面も印象的でした。
◆2015年1月17日 松之丞ひとり会 於:赤坂峰村
「相撲の啖呵」「平手の破門」「鹿島の棒祭り」「三浦屋孫次郎の義侠」他平手造酒の話
大利根河原の決闘に駆け付けた平手造酒に、ある飯岡助五郎の手下がいっとう最初に斬り込んだ。が、返り討ちにあい、小指と薬指を切り落とされてしまう。それから時を経て、ある講釈師が天保水滸伝を読んだところ、講釈場に今は老人となったその男がやってきて、自分は平手造酒の相手をしたのだと云って手を見せた。そんな伝説が講談界で伝わっているそう。
講談では平手造酒が死罪となった死体の右腕を斬り落としていたずらするくだりがあります。子母澤寛「游侠奇談」に、これは岡部菊外という生涯に81人を斬った男のエピソードを講談師が天保水滸伝に取り入れたのではないかという説が書かれていました。
◆2016年6月4日 神田松之丞 ひとり天保水滸伝 於:紀尾井ホール
昼の部「相撲の啖呵」「ボロ忠売り出し」「笹川の花会」、夜の部「鹿島の棒祭り」「潮来の遊び」「三浦屋孫次郎の義侠」他

昼夜大入り。演芸にしてはかなり立派なリーフレットが配布されました。登場人物紹介や松之丞さんの写真などが掲載されています。
* * * * *
【浪曲】
以下は2014年7月以降の浪曲天保水滸伝の私の体験記です。
◆2014年7月5日、「奈々福・太福のガチンコ!浪曲勝負 天保水滸伝の巻」という、浪曲天保水滸伝の今に触れることのできる公演に行きました。
太福「鹿島の棒祭り」、天保水滸伝にまつわるトーク、奈々福「平手造酒の最期」(=平手の駆けつけ)という内容。
入門したばかりの太福さんが初めて福太郎師匠の仕事のお伴をした栃木の公演場所で、師匠が「平手の駆けつけ」を演じ、奈々福さんはその凄さに圧倒された、それから間もなくして福太郎師匠は亡くなってしまった。
玉川一門の教えのいいところは、師匠の芸をそっくりそのまま受け継ぐだけではよしとせず、師匠の芸を受け継いだうえで自分なりの新しい芸をつくりあげることを目指している(一人一芸という)ところにある。
二代目福太郎師匠はその師匠三代目勝太郎が現役で活動していた頃は天保水滸伝をほとんどかけなかった。勝太郎師匠が亡くなってから、二代目福太郎師匠は独自の天保水滸伝をつくりあげていった。その途上で亡くなってしまったのは本当に残念でならない。
という話が印象的でした。

二代目福太郎師匠のテーブルかけ
これから先どのような浪曲天保水滸伝が生まれるのか楽しみです。
◆2015年3月7日~8日「天保水滸伝の里めぐり」ツアーが開催されました。
浪曲師2名(玉川奈々福、玉川太福)、曲師1名(玉川みね子)と浪曲ファン30名が笹川、飯岡を中心に天保水滸伝関係の史跡をめぐるという旅です。
奈々福さんの念願であったこのツアーは東庄町の企画によって実現し、史跡めぐりには笹川・清滝・飯岡の現地ボランティアの方もご協力くださいました。

東京からはとバスで移動
【1日目】
・香取神宮
・昼食(笹川 たなか庵)
・笹川 天保水滸伝の里めぐり(天保水滸伝遺品館、諏訪神社、延命寺、十一屋ほか)
・いちご狩り(高橋いちご園)
・浪曲会(笹川 鯉屋旅館)
1「鹿島の棒祭り」太福 みね子
2「平手造酒の最期」奈々福 みね子
・夕食会、懇談会
【2日目】
・清滝佐吉伝承碑
・座頭市物語の碑
・玉崎神社
・飯岡刑部岬展望館
・昼食(銚子 ウオッセ21)
・鹿島神宮
1日目の夜は、浪曲会には約100名、夕食会には約30名の地元の方がご参加されました。なんと町長もご出席されていました。

イベントと夕食会が行われた鯉屋旅館の歓迎札
「浪曲でまちおこし 天保水滸伝 様御一行」
ご案内くださった大勢の地元の方がみな良い方でみな天保水滸伝という物語を愛している。このツアーは史跡めぐりの旅というだけでなく天保水滸伝に育まれた地元愛に触れる旅でもありました。

観光会館に貼ってあった貼り紙
離れた場所に住む人々が同じ夢を見ているかのように、天保水滸伝の世界が東京と東庄町の人々を包んでいる。そんな
淡い仲間意識がそっと胸に沁みてなんとなく嬉しい気分になる。
素敵な旅だ。このツアーがこれからも続くといいな。
天保水滸伝だけでなく東庄町のうまいもんも楽しむ旅でした。
特産のポーク、ブランドこかぶ「ホワイトボール」、いちご、、、旅館の料理も含めて何もかも旨い。

アイベリー
合宿の夜といえば、誰かの部屋に集まって語りと酒。これも楽しい思い出。

笹川の酒屋の入口扉の貼り紙「清酒 笹川繁蔵 有ります」
最後の訪問地は鹿島神宮。折しも「鹿島の棒祭り」(祭頭祭)の前日でした。昨晩の浪曲の余韻を楽しむ一行。
鹿島神宮の茶店には、タコの足を肴として持ち込み酒と甘酒を前にしてやたらテンションが上がっている、店員さんからは奇態に見えたであろう一群がありました。
◆2016年3月26日「天保水滸伝の里めぐりモニターツアー」が開催されました。
昨年に引き続きの開催ですが、今回は日帰りです。同行するのはもちろん、このツアーの発起人玉川奈々福さん。そして沢村豊子師匠と弟子の美舟さん。
天保水滸伝遺品館見学の後、土善旅館で昼食。誰が買ったか清酒「笹川繁蔵」「平手造酒」がテーブルを行き来する。これはうまいと、食事の後清酒を求める人が多数。地元の世話人の方が希望者の分の清酒を集めてきてくださいました。

今回の目玉は岩井滝不動(龍福寺)での浪曲口演!

笹川繁蔵と飯岡助五郎がともに手に入れようとして衝突の発端となった賭場がここにありました。
浪曲の後は本堂で護摩祈祷。

帰りのバスの中で、東庄町手話教室の方が作った「手話で天保水滸伝」をいただきました。
いちご狩も組み込まれた美味しく楽しいツアーでした。
◆2016年10月22日に天保水滸伝の里東庄町にて「講談と浪曲で聴く天保水滸伝」が行われました。

チラシの左下にさりげなく「特別公演 当日11時より現・十一屋邸で玉川太福「笹川の花会」を本邦初口演」と記載されています。
なんと、笹川繁蔵ゆかりの場所そして「笹川の花会」の会場である十一屋において天保水滸伝が語られるという。これは浪曲史上記念すべき公演です。キャパの問題もあり関係者のみの公演という扱いになりましたが、私はこの場に出席させていただく僥倖を得ました。

この会に出席する東京の浪曲ファンの多くは10:30着の電車を利用して自然と笹川駅で顔を合わせました。
十一屋邸前では見知りの浪曲ファンがこの記念公演のスタッフとして我々の到着を待っていました。
受付を済ませ記念品のお饅頭とお茶と受け取り十一屋邸内へ。
1階の広間に座布団が敷きつめられ前方にはテーブルかけがセッティングされています。

邸主が家具を移動してまで用意した大きな広間にはお客さんがびっしり入りました。
公演に先立ち浪曲好きでもある東庄町の岩田町長から挨拶がありました。町長は小さい頃まだ営業していた十一屋で食事をしたことがあるそう。また「十一屋」とは花柳界の隠語で「お客さんを迎える」という意味合いがあることをお話しくださいました。(その後私がネットの隠語辞典で検索したところ「土臭き客」とでてきました)
いよいよ玉川太福さんと曲師のみね子師匠登場。太福さんはあえてこの場を「笹川の花会」のネタおろしの場としました。
気持ちのこもった素晴らしい口演でした。このような場に参加できたことをうれしく思います。
ご協力いただきました十一屋ご主人ならびに企画を運営してくださった関係者の皆様に篤く御礼申し上げます。
この後午後2時からは東庄町公民館大ホールにて本イベントが行われました。

講談 神田松之丞「鹿島の棒祭り」
浪曲 玉川太福「笹川の花会」みね子
浪曲 玉川奈々福「亡霊剣法」みね子
講談 神田愛山「三浦孫次郎の義侠」
愛山先生は本をもとにご自身でこの話を講談に仕立てたそうです。別の会の時に愛山先生は浪花節にはこの話はないのではないかと言っていました。つまり愛山先生は初代浦太郎の「繁蔵の最期」は知らなかったことになります。ですが、愛山先生の講談と初代浦太郎の浪曲はディテールまで似ていて、同じものを底本としていることは明らかです。また、三浦屋孫次郎は大衆演劇でも定番の演目です。講談・浪曲・大衆演劇で活躍する「三浦屋孫次郎」、そのルーツとなる本は何か。2018年に自ら引退ロードと呼ぶ終活の会を始めた愛山先生にお伺いできる機会はいつか訪れるでしょうか。
公演後は、出演者とお客さん(地元の方&遠足組浪曲ファン)が鯉屋旅館に移動しての懇親会。旅館に泊まる遠足組は懇親会の後居酒屋水滸亭に移動。地元の方も合流して楽しく盃を酌み交わしました。皆で浪曲天保水滸伝の外題付けを合唱したのは忘れられない思い出です。
◆2017年8月11日~16日 朝練講談会 灼熱の六日間連続読みの会
宝井梅湯さんの講談「関東七人男」と玉川太福さんの浪曲「天保水滸伝」の連続読みの会がお江戸日本橋亭で行なわれました。
太福さんは師匠の二代目玉川福太郎が「徹底天保水滸伝」に残した六話を、ネタおろしを含めすべて口演しました。
天保水滸伝が玉川の芸として継承された、天保水滸伝芸能史にとって記念すべき会となりました。
「灼熱の~」と題した会でしたが東京は記録的に毎日雨が降った年でお盆も比較的過ごしやすい気温でした。
◆2019年4月24日・25日 「二人天保水滸伝」 於:木馬亭
玉川奈々福さんと玉川太福さんによる連続読み企画
24日(水)
奈々福「飯岡助五郎の義侠」豊子
太福「繁蔵売り出す」みね子
奈々福「鹿島の棒祭り」豊子
25日(木)
太福「笹川の花会」みね子
太福「蛇園村の斬りこみ」みね子
奈々福「平手造酒の最期」豊子
◆2019年6月19日 平手造酒が持っていた後鳥羽院御番鍛冶福岡一文字という名刀を主人公とした「刀剣歌謡浪曲 舞いよ舞え」が発売されました。浪曲師玉川奈々福さんの歌手デビュー作です。平手造酒を刀の目線で描いているころが斬新。

◆2019年8月10日~11日 刀剣歌謡浪曲「舞いよ舞え」リリース記念として「天保水滸伝の里めぐり」ツアーが開催されました。
玉川奈々福さん、沢村豊子師匠、玉川奈みほさんと浪曲ファン35名が東京からバスで旅しました。
【1日目】
・飯岡刑部岬展望館
・玉崎神社
・いいおかユートピアセンター
玉川奈々福浪曲会 「飯岡鋤五郎の義侠」 新曲発表
・飯岡歴史民族資料館(飯岡鋤五郎関係資料展示室)
・清滝佐吉伝承碑
・東庄町ポーク&ビア祭り
【2日目】
・笹川諏訪大神
出羽海部屋朝稽古見学
玉川奈々福新曲発表会
天保水滸伝遺品舘
・延命寺、十一屋など
・鹿島神宮

刑部岬(ぎょうぶみさき)からの眺め。手前から飯岡港、飯岡のまち、九十九里浜。

ついに飯岡の地で浪曲「飯岡助五郎の義侠」がかかる。会場の潮騒ホール。

飯岡助五郎が使用していた駒札(飯岡歴史民族資料館にて)

笹川諏訪明神境内の土俵にて出羽海部屋の朝稽古

鹿島神宮。お酒と蛸の足を持参して「鹿島の棒祭り」ごっこ。「鹿島神宮殿、献じ申す~」などと勝手なことをいいながら楽しく過ごす。
* * * * *
【大衆演劇】
以下大衆演劇で演じられた天保水滸伝関連の芝居を紹介します。ここに挙げたのは私が観たうちのいくつかに過ぎません。私が観たことのない演題もたくさんあります。
『笹川の花会』
飯岡助五郎の子分、洲崎の政吉が主人公。
【芝居あらすじ】
笹川繁蔵主催による花会の案内状が助五郎に届いた。花会というのは親分だけが集まる博奕の会で、近隣の親分衆を集めるとあって主催する親分にとっては名をあげる大きいチャンス。花会には各親分が大金を持ち寄る。繁蔵は飢饉に困窮する農民を救うという名目で花会を開いたのであった。
助五郎は敵対視している繁蔵が開く花会がおもしろくない。子分の洲崎の政吉に代理出席を命じて義理(奉納金)として5両というはした金を託す。
会場の十一屋に赴く政吉。国定忠治・大前田英五郎といった大侠客も来ている。各親分が持参した義理が貼り出される。どれも五十両・百両といった大金である。親分の名代としてわずかな金しか持参しなかった政吉は、身が縮む思いで義理の金額が発表されるのを聞いている。が、政吉はそれを聞いて驚いた。飯岡助五郎金100両、代貸洲崎の政吉金50両、飯岡若衆一同金50両との発表。政吉はこれが繁蔵のはからいだと気づく。
というのが基本的な話です。大衆演劇ではこれにさまざまなバリエーションがあるようです。最後に白無地の単衣を着た平手造酒と政吉が一騎打ちするというものもあります。
【史実は】
十一屋は当時は商人宿で回船問屋も兼ね家の前には馬つなぎ場などがあり渡世人はここをよく利用していたそうです。繁蔵はよくここにいました。

十一屋のあったところ。右は桁沼側。左手近くに諏訪明神がある。
天保13年の7月27・28日の諏訪明神の祭礼日に、繁蔵は、境内に相撲の租、野見宿禰の碑を建てるという名目で花会を催しました。この花会に誰が出席したかははっきりしません。芝居では、国定忠治・清水次郎長・大前田英五郎など大侠客が出席し、忠治が政吉に対して助五郎本人が来ないことを罵るという場面があります。しかし役人に追われて転々と逃亡していた忠治のもとに花会の案内状が届いて忠治が下総まで出かけたということがあるでしょうか。また次郎長はこのとき22歳で一家をかまえる前ででる。大侠客が出席したというのは作り話でしょうけれど、芝居としては面白いです。脇役にも貫禄ある有名な親分が幾人も出てくるので、座長大会の芝居に向いていると思います。
『三浦屋孫次郎』
大衆演劇ではよくかかる定番演目です。
【あらすじ】
助五郎は繁蔵の闇討ちをたくらみ、その遂行を子分の三浦屋孫次郎に命じるが、孫次郎は断る。7年前に母と妹を連れて銚子の五郎蔵に紹介された助五郎を訪ねて旅をしていた。その途中で母が持病で苦しんでいた際に繁蔵に助けてもらったろいう恩義が孫次郎にはあった。助五郎は7年間の義理と1度の義理は天秤にかけたらどちらが大事だと詰問し、孫次郎は闇討ちを承諾する。助五郎は成田屋を後見にさせる。
ある夜。孫次郎は繁蔵に斬りかかる。しかしそれは本気ではない。孫次郎は繁蔵にわざと斬られるつもりでいる。そこに成田屋が背後から現れ繁蔵を斬る。
虫の息の繁蔵は、恩義のために自分の命を捨てようとした孫次郎に、自分の首を助五郎のもとに届けて義理を立てた後にその首を笹川一家に届けてほしいと頼む。
成田屋が助五郎に孫次郎を裏切ったことを告げる。孫次郎は繁蔵の首を助五郎に渡しに行くが、助五郎から盃を水に流すと言われ、母妹ともにこの土地から出て行けと命じられる。
繁蔵の妻が葬儀の準備をしているところに正装の孫次郎が訪れる・・・。
『座頭市と平手造酒』
いくつかの劇団が座頭市と平手造酒が登場する芝居をたてていると思いますが、ここでは私が観た恋川劇団のものを紹介します。
飯岡助五郎一家に迎えられた座頭市と笹川一家の用心棒平手造酒は、両一家の争点にある釣りの良場で偶然出会う。二人がお互いの立場が敵同士であると知りながらも意気投合し平手が住む尼寺で酒をくみかわす。飯岡一家も笹川一家も用心棒を道具のようにしか思っておらず、用が済めば捨てるつもり。座頭市も平手も一家に服従するつもりはないが一宿一飯の恩義には報いる覚悟。労咳の平手は自分の余命がわずかなこと悟っており、どうせ死ぬのならつまなぬ者の手にかかるより本当に強い者との勝負のうえ斬られたいと願っている。大利根河原の決闘が始まった。双方の一家の用心棒、座頭市と平手造酒は大利根河原で対面する。平手に好意をもっている座頭市であったが、平手の死への思いを諒解する。座頭市と平手の真剣勝負が始まる…。
2019.9 新開地劇場 座頭市:二代目恋川純 平手造酒:恋川風馬
2020.3 浅草木馬館 座頭市:二代目恋川純 平手造酒:初代恋川純
『大利根月夜』
鹿島神宮の祭礼。平手は酒を飲むことを禁じられていたが、お神酒ならいいだろうと飲んでしまう。飯岡の一味が通りかかった際に、平手の酒に埃が入ってしまう。平手は飯岡一味をやっつける。
飯岡助五郎が惚れた女は繁蔵の子分とできていた。そこから喧嘩がおこりそうになるが平手が仲裁する。
労咳にかかり尼寺で養生する平手。平手を千葉周作道場の娘の早苗が訪ねる。夫の兵馬が変わってしまい道場が落ちぶれたので平手に帰ってきてほしいと告げるが平手は断る。出入りがあることを知った平手は繁蔵のもとに駆けつける。
笹川と飯岡の決闘。兵馬は飯岡の用心棒になっていた。平手と兵馬の一騎打ち。兵馬は負けるが平手も深手を負う。平手は繁蔵の腕の中で息をひきとる。
このブログでは
私が実際に観た(あるいは情報を得た)現代の大衆演芸の天保水滸伝についてご報告します。
天保水滸伝の全体像を知りたい方は
「大衆演芸ファンのための天保水滸伝入門」をご覧ください。
【もくじ】
【講談】(←クリックするとその項へ移動します)
◆2014年5月3日~6日 神田春陽・神田松之丞 GW特別番組4日連続俥読み「天保水滸伝」(於:お江戸日本橋亭)
◆2015年1月7日 神田愛山・玉川奈々福・玉川太福・神田松之丞 「天保水滸伝車読みの会」(於:お江戸日本橋亭)
◆2015年1月17日 神田松之丞「松之丞ひとり会」(於:赤坂峰村)
◆2016年6月4日 神田松之丞 「ひとり天保水滸伝」(於:紀尾井ホール)
【浪曲】(←クリックするとその項へ移動します)
◆2014年7月5日 玉川奈々福・玉川太福「奈々福・太福のガチンコ!浪曲勝負 天保水滸伝の巻」(於:なってるハウス)
◆2015年3月7日~8日「天保水滸伝の里めぐりツアー」
◆2016年3月26日「天保水滸伝の里めぐりモニターツアー」
◆2016年10月22日 神田愛山・玉川奈々福・玉川太福・神田松之丞「講談と浪曲で聴く天保水滸伝」(於:東庄町公民館大ホール)
◆2017年8月11日~16日 玉川太福 「朝練講談会 灼熱の六日間連続読みの会」(於:お江戸日本橋亭)
◆2019年4月24日・25日 玉川奈々福・玉川太福「二人天保水滸伝」(於:木馬亭)
◆2019年6月19日 玉川奈々福 新曲「刀剣歌謡浪曲 舞いよ舞え」発売
◆2019年8月10日~11日 「天保水滸伝の里めぐりツアー」
【大衆演劇】(←クリックするとその項へ移動します)
『笹川の花会』
『三浦屋孫次郎』
『座頭市と平手造酒』
『大利根月夜』
* * * * *
【講談】
◆2014年5月3日~6日にお江戸日本橋亭で行われた、GW特別番組4日連続俥読み「天保水滸伝」 に行きました。その内容をご紹介します。
「相撲の啖呵」神田松之丞…繁蔵の話。相撲時代~十一屋の跡目を継ぐ
「鹿島の棒祭」神田春陽…平手造酒の話。千葉道場を去る~繁蔵の客人になる~鹿島の棒祭りでの喧嘩
「ボロ忠売り出し」神田松之丞…天保水滸伝とは関係なし(「笹川の花会」に、花会の後見役親分としてちょこっとでてくる忠吉の話)
「笹川の花会」神田春陽…大衆演劇の「笹川の花会」とほぼ同じ内容
「潮来の遊び」神田松之丞…留吉の息子留次郎の話。落語の「明烏」のような内容。
「平手造酒の最期」神田春陽…主に平手造酒の話。尼寺(妙円寺)での療養~喧嘩で死ぬ
「三浦屋孫次郎の義侠」神田松之丞…討ち取った繁蔵の首を無下に扱う助五郎に憤りを感じた孫次郎が助五郎との縁を切って笹川へ首を持って行く。
「天保水滸伝外伝 忠太郎月夜唄」神田春陽…長谷川伸「瞼の母」の第一場「金町瓦焼の家」のアレンジ
以上一日二席、全部で八席。外伝は春陽作であとは神田愛山先生の持ちネタ。笹川の花会以外は愛山先生から習ったとのことです。
神田松之丞の凄みをきかせた啖呵がカッコイイ。ド迫力の一席の後、神田春陽が軽妙なマクラで場の雰囲気を和らげて本題に入るというパターン。(本題と全く関係のないと思われた連続マクラが最終日に「日ノ出町にある長谷川伸の碑」で本題とつながる。マクラの内容は伏せます)
個人的には以下のエピソードが印象に残りました。
・平手造酒が下総を目指したのは飯岡助五郎の用心棒になろうと思ったから。
・平手造酒は、助五郎より繁蔵の方が力が弱いことを知り、繁蔵の味方になることを決める。
・留吉は房総では名の知れた大親分だったが今がかたぎになって商売をしている。
・助五郎の笹川入りを繁蔵方に密通したのは勢力富五郎に恩がある留次郎。
・繁蔵を闇討ちにしたのは成田の甚蔵と三浦屋孫次郎の二人で、首のない繁蔵の体はその場にうち捨てられていたのを繁蔵の子分が見つけた。
・勢力富五郎、清滝の佐吉らは助五郎方に殴り込みに行く。
「三浦屋孫次郎の義侠」は、天保水滸伝の中でも助五郎の悪役度が高く描かれており、大衆演劇の演目「三浦屋孫次郎」と同じく、助五郎が繁蔵の首に唾をかけたり首を放り投げたりします。
初日は東庄町が作成した天保水滸伝のパンフレットと笹川繁蔵の年表が配付されました。東庄町のパンフは天保水滸伝の概要がわかりやすくコンパクトにまとめられていると思います(ちょっと内容が笹川よりに思いますが)。

たいへん楽しい連続読みでした。やっぱり天保水滸伝は講談で楽しむものだ、という気さえしました。
特に松之丞さんのやくざの啖呵が印象的でした。
◆2015年1月7日にお江戸日本橋亭で「天保水滸伝車読みの会」が行われました。
講談2席、浪曲2席という楽しい趣向の車読みです。浪曲は講談の釈台の前に座っての口演。
講談「相撲の啖呵」神田松之丞
浪曲「鹿島の棒祭り」玉川太福 曲師沢村豊子
浪曲「平手造酒の最期(平手の駆け付け)」玉川奈々福 曲師沢村豊子
講談「三浦屋孫次郎の義侠」神田愛山
昨年リニューアルされたばかりの東庄町作成の天保水滸伝パンフレットが配布されました。

私は松之丞さんの話にどっぷりひき込まれました。
奈々福さんの平手造酒の最期の場面も印象的でした。
◆2015年1月17日 松之丞ひとり会 於:赤坂峰村
「相撲の啖呵」「平手の破門」「鹿島の棒祭り」「三浦屋孫次郎の義侠」他平手造酒の話
大利根河原の決闘に駆け付けた平手造酒に、ある飯岡助五郎の手下がいっとう最初に斬り込んだ。が、返り討ちにあい、小指と薬指を切り落とされてしまう。それから時を経て、ある講釈師が天保水滸伝を読んだところ、講釈場に今は老人となったその男がやってきて、自分は平手造酒の相手をしたのだと云って手を見せた。そんな伝説が講談界で伝わっているそう。
講談では平手造酒が死罪となった死体の右腕を斬り落としていたずらするくだりがあります。子母澤寛「游侠奇談」に、これは岡部菊外という生涯に81人を斬った男のエピソードを講談師が天保水滸伝に取り入れたのではないかという説が書かれていました。
◆2016年6月4日 神田松之丞 ひとり天保水滸伝 於:紀尾井ホール
昼の部「相撲の啖呵」「ボロ忠売り出し」「笹川の花会」、夜の部「鹿島の棒祭り」「潮来の遊び」「三浦屋孫次郎の義侠」他


昼夜大入り。演芸にしてはかなり立派なリーフレットが配布されました。登場人物紹介や松之丞さんの写真などが掲載されています。
* * * * *
【浪曲】
以下は2014年7月以降の浪曲天保水滸伝の私の体験記です。
◆2014年7月5日、「奈々福・太福のガチンコ!浪曲勝負 天保水滸伝の巻」という、浪曲天保水滸伝の今に触れることのできる公演に行きました。
太福「鹿島の棒祭り」、天保水滸伝にまつわるトーク、奈々福「平手造酒の最期」(=平手の駆けつけ)という内容。
入門したばかりの太福さんが初めて福太郎師匠の仕事のお伴をした栃木の公演場所で、師匠が「平手の駆けつけ」を演じ、奈々福さんはその凄さに圧倒された、それから間もなくして福太郎師匠は亡くなってしまった。
玉川一門の教えのいいところは、師匠の芸をそっくりそのまま受け継ぐだけではよしとせず、師匠の芸を受け継いだうえで自分なりの新しい芸をつくりあげることを目指している(一人一芸という)ところにある。
二代目福太郎師匠はその師匠三代目勝太郎が現役で活動していた頃は天保水滸伝をほとんどかけなかった。勝太郎師匠が亡くなってから、二代目福太郎師匠は独自の天保水滸伝をつくりあげていった。その途上で亡くなってしまったのは本当に残念でならない。
という話が印象的でした。

二代目福太郎師匠のテーブルかけ
これから先どのような浪曲天保水滸伝が生まれるのか楽しみです。
◆2015年3月7日~8日「天保水滸伝の里めぐり」ツアーが開催されました。
浪曲師2名(玉川奈々福、玉川太福)、曲師1名(玉川みね子)と浪曲ファン30名が笹川、飯岡を中心に天保水滸伝関係の史跡をめぐるという旅です。
奈々福さんの念願であったこのツアーは東庄町の企画によって実現し、史跡めぐりには笹川・清滝・飯岡の現地ボランティアの方もご協力くださいました。

東京からはとバスで移動
【1日目】
・香取神宮
・昼食(笹川 たなか庵)
・笹川 天保水滸伝の里めぐり(天保水滸伝遺品館、諏訪神社、延命寺、十一屋ほか)
・いちご狩り(高橋いちご園)
・浪曲会(笹川 鯉屋旅館)
1「鹿島の棒祭り」太福 みね子
2「平手造酒の最期」奈々福 みね子
・夕食会、懇談会
【2日目】
・清滝佐吉伝承碑
・座頭市物語の碑
・玉崎神社
・飯岡刑部岬展望館
・昼食(銚子 ウオッセ21)
・鹿島神宮
1日目の夜は、浪曲会には約100名、夕食会には約30名の地元の方がご参加されました。なんと町長もご出席されていました。

イベントと夕食会が行われた鯉屋旅館の歓迎札
「浪曲でまちおこし 天保水滸伝 様御一行」
ご案内くださった大勢の地元の方がみな良い方でみな天保水滸伝という物語を愛している。このツアーは史跡めぐりの旅というだけでなく天保水滸伝に育まれた地元愛に触れる旅でもありました。

観光会館に貼ってあった貼り紙
離れた場所に住む人々が同じ夢を見ているかのように、天保水滸伝の世界が東京と東庄町の人々を包んでいる。そんな
淡い仲間意識がそっと胸に沁みてなんとなく嬉しい気分になる。
素敵な旅だ。このツアーがこれからも続くといいな。
天保水滸伝だけでなく東庄町のうまいもんも楽しむ旅でした。
特産のポーク、ブランドこかぶ「ホワイトボール」、いちご、、、旅館の料理も含めて何もかも旨い。

アイベリー
合宿の夜といえば、誰かの部屋に集まって語りと酒。これも楽しい思い出。

笹川の酒屋の入口扉の貼り紙「清酒 笹川繁蔵 有ります」
最後の訪問地は鹿島神宮。折しも「鹿島の棒祭り」(祭頭祭)の前日でした。昨晩の浪曲の余韻を楽しむ一行。
鹿島神宮の茶店には、タコの足を肴として持ち込み酒と甘酒を前にしてやたらテンションが上がっている、店員さんからは奇態に見えたであろう一群がありました。
◆2016年3月26日「天保水滸伝の里めぐりモニターツアー」が開催されました。
昨年に引き続きの開催ですが、今回は日帰りです。同行するのはもちろん、このツアーの発起人玉川奈々福さん。そして沢村豊子師匠と弟子の美舟さん。
天保水滸伝遺品館見学の後、土善旅館で昼食。誰が買ったか清酒「笹川繁蔵」「平手造酒」がテーブルを行き来する。これはうまいと、食事の後清酒を求める人が多数。地元の世話人の方が希望者の分の清酒を集めてきてくださいました。

今回の目玉は岩井滝不動(龍福寺)での浪曲口演!

笹川繁蔵と飯岡助五郎がともに手に入れようとして衝突の発端となった賭場がここにありました。
浪曲の後は本堂で護摩祈祷。

帰りのバスの中で、東庄町手話教室の方が作った「手話で天保水滸伝」をいただきました。
いちご狩も組み込まれた美味しく楽しいツアーでした。
◆2016年10月22日に天保水滸伝の里東庄町にて「講談と浪曲で聴く天保水滸伝」が行われました。

チラシの左下にさりげなく「特別公演 当日11時より現・十一屋邸で玉川太福「笹川の花会」を本邦初口演」と記載されています。
なんと、笹川繁蔵ゆかりの場所そして「笹川の花会」の会場である十一屋において天保水滸伝が語られるという。これは浪曲史上記念すべき公演です。キャパの問題もあり関係者のみの公演という扱いになりましたが、私はこの場に出席させていただく僥倖を得ました。

この会に出席する東京の浪曲ファンの多くは10:30着の電車を利用して自然と笹川駅で顔を合わせました。
十一屋邸前では見知りの浪曲ファンがこの記念公演のスタッフとして我々の到着を待っていました。
受付を済ませ記念品のお饅頭とお茶と受け取り十一屋邸内へ。
1階の広間に座布団が敷きつめられ前方にはテーブルかけがセッティングされています。

邸主が家具を移動してまで用意した大きな広間にはお客さんがびっしり入りました。
公演に先立ち浪曲好きでもある東庄町の岩田町長から挨拶がありました。町長は小さい頃まだ営業していた十一屋で食事をしたことがあるそう。また「十一屋」とは花柳界の隠語で「お客さんを迎える」という意味合いがあることをお話しくださいました。(その後私がネットの隠語辞典で検索したところ「土臭き客」とでてきました)
いよいよ玉川太福さんと曲師のみね子師匠登場。太福さんはあえてこの場を「笹川の花会」のネタおろしの場としました。
気持ちのこもった素晴らしい口演でした。このような場に参加できたことをうれしく思います。
ご協力いただきました十一屋ご主人ならびに企画を運営してくださった関係者の皆様に篤く御礼申し上げます。
この後午後2時からは東庄町公民館大ホールにて本イベントが行われました。

講談 神田松之丞「鹿島の棒祭り」
浪曲 玉川太福「笹川の花会」みね子
浪曲 玉川奈々福「亡霊剣法」みね子
講談 神田愛山「三浦孫次郎の義侠」
愛山先生は本をもとにご自身でこの話を講談に仕立てたそうです。別の会の時に愛山先生は浪花節にはこの話はないのではないかと言っていました。つまり愛山先生は初代浦太郎の「繁蔵の最期」は知らなかったことになります。ですが、愛山先生の講談と初代浦太郎の浪曲はディテールまで似ていて、同じものを底本としていることは明らかです。また、三浦屋孫次郎は大衆演劇でも定番の演目です。講談・浪曲・大衆演劇で活躍する「三浦屋孫次郎」、そのルーツとなる本は何か。2018年に自ら引退ロードと呼ぶ終活の会を始めた愛山先生にお伺いできる機会はいつか訪れるでしょうか。
公演後は、出演者とお客さん(地元の方&遠足組浪曲ファン)が鯉屋旅館に移動しての懇親会。旅館に泊まる遠足組は懇親会の後居酒屋水滸亭に移動。地元の方も合流して楽しく盃を酌み交わしました。皆で浪曲天保水滸伝の外題付けを合唱したのは忘れられない思い出です。
◆2017年8月11日~16日 朝練講談会 灼熱の六日間連続読みの会
宝井梅湯さんの講談「関東七人男」と玉川太福さんの浪曲「天保水滸伝」の連続読みの会がお江戸日本橋亭で行なわれました。
太福さんは師匠の二代目玉川福太郎が「徹底天保水滸伝」に残した六話を、ネタおろしを含めすべて口演しました。
天保水滸伝が玉川の芸として継承された、天保水滸伝芸能史にとって記念すべき会となりました。
「灼熱の~」と題した会でしたが東京は記録的に毎日雨が降った年でお盆も比較的過ごしやすい気温でした。
◆2019年4月24日・25日 「二人天保水滸伝」 於:木馬亭
玉川奈々福さんと玉川太福さんによる連続読み企画
24日(水)
奈々福「飯岡助五郎の義侠」豊子
太福「繁蔵売り出す」みね子
奈々福「鹿島の棒祭り」豊子
25日(木)
太福「笹川の花会」みね子
太福「蛇園村の斬りこみ」みね子
奈々福「平手造酒の最期」豊子
◆2019年6月19日 平手造酒が持っていた後鳥羽院御番鍛冶福岡一文字という名刀を主人公とした「刀剣歌謡浪曲 舞いよ舞え」が発売されました。浪曲師玉川奈々福さんの歌手デビュー作です。平手造酒を刀の目線で描いているころが斬新。

◆2019年8月10日~11日 刀剣歌謡浪曲「舞いよ舞え」リリース記念として「天保水滸伝の里めぐり」ツアーが開催されました。
玉川奈々福さん、沢村豊子師匠、玉川奈みほさんと浪曲ファン35名が東京からバスで旅しました。
【1日目】
・飯岡刑部岬展望館
・玉崎神社
・いいおかユートピアセンター
玉川奈々福浪曲会 「飯岡鋤五郎の義侠」 新曲発表
・飯岡歴史民族資料館(飯岡鋤五郎関係資料展示室)
・清滝佐吉伝承碑
・東庄町ポーク&ビア祭り
【2日目】
・笹川諏訪大神
出羽海部屋朝稽古見学
玉川奈々福新曲発表会
天保水滸伝遺品舘
・延命寺、十一屋など
・鹿島神宮

刑部岬(ぎょうぶみさき)からの眺め。手前から飯岡港、飯岡のまち、九十九里浜。

ついに飯岡の地で浪曲「飯岡助五郎の義侠」がかかる。会場の潮騒ホール。

飯岡助五郎が使用していた駒札(飯岡歴史民族資料館にて)

笹川諏訪明神境内の土俵にて出羽海部屋の朝稽古

鹿島神宮。お酒と蛸の足を持参して「鹿島の棒祭り」ごっこ。「鹿島神宮殿、献じ申す~」などと勝手なことをいいながら楽しく過ごす。
* * * * *
【大衆演劇】
以下大衆演劇で演じられた天保水滸伝関連の芝居を紹介します。ここに挙げたのは私が観たうちのいくつかに過ぎません。私が観たことのない演題もたくさんあります。
『笹川の花会』
飯岡助五郎の子分、洲崎の政吉が主人公。
【芝居あらすじ】
笹川繁蔵主催による花会の案内状が助五郎に届いた。花会というのは親分だけが集まる博奕の会で、近隣の親分衆を集めるとあって主催する親分にとっては名をあげる大きいチャンス。花会には各親分が大金を持ち寄る。繁蔵は飢饉に困窮する農民を救うという名目で花会を開いたのであった。
助五郎は敵対視している繁蔵が開く花会がおもしろくない。子分の洲崎の政吉に代理出席を命じて義理(奉納金)として5両というはした金を託す。
会場の十一屋に赴く政吉。国定忠治・大前田英五郎といった大侠客も来ている。各親分が持参した義理が貼り出される。どれも五十両・百両といった大金である。親分の名代としてわずかな金しか持参しなかった政吉は、身が縮む思いで義理の金額が発表されるのを聞いている。が、政吉はそれを聞いて驚いた。飯岡助五郎金100両、代貸洲崎の政吉金50両、飯岡若衆一同金50両との発表。政吉はこれが繁蔵のはからいだと気づく。
というのが基本的な話です。大衆演劇ではこれにさまざまなバリエーションがあるようです。最後に白無地の単衣を着た平手造酒と政吉が一騎打ちするというものもあります。
【史実は】
十一屋は当時は商人宿で回船問屋も兼ね家の前には馬つなぎ場などがあり渡世人はここをよく利用していたそうです。繁蔵はよくここにいました。

十一屋のあったところ。右は桁沼側。左手近くに諏訪明神がある。
天保13年の7月27・28日の諏訪明神の祭礼日に、繁蔵は、境内に相撲の租、野見宿禰の碑を建てるという名目で花会を催しました。この花会に誰が出席したかははっきりしません。芝居では、国定忠治・清水次郎長・大前田英五郎など大侠客が出席し、忠治が政吉に対して助五郎本人が来ないことを罵るという場面があります。しかし役人に追われて転々と逃亡していた忠治のもとに花会の案内状が届いて忠治が下総まで出かけたということがあるでしょうか。また次郎長はこのとき22歳で一家をかまえる前ででる。大侠客が出席したというのは作り話でしょうけれど、芝居としては面白いです。脇役にも貫禄ある有名な親分が幾人も出てくるので、座長大会の芝居に向いていると思います。
『三浦屋孫次郎』
大衆演劇ではよくかかる定番演目です。
【あらすじ】
助五郎は繁蔵の闇討ちをたくらみ、その遂行を子分の三浦屋孫次郎に命じるが、孫次郎は断る。7年前に母と妹を連れて銚子の五郎蔵に紹介された助五郎を訪ねて旅をしていた。その途中で母が持病で苦しんでいた際に繁蔵に助けてもらったろいう恩義が孫次郎にはあった。助五郎は7年間の義理と1度の義理は天秤にかけたらどちらが大事だと詰問し、孫次郎は闇討ちを承諾する。助五郎は成田屋を後見にさせる。
ある夜。孫次郎は繁蔵に斬りかかる。しかしそれは本気ではない。孫次郎は繁蔵にわざと斬られるつもりでいる。そこに成田屋が背後から現れ繁蔵を斬る。
虫の息の繁蔵は、恩義のために自分の命を捨てようとした孫次郎に、自分の首を助五郎のもとに届けて義理を立てた後にその首を笹川一家に届けてほしいと頼む。
成田屋が助五郎に孫次郎を裏切ったことを告げる。孫次郎は繁蔵の首を助五郎に渡しに行くが、助五郎から盃を水に流すと言われ、母妹ともにこの土地から出て行けと命じられる。
繁蔵の妻が葬儀の準備をしているところに正装の孫次郎が訪れる・・・。
『座頭市と平手造酒』
いくつかの劇団が座頭市と平手造酒が登場する芝居をたてていると思いますが、ここでは私が観た恋川劇団のものを紹介します。
飯岡助五郎一家に迎えられた座頭市と笹川一家の用心棒平手造酒は、両一家の争点にある釣りの良場で偶然出会う。二人がお互いの立場が敵同士であると知りながらも意気投合し平手が住む尼寺で酒をくみかわす。飯岡一家も笹川一家も用心棒を道具のようにしか思っておらず、用が済めば捨てるつもり。座頭市も平手も一家に服従するつもりはないが一宿一飯の恩義には報いる覚悟。労咳の平手は自分の余命がわずかなこと悟っており、どうせ死ぬのならつまなぬ者の手にかかるより本当に強い者との勝負のうえ斬られたいと願っている。大利根河原の決闘が始まった。双方の一家の用心棒、座頭市と平手造酒は大利根河原で対面する。平手に好意をもっている座頭市であったが、平手の死への思いを諒解する。座頭市と平手の真剣勝負が始まる…。
2019.9 新開地劇場 座頭市:二代目恋川純 平手造酒:恋川風馬
2020.3 浅草木馬館 座頭市:二代目恋川純 平手造酒:初代恋川純
『大利根月夜』
鹿島神宮の祭礼。平手は酒を飲むことを禁じられていたが、お神酒ならいいだろうと飲んでしまう。飯岡の一味が通りかかった際に、平手の酒に埃が入ってしまう。平手は飯岡一味をやっつける。
飯岡助五郎が惚れた女は繁蔵の子分とできていた。そこから喧嘩がおこりそうになるが平手が仲裁する。
労咳にかかり尼寺で養生する平手。平手を千葉周作道場の娘の早苗が訪ねる。夫の兵馬が変わってしまい道場が落ちぶれたので平手に帰ってきてほしいと告げるが平手は断る。出入りがあることを知った平手は繁蔵のもとに駆けつける。
笹川と飯岡の決闘。兵馬は飯岡の用心棒になっていた。平手と兵馬の一騎打ち。兵馬は負けるが平手も深手を負う。平手は繁蔵の腕の中で息をひきとる。