ホテルもお客さんも暖かい 「ほてる木の芽坂」恒例の劇団戸田公演を観劇
ホテルもお客さんも暖かい 「ほてる木の芽坂」恒例の劇団戸田公演を観劇
新潟県六日町にある「ほてる木の芽坂」ではここ数年、年に1ヶ月間「劇団戸田」を招いて大衆演劇公演を行っています。

東京から六日町に行くには、上越新幹線で越後湯沢まで行き、そこから上越線に乗り換えます。
六日町の街中にある案内標識には以下のように書かれています。
「六日町は、長尾政景侯の居城である坂戸城の城下町として、また三国街道と清水街道の分岐点の宿場町として栄えてきました。
豊かな自然がおりなす四季それぞれの表情。湯景豊富な温泉、こまやかな人情、活気あふれる町の息吹は訪れる皆さんの魂をとらえてはなさないでしょう」

六日町の中心市街地は駅の東側に広がっています。
ほてる木の芽坂はこちらとは逆の駅の西側にあります。

六日町駅西口

駅から西へまっすぐ伸びている道路を進みます。

左前方にほてる木の芽坂の建物が見えてきました。
駅から10分かからなかったかと思います。

ほてる木の芽坂の前の道路から六日町駅の方(東方)を眺めました。
市街地の向こうに坂戸城があった坂戸山が見えます。

ほてる木の芽坂は大きなホテルなので近づくと写真一枚にはおさまらない。
奥の建物の下に入口が見えます。

入口に入ると広いロビー。実はここは2階です。
フロントで受付をします。

劇団戸田のポスターが貼ってありました

フロントのひとつ上の階の3階に公演会場があります。
靴は公演会場入口で脱いでビニール袋に入れて持参します。
基本は低い長机の席ですが、後ろの方にはテーブル席もあります。
座椅子は無料で借りられます。押入れ?の中に入っています。

舞台

花道も作ってあります

会場の後方にはお茶セットコーナー
着席するとスタッフがここでお茶を入れてテーブルに持ってきてくれました。
観劇+入浴コース 2,000円
観劇+入浴+食事コース 3,500円
の2つのコースがあります。
私は食事付きコースにしました。
10:00 開場
12:00 食事
13:00 開演
となっています。
私は早めに着きましたので食事時間までにお風呂に入ることにします。

公演会場にタオルの用意がありました。
お風呂は1階です。
広い浴場で温泉を楽しむ。
私の好きな低温浴槽があるのがうれしい。
ぬる湯の温泉に頭からっぽにして長く浸かるのはとても気持ちいい。

時間になると演芸場のテーブルに食事が運ばれます。
13時に公演が始まりました。
第一部お芝居。
その後口上挨拶。私の近くにいたお客さんが劇団が販売するお菓子を買いました。お菓子の袋を開けて、食べないかと私に声をかけてきました。こういう素朴な人と人との触れ合いは一人旅にはうれしくなります。
休憩の後、第二部舞踊ショー

舞踊ショーの様子
ほてる木の芽坂での公演を任されているのは劇団戸田。
戸田ゆかり座長について、「大衆演劇・座長名鑑2003」に掲載されていたアンケート回答から一部抜粋します。
役者になったきっかけ・・・両親がやっていて自然の流れで、好きで出ていた。
初舞台・・・2歳8ヶ月のとき。踊りで。
劇団名の由来・・・父の師匠から頂いた名前をそのまま使った。当時は「戸田劇団」でした。一時、親子3人で「戸田ゆかりショー」でまわっていたが、13年前に再結成し、「劇団戸田」になった。
一番大切なもの・・・家族
一番ほしいもの・・・劇団員
今後の抱負・・・とにかく細々でも生き残りたい。一生懸命やっていれば何とかなる!がんばるぞ!
お客様へのメッセージ・・・小さな小さな劇団ですが、是非、観にきてください。元気だけは、おわけできると思います。よろしくお願いします。
15年前のアンケートではありますが、ゆかり座長の人となりがよくわかります。
このアンケートの後に次女が生まれました。
劇団戸田は家族5人を中心とするファミリー劇団として活動していました。
座長・太夫元・妻:戸田ゆかり
副座長・夫:戸田敬次郎
長女:戸田凛(元戸田あゆみ)
長男:戸田ゆうた
次女:戸田ももみ
しかしこの小さな劇団に試練が訪れます。
2011年1月に副座長であり夫であり子供たちの父親の戸田敬次郎が病のために亡くなりました。
それから2ヶ月も経たないうちに、劇団戸田は公演先の岩手県で被災します。
2011年3月11日あの東日本大震災の日、岩手県内の海に面したホテルでの公演中に地震が発生しました。お客さんと劇団員は避難したものの、津波はホテルの2階まで浸水し、地下1階の演劇場は壊滅。劇団の衣装や鬘や道具もやられました。その後数日かけて劇団はなんとか地元の愛知までたどり着きます。(その様子は戸田ゆかり座長のブログの日記に綴られています。瓦礫の中から取り出した演劇道具が後日愛知に届き、子供たちがお父さんに買ってもらった物を一生懸命探して見つけてうれしそうな顔をする、というくだりが印象的でした)
2016年4月熊本地震が発生しました。なんとこの時も劇団戸田は熊本県で公演していたのです。
被害が大きい地域ではなかったようですが、不安な日々を過ごしたことでしょう。
戸田ゆかり座長のブログから、劇団を家族を支えてくれた方々への感謝の気持ちと家族愛がひしひし伝わってきます。そして、落ち込む姿は絶対他人に見せたくない性格なのでしょう、ブログの内容は常に前向きで明るくて読む人に元気を与えてくれます。
こんな戸田ゆかり座長と劇団戸田を応援せずにはいられません。

次女 戸田ももみ 中学1年生

私が前回劇団戸田を見た4年前は、劇団マスコット的存在のように思いましたけれども、芝居もきっちりこなしてしっかり役者になっていました。

長男 戸田ゆうた

最近は劇団美松の松川翔也座長と「翔也とゆかいななかまたち」のメンバーとしても活躍していますね。

長女 花形 戸田凛
芝居も舞踊も余裕があり安定感があり貫禄があります。

戸田凛と戸川楓恋(とがわかれん)の相舞踊

戸川楓恋さんは戸田ファミリーと苦楽を共にしてきた座員
ゆかり座長ゆずりの情念の濃い舞踊が魅力です

しかし楓恋さんは2018年12月をもって劇団戸田を卒業されました。
芝居に舞踊によいパフォーマンスをされていたのになんて残念なのでしょう。

戸田ゆかり座長

たまにツイッターで流れてくるゆかり座長の写真を見ますと、お客さんを楽しませるためには何でもやってやろうという芸人魂を感じます。
私はほてる木の芽坂での観劇1日目に胸をうたれて、終演後翌日の観劇お食事コースの予約をしました。
その夜、私は別のホテルに宿泊していたのですが(木の芽坂が満室だったため)、ほてる木の芽坂お客様係のYさんから私の携帯電話に電話がありました。明日の公演のお客さんはひとりになってしまう可能性がありますがそれでもよろしいでしょうか、とのことでした。私以外に食事付き観劇の予約をしたお客さんがいなかったようです。でも今日の観劇でもフリーのお客さんは15人くらい入っていたし、明日も休日。ひとりになることはないだろうと思い、予定通り行きますと答えました。Yさんは、では他のお客さんに声がけしてみますとのことでした。
翌日。お客様係Yさんの読みは的中しました。開演時間になっても公演会場には私しかいません。
ついに観客席に私しかいない状態で舞台の幕が開きました。
劇団に申し訳ないことをしてしまったという後悔の念と、客が自分ひとりという緊張感で落ち着かない私。
芝居の途中でお客さん2名が入ってきてくれました。Yさんが呼んでくれたのでしょう。有難や!
そこからは私の緊張は解け、公演をめいいっぱい楽しみました。
劇団戸田の皆さんはこんな状況でもまったく手を抜くことなくお芝居と舞踊ショーを見せてくれました。

2日目の観劇のラストショー
振り返って考えますと、この日は10月の3連休の3日目で、芝居の内容が3連休1日目と同じでした(ここは芝居は毎日日替わりではありません)。そしてこの3連休期間にこの地域のあちこちでイベントをやっているよう。なんといっても稲刈りで忙しい時期でもあります。お客様係Yさんは総合的に判断してお客さんが少ないことを予測し、お電話してくださったのでしょう。
そもそも地方の大衆演劇公演では団体のお客さんをメインターゲットとしている公演地が多く(団体の予約が入らないと公演中止というところもある)、「1人で予約」というお客さんは珍しかったのだと思います。
戸田ゆかり座長にうかがいますと、ホテル木の芽坂は地元の皆さんやホテルの皆さんが暖かくてとても好きな公演場所なのだそうです。私はたった2日の滞在ながらそれがわかるような気がしました。
ちなみに次の日は50人以上の団体客の予約が入っているのだとか。
旅役者。ファミリー劇団。家族の生活を守る母。
戸田ゆかり座長と劇団戸田は、大衆演劇という日本の特殊文化の縮図のように思えます。
これからも戸田劇団を応援しています。
観ると元気をもらえる劇団戸田公演。是非、多くの方に足を運んでほしいと思います。
(2018年10月探訪)
新潟県六日町にある「ほてる木の芽坂」ではここ数年、年に1ヶ月間「劇団戸田」を招いて大衆演劇公演を行っています。

東京から六日町に行くには、上越新幹線で越後湯沢まで行き、そこから上越線に乗り換えます。
六日町の街中にある案内標識には以下のように書かれています。
「六日町は、長尾政景侯の居城である坂戸城の城下町として、また三国街道と清水街道の分岐点の宿場町として栄えてきました。
豊かな自然がおりなす四季それぞれの表情。湯景豊富な温泉、こまやかな人情、活気あふれる町の息吹は訪れる皆さんの魂をとらえてはなさないでしょう」

六日町の中心市街地は駅の東側に広がっています。
ほてる木の芽坂はこちらとは逆の駅の西側にあります。

六日町駅西口

駅から西へまっすぐ伸びている道路を進みます。

左前方にほてる木の芽坂の建物が見えてきました。
駅から10分かからなかったかと思います。

ほてる木の芽坂の前の道路から六日町駅の方(東方)を眺めました。
市街地の向こうに坂戸城があった坂戸山が見えます。

ほてる木の芽坂は大きなホテルなので近づくと写真一枚にはおさまらない。
奥の建物の下に入口が見えます。

入口に入ると広いロビー。実はここは2階です。
フロントで受付をします。

劇団戸田のポスターが貼ってありました

フロントのひとつ上の階の3階に公演会場があります。
靴は公演会場入口で脱いでビニール袋に入れて持参します。
基本は低い長机の席ですが、後ろの方にはテーブル席もあります。
座椅子は無料で借りられます。押入れ?の中に入っています。

舞台

花道も作ってあります

会場の後方にはお茶セットコーナー
着席するとスタッフがここでお茶を入れてテーブルに持ってきてくれました。
観劇+入浴コース 2,000円
観劇+入浴+食事コース 3,500円
の2つのコースがあります。
私は食事付きコースにしました。
10:00 開場
12:00 食事
13:00 開演
となっています。
私は早めに着きましたので食事時間までにお風呂に入ることにします。

公演会場にタオルの用意がありました。
お風呂は1階です。
広い浴場で温泉を楽しむ。
私の好きな低温浴槽があるのがうれしい。
ぬる湯の温泉に頭からっぽにして長く浸かるのはとても気持ちいい。

時間になると演芸場のテーブルに食事が運ばれます。
13時に公演が始まりました。
第一部お芝居。
その後口上挨拶。私の近くにいたお客さんが劇団が販売するお菓子を買いました。お菓子の袋を開けて、食べないかと私に声をかけてきました。こういう素朴な人と人との触れ合いは一人旅にはうれしくなります。
休憩の後、第二部舞踊ショー

舞踊ショーの様子
ほてる木の芽坂での公演を任されているのは劇団戸田。
戸田ゆかり座長について、「大衆演劇・座長名鑑2003」に掲載されていたアンケート回答から一部抜粋します。
役者になったきっかけ・・・両親がやっていて自然の流れで、好きで出ていた。
初舞台・・・2歳8ヶ月のとき。踊りで。
劇団名の由来・・・父の師匠から頂いた名前をそのまま使った。当時は「戸田劇団」でした。一時、親子3人で「戸田ゆかりショー」でまわっていたが、13年前に再結成し、「劇団戸田」になった。
一番大切なもの・・・家族
一番ほしいもの・・・劇団員
今後の抱負・・・とにかく細々でも生き残りたい。一生懸命やっていれば何とかなる!がんばるぞ!
お客様へのメッセージ・・・小さな小さな劇団ですが、是非、観にきてください。元気だけは、おわけできると思います。よろしくお願いします。
15年前のアンケートではありますが、ゆかり座長の人となりがよくわかります。
このアンケートの後に次女が生まれました。
劇団戸田は家族5人を中心とするファミリー劇団として活動していました。
座長・太夫元・妻:戸田ゆかり
副座長・夫:戸田敬次郎
長女:戸田凛(元戸田あゆみ)
長男:戸田ゆうた
次女:戸田ももみ
しかしこの小さな劇団に試練が訪れます。
2011年1月に副座長であり夫であり子供たちの父親の戸田敬次郎が病のために亡くなりました。
それから2ヶ月も経たないうちに、劇団戸田は公演先の岩手県で被災します。
2011年3月11日あの東日本大震災の日、岩手県内の海に面したホテルでの公演中に地震が発生しました。お客さんと劇団員は避難したものの、津波はホテルの2階まで浸水し、地下1階の演劇場は壊滅。劇団の衣装や鬘や道具もやられました。その後数日かけて劇団はなんとか地元の愛知までたどり着きます。(その様子は戸田ゆかり座長のブログの日記に綴られています。瓦礫の中から取り出した演劇道具が後日愛知に届き、子供たちがお父さんに買ってもらった物を一生懸命探して見つけてうれしそうな顔をする、というくだりが印象的でした)
2016年4月熊本地震が発生しました。なんとこの時も劇団戸田は熊本県で公演していたのです。
被害が大きい地域ではなかったようですが、不安な日々を過ごしたことでしょう。
戸田ゆかり座長のブログから、劇団を家族を支えてくれた方々への感謝の気持ちと家族愛がひしひし伝わってきます。そして、落ち込む姿は絶対他人に見せたくない性格なのでしょう、ブログの内容は常に前向きで明るくて読む人に元気を与えてくれます。
こんな戸田ゆかり座長と劇団戸田を応援せずにはいられません。

次女 戸田ももみ 中学1年生

私が前回劇団戸田を見た4年前は、劇団マスコット的存在のように思いましたけれども、芝居もきっちりこなしてしっかり役者になっていました。

長男 戸田ゆうた

最近は劇団美松の松川翔也座長と「翔也とゆかいななかまたち」のメンバーとしても活躍していますね。

長女 花形 戸田凛
芝居も舞踊も余裕があり安定感があり貫禄があります。

戸田凛と戸川楓恋(とがわかれん)の相舞踊

戸川楓恋さんは戸田ファミリーと苦楽を共にしてきた座員
ゆかり座長ゆずりの情念の濃い舞踊が魅力です

しかし楓恋さんは2018年12月をもって劇団戸田を卒業されました。
芝居に舞踊によいパフォーマンスをされていたのになんて残念なのでしょう。

戸田ゆかり座長

たまにツイッターで流れてくるゆかり座長の写真を見ますと、お客さんを楽しませるためには何でもやってやろうという芸人魂を感じます。
私はほてる木の芽坂での観劇1日目に胸をうたれて、終演後翌日の観劇お食事コースの予約をしました。
その夜、私は別のホテルに宿泊していたのですが(木の芽坂が満室だったため)、ほてる木の芽坂お客様係のYさんから私の携帯電話に電話がありました。明日の公演のお客さんはひとりになってしまう可能性がありますがそれでもよろしいでしょうか、とのことでした。私以外に食事付き観劇の予約をしたお客さんがいなかったようです。でも今日の観劇でもフリーのお客さんは15人くらい入っていたし、明日も休日。ひとりになることはないだろうと思い、予定通り行きますと答えました。Yさんは、では他のお客さんに声がけしてみますとのことでした。
翌日。お客様係Yさんの読みは的中しました。開演時間になっても公演会場には私しかいません。
ついに観客席に私しかいない状態で舞台の幕が開きました。
劇団に申し訳ないことをしてしまったという後悔の念と、客が自分ひとりという緊張感で落ち着かない私。
芝居の途中でお客さん2名が入ってきてくれました。Yさんが呼んでくれたのでしょう。有難や!
そこからは私の緊張は解け、公演をめいいっぱい楽しみました。
劇団戸田の皆さんはこんな状況でもまったく手を抜くことなくお芝居と舞踊ショーを見せてくれました。

2日目の観劇のラストショー
振り返って考えますと、この日は10月の3連休の3日目で、芝居の内容が3連休1日目と同じでした(ここは芝居は毎日日替わりではありません)。そしてこの3連休期間にこの地域のあちこちでイベントをやっているよう。なんといっても稲刈りで忙しい時期でもあります。お客様係Yさんは総合的に判断してお客さんが少ないことを予測し、お電話してくださったのでしょう。
そもそも地方の大衆演劇公演では団体のお客さんをメインターゲットとしている公演地が多く(団体の予約が入らないと公演中止というところもある)、「1人で予約」というお客さんは珍しかったのだと思います。
戸田ゆかり座長にうかがいますと、ホテル木の芽坂は地元の皆さんやホテルの皆さんが暖かくてとても好きな公演場所なのだそうです。私はたった2日の滞在ながらそれがわかるような気がしました。
ちなみに次の日は50人以上の団体客の予約が入っているのだとか。
旅役者。ファミリー劇団。家族の生活を守る母。
戸田ゆかり座長と劇団戸田は、大衆演劇という日本の特殊文化の縮図のように思えます。
これからも戸田劇団を応援しています。
観ると元気をもらえる劇団戸田公演。是非、多くの方に足を運んでほしいと思います。
(2018年10月探訪)