越後と日本海と魚市場と旅芝居 「ホテル飛鳥」
越後と日本海と魚市場と旅芝居 「ホテル飛鳥」
かつての日本には「瞽女(ごぜ)」と呼ばれる目の不自由な女性の旅芸人がいました。
江戸時代から昭和の初め頃まで、三味線と唄の芸を披露して村を渡り歩く瞽女の姿が日本各地で見られました。
なかでも越後(新潟)は瞽女の一大拠点でした。瞽女の人数は明治時代後期をピークに減少してゆきましたが、新潟には戦後まで残っていました。瞽女が活躍していた頃の新潟では、人々は瞽女が村にやってくるのを心待ちにしていました。
現在現役の瞽女はいませんが、新潟には瞽女唄の芸を継承しようとしている方がまだいます。その方から上記のような話を聞いたとき、私は新潟の土地柄に興味を覚えました。越後の人々には旅芸人を迎え入れ放浪芸を愛で楽しむ土着的性質が根付いているのではないか、などと勝手に想像したのです。
大衆演劇でたまにでてくる角兵衛獅子(かくべえじし)も越後が発祥の芸能です。
角兵衛獅子舞ははじめは農作業の少なくなる晩秋から春先にかけて地方巡業をしていました。子供が曲芸を取り入れながら舞う姿はどの地方でも大人気だったそうです。やがて専門の職となり江戸や全国を巡業しました。江戸時代に流行った角兵衛獅子は明治になって廃れましたが、昭和になってから発祥の地である新潟県の月潟で伝統芸能として復活しました。
ここ数年の新潟県の大衆演劇公演地を地図に記してみますと、瞽女の拠点があった長岡と角兵衛獅子発祥の地の月潟の間の地域、弥彦山の近くにいくつかあることに気づきます。
下の地図には記していませんが数年前まではまさに弥彦山のふもとの弥彦グランドホテルでも大衆演劇公演が行われていたようです。

私の中に、新潟県の大衆演劇場をひととおり見てみたいなという願望が生まれました。
もちろん、民俗学的な何かを考察しにゆこうというつもりは毛頭ありません。
旅芸人を愛でる地、という勝手なイメージを抱きつつ旅をしてみたいなと思ったのです。
今回は弥彦の近く、日本海沿岸にある「ホテル飛鳥」を訪ねます。
ホテル飛鳥には「寺泊岬温泉」という肩書きが付いています。
まずは寺泊(てらどまり)を観光したいと思います。

東京から新幹線に乗り長岡駅で下車。
かつては長岡駅の近くから寺泊まで電車が通っていましたが昭和50年に廃業となりました。
長岡駅前バスロータリー12番乗り場に寺泊方面行きバスがでています。

約70分バスに乗り、「魚の市場通り」バス亭で降りました。
この魚の市場通りは通称「魚のアメ横」と呼ばれていて、海産物を扱う店がずらりと並んでいます。

平日で早めの時間ということもありあまり人通りが多くありませんでしたが、アジア系観光客の方々をみかけました。

このような店先の店が多い

カキやホタテを店先に並べている店もあります。
好きなものを選んで購入すると、その場で殻をむいて食べられるように処理してくれます。
ここからホテル飛鳥までは3kmほど離れています。ホテル飛鳥方面まで行くバスの本数は少ない。
私は事前にホテルに相談し、観光が終わる頃の時間に車で迎えに来てくださることになっていました
約束の時間にやって来たホテルの車に乗り、日本海沿いの国道を北上しました。

ホテル飛鳥が見えてきました。
このあたりでは一番大きなホテルなのではないでしょうか。
近くにはレストランが何件あります。トリックアート美術館は2017年に閉館してしまったよう。

ホテル飛鳥そばの国道からの景色。
農閑期の2月。うら寂しい風景。遠くに見えるのは弥彦の山でしょうか。
ホテル飛鳥は毎年2月に大衆演劇公演を行っています。
3月になると農家の仕事が始まります。農閑期の1ヶ月間だけ旅芝居がやってきます。
荒れる冬の日本海。つかの間の旅芸人の到来。何か日本的郷愁を感じてしまう。
さて私を乗せた送迎車はホテルの入口すぐ横に到着し、私はすぐにホテルフロントに案内されました。
私は観劇とお弁当を予約していました。観劇の指定席券を受け取ると、スタッフが2階の劇場入口まで案内しくれました。

大衆演劇が行われる広間の前で靴を脱ぎます。男性スタッフが靴に靴札をつけてくださいました。
スタッフの皆さんとても対応が丁寧。サービス精神を感じるホテルです。

大衆演劇会場
広いです。昭和歌謡が流れている。
「低い長テーブルに座布団」はスタンダードな形式ですが、テーブルが全部客席を向いているのがいいですね。多くのセンターではキャパを稼ぐために舞台に対してタテに長机を配置して、机の両側にお客さんを座らせる。そのため狭っ苦しいし見えにくい。このホテル飛鳥の配置があるべき姿だと思います。

私の予約していた席。昼食は12時からとのことでしたが、11:40に到着した際には机にお弁当が用意してありました。スタッフに11:45に食べ始めるのでそれに合わせてお椀を持ってきてほしいと伝えました。

ホテル飛鳥の観劇弁当。2段重ね。
豪華!量が多い!
観劇とお弁当で3,700円ですので、それなりのリッチな内容となっています。
時間をかけて完食。お腹いっぱい。
気づくと会場はたくさんのお客さんで賑わっていました。
JAの団体さんが多いみたい。全員合わせると40人以上いたと思います。

通常の舞台から張り出して増設された舞台。

花道もしっかり作ってあります

つなぎ目もしっかりと。
普通の宴会場を大衆演劇場として転用するために仮設花道を設けている会場を多く見てきましたが、これほどちゃんと作ってあるところはそうない。

後方に貸出用の座椅子等があります。

ゴージャスなお弁当プランではなく単に観劇だけで来るお客さんももちろんいます。
そんな方のために軽食も販売しています。
13:00大衆演劇公演始まり。
第1部お芝居。
お客さんがとにかくよく笑う。座員の軽いジャブ的なくすぐりでもよくウケる。
正直私はそんなに面白くなかったのだけれども、お客さんの反応がよいと芝居がダレないものだな~と思いました。

第1部が終わり休憩時間になりますと、男性スタッフ2名がコーヒー、アイス、ジュースはいかがですかと売り歩きます。アイスをいただきました。

第2部舞踊ショーの様子
舞踊ショーが終わり、ホテルのフロントでチェックインしました。

私の宿泊部屋の窓から見た日本海
部屋で落ち着いたる後に4階の大浴場へ。ホテル飛鳥は高台にあります。ガラス張りの大浴場からも露天風呂からも眺望が楽しめます。
ホテル飛鳥の演劇公演は昼の部のみです。
私が訪ねた日のみ夜の部の特別公演「花のおいらん祭り」がありました。
当然私はそれも申し込みました。

おいらんショーが始まる19:30までに夕食を済ませます。
夕食なしの宿泊プランを利用しましたので、夕食はホテル併設のレストランで好きなものをいただくことにします。

地魚刺身盛り合わせ。ちゃんと魚の表示がしてあるのがうれしいな。
新潟の地酒も旨い。最高だ。

よい気分になったところで2階の大広間へ。

おいらんショーの様子
翌日は2階で朝食をとりました。
チェックアウトを済ませ、前日予約しておいたタクシーに乗りました。
次の公演地、海華亭かわいに移動します。
越後と日本海と旅芝居。
期待通りの旅情がありました。
(2018年2月探訪)
かつての日本には「瞽女(ごぜ)」と呼ばれる目の不自由な女性の旅芸人がいました。
江戸時代から昭和の初め頃まで、三味線と唄の芸を披露して村を渡り歩く瞽女の姿が日本各地で見られました。
なかでも越後(新潟)は瞽女の一大拠点でした。瞽女の人数は明治時代後期をピークに減少してゆきましたが、新潟には戦後まで残っていました。瞽女が活躍していた頃の新潟では、人々は瞽女が村にやってくるのを心待ちにしていました。
現在現役の瞽女はいませんが、新潟には瞽女唄の芸を継承しようとしている方がまだいます。その方から上記のような話を聞いたとき、私は新潟の土地柄に興味を覚えました。越後の人々には旅芸人を迎え入れ放浪芸を愛で楽しむ土着的性質が根付いているのではないか、などと勝手に想像したのです。
大衆演劇でたまにでてくる角兵衛獅子(かくべえじし)も越後が発祥の芸能です。
角兵衛獅子舞ははじめは農作業の少なくなる晩秋から春先にかけて地方巡業をしていました。子供が曲芸を取り入れながら舞う姿はどの地方でも大人気だったそうです。やがて専門の職となり江戸や全国を巡業しました。江戸時代に流行った角兵衛獅子は明治になって廃れましたが、昭和になってから発祥の地である新潟県の月潟で伝統芸能として復活しました。
ここ数年の新潟県の大衆演劇公演地を地図に記してみますと、瞽女の拠点があった長岡と角兵衛獅子発祥の地の月潟の間の地域、弥彦山の近くにいくつかあることに気づきます。
下の地図には記していませんが数年前まではまさに弥彦山のふもとの弥彦グランドホテルでも大衆演劇公演が行われていたようです。

私の中に、新潟県の大衆演劇場をひととおり見てみたいなという願望が生まれました。
もちろん、民俗学的な何かを考察しにゆこうというつもりは毛頭ありません。
旅芸人を愛でる地、という勝手なイメージを抱きつつ旅をしてみたいなと思ったのです。
今回は弥彦の近く、日本海沿岸にある「ホテル飛鳥」を訪ねます。
ホテル飛鳥には「寺泊岬温泉」という肩書きが付いています。
まずは寺泊(てらどまり)を観光したいと思います。

東京から新幹線に乗り長岡駅で下車。
かつては長岡駅の近くから寺泊まで電車が通っていましたが昭和50年に廃業となりました。
長岡駅前バスロータリー12番乗り場に寺泊方面行きバスがでています。

約70分バスに乗り、「魚の市場通り」バス亭で降りました。
この魚の市場通りは通称「魚のアメ横」と呼ばれていて、海産物を扱う店がずらりと並んでいます。

平日で早めの時間ということもありあまり人通りが多くありませんでしたが、アジア系観光客の方々をみかけました。

このような店先の店が多い

カキやホタテを店先に並べている店もあります。
好きなものを選んで購入すると、その場で殻をむいて食べられるように処理してくれます。
ここからホテル飛鳥までは3kmほど離れています。ホテル飛鳥方面まで行くバスの本数は少ない。
私は事前にホテルに相談し、観光が終わる頃の時間に車で迎えに来てくださることになっていました
約束の時間にやって来たホテルの車に乗り、日本海沿いの国道を北上しました。

ホテル飛鳥が見えてきました。
このあたりでは一番大きなホテルなのではないでしょうか。
近くにはレストランが何件あります。トリックアート美術館は2017年に閉館してしまったよう。

ホテル飛鳥そばの国道からの景色。
農閑期の2月。うら寂しい風景。遠くに見えるのは弥彦の山でしょうか。
ホテル飛鳥は毎年2月に大衆演劇公演を行っています。
3月になると農家の仕事が始まります。農閑期の1ヶ月間だけ旅芝居がやってきます。
荒れる冬の日本海。つかの間の旅芸人の到来。何か日本的郷愁を感じてしまう。
さて私を乗せた送迎車はホテルの入口すぐ横に到着し、私はすぐにホテルフロントに案内されました。
私は観劇とお弁当を予約していました。観劇の指定席券を受け取ると、スタッフが2階の劇場入口まで案内しくれました。

大衆演劇が行われる広間の前で靴を脱ぎます。男性スタッフが靴に靴札をつけてくださいました。
スタッフの皆さんとても対応が丁寧。サービス精神を感じるホテルです。

大衆演劇会場
広いです。昭和歌謡が流れている。
「低い長テーブルに座布団」はスタンダードな形式ですが、テーブルが全部客席を向いているのがいいですね。多くのセンターではキャパを稼ぐために舞台に対してタテに長机を配置して、机の両側にお客さんを座らせる。そのため狭っ苦しいし見えにくい。このホテル飛鳥の配置があるべき姿だと思います。

私の予約していた席。昼食は12時からとのことでしたが、11:40に到着した際には机にお弁当が用意してありました。スタッフに11:45に食べ始めるのでそれに合わせてお椀を持ってきてほしいと伝えました。

ホテル飛鳥の観劇弁当。2段重ね。
豪華!量が多い!
観劇とお弁当で3,700円ですので、それなりのリッチな内容となっています。
時間をかけて完食。お腹いっぱい。
気づくと会場はたくさんのお客さんで賑わっていました。
JAの団体さんが多いみたい。全員合わせると40人以上いたと思います。

通常の舞台から張り出して増設された舞台。

花道もしっかり作ってあります

つなぎ目もしっかりと。
普通の宴会場を大衆演劇場として転用するために仮設花道を設けている会場を多く見てきましたが、これほどちゃんと作ってあるところはそうない。

後方に貸出用の座椅子等があります。

ゴージャスなお弁当プランではなく単に観劇だけで来るお客さんももちろんいます。
そんな方のために軽食も販売しています。
13:00大衆演劇公演始まり。
第1部お芝居。
お客さんがとにかくよく笑う。座員の軽いジャブ的なくすぐりでもよくウケる。
正直私はそんなに面白くなかったのだけれども、お客さんの反応がよいと芝居がダレないものだな~と思いました。

第1部が終わり休憩時間になりますと、男性スタッフ2名がコーヒー、アイス、ジュースはいかがですかと売り歩きます。アイスをいただきました。

第2部舞踊ショーの様子
舞踊ショーが終わり、ホテルのフロントでチェックインしました。

私の宿泊部屋の窓から見た日本海
部屋で落ち着いたる後に4階の大浴場へ。ホテル飛鳥は高台にあります。ガラス張りの大浴場からも露天風呂からも眺望が楽しめます。
ホテル飛鳥の演劇公演は昼の部のみです。
私が訪ねた日のみ夜の部の特別公演「花のおいらん祭り」がありました。
当然私はそれも申し込みました。

おいらんショーが始まる19:30までに夕食を済ませます。
夕食なしの宿泊プランを利用しましたので、夕食はホテル併設のレストランで好きなものをいただくことにします。

地魚刺身盛り合わせ。ちゃんと魚の表示がしてあるのがうれしいな。
新潟の地酒も旨い。最高だ。

よい気分になったところで2階の大広間へ。

おいらんショーの様子
翌日は2階で朝食をとりました。
チェックアウトを済ませ、前日予約しておいたタクシーに乗りました。
次の公演地、海華亭かわいに移動します。
越後と日本海と旅芝居。
期待通りの旅情がありました。
(2018年2月探訪)