駅の近くのビルにできた快適シートの劇場 「羅い舞座 堺駅前店」
駅の近くのビルにできた快適シートの劇場 「羅い舞座 堺駅前店」
数年前まで、大阪府は南の方(大阪市より南という意味で)には大衆演劇場がないという印象を抱いていましたが、2011年に堺市に羅い舞座堺東店が誕生し、最近になって次々と南部に大衆演劇場がオープンしました。
2017年4月、堺に2つめの大衆演劇場が生まれました。羅い舞座堺駅前店です。
上述のとおり、先行して堺東駅近くにも羅い舞座がオープンしていました。
同じ土地に羅い舞座が2つ作ったのかと初めは思いましたが、調べてみると、堺東駅と堺駅というのは同じ堺市の主要駅でありながら2kmくらい距離が離れており、また南海高野線、南海本線と路線も異なり、さほど競合する関係ではなさそうです。
そして今回訪ねてみたわかったのですが、駅界隈の雰囲気がだいぶ違う。
堺東駅のまわりはデパートや商店街があり買い物客で賑やかで、堺駅のまわりは港が近く落ち着いた雰囲気で何かしら歴史を感じます。
今回の探訪は前回はあまり見出すことができなかった堺の魅力を知る旅にもなりました。
南海本線堺駅を下車。羅い舞座へは南口を利用するのが便利です。
堺駅南口・・・人の気配が薄い。正直、堺東駅前のような活気が感じられません。

駅から5分くらいでしょうか、羅い舞座が入っているビルがありました。

ここが入口。隣はパチンコ屋さん。

羅い舞座は3階にあります。

エレベーターで3階へ。

エレベーターを降りるとすぐ入口が見えます。

受付を済ませて劇場内へ。扉を入ってすぐ左に少し階段があります。

劇場内後方より。
舞台の高さは低いですが、客席にはちゃんと傾斜がついています。入口の階段はこの傾斜ゆえのこと。

座席表。
100強の席数があります。

前方の座椅子席。
1列目と2列目の間隔が狭く、2列目の方は窮屈そう。もっと間隔を広げればいいのにな。

ドリンクホルダー付きのソファ席。最高です。これぞ羅い舞座クオリティ。

右側面。
椅子席とお手洗い。

もちろん花道もあります。

公演中の様子
この日は前の席にお客さんがいなかったので舞台の見通しがよかったけれど、もしいたらその方の頭が視界に入って気になっただろうな。はやり舞台面を高くできないのは痛い。
駅から近く座席も快適なこの劇場、大阪にあってこの条件であれば、集客に心配なし、と思いたいところですが、どうもそう一筋縄ではいかないのではないかと私は感じ取りました。あくまで感覚ですが。私にとって今後に注目したくなる劇場です。
さて堺の見所についても触れたいと思います。
3つキーワードを挙げましょう。
・古墳群
・与謝野晶子
・千利休
古墳については、あの有名な日本最大の前方後円墳、仁徳天皇陵が堺にあります。その周辺にも古墳がたくさんあります。
今回は時間に余裕がなく古墳めぐりはできませんでした。
与謝野晶子は明治11年(1878年)の菓子商の三女として生まれ22歳までこの町まちで過ごしました。

与謝野晶子生家跡の碑
千利休は室町時代の堺に生まれました。

千利休屋敷跡
千利休は魚問屋に生まれ、17歳の時に茶の湯の世界に入りました。その後「わび茶」のスタイルを大成しました。
千利休が茶の湯の師匠として信長に重用されたのは50歳を過ぎてのこと。信長以上に茶の湯に熱心だった秀吉にも重用されました。このとき天皇より「利休」の号をもらいました。
しかし秀吉の怒りを買うことになり切腹を命じられて69歳で亡くなりました。
屋敷跡にボランティアの説明係の方がいらっしゃったので、秀吉が利休に切腹を命じるきっかけとなったのは何か訪ねましたが、諸説あってはっきりしたことはわからないとの回答でした。

2015年3月に「さかい利晶の杜」がオープンしました。
羅い舞座堺駅前店からそう遠くないところにあります。
千利休と与謝野晶子を知ることができるミュージアムです。
茶の湯体験コーナーもあり、私はそれに参加してお菓子とお茶をいただきました。
お茶を飲むときにお茶碗を回すのは、茶碗の正面から口をつけるのは身分の高い人であり、一般人は遠慮して最初の位置から見て右側から飲む(飲み終わったらまた回してもとの角度に戻す)からというような説明でした(違っていたらすみません)。また、最期は音をたてていいからお茶をすすりきって、お茶碗をひっくり返して茶碗の造形を鑑賞するのだそうです。
さかい利晶の杜で利休の「わび」について動画で説明していました。
普通は「加えることで表現する」けれども利休は「引くことで表現した」のだと。
これ以上引くことができないというシンプルさと緊張の中に美を見出しているのだと私は解釈しました。
これを見て私は昨今の大衆演劇の舞踊ショーに思いをめぐらせてしまいました。
昨今の舞踊ショーの演出は「足し算思考」が強いのではないか。
派手すぎる照明、ごちゃごちゃした柄の後ろの幕、オーバーアクション、これらはどれもお客さんを楽しませようというサービス精神のあらわれといえるかもしれません。確かにそのような舞台からのアピールは直接的にお客さんを刺激すると思います。でも逆に、緊張感を伴う美しさ、その美しさからくる感動といったものとは相反する要素のようにも思えます。舞台からの圧を受けるのではなく、吸い込まれるように舞台を見入ってしまう。お客さんをそのような状態にできることが、本当の役者の実力ではないでしょうか。
大衆演劇に新たな客層を呼ぶために舞踊ショーに力を入れている劇団も多いと思います。それはそれでいいですが、ショーにおける足し算思考演出はほどほどにして、引き算思考の舞踊もバランスよく入れてほしいと思います。
千利休が生まれたまちでもあり自由な商業のまちであった堺には伝統的な和菓子屋さんがたくさんあります。

さかい利晶の杜の近くにある本家小嶋
ここで芥子餅とニッキ餅を買って大衆演劇場で食べてみました。
どちらも感動的においしい!次の日また本家小嶋に行って、お土産用と自分ち用のたくさん芥子餅・ニッキ餅を買いました。

左けし餅 右ニッキ餅
旅から帰って家でいただきました。
堺駅に行ったら本家小嶋のお菓子は絶対「買い」です。羅い舞座からは歩いて5分くらいのところにあります。
なお、「小島家」という店でもけし餅を売っていますが、この店は本家小嶋とは別の店。空港や新大阪駅やネットショッピングでも買えるようです。こちらは今回購入しませんでしたがいつか味くらべをしてみたいですね。
(2017年8月探訪)
数年前まで、大阪府は南の方(大阪市より南という意味で)には大衆演劇場がないという印象を抱いていましたが、2011年に堺市に羅い舞座堺東店が誕生し、最近になって次々と南部に大衆演劇場がオープンしました。
2017年4月、堺に2つめの大衆演劇場が生まれました。羅い舞座堺駅前店です。
上述のとおり、先行して堺東駅近くにも羅い舞座がオープンしていました。
同じ土地に羅い舞座が2つ作ったのかと初めは思いましたが、調べてみると、堺東駅と堺駅というのは同じ堺市の主要駅でありながら2kmくらい距離が離れており、また南海高野線、南海本線と路線も異なり、さほど競合する関係ではなさそうです。
そして今回訪ねてみたわかったのですが、駅界隈の雰囲気がだいぶ違う。
堺東駅のまわりはデパートや商店街があり買い物客で賑やかで、堺駅のまわりは港が近く落ち着いた雰囲気で何かしら歴史を感じます。
今回の探訪は前回はあまり見出すことができなかった堺の魅力を知る旅にもなりました。
南海本線堺駅を下車。羅い舞座へは南口を利用するのが便利です。
堺駅南口・・・人の気配が薄い。正直、堺東駅前のような活気が感じられません。

駅から5分くらいでしょうか、羅い舞座が入っているビルがありました。

ここが入口。隣はパチンコ屋さん。

羅い舞座は3階にあります。

エレベーターで3階へ。

エレベーターを降りるとすぐ入口が見えます。

受付を済ませて劇場内へ。扉を入ってすぐ左に少し階段があります。

劇場内後方より。
舞台の高さは低いですが、客席にはちゃんと傾斜がついています。入口の階段はこの傾斜ゆえのこと。

座席表。
100強の席数があります。

前方の座椅子席。
1列目と2列目の間隔が狭く、2列目の方は窮屈そう。もっと間隔を広げればいいのにな。

ドリンクホルダー付きのソファ席。最高です。これぞ羅い舞座クオリティ。

右側面。
椅子席とお手洗い。

もちろん花道もあります。

公演中の様子
この日は前の席にお客さんがいなかったので舞台の見通しがよかったけれど、もしいたらその方の頭が視界に入って気になっただろうな。はやり舞台面を高くできないのは痛い。
駅から近く座席も快適なこの劇場、大阪にあってこの条件であれば、集客に心配なし、と思いたいところですが、どうもそう一筋縄ではいかないのではないかと私は感じ取りました。あくまで感覚ですが。私にとって今後に注目したくなる劇場です。
さて堺の見所についても触れたいと思います。
3つキーワードを挙げましょう。
・古墳群
・与謝野晶子
・千利休
古墳については、あの有名な日本最大の前方後円墳、仁徳天皇陵が堺にあります。その周辺にも古墳がたくさんあります。
今回は時間に余裕がなく古墳めぐりはできませんでした。
与謝野晶子は明治11年(1878年)の菓子商の三女として生まれ22歳までこの町まちで過ごしました。

与謝野晶子生家跡の碑
千利休は室町時代の堺に生まれました。

千利休屋敷跡
千利休は魚問屋に生まれ、17歳の時に茶の湯の世界に入りました。その後「わび茶」のスタイルを大成しました。
千利休が茶の湯の師匠として信長に重用されたのは50歳を過ぎてのこと。信長以上に茶の湯に熱心だった秀吉にも重用されました。このとき天皇より「利休」の号をもらいました。
しかし秀吉の怒りを買うことになり切腹を命じられて69歳で亡くなりました。
屋敷跡にボランティアの説明係の方がいらっしゃったので、秀吉が利休に切腹を命じるきっかけとなったのは何か訪ねましたが、諸説あってはっきりしたことはわからないとの回答でした。

2015年3月に「さかい利晶の杜」がオープンしました。
羅い舞座堺駅前店からそう遠くないところにあります。
千利休と与謝野晶子を知ることができるミュージアムです。
茶の湯体験コーナーもあり、私はそれに参加してお菓子とお茶をいただきました。
お茶を飲むときにお茶碗を回すのは、茶碗の正面から口をつけるのは身分の高い人であり、一般人は遠慮して最初の位置から見て右側から飲む(飲み終わったらまた回してもとの角度に戻す)からというような説明でした(違っていたらすみません)。また、最期は音をたてていいからお茶をすすりきって、お茶碗をひっくり返して茶碗の造形を鑑賞するのだそうです。
さかい利晶の杜で利休の「わび」について動画で説明していました。
普通は「加えることで表現する」けれども利休は「引くことで表現した」のだと。
これ以上引くことができないというシンプルさと緊張の中に美を見出しているのだと私は解釈しました。
これを見て私は昨今の大衆演劇の舞踊ショーに思いをめぐらせてしまいました。
昨今の舞踊ショーの演出は「足し算思考」が強いのではないか。
派手すぎる照明、ごちゃごちゃした柄の後ろの幕、オーバーアクション、これらはどれもお客さんを楽しませようというサービス精神のあらわれといえるかもしれません。確かにそのような舞台からのアピールは直接的にお客さんを刺激すると思います。でも逆に、緊張感を伴う美しさ、その美しさからくる感動といったものとは相反する要素のようにも思えます。舞台からの圧を受けるのではなく、吸い込まれるように舞台を見入ってしまう。お客さんをそのような状態にできることが、本当の役者の実力ではないでしょうか。
大衆演劇に新たな客層を呼ぶために舞踊ショーに力を入れている劇団も多いと思います。それはそれでいいですが、ショーにおける足し算思考演出はほどほどにして、引き算思考の舞踊もバランスよく入れてほしいと思います。
千利休が生まれたまちでもあり自由な商業のまちであった堺には伝統的な和菓子屋さんがたくさんあります。

さかい利晶の杜の近くにある本家小嶋
ここで芥子餅とニッキ餅を買って大衆演劇場で食べてみました。
どちらも感動的においしい!次の日また本家小嶋に行って、お土産用と自分ち用のたくさん芥子餅・ニッキ餅を買いました。

左けし餅 右ニッキ餅
旅から帰って家でいただきました。
堺駅に行ったら本家小嶋のお菓子は絶対「買い」です。羅い舞座からは歩いて5分くらいのところにあります。
なお、「小島家」という店でもけし餅を売っていますが、この店は本家小嶋とは別の店。空港や新大阪駅やネットショッピングでも買えるようです。こちらは今回購入しませんでしたがいつか味くらべをしてみたいですね。
(2017年8月探訪)