大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」
大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記その③
大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」
旅の3日目。
山口県長門湯本温泉を9:30に出発した送迎バスは11時頃新山口駅に到着しました。
新山口駅からJR山陽本線に乗って九州へ。

今日は小倉にある大衆演劇場「宝劇場」を訪ねます。
2011年頃まで小倉には「バーデンハウス」「バーパス」という2つの大衆演劇場がありましたが、どちらもなくなってしまいました。
北九州の大衆演劇ファンの声に応えて九州演劇協会会長の玄海竜二座長が私財を投じて小倉の地に新しい大衆演劇場「宝劇場」をつくりました。

13時頃小倉駅に到着。
宝劇場の昼の部の公演は間に合わないので、昼間は小倉を散策することにしました。

まず向かったのは無法松之碑。
碑の左右に石版があります。それぞれ以下の文章が刻まれています。
「古船場三丁目-独身者の松五郎が住んでいた町で此の町は俥夫 羅宇の仕替 香具師 土方等の自由労働者達が大勢住んでいた そしてこの町には木賃宿が三軒もあって 渡り鳥の様に町から町へ漂泊する猿廻し オイチニの薬売り 山伏等がいつも一杯だった 富島松五郎伝より」
「古船場町の人富島松五郎は無法松の名をもって知られたがその性純情にして清爽、哀切の生涯は我等の胸を打つものがあった。無法松は岩下俊作の詩と夢の世界に生れた永遠の人間像である。市井の歌である。美と愛の精神である。」
小説、演劇、映画について確認しておきます。
岩下俊作の小説「富島松五郎伝」は昭和14年に「九州文学」に掲載された後に「オール読物」に転載された。岩田豊雄(獅子文六)は「これに芥川賞か直木賞を与えなかった審査員はどうかしている」と絶賛した。昭和17年に岩田豊雄の関係する文学座で上演された。昭和18年に「無法松の一生」の題で大映が映画化した(監督稲垣浩)。昭和19年には文学座で主演した丸山定夫が自分の劇団で再演したのち「移動演劇隊桜隊」を名乗って西日本を巡演した(広島逗留中に原爆に遭い丸山定夫は死んだ)。戦後には「無法一代」等のタイトルで新国劇で多く上演された。新派、文学座、宝塚でも上演された。映画「無法松の一生」は戦後アメリカ軍の検閲により一部削除された。これを不服とした稲垣浩監督は昭和33年に三船敏郎を主演にしてリメイクしベネチア映画祭でグランプリを取った。映画「無法松の一生」をその後2度映画化された(昭和38年 三国連太郎主演、昭和40年 勝新太郎主演)。※参考文献:幻影の「昭和芸能」(藤井康生著)
そして、今なお松五郎は大衆演劇によって多くの人々によって親しまれ続けています。

小倉には旦過(たんか)市場という歴史ある通りがあります。
駅近くから長く伸びていて、その端の出入口が無法松之碑の近くにありました。

旦過市場

立ち将棋コーナー
昔ながらの風情があります。
小倉駅周辺の散歩を終え、宝劇場夜の部の公演を目指して移動します。
宝劇場の最寄駅はJR日田彦山線南小倉駅ですが、時間に余裕があったので歩いてゆくことにしました。
30分くらいで着くかな、とたかをくくっていましたが、以外と距離があり45分くらいかかりました。

焼肉屋の向こうに見えるビルが真鶴会館で、その5階に宝劇場があります。
もとはこの近くの場所にあったのですが2016年にこちらに移転しました。
真鶴会館のウェブサイトには「当会館は、地域の方はもとより広く一般の方々の諸会議、展示会、文化活動等コミュニティづくりの場として多目的にご利用いただけます」とあります。

宝劇場の幟

真鶴会館入口
センターでない大衆演劇場は、
それ単独の建物であるか、映画館などを改修した場であることが多いですが、
ビルの普通のフロアーにテナントとして入る演劇場が近年できてきました。
ここもそうした新しい形態の劇場のひとつ。

エントランスの掲示
駐車場はないので近隣のパーキングをご利用くださいとのこと。

エレベーターで5階へ。

エレベーターを降りると見える飾り。
宝劇場オープンに際して熊本県知事や北九州市長や麻生太郎議員から寄せられたお祝いメッセージが飾ってあります。
この右手に受付があります。
受付の目の前に演劇場入口があります。
場内の前に場外(廊下スペース)をお伝えします。

廊下。この先にお手洗いがあります。
大きいビルのワンフロアーにいる感じがします。

廊下に九州演劇協会の面々の写真が飾ってあります。

おでんを売っていました。

アイスやお酒も売っています。

保健所の規定により飲食物の持ち込みはできないそうです。

宝劇場場内

何か会議室といった感じのテーブルと椅子。もともとこの会館にあったものなのでしょう。

後方は椅子のみ。

舞台の幕

立派な花道が増設されています。

フラットな場所に机と椅子を並べた客席&あまり高さのない舞台、となると必然的に前の席のお客さんの頭が気になってしまいます。
この日の公演は宝海劇団
5年くらい前、15歳の宝海大空を観て、その美少年ぶりと道具さばきの上手さに驚きました。あのとき、<美と実力をそえた少年役者>をこの目に見ることができたのは幸せだったと思っています。もちろんここでいう美とは<少年らなではの美>のことです。男くささが兆す前の、しかし幼さは脱しきった後の、社会の手垢が付いていない、しかし何かを自覚している眼差しをもった、美・・・。とにかく何とも表現しがたい時分の花が少年宝海大空に咲いていました。
さて、それから年月が経ち、成人した宝海大空は、青年としての美しさ・風格を備え、もちろん実力は申し分なく、やはり大衆演劇界の星たる存在感を放っています。
宝海大空は現在、宝海劇団の若座長。

宝海大空若座長

宝海大空若座長の女形
公演中の口上挨拶は大空若座長でした。トークもうまいなあ。

この月は劇団井桁屋の酒井健之助座長が宝海劇団に帯同していました。
健之助座長もかっこいい。

花道できめる早乙女紫虎座長と宝海大空若座長

ラストショー
この日の夜の部のお客さんは約15名。少ない。
地元常連のお客さんがあまり定着していないのか、そういう方は主に昼に来ているのか。
早乙女紫虎座長+宝海大空+酒井健之助座長でこんなにお客さんが少ないのは何とも残念。
せっかく若さあふれる時代の宝海大空を観られるのに、お客さんが少ないのは大変もったいない。
個人的な見解を申せば、この劇場はほとんどの席において前の席のお客さんの頭が気になってしまい、満喫観劇を達成しにくいつくりになっていることが、集客にも少なからぬ影響を与えているように思います。
また、お客さんは(特にセンターのお客さんは)「観劇したい」と同時に「心身のくつろぎを得たい」という志向が強い方も多いと思いますが、そういう方にとってこのような会議室っぽい雰囲気の客席は落ち着かないのかもしれません。
帰りは南小倉駅から電車を使いました。電車を使えば小倉駅まであっという間。
駅付近で食事してホテルに戻りました。
明日に備え早めに就寝しました。九州の旅はまだまだ続きます。
(つづく)
■大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記 もくじ
1日目:映画シアターも大衆演劇場もあるサービス多彩な健康ランド 「くだまつ健康パーク」
2日目:山に囲まれた歴史ある温泉地の巨大娯楽施設付ホテル 「湯本観光ホテル西京 夢遊湯亭」
3日目:大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」
4日目:福岡と大分の境にある広大な複合施設の中の劇場 「湯の迫温泉 ぶらり劇場」
5日目:神仏習合の里 国東半島旅行記
6日目:かつて炭鉱で栄えた地に復活した旅芝居の文化 「見聞劇場」
7日目:博多の大衆演劇と十日恵比須
大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」
旅の3日目。
山口県長門湯本温泉を9:30に出発した送迎バスは11時頃新山口駅に到着しました。
新山口駅からJR山陽本線に乗って九州へ。

今日は小倉にある大衆演劇場「宝劇場」を訪ねます。
2011年頃まで小倉には「バーデンハウス」「バーパス」という2つの大衆演劇場がありましたが、どちらもなくなってしまいました。
北九州の大衆演劇ファンの声に応えて九州演劇協会会長の玄海竜二座長が私財を投じて小倉の地に新しい大衆演劇場「宝劇場」をつくりました。

13時頃小倉駅に到着。
宝劇場の昼の部の公演は間に合わないので、昼間は小倉を散策することにしました。

まず向かったのは無法松之碑。
碑の左右に石版があります。それぞれ以下の文章が刻まれています。
「古船場三丁目-独身者の松五郎が住んでいた町で此の町は俥夫 羅宇の仕替 香具師 土方等の自由労働者達が大勢住んでいた そしてこの町には木賃宿が三軒もあって 渡り鳥の様に町から町へ漂泊する猿廻し オイチニの薬売り 山伏等がいつも一杯だった 富島松五郎伝より」
「古船場町の人富島松五郎は無法松の名をもって知られたがその性純情にして清爽、哀切の生涯は我等の胸を打つものがあった。無法松は岩下俊作の詩と夢の世界に生れた永遠の人間像である。市井の歌である。美と愛の精神である。」
小説、演劇、映画について確認しておきます。
岩下俊作の小説「富島松五郎伝」は昭和14年に「九州文学」に掲載された後に「オール読物」に転載された。岩田豊雄(獅子文六)は「これに芥川賞か直木賞を与えなかった審査員はどうかしている」と絶賛した。昭和17年に岩田豊雄の関係する文学座で上演された。昭和18年に「無法松の一生」の題で大映が映画化した(監督稲垣浩)。昭和19年には文学座で主演した丸山定夫が自分の劇団で再演したのち「移動演劇隊桜隊」を名乗って西日本を巡演した(広島逗留中に原爆に遭い丸山定夫は死んだ)。戦後には「無法一代」等のタイトルで新国劇で多く上演された。新派、文学座、宝塚でも上演された。映画「無法松の一生」は戦後アメリカ軍の検閲により一部削除された。これを不服とした稲垣浩監督は昭和33年に三船敏郎を主演にしてリメイクしベネチア映画祭でグランプリを取った。映画「無法松の一生」をその後2度映画化された(昭和38年 三国連太郎主演、昭和40年 勝新太郎主演)。※参考文献:幻影の「昭和芸能」(藤井康生著)
そして、今なお松五郎は大衆演劇によって多くの人々によって親しまれ続けています。

小倉には旦過(たんか)市場という歴史ある通りがあります。
駅近くから長く伸びていて、その端の出入口が無法松之碑の近くにありました。

旦過市場

立ち将棋コーナー
昔ながらの風情があります。
小倉駅周辺の散歩を終え、宝劇場夜の部の公演を目指して移動します。
宝劇場の最寄駅はJR日田彦山線南小倉駅ですが、時間に余裕があったので歩いてゆくことにしました。
30分くらいで着くかな、とたかをくくっていましたが、以外と距離があり45分くらいかかりました。

焼肉屋の向こうに見えるビルが真鶴会館で、その5階に宝劇場があります。
もとはこの近くの場所にあったのですが2016年にこちらに移転しました。
真鶴会館のウェブサイトには「当会館は、地域の方はもとより広く一般の方々の諸会議、展示会、文化活動等コミュニティづくりの場として多目的にご利用いただけます」とあります。

宝劇場の幟

真鶴会館入口
センターでない大衆演劇場は、
それ単独の建物であるか、映画館などを改修した場であることが多いですが、
ビルの普通のフロアーにテナントとして入る演劇場が近年できてきました。
ここもそうした新しい形態の劇場のひとつ。

エントランスの掲示
駐車場はないので近隣のパーキングをご利用くださいとのこと。

エレベーターで5階へ。

エレベーターを降りると見える飾り。
宝劇場オープンに際して熊本県知事や北九州市長や麻生太郎議員から寄せられたお祝いメッセージが飾ってあります。
この右手に受付があります。
受付の目の前に演劇場入口があります。
場内の前に場外(廊下スペース)をお伝えします。

廊下。この先にお手洗いがあります。
大きいビルのワンフロアーにいる感じがします。

廊下に九州演劇協会の面々の写真が飾ってあります。

おでんを売っていました。

アイスやお酒も売っています。

保健所の規定により飲食物の持ち込みはできないそうです。

宝劇場場内

何か会議室といった感じのテーブルと椅子。もともとこの会館にあったものなのでしょう。

後方は椅子のみ。

舞台の幕

立派な花道が増設されています。

フラットな場所に机と椅子を並べた客席&あまり高さのない舞台、となると必然的に前の席のお客さんの頭が気になってしまいます。
この日の公演は宝海劇団
5年くらい前、15歳の宝海大空を観て、その美少年ぶりと道具さばきの上手さに驚きました。あのとき、<美と実力をそえた少年役者>をこの目に見ることができたのは幸せだったと思っています。もちろんここでいう美とは<少年らなではの美>のことです。男くささが兆す前の、しかし幼さは脱しきった後の、社会の手垢が付いていない、しかし何かを自覚している眼差しをもった、美・・・。とにかく何とも表現しがたい時分の花が少年宝海大空に咲いていました。
さて、それから年月が経ち、成人した宝海大空は、青年としての美しさ・風格を備え、もちろん実力は申し分なく、やはり大衆演劇界の星たる存在感を放っています。
宝海大空は現在、宝海劇団の若座長。

宝海大空若座長

宝海大空若座長の女形
公演中の口上挨拶は大空若座長でした。トークもうまいなあ。

この月は劇団井桁屋の酒井健之助座長が宝海劇団に帯同していました。
健之助座長もかっこいい。

花道できめる早乙女紫虎座長と宝海大空若座長

ラストショー
この日の夜の部のお客さんは約15名。少ない。
地元常連のお客さんがあまり定着していないのか、そういう方は主に昼に来ているのか。
早乙女紫虎座長+宝海大空+酒井健之助座長でこんなにお客さんが少ないのは何とも残念。
せっかく若さあふれる時代の宝海大空を観られるのに、お客さんが少ないのは大変もったいない。
個人的な見解を申せば、この劇場はほとんどの席において前の席のお客さんの頭が気になってしまい、満喫観劇を達成しにくいつくりになっていることが、集客にも少なからぬ影響を与えているように思います。
また、お客さんは(特にセンターのお客さんは)「観劇したい」と同時に「心身のくつろぎを得たい」という志向が強い方も多いと思いますが、そういう方にとってこのような会議室っぽい雰囲気の客席は落ち着かないのかもしれません。
帰りは南小倉駅から電車を使いました。電車を使えば小倉駅まであっという間。
駅付近で食事してホテルに戻りました。
明日に備え早めに就寝しました。九州の旅はまだまだ続きます。
(つづく)
(2017年1月)
■大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記 もくじ
1日目:映画シアターも大衆演劇場もあるサービス多彩な健康ランド 「くだまつ健康パーク」
2日目:山に囲まれた歴史ある温泉地の巨大娯楽施設付ホテル 「湯本観光ホテル西京 夢遊湯亭」
3日目:大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」
4日目:福岡と大分の境にある広大な複合施設の中の劇場 「湯の迫温泉 ぶらり劇場」
5日目:神仏習合の里 国東半島旅行記
6日目:かつて炭鉱で栄えた地に復活した旅芝居の文化 「見聞劇場」
7日目:博多の大衆演劇と十日恵比須