古刹に見守られている山間の町の大衆演劇場 「せら温泉」
【広島大衆演劇場めぐり4日間一人旅】 3日目
古刹に見守られている山間の町の大衆演劇場 「せら温泉」
今日目指す「せら温泉」がある世羅町は広島県の中央よりやや東方の内陸にある。
世羅町には鉄道駅が1つだけあるが、町の中心部から8kmくらい離れているうえ、1日10本も電車がとまらない。
行きにくい。しかしこの行きにくさにわくわくしてしまう。
大衆演劇場探訪は行きにくい場所にあればあるほど旅気分が味わえるものだ。
広島市街の交通といえば路面電車であるが、もっと遠方への交通手段としてバスが発達している。
その拠点となっているのが原爆ドーム近くにある広島バスセンターだ。
バスセンターから世羅町へはピースライナーという高速バスで行くことができる。
薬研堀のカプセルホテルを朝早く出発して、人気のなくなった白々とした歓楽街を抜けて平和記念公園へ。
原爆ドームをしばし眺める。
この近く紙屋町の交差点は、県庁やバスターミナルが隣接するまさ広島の中心地といった場所。
広島そごうと一体となっている大きい建物にバスセンターがある。
早朝の街中にはあまり人がいないけれど、バスターミナルの中には人が集まっていた。でもまだ売店も開いておらず静かだ。

要塞のようなバスターミナル

世羅を通過して甲奴(こうぬ)まで行くピースライナーのほか、ローズライナー(福山行)、フラワーライナー(尾道・因島行)、リードライナー(府中行)、クレアライン(呉・阿賀行)、とびしまライナー(とびしま海道を通る)といった長距離バスがでている。
昔好きだったアニメ銀河鉄道999にでてくる宇宙に浮かぶ球状の巨大ステーションを想起してしまう。
ピースライナーは1日5本でている。第1便は8:00出発。9:29甲山営業所(世羅町中心部)到着予定。
約1時間半のバスの旅。

広島内陸部の田園風景のパノラマを眺めながらバスに揺られる。
甲山営業所で高速バスを降りる。
甲山はこの辺りの前の町名で、2004年に甲山・世羅・世羅西の3町が合併して世羅町になった。今の世羅町役場は旧甲山町役場らしい。

バス停から歩いてすぐ「史跡の町 甲山町」の門がみえる。

門の裏は「史跡 今高野山」
ここは古いまちで縄文時代の遺跡もあり鎌倉時代には高野山領大田庄として栄えていたとのこと。
今高野山龍華寺(りゅうげじ)は鎌倉時代に真言密教の霊場として開基された古刹で今では紅葉の名所となっている。
甲山は今高野山の門前町として発展し、その後は市場町として栄えた。
市場町では商売の神様が祀られる。甲山の胡社(えびすしゃ)の夏祭りで行われていた民族芸能がある。
それが世羅町の無形民族文化財に指定されている「だんじり仁輪加(にわか)狂言」で、祭の最中山車で街中を練り歩き、各所で山車を止めては仁輪加が始まったそうだ。説明書によると、「台本はすべて自作で、現代物や時代物、時代風刺のものが多く、必ず最後に「オチ」がつけられる。観客からの掛け声やヤジに応じてセリフが変わったりと、演じ方と観客の一体感も仁輪加の特徴である」とある。
仁輪加狂言が盛んだったこの町に、かつてどれほど芝居が行われていたのかは知らないが、大衆演劇場を受け入れる文化的土壌は他の町よりも濃いのではないだろうか。

今高野山通り

今日は何かの祭礼の日らしい。
通りの家には丹生神社の幟としめ縄が飾られている。
歩いていると向こうから、獅子舞を先頭に神輿を乗せた軽トラックと法被を着た人々がやってきた。

私が生まれ育った土地は昭和になって開発された住宅地だ。
昔から行われてきた祭礼が暮らしの中に息づいている町をうらやましく思うことがある。
だからこうした光景に出会うと自分がよそから来た旅人であることを強く感じてしまう。

今高野山龍華寺と丹生神社の参道。丹生神社は今高野山の守護神だ。
写真の右下にせら温泉の看板がある。この参道の左にせら温泉がある。
まだ時間があるので今高野山を参拝する。

丹生神社

龍華寺御影堂(大師堂)
この日世羅町では「健康と福祉のひろば」という大きなイベントが行われていた。
甲山自治センターと甲山農村環境改善センターにて健康をテーマとしたさまざまなブースが設けられている。
地元高校生が大勢手伝いに来ていた。
カレー好きの私は、屋外にテントを出していた食生活改善推進員協議会の野菜カレー200円を食した。

世羅町のゆるキャラ「せら坊」
黄色い頭は梨である。
ランニングシャツを着て赤いタスキを持っている。
そう、世羅といえば駅伝の強豪、世羅高校の陸上部。
イベントを手伝っていた礼儀正しい若者たちは陸上部の生徒だったようである。

せら温泉に到着。
大衆演劇場せら温泉は2008年3月にオープンした。
昨日探訪した「ゆ~ぽっぽ」の系列店だ。やはりここも「スーパー銭湯」と名乗っている。

玄関とフロント。
靴を靴箱に入れ、鍵をフロントに渡す。
入浴コースと観劇入浴コースがある。
指定席をお願いし、座席表を見てよさそうな席を決めた。

観劇のコースにすると演劇通行手形が渡される。

スタンプカードがあり、同じ月に通えば通うほど(といっても4回目まで)安くなるシステム。
このシステムははじめて見た。
お風呂に入る。
露天風呂を囲む塀の外に緑が茂っている。この木々は丹生神社や今高野山を包んでいたあの森につながっているのだろうか。

お風呂上りに2階の食堂へ。

ビールを飲みながら開演時間を待つ。
食堂の奥に大衆演劇場の入口が見える。
昼の部は13時30分開演。
明確な開場時間もなく入場が始まっていた。
ここではほとんどのお客さんがフロントで指定席を決めておくのだろう。
であれば、見やすい自由席を求めて開場時間前にお客さんが劇場前に並ぶという光景がないのも当然だ。

演劇場後方より

演劇場前方から後方を見る
演劇場は大衆演劇場専用施設として改修されたことがうかがえるつくり。

例えばこの花道

下手もこのとおり。
それほど広くない部屋ながらよく設計されている。
49ある座椅子席は広々している。
その後ろのわずかなスペースに座布団だけの席もある。
センターにしてはこじんまりした客席だ。でもこの町にある大衆演劇場としてはちょうどよいサイズだと思う。

全国の大衆演劇場に貼りたいような標語
この日の公演は劇団澤宗(さわそう)
澤宗城栄(じょうえい)と澤宗千惹(せんじゃく)の夫婦座長の劇団だ。
私は6年ぶりの観劇。そのときは千惹座長は二代目澤宗千丸だった。
2015年、息子三代目澤宗千丸が高校を卒業して正式に劇団に入団するのを機に、千惹に改名した。
この日お昼の部のお客さんは16,7名くらい。
第1部お芝居から始まった。
芝居の後の休憩時間にせら温泉のスタッフがアイスとモナカの販売に来た。

澤宗城栄座長の女形

澤宗千惹座長
とても芸魂を感じる座長だ。
立ち役でこれほど貫禄をだせる大衆演劇の女役者はなかなかいない。

三代目澤宗千丸若大将19歳
あと数年で座長を襲名するだろう。もう口上挨拶はまかされている。
芝居や口上を見て、真面目でひたむきな姿勢や性格のよさが伝わってきた。
若いのにかっこつけようとしないところもいい。
いい座長になるだろうな。
※ブログへの写真掲載はご許可をいただきました

公演中の様子
昼の部が終了。
この後は、次の目的地「矢野温泉あやめ」に本日中に移動してしまう予定だ。
高速バス、ピースライナーで移動することができる。
バスの出発まで少し時間がある。
陽が落ちてきて町が翳りはじめた。
よい感じのさみしさが胸に広がる。
写真を撮りながら甲山の町を歩く。








バス甲山営業所の建物には
「国道184号 いやしロードの町世羅町」という大きな壁画が描かれている。
待合室には「農山村の夢乗せ発車」という見出しの記事が貼ってある。
平成8年にピースライナーが開通した際の中国新聞の記事である。
17時過ぎ、甲奴行きのピースライナーがやってきた。
(つづく)
古刹に見守られている山間の町の大衆演劇場 「せら温泉」
今日目指す「せら温泉」がある世羅町は広島県の中央よりやや東方の内陸にある。
世羅町には鉄道駅が1つだけあるが、町の中心部から8kmくらい離れているうえ、1日10本も電車がとまらない。
行きにくい。しかしこの行きにくさにわくわくしてしまう。
大衆演劇場探訪は行きにくい場所にあればあるほど旅気分が味わえるものだ。
広島市街の交通といえば路面電車であるが、もっと遠方への交通手段としてバスが発達している。
その拠点となっているのが原爆ドーム近くにある広島バスセンターだ。
バスセンターから世羅町へはピースライナーという高速バスで行くことができる。
薬研堀のカプセルホテルを朝早く出発して、人気のなくなった白々とした歓楽街を抜けて平和記念公園へ。
原爆ドームをしばし眺める。
この近く紙屋町の交差点は、県庁やバスターミナルが隣接するまさ広島の中心地といった場所。
広島そごうと一体となっている大きい建物にバスセンターがある。
早朝の街中にはあまり人がいないけれど、バスターミナルの中には人が集まっていた。でもまだ売店も開いておらず静かだ。

要塞のようなバスターミナル

世羅を通過して甲奴(こうぬ)まで行くピースライナーのほか、ローズライナー(福山行)、フラワーライナー(尾道・因島行)、リードライナー(府中行)、クレアライン(呉・阿賀行)、とびしまライナー(とびしま海道を通る)といった長距離バスがでている。
昔好きだったアニメ銀河鉄道999にでてくる宇宙に浮かぶ球状の巨大ステーションを想起してしまう。
ピースライナーは1日5本でている。第1便は8:00出発。9:29甲山営業所(世羅町中心部)到着予定。
約1時間半のバスの旅。

広島内陸部の田園風景のパノラマを眺めながらバスに揺られる。
甲山営業所で高速バスを降りる。
甲山はこの辺りの前の町名で、2004年に甲山・世羅・世羅西の3町が合併して世羅町になった。今の世羅町役場は旧甲山町役場らしい。

バス停から歩いてすぐ「史跡の町 甲山町」の門がみえる。

門の裏は「史跡 今高野山」
ここは古いまちで縄文時代の遺跡もあり鎌倉時代には高野山領大田庄として栄えていたとのこと。
今高野山龍華寺(りゅうげじ)は鎌倉時代に真言密教の霊場として開基された古刹で今では紅葉の名所となっている。
甲山は今高野山の門前町として発展し、その後は市場町として栄えた。
市場町では商売の神様が祀られる。甲山の胡社(えびすしゃ)の夏祭りで行われていた民族芸能がある。
それが世羅町の無形民族文化財に指定されている「だんじり仁輪加(にわか)狂言」で、祭の最中山車で街中を練り歩き、各所で山車を止めては仁輪加が始まったそうだ。説明書によると、「台本はすべて自作で、現代物や時代物、時代風刺のものが多く、必ず最後に「オチ」がつけられる。観客からの掛け声やヤジに応じてセリフが変わったりと、演じ方と観客の一体感も仁輪加の特徴である」とある。
仁輪加狂言が盛んだったこの町に、かつてどれほど芝居が行われていたのかは知らないが、大衆演劇場を受け入れる文化的土壌は他の町よりも濃いのではないだろうか。

今高野山通り

今日は何かの祭礼の日らしい。
通りの家には丹生神社の幟としめ縄が飾られている。
歩いていると向こうから、獅子舞を先頭に神輿を乗せた軽トラックと法被を着た人々がやってきた。

私が生まれ育った土地は昭和になって開発された住宅地だ。
昔から行われてきた祭礼が暮らしの中に息づいている町をうらやましく思うことがある。
だからこうした光景に出会うと自分がよそから来た旅人であることを強く感じてしまう。

今高野山龍華寺と丹生神社の参道。丹生神社は今高野山の守護神だ。
写真の右下にせら温泉の看板がある。この参道の左にせら温泉がある。
まだ時間があるので今高野山を参拝する。

丹生神社

龍華寺御影堂(大師堂)
この日世羅町では「健康と福祉のひろば」という大きなイベントが行われていた。
甲山自治センターと甲山農村環境改善センターにて健康をテーマとしたさまざまなブースが設けられている。
地元高校生が大勢手伝いに来ていた。
カレー好きの私は、屋外にテントを出していた食生活改善推進員協議会の野菜カレー200円を食した。

世羅町のゆるキャラ「せら坊」
黄色い頭は梨である。
ランニングシャツを着て赤いタスキを持っている。
そう、世羅といえば駅伝の強豪、世羅高校の陸上部。
イベントを手伝っていた礼儀正しい若者たちは陸上部の生徒だったようである。

せら温泉に到着。
大衆演劇場せら温泉は2008年3月にオープンした。
昨日探訪した「ゆ~ぽっぽ」の系列店だ。やはりここも「スーパー銭湯」と名乗っている。

玄関とフロント。
靴を靴箱に入れ、鍵をフロントに渡す。
入浴コースと観劇入浴コースがある。
指定席をお願いし、座席表を見てよさそうな席を決めた。

観劇のコースにすると演劇通行手形が渡される。

スタンプカードがあり、同じ月に通えば通うほど(といっても4回目まで)安くなるシステム。
このシステムははじめて見た。
お風呂に入る。
露天風呂を囲む塀の外に緑が茂っている。この木々は丹生神社や今高野山を包んでいたあの森につながっているのだろうか。

お風呂上りに2階の食堂へ。

ビールを飲みながら開演時間を待つ。
食堂の奥に大衆演劇場の入口が見える。
昼の部は13時30分開演。
明確な開場時間もなく入場が始まっていた。
ここではほとんどのお客さんがフロントで指定席を決めておくのだろう。
であれば、見やすい自由席を求めて開場時間前にお客さんが劇場前に並ぶという光景がないのも当然だ。

演劇場後方より

演劇場前方から後方を見る
演劇場は大衆演劇場専用施設として改修されたことがうかがえるつくり。

例えばこの花道

下手もこのとおり。
それほど広くない部屋ながらよく設計されている。
49ある座椅子席は広々している。
その後ろのわずかなスペースに座布団だけの席もある。
センターにしてはこじんまりした客席だ。でもこの町にある大衆演劇場としてはちょうどよいサイズだと思う。

全国の大衆演劇場に貼りたいような標語
この日の公演は劇団澤宗(さわそう)
澤宗城栄(じょうえい)と澤宗千惹(せんじゃく)の夫婦座長の劇団だ。
私は6年ぶりの観劇。そのときは千惹座長は二代目澤宗千丸だった。
2015年、息子三代目澤宗千丸が高校を卒業して正式に劇団に入団するのを機に、千惹に改名した。
この日お昼の部のお客さんは16,7名くらい。
第1部お芝居から始まった。
芝居の後の休憩時間にせら温泉のスタッフがアイスとモナカの販売に来た。

澤宗城栄座長の女形

澤宗千惹座長
とても芸魂を感じる座長だ。
立ち役でこれほど貫禄をだせる大衆演劇の女役者はなかなかいない。

三代目澤宗千丸若大将19歳
あと数年で座長を襲名するだろう。もう口上挨拶はまかされている。
芝居や口上を見て、真面目でひたむきな姿勢や性格のよさが伝わってきた。
若いのにかっこつけようとしないところもいい。
いい座長になるだろうな。
※ブログへの写真掲載はご許可をいただきました

公演中の様子
昼の部が終了。
この後は、次の目的地「矢野温泉あやめ」に本日中に移動してしまう予定だ。
高速バス、ピースライナーで移動することができる。
バスの出発まで少し時間がある。
陽が落ちてきて町が翳りはじめた。
よい感じのさみしさが胸に広がる。
写真を撮りながら甲山の町を歩く。








バス甲山営業所の建物には
「国道184号 いやしロードの町世羅町」という大きな壁画が描かれている。
待合室には「農山村の夢乗せ発車」という見出しの記事が貼ってある。
平成8年にピースライナーが開通した際の中国新聞の記事である。
17時過ぎ、甲奴行きのピースライナーがやってきた。
(つづく)