吉良の仁吉終焉の地「荒神山」探訪記
吉良の仁吉終焉の地、荒神山に行ってきました。
仁吉の物語については、以前アップしたレポート「吉良の仁吉」「吉良上野介」ゆかりの地「吉良」探訪日記に書きましたのでこちらをお読みください。
8月初旬の蒸し暑い日に荒神山のある三重県に行ってきました。その旅日記をレポートします。

まず場所の確認から。
大衆演劇や浪曲の物語中にでてくる地名を現在の地図をたよりに書いてみました。
・吉良の仁吉
・穴太の徳次郎
・神戸の長吉
・荒神山
の位置関係がわかりますでしょうか。
荒神山は大都市の近くにあるわけではありません。
なぜこの立地にある荒神山が、有数の賭場として名を馳せていたのでしょうか。
その謎は今回の旅の途中で明らかになります。
なお、「荒神山」というのはいわゆる「山」ではありません。観音寺というお寺の山号です。でも観音寺は高台にありますので「丘」くらいのイメージは持っていただいてよろしいかと思います。

名古屋から関西本線に乗って加佐登駅へ。
関西でも関東のsuicaが使えることを知り、suicaで入場したのですが、この無人駅にはIC乗車券の端末がありませんでした。後で面倒な精算をすることとなりました。
加佐登駅から荒神山観音寺までは1.5kmくらいでしょうか。
バスもあるようですが電車の時刻と合いません。歩いて向かいます。荒神山は高台にあるので、駅からは坂道を登って行くことになります。

荒神山観音寺はこの写真の左の方。
右に見える森の中に加佐登神社があります。

左が観音寺、右が加佐登神社の分岐点。
角井門之助率いる穴太軍が一時陣取ったという加佐登神社に寄ることにしました。

加佐登神社

狛犬の近くに、いくつか箱が並んでいました。なんだろう?と近寄ってみました。

左の箱…くじ引きの箱
真ん中の箱…「係の人は休けい中です」「新しいのを入れました」の札
右の箱…「1等の商品」「1.2.3等の商品」の札とたくさんのおもちゃ
どうやらくじを引くとおもちゃがあたるというお店らしい。
店をながめていると遠くから少年が走ってやってきて、「休けい中」の札を「えい業中」の札に変えました。
訊くとこの少年はこの神社の宮司さんの息子とのこと。今日は境内で自作のお店を開いているようです。
私はお客さんになってくじを引くことにしました。お代は?と尋ねると無料とのこと。
くじ運強く2等があたりました。タダなので気がひけましたが、2等の景品の中からマリオの人形を選んで受け取りました。
少年に別れを告げて荒神山へ向かいます。

加佐登神社と荒神山観音寺の付近には現在は大きな池(加佐登調整池)があります。

荒神山観音寺に着きました。

「伊勢七福神」の幟が見えます。
観音寺は伊勢七福神で寿老人を担当している寺のようです。
私は正月によく各地の七福神めぐりをします。伊勢七福神をめぐる道は約40kmと歩くにはかなりハードなルート。皆さんどうやってめぐっているのでしょうか。

境内。
奥に見えるのが本堂。

看板がありました。書き出しておきます。
荒神山観音寺
当寺は 寛治元年<西暦一〇八七年>四月堀川天皇の時代に建てられたもので 真言宗御室派仁和寺に属し 十一面観世音菩薩をお祭りしてあります 往古は神事山と云い 後ち高野山の一寺の名をとって高神山と改めました
出羽の国湯殿山の行者 順海上人の異母姉に当る三代将軍徳川家光の乳母春日局は当寺に信仰厚く 正保四年<西暦一六四七年>銘入りのつり鐘とともに 五体の仏像を寄進されました
また奥の院の三宝荒神は 春日局と順海上人が礼祭りしたもので 暴悪治罰の神徳があらたかなため 勝運を祈願されるかたが多くみられます
慶應二年<西暦一八六六年>四月八日 ばく徒の神戸の長吉と桑名の穴太徳が縄張り争いから当寺裏山で死闘をつくしたのが 後の世に「荒神山の血煙り」と題した浪曲となって 当寺の名をいっそう広めることになりました
鈴鹿市観光協会
荒神山観音寺保勝会

春日局が寄進した鐘楼。

鐘楼の柱の1本にあるくぼみ。
荒神山の戦いにおいて鉄砲の流れ弾があたってできた跡らしいです。

本堂の山号額。ただしくは「高神」の表記ですがいつからか「荒神」の字が一般に使われるようになったようです。「東海遊侠伝」では荒神山と表記されています。

本堂正面すぐ右にガラス張りの間があって、中に鉄砲・三度笠・縞の合羽が陳列されています。(正面からだとガラスが光ってしまうのでこの写真は裏側から撮影しています)
荒神山観音寺のパンフレットには「仁吉を倒したといわれる火縄銃」との説明書きがあります。

社務所で御朱印をいただき、おみやげに清水二十八人衆のれんを買いました。
仁吉の史跡目当てに来たことを告げると住職さんは「確かにここは喧嘩があったことで有名だけれどもこれだけは覚えておいてください」ときりだしてきました。
三代将軍徳川家光の乳母の春日局には順海上人という弟がありました。順海上人が目を患い、春日局はその治癒をこの寺の御本尊に祈願しました。その後順海上人の目が治り、春日の局はたいへん感謝してこの寺への信仰を篤くしました。当時も博打はご法度でしたが、この寺だけは春日局のはからいで公然と博打を打つことが許されました。賭博が行われる4月8日の祭の日には博打好きが集まってたいへんな賑わいをみせ、多大なテラ銭がこの地の親分、神戸の長吉のもとにはいりました。そこを桑名の親分、穴太の徳次郎が目をつけた、というのが喧嘩の発端なのです。
というような説明でした。荒神山の決闘を考えるにあたっては、ここが「春日局が信仰した寺」ということを忘れてはならないのですね。

広沢虎造が建てたという吉良仁吉の碑

寺の敷地内の林。
ここでも決闘が行われたのでしょうか。
観音寺をひととおり見て加佐登駅に戻ります。
暑いし時間もなかったので帰りはタクシーを利用しました。

虎造の浪曲の「荒神山」は
「その手は桑名の焼き蛤ってえことを言いますが、本当は蛤の名物は桑名じゃない富田。なんといってもあの辺は蛤のおいしいところであります」ではじまります。
富田は桑名からちょっと離れた海辺の町。富田の蛤を食べてみたいと思ったのですが、現在富田には蛤料理の店はないようです。桑名駅周辺には蛤を食べられる店がたくさんあって、観光協会では「その手は桑名のはまぐり三昧クーポン」というものも売っています。
江戸時代から続く老舗の「丁子屋」に入りました。焼きはまぐり付きのランチ。ふっくらしていて香りがよくて美味しいはまぐりをいただきました。酒が呑みたくなります。この日は頼みそこねましたが焼きまぐりに日本酒は必須と胆に銘じておきたい。

どうせ名古屋駅経由で帰るので、名古屋を観光することにしました。
熱田神宮を参拝しました。

せっかく熱田神宮に来たので、一度は行ってみたい有名なひつまぶし屋「あつた蓬莱軒」に入ることにしました。幸い待ち時間30分程度で入ることができました。
ビール、骨せんべい、胆焼き、ひつまぶしを注文。
ひつまぶし美味しかった~。

この胆焼きにも感動しました。これまで食べた胆焼きと全然違う。粒が大きく臭くない。絶品。
ひつまぶしをいただいた後、地下鉄で移動して繁華街を散歩しました。

大須演芸場。
(2014年2月に閉館し、2015年にリニューアルオープンしました)

帰りの新幹線でプチ宴会。桑名名物「安永餅」を食べました。
以上で旅日記を終わります。

荒神山の御朱印(右)
左は熱田神宮です。

荒神山で買ったのれんは私の部屋の入口扉につけました。サイズがぴったり。
ところで、吉良の仁吉は虎造の浪曲で有名になったようですけれども、「初代京山幸枝若 秘蔵ライヴ発掘集」というCDに収録されている「吉良の仁吉(河内音頭)」もスバラシイ。先日それがYouTubeにアップされているのを見つけました。是非聴いてみてください。
(2013年8月探訪)
仁吉の物語については、以前アップしたレポート「吉良の仁吉」「吉良上野介」ゆかりの地「吉良」探訪日記に書きましたのでこちらをお読みください。
8月初旬の蒸し暑い日に荒神山のある三重県に行ってきました。その旅日記をレポートします。

まず場所の確認から。
大衆演劇や浪曲の物語中にでてくる地名を現在の地図をたよりに書いてみました。
・吉良の仁吉
・穴太の徳次郎
・神戸の長吉
・荒神山
の位置関係がわかりますでしょうか。
荒神山は大都市の近くにあるわけではありません。
なぜこの立地にある荒神山が、有数の賭場として名を馳せていたのでしょうか。
その謎は今回の旅の途中で明らかになります。
なお、「荒神山」というのはいわゆる「山」ではありません。観音寺というお寺の山号です。でも観音寺は高台にありますので「丘」くらいのイメージは持っていただいてよろしいかと思います。

名古屋から関西本線に乗って加佐登駅へ。
関西でも関東のsuicaが使えることを知り、suicaで入場したのですが、この無人駅にはIC乗車券の端末がありませんでした。後で面倒な精算をすることとなりました。
加佐登駅から荒神山観音寺までは1.5kmくらいでしょうか。
バスもあるようですが電車の時刻と合いません。歩いて向かいます。荒神山は高台にあるので、駅からは坂道を登って行くことになります。

荒神山観音寺はこの写真の左の方。
右に見える森の中に加佐登神社があります。

左が観音寺、右が加佐登神社の分岐点。
角井門之助率いる穴太軍が一時陣取ったという加佐登神社に寄ることにしました。

加佐登神社

狛犬の近くに、いくつか箱が並んでいました。なんだろう?と近寄ってみました。

左の箱…くじ引きの箱
真ん中の箱…「係の人は休けい中です」「新しいのを入れました」の札
右の箱…「1等の商品」「1.2.3等の商品」の札とたくさんのおもちゃ
どうやらくじを引くとおもちゃがあたるというお店らしい。
店をながめていると遠くから少年が走ってやってきて、「休けい中」の札を「えい業中」の札に変えました。
訊くとこの少年はこの神社の宮司さんの息子とのこと。今日は境内で自作のお店を開いているようです。
私はお客さんになってくじを引くことにしました。お代は?と尋ねると無料とのこと。
くじ運強く2等があたりました。タダなので気がひけましたが、2等の景品の中からマリオの人形を選んで受け取りました。
少年に別れを告げて荒神山へ向かいます。

加佐登神社と荒神山観音寺の付近には現在は大きな池(加佐登調整池)があります。

荒神山観音寺に着きました。

「伊勢七福神」の幟が見えます。
観音寺は伊勢七福神で寿老人を担当している寺のようです。
私は正月によく各地の七福神めぐりをします。伊勢七福神をめぐる道は約40kmと歩くにはかなりハードなルート。皆さんどうやってめぐっているのでしょうか。

境内。
奥に見えるのが本堂。

看板がありました。書き出しておきます。
荒神山観音寺
当寺は 寛治元年<西暦一〇八七年>四月堀川天皇の時代に建てられたもので 真言宗御室派仁和寺に属し 十一面観世音菩薩をお祭りしてあります 往古は神事山と云い 後ち高野山の一寺の名をとって高神山と改めました
出羽の国湯殿山の行者 順海上人の異母姉に当る三代将軍徳川家光の乳母春日局は当寺に信仰厚く 正保四年<西暦一六四七年>銘入りのつり鐘とともに 五体の仏像を寄進されました
また奥の院の三宝荒神は 春日局と順海上人が礼祭りしたもので 暴悪治罰の神徳があらたかなため 勝運を祈願されるかたが多くみられます
慶應二年<西暦一八六六年>四月八日 ばく徒の神戸の長吉と桑名の穴太徳が縄張り争いから当寺裏山で死闘をつくしたのが 後の世に「荒神山の血煙り」と題した浪曲となって 当寺の名をいっそう広めることになりました
鈴鹿市観光協会
荒神山観音寺保勝会

春日局が寄進した鐘楼。

鐘楼の柱の1本にあるくぼみ。
荒神山の戦いにおいて鉄砲の流れ弾があたってできた跡らしいです。

本堂の山号額。ただしくは「高神」の表記ですがいつからか「荒神」の字が一般に使われるようになったようです。「東海遊侠伝」では荒神山と表記されています。

本堂正面すぐ右にガラス張りの間があって、中に鉄砲・三度笠・縞の合羽が陳列されています。(正面からだとガラスが光ってしまうのでこの写真は裏側から撮影しています)
荒神山観音寺のパンフレットには「仁吉を倒したといわれる火縄銃」との説明書きがあります。

社務所で御朱印をいただき、おみやげに清水二十八人衆のれんを買いました。
仁吉の史跡目当てに来たことを告げると住職さんは「確かにここは喧嘩があったことで有名だけれどもこれだけは覚えておいてください」ときりだしてきました。
三代将軍徳川家光の乳母の春日局には順海上人という弟がありました。順海上人が目を患い、春日局はその治癒をこの寺の御本尊に祈願しました。その後順海上人の目が治り、春日の局はたいへん感謝してこの寺への信仰を篤くしました。当時も博打はご法度でしたが、この寺だけは春日局のはからいで公然と博打を打つことが許されました。賭博が行われる4月8日の祭の日には博打好きが集まってたいへんな賑わいをみせ、多大なテラ銭がこの地の親分、神戸の長吉のもとにはいりました。そこを桑名の親分、穴太の徳次郎が目をつけた、というのが喧嘩の発端なのです。
というような説明でした。荒神山の決闘を考えるにあたっては、ここが「春日局が信仰した寺」ということを忘れてはならないのですね。

広沢虎造が建てたという吉良仁吉の碑

寺の敷地内の林。
ここでも決闘が行われたのでしょうか。
観音寺をひととおり見て加佐登駅に戻ります。
暑いし時間もなかったので帰りはタクシーを利用しました。

虎造の浪曲の「荒神山」は
「その手は桑名の焼き蛤ってえことを言いますが、本当は蛤の名物は桑名じゃない富田。なんといってもあの辺は蛤のおいしいところであります」ではじまります。
富田は桑名からちょっと離れた海辺の町。富田の蛤を食べてみたいと思ったのですが、現在富田には蛤料理の店はないようです。桑名駅周辺には蛤を食べられる店がたくさんあって、観光協会では「その手は桑名のはまぐり三昧クーポン」というものも売っています。
江戸時代から続く老舗の「丁子屋」に入りました。焼きはまぐり付きのランチ。ふっくらしていて香りがよくて美味しいはまぐりをいただきました。酒が呑みたくなります。この日は頼みそこねましたが焼きまぐりに日本酒は必須と胆に銘じておきたい。

どうせ名古屋駅経由で帰るので、名古屋を観光することにしました。
熱田神宮を参拝しました。

せっかく熱田神宮に来たので、一度は行ってみたい有名なひつまぶし屋「あつた蓬莱軒」に入ることにしました。幸い待ち時間30分程度で入ることができました。
ビール、骨せんべい、胆焼き、ひつまぶしを注文。
ひつまぶし美味しかった~。

この胆焼きにも感動しました。これまで食べた胆焼きと全然違う。粒が大きく臭くない。絶品。
ひつまぶしをいただいた後、地下鉄で移動して繁華街を散歩しました。

大須演芸場。
(2014年2月に閉館し、2015年にリニューアルオープンしました)

帰りの新幹線でプチ宴会。桑名名物「安永餅」を食べました。
以上で旅日記を終わります。

荒神山の御朱印(右)
左は熱田神宮です。

荒神山で買ったのれんは私の部屋の入口扉につけました。サイズがぴったり。
ところで、吉良の仁吉は虎造の浪曲で有名になったようですけれども、「初代京山幸枝若 秘蔵ライヴ発掘集」というCDに収録されている「吉良の仁吉(河内音頭)」もスバラシイ。先日それがYouTubeにアップされているのを見つけました。是非聴いてみてください。
(2013年8月探訪)