次世代の時代劇を担う若者が修行する芸道場、そして地元密着型の大衆演劇場 「すわん江戸村」
次世代の時代劇を担う若者が修行する芸道場、そして地元密着型の大衆演劇場 「すわん江戸村」
これまで私が探訪してきた数多くの大衆演劇場の中でも、唯一無二で異色の劇場といえば「すわん江戸村」を挙げます。
通常、大衆演劇場では公演を打つ劇団が1か月ごとに入れ替わります。すわん江戸村は(10年くらい前まではそのような形態だったようですが)、外から劇団を招いて公演を行う劇場ではありません。「劇団紀州」という大衆演劇劇団の本拠地であり専用劇場なのです。
劇団紀州の役者はすわん江戸村という<芸道場>に居を定め、生活し修業し劇場の運営にあたっています。
大衆演劇の役者はほとんどが<旅役者>ですが、ここは数少ない例外となります。
すわん江戸村は和歌山県海南市の郊外、田畑や山や民家に囲まれた場所にあります。
それほど人口が多くない地域の決してアクセスがよいとは言えない場所にありながら、劇団紀州は週5日(木・金・土・日・月)の公演を年間を通じて行っているのです(コロナの影響で公演予定が変わるかもしれませんので詳細はすわん江戸村のウェブサイトをご覧ください)。
今回は、この私にとって大変興味深い大衆演劇場「すわん江戸村」を2019年5月に探訪した際の記録です。
* * *
すわん江戸村は、JRの黒江駅や海南駅から3km以上離れています。歩いてゆくにはちょっと遠い。
事前に電話したところ、海南駅まで迎えに来ていただけることになりました。(注:本ブログ執筆現在(2020年12月)送迎サービスは行っていないようです)

私の住む東京から和歌山は遠い。でも東京駅から海南駅まではたった乗り換え1回で行くことができます。
新幹線で新大阪駅に行き、そこから特急くろしおに乗り換えました。

JR海南駅に着きました。
約束の時間に改札付近におりますと、若い男性に声をかけられ(後で役者さんと判明)、車に案内されました。劇団紀州のファンという女性も乗せて、車はすわん江戸村に向かいました。車の窓に自然豊かな景色が流れてゆきます。
すわん江戸村に到着し、入口で靴を脱いで中に入り、受付の方に観劇料をお支払いして、劇場内の予約いただいている席を確認。
開演時間まで、すわん江戸村を探検しました。

すわん江戸村遠景
自然豊かな場所にあるというのがおわかりでしょう

別の角度から

ほとんどのお客さんは、自家用車でこの駐車場のあるところからすわん江戸村に入るのだと思います。

「江戸村」の名にふさわしく、江戸の街並みを再現した建物が並んでいます。
施設全体が江戸を感じるテーマパークのようになっています。すべて手作りなのだとか。



楽屋口の扉の横にあった板。
稽古を本番とおもえ
本番を稽古とおもえ

ここから中に入ります

屋敷の中も江戸の風情を再現していて楽しい



この先が芸道場、すなわち劇場です。

芸道場内部
※私が探訪した後に劇場内は改修されています。この写真は改修前の様子となります。
すわん江戸村のウェブサイトに改修後の場内写真が載っています。




昔ながらの芝居小屋の風情がある場内は心が安らぎます。
ここで、すわん江戸村および劇団紀州の由緒をご案内いたしたく、ウェブサイト掲載の内容を抜粋・要約させていただきます。
劇団紀州は2001年5月創立。元松竹所属の俳優、市川昇次郎が芸道場「すわん江戸村」を立ち上げる。
市川昇次郎は、旅回りの一座を切り盛りしていた叔父の影響で9才で初舞台を踏み、全国を渡り歩く。映画の時代劇俳優として活躍した後、和歌山市内でスナックを経営しながら舞台俳優を続けた。芸の面白さを伝え続けたところ、スナックの常連客から弟子入りを志願する声があがる。弟子が増え、きっちりと稽古できる場所が欲しいとの思いから、弟子たちと芝居小屋作りにとりかかる。時代劇の醍醐味を伝える場として、役者を目指す若者が稽古する場として出来上がった城が「すわん江戸村」である。
すわん江戸村は、「時代劇を若い世代に伝え後世に引き継ぎたい」という市川昇次郎さんの熱い思いが実を結び結晶化したドリームランドと言えそうです(ちなみに「すわん」というのは市川昇次郎さんが営んでいたスナックの名前にちなんでいるのだとか)。
そんな昇次郎さんの思いを受け止めた若者数名が、劇団紀州の座員として、食と住を保障された環境でひたすら芸を磨いています。
劇団紀州公演、昼の部は13時に開演しました。
第一部はお芝居
時代設定も衣装も普通の大衆演劇と同様。尺も60分です。
大衆演劇の芝居は主人公(通常座長が演じる)をいかに目立たせるか、というつくりになっていることが多いですが、劇団紀州に「座長」はいません(市川昇次郎さんは後見)。登場する役者それぞれが自分の持ち味を出し合って芝居を完成させているところに、ふだん観ている大衆演劇劇団の芝居との違いを感じました。
休憩をはさんで
第二部はグランドレビュー(舞踊ショー)。こちらも60分でした。

グランドレビューの様子


劇団紀州所属の歌手 春菜美保さん

ラストショー
15時40分に終演しました。
終演後は建物の外の駐車場でお客さんのお見送り。
役者さんはお見送りにたっぷり時間をかけていました。座員さんから積極的にお客さんに声をかけています。
地元密着型の大衆演劇劇団ならではの光景です。
私は帰りも海南駅まで送迎していただきました。
スタッフの方もきさくで、すわん江戸村はとてもアットホーム。
お芝居好きの地元の方のかけがえのない憩いの場となっているだろうことを実感しました。
また和歌山に行った際は是非再訪したいと思います。
* * *
せっかく海南市に来たので観光もしておきたい。
たまたま職場に海南市出身の同僚がいるので、周辺観光地を尋ねると「黒江の町並み」と「藤白神社」という回答が返ってきました。(ちなみにこの同僚はすわん江戸村の存在を知っていました)
黒江の町並みは昔歩いたことがあるので、今回は藤白神社に行くことにしました。
海南駅から藤白神社まではタクシーで5分もかからない場所にあります。

藤白神社入口
藤白神社は熊野参詣道(熊野古道)の藤白王子跡で、古来より「熊野三山の入口」と言われていました。鳥居の横にある石碑には「これより熊野路のはじめ」と書かれています。

本殿

熊野古道

「鈴木姓のふるさと海南」ののぼり
実はここは鈴木姓の発祥の地としても知られています。
熊野の豪族鈴木氏がここに移住して全国に3000以上の熊野神社を建立したことから、全国に鈴木姓が広まったそうです。

「鈴木屋敷復元の会」の札がある木戸。「鈴木さん、お声掛けください」「鈴木さん 今日はどちらから来られましたか」「鈴木さんご署名所」やたら鈴木さんに呼びかける掲示がある。

復元改修中(2019年5月)の鈴木屋敷。鈴木氏が全国に熊野信仰を広める拠点としていた場所。
すわん江戸村に遊びに行く方は、早めに海南駅に来て藤白神社を見学してみてはいかがでしょうか。
(2019年5月探訪)
これまで私が探訪してきた数多くの大衆演劇場の中でも、唯一無二で異色の劇場といえば「すわん江戸村」を挙げます。
通常、大衆演劇場では公演を打つ劇団が1か月ごとに入れ替わります。すわん江戸村は(10年くらい前まではそのような形態だったようですが)、外から劇団を招いて公演を行う劇場ではありません。「劇団紀州」という大衆演劇劇団の本拠地であり専用劇場なのです。
劇団紀州の役者はすわん江戸村という<芸道場>に居を定め、生活し修業し劇場の運営にあたっています。
大衆演劇の役者はほとんどが<旅役者>ですが、ここは数少ない例外となります。
すわん江戸村は和歌山県海南市の郊外、田畑や山や民家に囲まれた場所にあります。
それほど人口が多くない地域の決してアクセスがよいとは言えない場所にありながら、劇団紀州は週5日(木・金・土・日・月)の公演を年間を通じて行っているのです(コロナの影響で公演予定が変わるかもしれませんので詳細はすわん江戸村のウェブサイトをご覧ください)。
今回は、この私にとって大変興味深い大衆演劇場「すわん江戸村」を2019年5月に探訪した際の記録です。
* * *
すわん江戸村は、JRの黒江駅や海南駅から3km以上離れています。歩いてゆくにはちょっと遠い。
事前に電話したところ、海南駅まで迎えに来ていただけることになりました。(注:本ブログ執筆現在(2020年12月)送迎サービスは行っていないようです)

私の住む東京から和歌山は遠い。でも東京駅から海南駅まではたった乗り換え1回で行くことができます。
新幹線で新大阪駅に行き、そこから特急くろしおに乗り換えました。

JR海南駅に着きました。
約束の時間に改札付近におりますと、若い男性に声をかけられ(後で役者さんと判明)、車に案内されました。劇団紀州のファンという女性も乗せて、車はすわん江戸村に向かいました。車の窓に自然豊かな景色が流れてゆきます。
すわん江戸村に到着し、入口で靴を脱いで中に入り、受付の方に観劇料をお支払いして、劇場内の予約いただいている席を確認。
開演時間まで、すわん江戸村を探検しました。

すわん江戸村遠景
自然豊かな場所にあるというのがおわかりでしょう

別の角度から

ほとんどのお客さんは、自家用車でこの駐車場のあるところからすわん江戸村に入るのだと思います。

「江戸村」の名にふさわしく、江戸の街並みを再現した建物が並んでいます。
施設全体が江戸を感じるテーマパークのようになっています。すべて手作りなのだとか。



楽屋口の扉の横にあった板。
稽古を本番とおもえ
本番を稽古とおもえ

ここから中に入ります

屋敷の中も江戸の風情を再現していて楽しい



この先が芸道場、すなわち劇場です。

芸道場内部
※私が探訪した後に劇場内は改修されています。この写真は改修前の様子となります。
すわん江戸村のウェブサイトに改修後の場内写真が載っています。




昔ながらの芝居小屋の風情がある場内は心が安らぎます。
ここで、すわん江戸村および劇団紀州の由緒をご案内いたしたく、ウェブサイト掲載の内容を抜粋・要約させていただきます。
劇団紀州は2001年5月創立。元松竹所属の俳優、市川昇次郎が芸道場「すわん江戸村」を立ち上げる。
市川昇次郎は、旅回りの一座を切り盛りしていた叔父の影響で9才で初舞台を踏み、全国を渡り歩く。映画の時代劇俳優として活躍した後、和歌山市内でスナックを経営しながら舞台俳優を続けた。芸の面白さを伝え続けたところ、スナックの常連客から弟子入りを志願する声があがる。弟子が増え、きっちりと稽古できる場所が欲しいとの思いから、弟子たちと芝居小屋作りにとりかかる。時代劇の醍醐味を伝える場として、役者を目指す若者が稽古する場として出来上がった城が「すわん江戸村」である。
すわん江戸村は、「時代劇を若い世代に伝え後世に引き継ぎたい」という市川昇次郎さんの熱い思いが実を結び結晶化したドリームランドと言えそうです(ちなみに「すわん」というのは市川昇次郎さんが営んでいたスナックの名前にちなんでいるのだとか)。
そんな昇次郎さんの思いを受け止めた若者数名が、劇団紀州の座員として、食と住を保障された環境でひたすら芸を磨いています。
劇団紀州公演、昼の部は13時に開演しました。
第一部はお芝居
時代設定も衣装も普通の大衆演劇と同様。尺も60分です。
大衆演劇の芝居は主人公(通常座長が演じる)をいかに目立たせるか、というつくりになっていることが多いですが、劇団紀州に「座長」はいません(市川昇次郎さんは後見)。登場する役者それぞれが自分の持ち味を出し合って芝居を完成させているところに、ふだん観ている大衆演劇劇団の芝居との違いを感じました。
休憩をはさんで
第二部はグランドレビュー(舞踊ショー)。こちらも60分でした。

グランドレビューの様子


劇団紀州所属の歌手 春菜美保さん

ラストショー
15時40分に終演しました。
終演後は建物の外の駐車場でお客さんのお見送り。
役者さんはお見送りにたっぷり時間をかけていました。座員さんから積極的にお客さんに声をかけています。
地元密着型の大衆演劇劇団ならではの光景です。
私は帰りも海南駅まで送迎していただきました。
スタッフの方もきさくで、すわん江戸村はとてもアットホーム。
お芝居好きの地元の方のかけがえのない憩いの場となっているだろうことを実感しました。
また和歌山に行った際は是非再訪したいと思います。
* * *
せっかく海南市に来たので観光もしておきたい。
たまたま職場に海南市出身の同僚がいるので、周辺観光地を尋ねると「黒江の町並み」と「藤白神社」という回答が返ってきました。(ちなみにこの同僚はすわん江戸村の存在を知っていました)
黒江の町並みは昔歩いたことがあるので、今回は藤白神社に行くことにしました。
海南駅から藤白神社まではタクシーで5分もかからない場所にあります。

藤白神社入口
藤白神社は熊野参詣道(熊野古道)の藤白王子跡で、古来より「熊野三山の入口」と言われていました。鳥居の横にある石碑には「これより熊野路のはじめ」と書かれています。

本殿

熊野古道

「鈴木姓のふるさと海南」ののぼり
実はここは鈴木姓の発祥の地としても知られています。
熊野の豪族鈴木氏がここに移住して全国に3000以上の熊野神社を建立したことから、全国に鈴木姓が広まったそうです。

「鈴木屋敷復元の会」の札がある木戸。「鈴木さん、お声掛けください」「鈴木さん 今日はどちらから来られましたか」「鈴木さんご署名所」やたら鈴木さんに呼びかける掲示がある。

復元改修中(2019年5月)の鈴木屋敷。鈴木氏が全国に熊野信仰を広める拠点としていた場所。
すわん江戸村に遊びに行く方は、早めに海南駅に来て藤白神社を見学してみてはいかがでしょうか。
(2019年5月探訪)