WIKIレンタル 大衆演劇探訪記 2020年12月
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次世代の時代劇を担う若者が修行する芸道場、そして地元密着型の大衆演劇場 「すわん江戸村」

次世代の時代劇を担う若者が修行する芸道場、そして地元密着型の大衆演劇場 「すわん江戸村」

これまで私が探訪してきた数多くの大衆演劇場の中でも、唯一無二で異色の劇場といえば「すわん江戸村」を挙げます。

通常、大衆演劇場では公演を打つ劇団が1か月ごとに入れ替わります。すわん江戸村は(10年くらい前まではそのような形態だったようですが)、外から劇団を招いて公演を行う劇場ではありません。「劇団紀州」という大衆演劇劇団の本拠地であり専用劇場なのです。
劇団紀州の役者はすわん江戸村という<芸道場>に居を定め、生活し修業し劇場の運営にあたっています。
大衆演劇の役者はほとんどが<旅役者>ですが、ここは数少ない例外となります。

すわん江戸村は和歌山県海南市の郊外、田畑や山や民家に囲まれた場所にあります。
それほど人口が多くない地域の決してアクセスがよいとは言えない場所にありながら、劇団紀州は週5日(木・金・土・日・月)の公演を年間を通じて行っているのです(コロナの影響で公演予定が変わるかもしれませんので詳細はすわん江戸村のウェブサイトをご覧ください)。

今回は、この私にとって大変興味深い大衆演劇場「すわん江戸村」を2019年5月に探訪した際の記録です。

* * *

すわん江戸村は、JRの黒江駅や海南駅から3km以上離れています。歩いてゆくにはちょっと遠い。
事前に電話したところ、海南駅まで迎えに来ていただけることになりました。(注:本ブログ執筆現在(2020年12月)送迎サービスは行っていないようです)

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私の住む東京から和歌山は遠い。でも東京駅から海南駅まではたった乗り換え1回で行くことができます。
新幹線で新大阪駅に行き、そこから特急くろしおに乗り換えました。

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JR海南駅に着きました。

約束の時間に改札付近におりますと、若い男性に声をかけられ(後で役者さんと判明)、車に案内されました。劇団紀州のファンという女性も乗せて、車はすわん江戸村に向かいました。車の窓に自然豊かな景色が流れてゆきます。

すわん江戸村に到着し、入口で靴を脱いで中に入り、受付の方に観劇料をお支払いして、劇場内の予約いただいている席を確認。
開演時間まで、すわん江戸村を探検しました。

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すわん江戸村遠景
自然豊かな場所にあるというのがおわかりでしょう

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別の角度から

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ほとんどのお客さんは、自家用車でこの駐車場のあるところからすわん江戸村に入るのだと思います。

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「江戸村」の名にふさわしく、江戸の街並みを再現した建物が並んでいます。
施設全体が江戸を感じるテーマパークのようになっています。すべて手作りなのだとか。

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楽屋口の扉の横にあった板。
稽古を本番とおもえ
本番を稽古とおもえ

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ここから中に入ります

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屋敷の中も江戸の風情を再現していて楽しい

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この先が芸道場、すなわち劇場です。

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芸道場内部

※私が探訪した後に劇場内は改修されています。この写真は改修前の様子となります。
すわん江戸村のウェブサイトに改修後の場内写真が載っています。

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昔ながらの芝居小屋の風情がある場内は心が安らぎます。


ここで、すわん江戸村および劇団紀州の由緒をご案内いたしたく、ウェブサイト掲載の内容を抜粋・要約させていただきます。

劇団紀州は2001年5月創立。元松竹所属の俳優、市川昇次郎が芸道場「すわん江戸村」を立ち上げる。
市川昇次郎は、旅回りの一座を切り盛りしていた叔父の影響で9才で初舞台を踏み、全国を渡り歩く。映画の時代劇俳優として活躍した後、和歌山市内でスナックを経営しながら舞台俳優を続けた。芸の面白さを伝え続けたところ、スナックの常連客から弟子入りを志願する声があがる。弟子が増え、きっちりと稽古できる場所が欲しいとの思いから、弟子たちと芝居小屋作りにとりかかる。時代劇の醍醐味を伝える場として、役者を目指す若者が稽古する場として出来上がった城が「すわん江戸村」である。

すわん江戸村は、「時代劇を若い世代に伝え後世に引き継ぎたい」という市川昇次郎さんの熱い思いが実を結び結晶化したドリームランドと言えそうです(ちなみに「すわん」というのは市川昇次郎さんが営んでいたスナックの名前にちなんでいるのだとか)。
そんな昇次郎さんの思いを受け止めた若者数名が、劇団紀州の座員として、食と住を保障された環境でひたすら芸を磨いています。


劇団紀州公演、昼の部は13時に開演しました。

第一部はお芝居
時代設定も衣装も普通の大衆演劇と同様。尺も60分です。
大衆演劇の芝居は主人公(通常座長が演じる)をいかに目立たせるか、というつくりになっていることが多いですが、劇団紀州に「座長」はいません(市川昇次郎さんは後見)。登場する役者それぞれが自分の持ち味を出し合って芝居を完成させているところに、ふだん観ている大衆演劇劇団の芝居との違いを感じました。

休憩をはさんで
第二部はグランドレビュー(舞踊ショー)。こちらも60分でした。

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グランドレビューの様子

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劇団紀州所属の歌手 春菜美保さん

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ラストショー

15時40分に終演しました。

終演後は建物の外の駐車場でお客さんのお見送り。
役者さんはお見送りにたっぷり時間をかけていました。座員さんから積極的にお客さんに声をかけています。
地元密着型の大衆演劇劇団ならではの光景です。

私は帰りも海南駅まで送迎していただきました。

スタッフの方もきさくで、すわん江戸村はとてもアットホーム。
お芝居好きの地元の方のかけがえのない憩いの場となっているだろうことを実感しました。

また和歌山に行った際は是非再訪したいと思います。

* * *

せっかく海南市に来たので観光もしておきたい。
たまたま職場に海南市出身の同僚がいるので、周辺観光地を尋ねると「黒江の町並み」と「藤白神社」という回答が返ってきました。(ちなみにこの同僚はすわん江戸村の存在を知っていました)

黒江の町並みは昔歩いたことがあるので、今回は藤白神社に行くことにしました。
海南駅から藤白神社まではタクシーで5分もかからない場所にあります。

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藤白神社入口

藤白神社は熊野参詣道(熊野古道)の藤白王子跡で、古来より「熊野三山の入口」と言われていました。鳥居の横にある石碑には「これより熊野路のはじめ」と書かれています。

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本殿

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熊野古道

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「鈴木姓のふるさと海南」ののぼり

実はここは鈴木姓の発祥の地としても知られています。
熊野の豪族鈴木氏がここに移住して全国に3000以上の熊野神社を建立したことから、全国に鈴木姓が広まったそうです。

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「鈴木屋敷復元の会」の札がある木戸。「鈴木さん、お声掛けください」「鈴木さん 今日はどちらから来られましたか」「鈴木さんご署名所」やたら鈴木さんに呼びかける掲示がある。

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復元改修中(2019年5月)の鈴木屋敷。鈴木氏が全国に熊野信仰を広める拠点としていた場所。

すわん江戸村に遊びに行く方は、早めに海南駅に来て藤白神社を見学してみてはいかがでしょうか。

(2019年5月探訪)

追悼武春師匠 浪曲師国本武春と大衆演劇コラボ公演の思い出

追悼武春師匠 浪曲師国本武春と大衆演劇コラボ公演の思い出

2015年12月24日、「うなるカリスマ」こと浪曲界のスーパースター国本武春師匠がお亡くなりになりました。55才という若さでした。
浪曲ファンのショックはとても大きく、誰もが浪曲界に大きな穴がぽっかり空いたような心地だったと思います。

実は武春師匠は、お亡くなりになる直前に大衆演劇公演に出演していました。
武春師匠をゲストに招いたのは橘菊太郎劇団の橘大五郎座長です。
2014年9月25日に篠原演芸場で、2015年8月18日に浅草木馬館で、浪曲師国本武春師匠と橘菊太郎劇団のコラボ公演が行われました。私はどちらの公演も仕事を休んで観に行き、写真とメモを記録に残しましたが、これらの公演をブログで紹介するつもりはありませんでした。この先も武春師匠と大衆演劇のコラボ公演が続くことを期待し、ネタばれになるブログ記事の掲載を避けようと思ったのです。

コラボ公演から数か月後、突然の訃報に接しました。あまりの驚きと無念さで茫然としました。
それから月日が流れ、武春師匠亡き後の浪曲界は盛り上がりをみせはじめています。天国にいる武春師匠もこの状況を喜んでいることでしょう。浪曲ファンは浪曲の将来に期待を寄せつつも、今もなお、ふとした刹那に武春師匠の喪失感が胸に去来することに抗えないでしょう。そして思い出というものが時間とともに遠ざかって薄らいでゆくという宿命にさみしさを覚えるでしょう。武春師匠が亡くなって5年。私はあの大衆演劇とのコラボ公演の思い出をブログに残し、浪曲ファン、大衆演劇ファンの皆様と共有したいという思いに駆られました。

* * *

浪曲師国本武春と大衆演劇コラボ公演の思い出

1.2014年9月25日 国本武春師匠×橘菊太郎劇団 於:篠原演芸場

第一部 お芝居
第二部 舞踊ショー
第三部 「忠臣蔵」 殿中・刃傷~田村邸の別れ~吉良邸討ち入り

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篠原演芸場の屋外に掲示されている演目表

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演芸場内部 ゲスト予告掲示

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第一部お芝居、第二部舞踊ショーが終わり、第三部「忠臣蔵」までの休憩時間。舞台下手、花道の近くに武春師匠の演奏場所が設けられます。

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国本武春師匠のCD「大忠臣蔵」
三味線演奏と唄と語りで忠臣蔵の物語を楽しく、哀しく演じている武春師匠の傑作。
浪曲ではなく、語り入りの三味線ロック、三味線バラードという感じです。
大衆演劇コラボ舞台「忠臣蔵」は、このCDの構成をベースにアレンジを加え、武春師匠の演奏・唄・語りに合わせて、橘劇団の劇団員が演じるという、節劇スタイルの内容でした。

-武春師匠登場-

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篠原演芸場に武春師匠登場!

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お客さんに語りかける武春師匠

まずおなじみの掛け声講座から入ります。
まあ篠原演芸場のお客さんのノリの良いこと。師匠の指導のとおりに「待ってました~!」「たっぷり~!」「名調子!」と掛け声をかける客さん。
あっという間に会場が暖まり、舞台と客席が一体となりました。さすが武春師匠。

以下、表情豊かな武春師匠の思い出の写真を何枚か。

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-殿中・刃傷-

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ドラムの音(録音)に合わせて武春師匠の三味線と唄。

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饗応使 浅野内匠頭(橘大五郎座長) 登城

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浅野内匠頭と吉良上野介

吉良上野介が浅野内匠頭を罵る場面は、演奏が一時止まり劇団員による台詞芝居。
上野介が「鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ」と内匠頭を罵倒します。

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そこに武春師匠が割ってはいる。
ちょっとちょっとそんなんじゃだめだよ。

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もっとにくたらしくやらないと。声はこう、表情はこう。

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お手本を見せる武春師匠。
会場大爆笑。

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刃傷に及んだ浅野内匠頭。

-田村邸の別れ-

舞台は田村邸に早変わり。
田村右京太夫の屋敷での浅野内匠頭の切腹は間近。

武春師匠の演奏・唄はうってかわってバラードに。

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田村邸の庭先で片岡源吾右衛門(橘大五郎座長)が待っているところに、

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浅野内匠頭(橘良二)が現れる。

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殿との最後の面会にうちふるえる片岡源五右衛門

このシーンの曲には、「語り」の部分があります。その部分をCDの歌詞カードから抜粋します。

「殿!」
「そちゃ そちゃ源吾 誰が許しでこの庭先へ・・・おぬしの来る所ではない!退がれ、行け!退がりおろうぞ!!」
「アー、いや浅野殿 これは拙者主君 田村右京太夫格別の計らい・・・ 人目に掛からぬうちにせめてこの世のお名残を・・・」
かたじけないと内匠頭
「源吾・・・そちゃ、よく来たのう・・・」
「殿・・・ご胸中お察し申し上げます・・・」
胸に迫りて言葉なく
「殿、何か何かご遺言あられますれば、この源吾右衛門しかと承るでござります」
「いや、余はこの期に望み残しはさらになし・・・が、しかし国に帰れば・・・国に帰れば内蔵助に、・・・余は無念じゃと伝えておけ・・・」


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「源吾・・・もうこの世では会えぬぞよ さらば・・・さらばじゃ!!」
行かんとすれば 今しばらくと立ち上がり長矩の袴の裾を源吾右衛門、取りすがろうとするならば、
「え~い源吾、離せ!!離さんか!!この未練者めが!!」

涙、涙。とても胸にせまる場面でした。

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殿の無念を晴らさんと誓う片岡源吾右衛門

-吉良邸討ち入り-

田村邸の別れから1年9か月後。元禄15年12月14日。次はいよいよ討ち入りの場面です。
四十七士の討ち入りにお客さんも参加してほしいとのこと。唄の中の「アコーロウシ」の歌詞に合わせて手を動かします。
場面転換の時間を使って、武春師匠指導による振り付けの練習がありました。やはりお客さんノリノリ。

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劇団員が舞台でお手本を見せる。

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CD「忠臣蔵」の歌詞カード掲載の振り付け。

武春師匠のラップ調のロック三味線が鳴り響きます。
「あこ~~ろぅし」のところではお客さんが唱和&振り付け。

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大石内蔵助(橘大五郎座長)をリーダーとする赤穂浪士
「討ち入りだ~!オー!」

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吉良上野介を探す赤穂浪士

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納屋に隠れていた上野介を発見し引きずりだす

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吉良を打ち取り、君主の無念を晴らす

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ラストシーン
殿長矩が眠る泉岳寺に集う赤穂浪士

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終演後の口上挨拶

大五郎座長は、古いものを大事にしながら新しいことに挑戦する武春師匠をテレビで見て、何年も前から共演したいと思っていたそうです。9月初めに大五郎座長が木馬亭で武春師匠に声をかけて共演をお願いしたら、快く承諾してくれて、武春師匠の予定が空いている25日にコラボ公演を行うことになったとのこと。
稽古をしたのは、この前の日の夜と当日のたった2回だそうです。
それだけでこのように完成された舞台を仕上げてしまう橘劇団・武春師匠・篠原演芸場スタッフのプロフェッショナルさに感嘆しました。
お芝居・舞踊ショー・「忠臣蔵」の三部構成。これで木戸銭1,600円なのが大衆演劇のすごいところです。


2.2015年8月18日 国本武春師匠×橘菊太郎劇団 於:浅草木馬館

演目
第一部 お芝居
第二部 浪曲「紺屋高尾」
第三部 舞踊ショー
第四部 「忠臣蔵」 殿中・刃傷~田村邸の別れ~吉良邸討ち入り


武春師匠と橘劇団の2回目のコラボ公演。
今回は前回の「忠臣蔵」に加え、浪曲「紺屋高尾」もあります。

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木馬館内の予告掲示
「18日 特別出演 国本武春 大衆演劇×浪曲・特別狂言 忠臣蔵」

浪曲「紺屋高尾」

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テーブル掛けも用意した生粋の浪曲口演

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木馬館に沢村豊子師匠登場!
浪曲を知らない方のために一応記しておきますと豊子師匠はその技量の高さで浪曲界ではレジェンド的な存在の方です(ふだんはおちゃめです)。
豊子師匠は木馬館の客席でもお見かけしたことあります。たまにお客さんとしても来ているようです。
木馬館の階下は言わずもがな、浪曲定席の木馬亭。

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浪曲口演中の武春師匠

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浪曲の中で高尾太夫が登場すると、木馬館の下手からも・・・

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紺屋の職人の久蔵の前に現れた花魁高尾太夫(橘大五郎座長座長)

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舞台上手が高尾の部屋

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高尾太夫は久蔵に来年3月に嫁ぐことを約束し、大五郎座長の花魁は舞台から退場。もう大五郎座長の出番はないと思われましたが、

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浪曲の終盤、高尾も仕事に精を出し久蔵の店が大繁盛となったところで、すっかり紺屋の姿になった高尾が登場

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浪曲終演

「忠臣蔵」

構成は前年の篠原演芸場での「忠臣蔵」と同じでしたが、舞台セットは大きく変わっていました。

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さすが木馬館と思わせる大襖
中が涙した
当の忠義
士達の
に散った主君の仇討

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大襖から武春師匠登場

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舞台上手に着席

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おなじみ掛け声講座
武春師匠「もういっかい出ますのでよろしくお願いします」
お客さん「待ってました~!」

-殿中・刃傷-

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松の廊下の背景が見事

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浅野内匠頭長矩(橘大五郎座長)登場

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浅野内匠頭と吉良上野介

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武春師匠の演技指導

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殿中で刃傷

-田村邸の別れ-

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花が咲き乱れる田村邸

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片岡源吾右衛門(橘大五郎座長)が田村邸へ

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浅野内匠頭登場

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「殿!」「そちゃ源吾!」

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切腹の覚悟をきめている内匠頭は取りすがる源吾右衛門を振り切って去ってゆく。

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殿~

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吉良上野介への恨み、はらさでおくべきか

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-吉良邸討ち入り-

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四十七士の名を連ねた幕!

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「アコーロウシ」の振り付け練習

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「アコーロウシ」の「シ」のポーズ。指は4本。

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山鹿流陣太鼓を手に大石内蔵助(橘大五郎座長)登場

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吉良の屋敷に押し入った赤穂浪士
暗闇の中探し回る
何処だ 吉良は何処だ いない 見つからない
武春師匠を見つけたある浪士「いたぞ!」 武春「違う!」
ついにピーという笛の音
居たぞ 吉良を見つけたぞー

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吉良殿、お覚悟!

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吉良を討ち取った内蔵助

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吉良の首を抱く内蔵助
赤穂浪士一行は殿が待つ泉岳寺へ

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襖の後ろに去ってゆく内蔵助

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ラストシーン

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終演後の舞台挨拶

大五郎座長が呼んで豊子師匠も舞台に出てきました
大五郎座長「顔を出すのも嫌だと言ってたのですが出ていただきました」
武春師匠「話し出すと長いんですけどね」

木馬館公演は四部構成でした。
篠原演芸場も良かったですが、木馬館の舞台セットもまた素晴らしかった。
木馬館は特別公演であっても木戸銭は変わりません。これだけ充実した内容で1600円です。

* * *

大大成功だった武春師匠と橘菊太郎劇団とのコラボ公演。
浪曲、大衆演劇双方の新しい未来が見えた素晴らしい内容でした。
武春師匠はお亡くなりになってしまったけれどとても貴重な思い出を残してくださいました。
そして「伝統を大事にしながら新しいことに挑戦する」精神はしっかりと橘大五郎座長に引き継がれていることと思います。

武春師匠、楽しい思い出をありがとうございました。

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福島県の山の中 静かな冬の温泉街で観た旅芝居 「芦ノ牧プリンスホテル」

福島県の山の中 静かな冬の温泉街で観た旅芝居 「芦ノ牧プリンスホテル」

今回は福島県の芦ノ牧温泉での旅芝居公演の探訪記です。

芦ノ牧温泉は会津若松から南方へ車で30分ほどの山間いの地にある温泉街です。日本海に注ぐ阿賀野川の遠い上流にあたる大川が芦ノ牧温泉街を囲むように壮大な渓谷を形成しています。

温泉地としての歴史は古いですが、交通の不便さ故、長い年月近隣地域の湯治場として利用される秘湯でした。
昭和40年代から観光温泉地として発展していったようです。

昭和30年代から全国の旅芝居の芝居小屋は大変な勢いで姿を消してゆきました。観光温泉地は活動場に窮した劇団の受け皿となったことでしょう。今回観劇した劇団三ツ矢の三ツ矢洋次郎座長は、かつては芦ノ牧温泉に5か所くらい公演地があったとおっしゃっていました。

会津若松市のサイトで芦ノ牧温泉の観光施設利用者数データを確認しました。
1992年(平成 4) 538,807人
2019年(平成31) 230,764人

二十数年で半数以下になってしまいました。2011年の原発事故の年には風評被害でかなり落ち込み、その後大きく回復することができなかったようです。2020年はコロナ禍によりさらに深刻な状況となっているでしょう。

私が探訪したのはコロナ禍前の2019年2月。その探訪記をレポートします。

* * *

今回目指すのは芦ノ牧温泉街にある芦ノ牧プリンスホテル。
ここでは年にひと月かふた月大衆演劇公演が行われています。
公演は午前中に開演します。ですから東京を朝出発して、芦ノ牧温泉での公演に間に合わせるのは難しい。
私は前日郡山入りしていました。

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9:52郡山発会津若松行きのJR磐越西線に乗ります。

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会津若松駅で乗り換え。
9:19会津若松発リレー号に乗ります。
これに乗ると9:40に芦ノ牧温泉駅に到着します。

リレー号は、会津若松-西若松のJR区間から西若松-会津田島の会津鉄道区間をリレーするように運行する列車です。

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私はJR区間の切符しか買っていなかったので、車内で会津鉄道区間の運賃の精算をしました。

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芦ノ牧温泉駅
ここから温泉街まではかなり遠い。
宿泊先に送迎を頼むかタクシーを使うかしないといけません。

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芦ノ牧温泉駅にはねこ駅長がいるそう。
過去には初代猫駅長がカメラのフラッシュ撮影で失明してしまったようです。かなり多くの観光客のカメラのフラッシュを受けたことでしょう。今はカメラ撮影自体が禁止されています。
今はもうない大衆演劇場で、フラッシュを使っての撮影をやめない客がいたからとのことで写真撮影自体禁止になっていたところがあったことを思い出しました。

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冬の芦ノ牧温泉街遠景
大型旅館がいくつも建っています。

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温泉街はとてもひっそりとしていました。
あちこちの景色に衰退しつつある温泉街の陰りを感じます。
芦ノ牧温泉劇場というストリップ小屋も長らく奇跡のように存在していましたがついに2018年に閉館となってしまいました。

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芦ノ牧プリンスホテル
本日はここで大衆演劇公演を観劇します。
温泉街には人影がほとんどなく、のぼりもなく、外見だけでは芝居が行われる雰囲気はありません。
いちおう正面入口上に「大好評 大衆芝居 公演中」と書かれた垂れ幕が吊ってあります。

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ホテルのロビー
正面入り口とフロントが見えています。
フロントで観劇受付をしました。

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ロビーの窓から大川荘が見えます。
探訪した際は大川荘でも大衆演劇公演が行われていました。
大川荘は内部が鬼滅の刃の無限城に似ているということで現在話題になっているようですね。

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食事会場兼大衆演劇場は2階

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2階廊下

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会場
お客さんがたくさん集まっていました。年齢層はかなり高い。
ほとんど老人会等の団体客でしょう。ミカンやお菓子を机に置いて歓談しています。
旅芝居地方公演場の風景、といったキャプションをつけて何かの雑誌に載せたいくらいいい風景です。

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畳、低い長机、座布団。味わいのトライアングル、申し分ありません。


芦ノ牧プリンスホテルの大衆演劇公演は1日1回。
それも午前の10時30分から始まります。

会津若松周辺の大衆演劇場の開演時間をまとめてみましょう。
・芦ノ牧プリンスホテル 10時30分
・大川荘(芦ノ牧温泉) 10時
・ホテルふじや(喜多方)10時

ホテル公演では午前中開演はよくあります。宿泊客がチェックアウト後に時間のロスなく観劇できます。
会津若松周辺の旅芝居観劇文化も「午前に観劇」で定着しているのでしょう。

2019年の芦ノ牧プリンスホテルの旅芝居公演は2月だけ。
公演を任されているのは三ツ矢洋次郎率いる劇団三ツ矢。
私も妻も洋次郎座長ファン。劇団三ツ矢は劇団に伝わる昔ながらの芝居を大事にしているのが好きです。

10:30第一部お芝居開演。
この日の芝居は、劇団三ツ矢定番の「廻る人生」。
会場は和気あいあいとしていています。芝居中に老人がつぶやいたりするのも、このような公演会場の場合は場の和みになります。ユルい客席に呼応して芝居前半はユルユルで進行。役者のアドリブに客席はよく反応して、舞台と客席の空間全体が和やかな雰囲気に包まれます。後半は洋次郎座長がシリアスに締めました。

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11:30に第一部お芝居が終わって口上挨拶。

洋次郎座長は、父親も芦ノ牧温泉で公演をしたことがあり、自分は32年ぶりに芦ノ牧に乗ったと言っていました。

なんと洋次郎座長は前日に私のホームグラウンドである川崎大島劇場でゲスト出演して、先ほど芦ノ牧温泉に戻って来たばかりとのこと。

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ツイッターを見ると、前日に洋次郎座長が、芦ノ牧から川崎に向かう途中の大宮でツイートしていました。
会津若松駅-芦ノ牧温泉間で車を使えば、早朝に東京を出て10時頃芦ノ牧温泉に着くことができるのですね。

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口上挨拶の後は昼食の時間。

ここでは日替わりの軽食があり、うどん、そば、玉子丼が600円とのことでした。多くのお客さんはうどんを食べていました。
私は1100円の弁当を予約していました。
弁当配膳後スタッフに追加でビールを注文しました。伝票のようなものがないので、どのように支払えばよいか尋ねると、帰りにフロントに声をかけて払ってくださいとのこと。いいですねこのゆるさ。

12:30第二部 舞踊ショー開演
福島や新潟の公演地は、芝居60分+舞踊ショー45分の105分構成であることが多い。

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公演中の様子。洋次郎座長の女形。

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三ツ矢洋次郎座長

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劇団三ツ矢に特別出演中の北条嵐さん。
本気で芝居したら凄いのだけれど、たいてい力を抜いた見てて疲れない演技をしてくれます。この日の芝居の前半のようなユルユル芝居はまさにお手のもの。

13:15公演が終了しました。団体のお客さんが帰ってゆきます。

私もビール代を支払ってホテルを出ます。
先ほどの公演会場の賑わいが嘘のように、芦ノ牧温泉街は静かでうら寂しい。

逆に言えば全国各地にあるうら寂しい町に、つかの間の夢のような世界をもたらすことができるのが旅芝居。
地方巡業専門の旅芝居興行師という職業は成立するだろうか、などと私は想像上の職業を夢想し憧れるのでした。

(2019年2月探訪)


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東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
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