WIKIレンタル 大衆演劇探訪記 2014年05月
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オリエンタルなビンゴの殿堂 「東洋健康ランド 岐阜」

岐阜県にあるセンター「東洋健康ランド」を訪ねました。

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名鉄岐阜駅近くに「無料バス待合所」があります。
たいていの健康ランドは駅前から送迎バスがでていますが、このように専用の待合所の建物があるのは初めて見ました。
なかなかレトロな趣きがあります。これから目指す大衆演劇場への期待感が増します。

送迎車は待合所でお客さんを乗せた後、JR岐阜駅前でもお客さんを拾って郊外へ向かいました。

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ここが東洋健康ランド。
広い駐車場があります。

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正面入口。
建物の造形といい屋根の上の電飾といい、施設名のとおりオリエンタルな何かを感じさせます。

電飾看板は左から「サウナ」「ミストバス」「プール」「東洋健康ランド」「檜風呂」「食事」「大小宴会」「コンパ」「カラオケ」「健康と美容・レジャーの殿堂」
でた!『殿堂』の文字。私の経験上、自ら『殿堂』と謳っている大衆演劇場は昭和の香り高い味わい深い施設であることが多い。
この看板だけでなく、この健康ランドはお客さんへの文字情報がとても多いです。

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出入口のガラス扉にも掲示がいっぱい。

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1回のロビーの一角に積まれていた品々。
「炎のビンゴゲーム」の掲示があります。ビンゴの景品のようです。

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イベントカレンダーを見ると、毎日2回のビンゴゲームがプログラムされています。
「ビンゴ」「炎のビンゴ」「謝恩ビンゴ」「スーパービンゴ」「特別ビンゴ」「特別無料ビンゴ」
どういう違いがあるのだろう。
とにかく、ここは大衆演劇だけでなくビンゴにも力を入れているよう。

私は夕方前にこの施設に来ました。
この日の夕方のプログラムは
18:00~スーパービンゴ
19:00~大衆演劇(舞踊ショー)
でした。

ビンゴゲームと大衆演劇公演は1階の大広間レストランで行われます。

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「大広間レストラン」 実にわかりやすい名前の部屋です。
かなり広い。

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前方はカーペット。
タオルで席とり。

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後方は畳。
座椅子(200円)や腰掛椅子(310円)の貸出もあります。

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張り出しミニ花道

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花道

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セルフの給水器。この施設はとにかくハリガミが多い。

ビンゴゲームの時間が近づくと老若男女が手にカードを持って大広間に集まります。
多くのお客さんがカードを10枚持っており、それをテーブル上に並べています。ここでは当たり前の光景なのでしょうが私は最初少し異様な感じがしました。

一般的なレクリエーションで行うビンゴでしたら、ひとり1枚カードが配られて当たる確率もみんな一緒というのがふつうだと思います。
ここでは持ちカードの制限はないようです。カードをたくさん持ってもらうことで(商品もたくさん用意して)よりエキサイトしてもらおうという趣向のようです。
ビンゴに参加したけど自分のカードに全然穴があかなくて途中で悲しい気分になってしまった、という経験は誰しもあるでしょう。たくさんカードがあればそういう思いをしなくて済みます。

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ビンゴカードは5枚、10枚とまとめて売っています。正確には商品を買ったオマケとしてビンゴカードがついています。そういう仕組みにしないとなにかの都合が悪いのでしょう。

18時。
射幸心に満ちた静かなオーラが部屋じゅうに充満するなか、「スーパービンゴ」が始まりました。
商品は100点用意してあるとのこと。

手慣れた感じの男性従業員が次々に当たり番号を読み上げてゆきます。
それを補助スタッフの女性が表示します。

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とても立派なそして昭和な感じのビンゴ当たり番号表示版。

ビンゴにあたったら、何かの景品があたるクジを引けるというルール。
だから早くビンゴしたからとっていい景品になるわけではありません。勝負はその後のクジ運。

特賞は「扇風機」「炊飯器」「スチームクリーナー」でした。
あとは「マット」「観葉植物」「クッション」「タオル」といったあたりさわりのないもの。
「招待券1枚」「ビンゴカード引き換え券」「食事券」「ポテトフライ券」「コーヒー券」「コロッケ券」といった券ものも多かったです。
商品だけみるととても庶民的なビンゴです。

18:35ビンゴ終了。あれだけ多くの商品をビンゴでさばくのに35分で終わりました。さすがにビンゴ運営慣れしています。

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レジャーの殿堂にはもちろんゲームコーナーもあります。
みたことのないマシーンだ。

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これは一体何なのでしょうか。

微妙に謎めいた雰囲気をもっている温泉ランド。

メイン施設であるお風呂もかなりオリジナリティがありました。
なんと浴場の中にプールがあるのです。子供が泳いでいました。
建物の屋根の上の電飾看板の「プール」はこのことだったのか。

19時に舞踊ショーが始まりました。
夜の部は、火と金はお芝居もやるけれどそれ以外の日は舞踊ショーのみ。何でこんな中途半端な感じなのだろう。

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劇団勇舞におおみ劇団がゲスト参加していました。

帰りも無料送迎バスを使って岐阜駅へ移動しました。

利用料金も安く、地元の庶民の方々が気軽にくつろぎにゆく健康ランドだと思います。
庶民の生活とともにある大衆演劇の姿をここでも見ることができました。

(2013年8月探訪)

大衆演劇と浪曲で楽しむ東京① 小岩湯宴ランド 劇団新と浪花ぶしの会

大衆演劇と浪曲で楽しむ東京① 
小岩湯宴ランド 劇団新と浪花ぶしの会

私は大衆演劇だけでなく浪曲という大衆芸能も好きだ。

大衆演劇も浪曲も同じ日に楽しめてしまう全国唯一?の施設が東京にある。

「小岩湯宴ランド」は東京で唯一、常打ちで大衆演劇公演を行っているセンター。
ここでは月に1度「浪花ぶしの会」の日がある。
浪花節=浪曲。つまり浪曲公演が行われる日なのです。

湯宴ランドの大衆演劇の昼の部は13:30~16:00、夜の部は18:30~21:00。
昼の部と夜の部の間の時間を埋めるようにほぼ毎日、16:30からイベントが行われます。
基本は、温泉ランド定番の「ビンゴ大会」ですが、歌謡ショーや落語のときもあります。
そして、大衆演劇<昼の部>と<夜の部>の間に浪曲を行うという、まるで私のためにあるような日が月に1度やってきます。

この「浪花ぶしの会」があるのは決まって火曜日。
火曜日に会議が入ることが多い私はなかなかこの日に仕事を休むことができませんでした。
機会をうかがうこと数年。
2014年3月、ついに浪花ぶしの会の当日に振替休暇を取得することが実現しました。

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小岩駅から歩いて数分。ここが湯宴ランド。

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入口扉脇の掲示。
今月は東京大衆演劇協会所属劇団新。

入口で靴を下駄箱に入れて受付へ。
浮足立っていた私はここでミステークに気づく。
演劇グラフのクーポン券を忘れてしまった。あれがあれば1,575円で入場できたのに。(定価は2,415円)
仕方なく普通の会員料金1,890円で入館。私は小市民なのでこういうことでとてもくやしがるのであります。

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館内の掲示「今月の湯宴寄席」
今日の浪花ぶしの会の出演者は、東家浦太郎、東家孝太郎です。個人的には当りの日。

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「浪花ぶしの会」の掲示

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なにはともあれ、まずはお風呂へ。

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のんびりお風呂とサウナを楽しんだ後、7階の湯宴座へ。
土日はお客さんでいっぱいだけれども平日は席の確保には苦労しない。

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この日のお外題。

ファミリー劇団「劇団新」の公演の始まり。

昼の部のお芝居は定番の「平公の恋」
何人かの座長の平公を見ましたが今回見た龍新が一番よかった。
フガフガ声をいかに客にストレスなく聞かせるかがポイント。

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舞踊ショー。
龍新座長の弟 龍錦16歳、妹 小龍優14歳。
ちょっと見ないうちにこの二人が役者としてとても成長していた。
特に小龍優はこの若さでアドリブ上等の溌剌としたパフォーマンス。今後が楽しみ。
錦は今アニメにはまっていて、現実の女の子よりアニメキャラの方が今は好きらしく、お兄さんの龍新が心配していました。

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劇団指導後見、龍児

実はこの日は3月11日、大震災から3年目でした。
龍児指導後見は挨拶の際に当時のことを以下のように振り返っていました。

3年前の3月も劇団新は小岩湯宴ランドで公演をしていた。
章劇の澤村章太郎座長と澤村蓮がゲストで来ていた。
第1部のお芝居が終わって2部が始まる前に地震が起こった。舞台上の上手・下手にある照明機材がのったメタルラックなどをみんなであわてておさえた。舞台袖にあった機材が落ちてきて龍児後見の頭に落ちた。劇団員が救急車を呼んだ。約3時間後に救急車が湯宴ランドに到着し龍児後見は運ばれた。

ということがあったそうです。

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特別出演桂木昇。桑田劇団座長との肩書きでした。
私が大衆演劇を見始めたときにはもう桑田劇団は活動していなかった(と思う)。
一度見てみたかった役者でした。

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桂木昇の女形

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昼の部ラストショー。
魔王のようないでたちの龍新座長。

いつもであれば昼の部が終わると、お客さんの多くは4階に流れる。
16:30からビンゴゲームが始まるのです。
食事処も兼ねた4階敬天の間はビンゴをもったお客さんでいっぱいになります。

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ところが今日は浪花ぶしの会の日なのでビンゴはなし。敬天の間はこのように閑散としておりました。
ビンゴではなく歌謡ショーが行われることがあります。その場合もこの部屋が会場となります。

私は浪曲公演もここでやるものと早合点していましたが、別の間で行われることに当日になって気が付きました。

湯宴寄席(落語・浪曲)は4階の「ふれあいの間」というところで行われます。

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ふれあいの間の前に浪花ぶしの会の掲示がでていました。
私はこの部屋に入るのは今日が初めてです(というかこんなところに広間があったことを知りませんでした)

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ふれあいの間

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屏風、テーブルかけ、マイクがセットしてあり準備万端

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お客さんがタオルで席取りするのは大衆演劇場っぽい。

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寄席らしさを演出するためにとりつけられたのだろう提灯。
でもいまいち部屋と調和していない。

開演を待つ間部屋にBGMはなし。なにかさみしい。

開演時間近くにになって席取りをしていたお客さんが部屋に戻ってきました。
集まった客さんは22名。男12、女10と約半々。
私を含む20名は湯宴ランドの館内着を着ています。おそらくみなさん大衆演劇メインで来た方でしょう。
もう2名は私服。木馬亭でもお見かけしたことのあるあの方々は浦太郎師匠のファンと思われます。

湯宴ランド従業員の司会で会が始まりました。
この司会がさえないというか、まあ従業員が事務的にやっているのだから当然でしょうけれども、場が盛り上がらない。

客席にも「これから始まる浪曲を楽しもう」という空気がない。
この雰囲気でトップバッターはやりずらいだろうなー。と思っているうちに東家孝太郎が登場。
演目は「闇に散る小判」

浪曲師がはじめの節をうなり終える。木馬亭であればここで拍手が起こる。がここでは誰も拍手しない。ほとんどのお客さんは拍手のしどころを知らないのだろうからそれはそうでしょう。ここは私と浦太郎ファンの3人が率先して拍手をして盛り上げるべきところ・・・だったのかもしれませんが、「一人だけ拍手」という気まずい雰囲気になる確率の方が高いと思われました。

東家孝太郎の一席が終わって、めくりの名前が変わります。
めくりの紙はプリンターで出力したものをつなげて作ってあります。従業員スタッフの作品でしょう。

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続いて登場したのが浦太郎師匠。

先ほどのは弟子の孝太郎、入ってまだ2,3年で未熟です。私も未熟ですが勉強させてもらいます。
ここの浪曲会のメンバーは私が決めております。今日は港家小柳の出演の予定でしたが、病気になりましたので、急遽私が代役を務めることとなりました。

まずこのようなことを浦太郎師匠は述べてすぐ口演に入りました。
演目は「王将一代」

私は浦太郎師匠が太田英夫だった頃の「王将一代」のビデオ(NHK日本の話芸)を見たことがあります。
どうもこの日の浦太郎師匠は調子が悪かったようで、啖呵につまる場面が何度かありました。

浦太郎師匠の一席が拍手とともに終わり、師匠の退場とともにまた拍手。
続いてお客さんもふれあいの間から出てゆきます。

ふれあいの間は、広さも適切で舞台・マイク・椅子・畳など浪曲会場のハコとしては申し分ないですが、どうも気分がでない。どうやったら寄席に出かけたときのうきうき感がこの場でも味わえるようになるだろうか、などと考えながら私は会場をあとにしたのでした。

レストエリアでちょっと寝て、
18:30からの夜の部を観劇。

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舞踊ショーでの龍新座長

夜の部を観終わってまたひとっ風呂あびて、
この日は帰りに小岩で飲まずにまっすぐ帰宅しました。

「天保水滸伝」ゆかりの地、飯岡・笹川・銚子旅日記

「天保水滸伝」ゆかりの地、飯岡・笹川・銚子旅日記

2013年12月某日。大衆演劇でおなじみの「天保水滸伝」ゆかりの地を訪ねる旅に出かけました。大衆演劇は好きだけれども天保水滸伝にはさして興味がない私の妻も銚子のうまいものに惹かれて同行しました。
(「天保水滸伝」についてはこちらのブログをご覧ください)

■飯岡へ

朝早く車で東京品川区を出発、首都高湾岸線を東へ。千葉県近くになって渋滞にはまる。ところが右の方の車線は車が流れている。自分のいる左の車線が何故か進まない。車線変更しようにも右車線は走行する車がなかなか途切れなくて出来ない。葛西のあたりで渋滞が解消する。そう、左車線の渋滞は東京ディズニーランドを目指す車の行列だったのです。よけいな時間をくってしまった。

東京と銚子の緯度はほとんど同じ。だから双方を結ぶ交通路を最短距離で整備しようとするならば、真横に直線的な道路なり線路なりを作ればよい。しかし実際は千葉県中西部の線路は大きくうねっている。これは線路敷設の計画があった当時に、最短距離線上に、敷設反対を通すことのできるほど強い力を持った土地があったからだ。飯岡の近くにも鉄道駅はない。線路は飯岡をよけるように北にふくらんだカーブを描いて銚子につながっている。これは当時の飯岡の経済力・発言力の強さを物語っている。漁業で繁栄していた飯岡にとって鉄道に魅力はなく、むしろ近づけたくなかったのだろう。しかしその結果、現在の飯岡はいいようもないさみしい街になってしまった…というような話が山口瞳「巷説天保水滸伝」に書いてありました。

車は高速を降りて国道126号線へ。旭駅の近くを通過。飯岡は旭市にあります。目指す土地が近いことがわかります。
運転中「蛇園」という地名が目に入り、浪曲「蛇園村への斬り込み」を思い出す。

飯岡に着きました。
カーナビにインプットしてあった最初の訪問地光台寺へ。カーナビは「到着しました」と言っているのに、入口と駐車場がみあたらず、ちょっとぐるぐる走ってようやく正面に到着。

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光台寺。飯岡助五郎の菩提寺です。
掲示板に助五郎の墓の場所の案内があります。

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助五郎の墓。近くに看板があります。

●飯岡助五郎之墓●
 助五郎は相模国(神奈川県)三浦に生まれ、若い頃飯岡へ来て漁夫をしていましたが、義理人情に厚いうえ度胸が良いので人々にたてられ関東屈指の大親分と言われるようになりました。笹川繁蔵との大利根河原の決選は、天保水滸伝として世に知られております。
 天保年間、この浦で大海難事故があいつぎ漁夫が全滅しかけてたとき、自費で生地の三浦から漁夫を集め復興の礎をつくり、飯岡町再生の恩人として町民より感謝されていましたが、安政六年(1859)四月十四日、当町川端町の自宅で[67歳]を以て大往生を遂げました。

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墓に供えられた花
もう何日もたっているよう

次は笹川繁蔵の首塚があるという定慶寺に向かいます。くねくねと細い道をゆかねばならないようです。また車で迷いたくないし近いので歩いて行こうかと考えながら歩いていると、誰かが私を呼び止めました。見ると軽トラックの近くに昔かたぎ風のおじさんがいて、指で地面を差しています。そこには私が落とした手袋がありました。
農作業か何かの途中らしきおじさんは何しに来たのかと尋ね、私は簡単に事情を説明しました。おじさんは飯岡にある史跡について朴訥な言葉でいろいろ教えてくれた後、首塚なら車で行けばいいよ、と助言してくれました。
おじさんにお礼を言って、車に乗り込み、カーナビで定慶寺をチェックしようとしたら、クラクションの音が聞こえました。軽トラックの運転席に乗り込んだおじさんがだまってこちらを見ています。その顔には「俺についてこい」と書いてあるのがわかりました。私が車をゆっくり動かすと、おじさんのトラックは軽やかにターンを描いて光台寺の駐車場を出て行き、私はその後についてゆきました。

雲ひとつない青空の下、2台の車が起伏のある小道をすべりゆき、墓地がある石垣の前を通りすぎたところで止まりました。そこは定慶寺の墓地でした。
おじさんは首塚の場所や助五郎の家があった場所を指差して教えてくれた後、トラックに乗り込み去ってゆきました。
おじさんありがとう~。

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笹川繁蔵の首塚

次は玉崎神社に向かいます。
助五郎は玉崎神社の社地を借りて家を建てて漁業の商売を始めました。

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玉崎神社入口。

かつての飯岡の街は玉崎神社を中心に賑わっていたのだと思います。
でも今は閑散としてさみしい感じ。

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飯岡助五郎の碑があります。

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助五郎の碑の下に力石(ちからいし)が置いてあります。昔のひとは石を持ち上げて力比べをしたそうです。ここに置いてあるということは助五郎がこれを持ち上げたということでしょう。石には「六拾貫目…」と彫られています。
私もちょっと持ってみましたがまるで歯が立ちませんでした。

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神社の奥の森には助五郎稲荷神社がありました。

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玉崎神社近くの待合所。
ガムテープで貼られたポスター。
右:アサヒスーパードライ
左:飯岡観光協会「海よし食よし花火よし」 砂浜をバックに白いビキニの女性が微笑んでいる
飯岡の魅力を伝えようとしているポスターが皮肉にも飯岡のさびれた雰囲気を演出している。

さっきのおじさんは、玉崎神社の近くの洋服屋さんが昔助五郎の賭場があったところ、と教えてくれました。洋服を売っていそうなお店はいくつかあってどこだかわかりませんでした。

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次の目的地「飯岡歴史民俗資料館」へ。
資料館は「いいおかユートピアセンター」の敷地内にあります。ユートピアセンターの駐車場がいっぱいだったので、近くの海辺の駐車場に車を止めました。

資料館の見学には事前にユートピアセンターへの連絡が必要とのことで、数日前に電話を入れておきました。
土曜日だからか、センターの事務室には職員さんが1名しかいませんでした。資料館の見学に来たことを告げると、職員さんは窓口をいったん離れて別棟の資料館の入口扉を開錠してくださいました。

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資料館内部。
助五郎関係の古文書が展示してあります。

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資料館内には白い扉があり「天保水滸伝 飯岡助五郎関係資料展示」と書かれた紙がセロテープで貼ってあります。
魅惑の白い扉へイザ。

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助五郎関係資料室内部。
浮世絵の複製、明治時代の出版物の複製、新聞の切り抜き、浪曲のカセットテープ、などが飾られています。
飯岡町史編集委員で「飯岡助五郎正伝」の著者伊藤實氏の入念な調査の結晶がこの資料館につまっているようです。
「助五郎・繁蔵の勢力図」など伊藤氏が作成したと思われるわかりやすい資料もたくさん展示してあります。
飯岡にある助五郎の遺跡の地図も展示してありました。先にこの地図を確認してから史跡めぐりをするべきでした。

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助五郎の女房が使用していた手鏡

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平成7年の朝日新聞に「浪曲 天保水滸伝」という連載記事があったようです。全9回。
天保水滸伝のあらすじを9回にわけて紹介する文章と浪曲における天保水滸伝のレポート記事の2段構成になっています。

①1970年から浪曲定席となった木馬亭の紹介。席亭の根岸さんの談話。木馬亭はもうからないけれども二階を大衆演劇に貸しているので何とかつないでいる。
あらすじ:助五郎と繁蔵の紹介、花会の開催

②浪曲評論家芝清之氏の紹介。吉田奈良丸の「勧進帳」をきいた歌舞伎の中村吉右衛門がそのうまさに感心して祝儀をつけた。
あらすじ:両者の縄張りの境目の清滝村岩井不動尊の縁日の帰りに助五郎は闇討ちにあった。助五郎はそれを繁蔵側の仕業とみた。

③天保水滸伝を研究している郷土史研究家の野口政司さんの話。観光資源として利根川岸に碑を建てることになった。首相が浪曲好きだと聞いて、碑文の揮毫を田中角栄に頼んだ。
あらすじ:助五郎と繁蔵の出自

④三代目玉川勝太郎の紹介。「多少不良っ気もあったし、啖呵をきらせたらおれはだれにも負けないって気持ちがあったもんですから、先代の語り口と違う水滸伝をやってやろうなんてね。考えましたよ」
あらすじ:助五郎は十手持ちとなって笹川へ乗り込んだ。飯岡側は負けたが、平手は死んだ。

⑤天保時代の利根川の様子。富裕商人や地主層と貧しい小作人とにわかれた。食い詰めた農家の次男三男が博徒になった。一つの村に二人も三人も領主がいて警察権が行き届かなかった。情報ネットワークはできており、下総の喧嘩の話は江戸の講釈師のもとにわたったと思われる。
あらすじ:平手造酒の出自。決戦では諏訪神社で殺される。

⑥三代目玉川勝太郎の芸について語る。会場の広さや客層に合った芸をしないと受けない。
あらすじ:座頭市と大原幽学について

⑦飯岡で郷土史研究をしている伊藤實氏の紹介。浪曲や講談では史実とははなれて助五郎が悪役として描かれてることを残念に思う。昔は玉川勝太郎が飯岡に来ると帰れという心無い町民もいた。
あらすじ:繁蔵は放浪の旅に出て、助五郎は牢に入れられた。

⑧玉川勝太郎の「あいじゃみ」の吉野静さんの話。演者がのらない時は三味線がひっぱらなければならないから骨が折れる。演者がのっている時は自然にいい手が出る。これが不思議。
あらすじ:笹川に戻った繁蔵は飯岡側の闇討ちにあう。

⑨浪曲界に入りたての春日井あかりの紹介。弟子の生活は厳しい。アルバイト、恋愛はご法度。三年間は給料なし。師匠の興行について行って身の回りの世話もしなければならない。
あらすじ:笹川一家は勢力富五郎が跡を継いだ。金毘羅山を逃げ回りついには自殺。


資料館で飯岡の探訪はおしまい。これから笹川へ移動します。
飯岡の資料館で思いの他時間をくってしまって、予定の時間を過ぎてしまいました。
途中で清滝の佐吉の碑や岩井不動を見ようかと思っていたのですが、昼食の時間がとれなくなりそうなので、清滝はスルーすることにしました。移動の途中、車窓から「佐吉まんじゅう」の看板が見えました。

■笹川へ

北へ車を走らせ笹川に到着。
まずは腹ごしらえ。

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諏訪神社の近くの食堂「青柳」に入りました。

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しじみ丼をいただきました。

食事を終えて、諏訪神社へ。神社の敷地内に東庄町観光会館および天保水滸伝遺品館があります。

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諏訪神社の駐車場にはためいていたのぼり。

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東庄町観光会館・天保水滸伝遺品館

事前に東庄町の観光課に電話を入れて、ここを訪ねる旨とできればガイドしていただきたい旨と伝えてありました。
観光会館には二人の男性がいらっしゃいました。おじさんとかなりお年を召していそうな(けれどもとても元気な)方。(Tさんと老Tさんと呼ぶことにします)

老Tさんが、まず東庄町関係の展示コーナーをご案内してくれました。
ここは主に「相撲」「澪つくし」「天保水滸伝」についての展示があります。

近年は出羽の海部屋が夏合宿でここに来るとのこと。

むかし、NHK連続テレビ小説に沢口靖子が主演していた「澪つくし」という番組がありました。
銚子の醤油醸造家を舞台としたドラマです。撮影は笹川にある入正醤油で行われたそうです。その縁で「澪つくし」という商品を入正醤油で製造販売しています。

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展示部屋には浪曲関係の掲示もありました。天保水滸伝を持ちネタとしている浪曲師玉川奈々福さんの写真が2枚貼ってあります。うち1枚は、いつ撮影されたものか、髪に大きな飾りをつけた10代の女の子に見える奈々福さんのかわいらしい写真で私は思わず「若っ」と声を発しました。老Tさんは「奈々福さんをご存じ?」と訊いてきました。自分が浪曲好きで奈々福さんのファンでもあると告げると、老Tさんのテンションがにわかにあがり私に握手を求めてきました。老Tさんは大の奈々福ファンのようです。その後、木馬亭の話や玉川福太郎の話などをしてくださいました。ここ諏訪神社では天保水滸伝のイベントを行うことがあり、近年は玉川奈々福さんが毎年出演されているようです。

東庄町のコーナーを見終えた後、隣の天保水滸伝遺品館をご案内くださいました。こちらは入館料が200円かかります。

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遺品館内部

笹川の花会が行われた十一屋で使用されていた食器や、繁蔵らが使用していた遺品がたくさん展示されています。

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平手造酒が愛用したという尺八

遺品館の見学後、諏訪神社内を散策しました。

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土俵

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野見宿彌命の碑

神社の見学後、観光会館に戻りそこで販売されている天保水滸伝グッズ(冊子、CD、DVD等)をありったけ購入したところ、こんなに売上がでることは珍しいらしくTさんは喜んでいました。
この後訪ねる予定の勢力富五郎終焉の地(金毘羅山)の場所を訊いたところ、老Tさんは紙に手書きで地図を書いてくれました。
平手造酒が療養していたという尼寺の場所も訊くと、今はもうなく崖の下にお地蔵さんがあるだけだ、とのことでした。
Tさん老Tさんにお礼をして観光会館を後にしました。

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諏訪神社近くの延命寺へ。
助五郎らが笹川に乗り込んで来た際に繁蔵一味の一部が潜んでいたという寺です。

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笹川繁蔵の碑

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勢力富五郎の碑(昭和3年建立)

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平手造酒の墓(昭和3年建立)
↓この墓の裏に嘉永3年に建てられた本当の?墓があります
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「平田」と書かれています。

延命寺にはその他、お豊(繁蔵の妻)の石碑、繁蔵の墓などたくさんの石碑があります。
浪曲師玉川勝太郎、春日井梅鶯の名が刻まれた柱もありました。

次に、繁蔵がよく出入りしていたという十一屋があった場所を確認します。

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桁沼川沿いに十一屋はありました。
諏訪神社・延命寺・十一屋はお互い歩いて3分くらいのご近所にかたまっています。

天保水滸伝では「大利根河原の決闘」が有名です。実際に河原で喧嘩があったかどうかは知りませんが、利根川の河原がどんなところかを見てみたい。
諏訪神社の駐車場に戻り車に乗りました。

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笹川近くの利根川沿いは昔とだいぶ変わってしまったようです。今では河原ではなく田んぼが広がっていました。

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続いて繁蔵が闇討ちにあったビャク橋の跡へ。すでに川の面影もありません。
きれいに花が植えられています。

次は勢力富五郎が立てこもった金毘羅山と富五郎自刃跡を目指します。

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観光協会で老Tさんが手書きで書いてくれた地図をたよりに、ゆっくり車を走らせました。
が、細い道が多くあっという間に迷ってしまいました。カーナビを頼りに行くことにします。
老Tさん、せっかく書いていただいたのにすみません。

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老Tさんが目印だと教えてくれた「白い山門」が見つかりました。
その近くに「天保水滸伝遺跡遊歩道」と書かれた案内看板がありました。

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遊歩道に入ってすぐ、休日にピクニックに来た家族ための広場、という感じの場所がありましたが、見てのとおりテーブルも椅子も苔むしていて、しばらく人が訪れたような気配がありません。

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遊歩道を進みます。
勢力富五郎はこのような林の中を移動しながら潜んでいたのでしょうか。

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遊歩道の終点に勢力富五郎自刃跡があります。

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「勢力霊神」と書かれた碑

以上で笹川の探訪を終わります。
まだ西光寺跡など史跡は残っているけれども、銚子のうまいもんが自分を呼んでいる。

■銚子へ

銚子駅近くのホテルに着いたときにはもう空は暗くなっていました。

今回の旅のメインの目的はもちろん天保水滸伝の史跡めぐりですが、別の大きな目的は「銚子のうまいもん」です。
特に寿司を最大の楽しみとしていました。
私と妻の共通の友人が銚子出身でそのお姉さんが寿司屋に嫁ぎました。今晩はその寿司屋「辰巳寿司」に行くことに決めておりました。
辰巳寿司は銚子観音の近く、駅でいうと銚子電鉄の観音駅の近くにありますが、銚子駅からも歩いてゆける距離ですので、ホテルから歩いてゆきました。

銚子の夜の街を歩いていると醤油の匂いがしてきます。ヤマサ醤油の工場が近くにあるのです。

銚子の名物の菓子といえば「ぬれせん」
銚子のぬれせんのお店は「柏屋」と「福屋」がいいと聞いておりました。

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寿司屋に向かう途中に福屋があったので立ち寄ってぬれせんその他を買いました。

福屋のすぐ近くに「辰巳寿司」はありました。

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辰巳寿司。
日本人なら誰しも暖簾をくぐりたくなるような店のたたずまい。

私たちが来ることは友人から伝わっていたようで、大将とおかみさん(友人の姉)が迎えてくれました。
きさくでざっくばらんな大将。お店の雰囲気もよく居心地がいい。

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「これ弟から・・」といっておかみさんが持ってきたのはキンキ。
「弟からキンメを出してくれっていわれてたんだけどね、しけでキンメがあがらなかったんだ」と大将。
キンメとは金目鯛のことで、銚子の名物なのです。銚子すし商組合のチラシの文言を引用します。
「銚子沖は金目鯛漁の北限とされ、他の漁場より水温が低いことから、ここで獲れる天然の金目鯛は脂ののりが別格。魚体を傷めずに"釣り"上げる漁法や漁獲制限も影響し、築地ではブランド魚として高値で取引されています。(後略)」
次に来たときは是非キンメを食べよう。
でもこのキンキも美味也。

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続いて出てきたのがイワシ。
ちょうど先ほど妻とイワシ食べたいね、と話をしていたところです。
「頭からがりがり食べられますよ」とおかみさん。
絶妙なる焼き加減、香ばしい。イワシでこんなに幸せになれるなんて。

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「これも弟から」とおかみさんがキンキの煮付けを出してくれました。
ありがとうF(友人)さん~
これも美味也。

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ビールの後はもちろん酒。千葉九十九里の地酒「梅一輪」
「たまんね~な~」とつぶやく私の心。

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握り。
美味しいっ!!
ネタはもちろんシャリがまろやかで旨い。
寿司好きの妻も銚子まで来た甲斐があったと大将の腕前に感嘆しておりました。
大将は話をしていると豪快な印象なのですが、料理は繊細。食材にもこだわりを持っている。絵にかいたような職人さん。

銚子であがる一番いい魚はふつう銚子の店にはでないそうです。それらは東京に運ばれて築地で高値で取引される。ここの大将は銚子のうまい魚を東京より安い価格で仕入れる努力をしてクオリティを高く保っているようです。

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銚子の名物だという「伊達巻」をお願いして出していただきました。
この写真は伊達巻だけですが、真ん中にご飯が入った伊達巻寿司が一般的なようです。

一般的な伊達巻と違って魚のすり身が入っていません。一口食べてびっくり。つるっとした食感、カスタードクリームのような甘み、まるでプリンのよう。これは初めて体験する美味しさ。

銚子にある寿司屋さんは皆「おれんとこの伊達巻が一番うまい」とプライドをかけて作っているそう。
辰巳寿司はこれを作るためにお正月前に4日間店を閉めるそうです。何日も閉めるのは、ものすごく大量に作るからというより、とにかく手間と時間がかかるからとのこと。なじみのお客さんからの注文分を作るので手いっぱいでもう新規の注文は受けられないようです。

銚子の寿司屋さんのパンフレットをもらいました。そこには伊達巻が「漁師のプリン」と紹介されていました。ちなみにこのパンフレットに写っている伊達巻は大将が作ったものだそうです。

大将の楽しいトークと美味しい料理・寿司・酒。大満喫の一夜でした。
途中で寿司の予約注文の電話も入っていました。地元の方に愛されている店なのでしょう。ネットにもほとんど情報がでてこないし観光客は来ない店なのかなと思います。そのような店をこのようにブログでPRするのもどうかと思いましたが、たいして読者がいるブログでもありませんし、大将からも許可をもらいましたのでブログに書かせていただきました。

銚子の寿司屋はどこもこんなに旨いのでしょうか。余談ですが、翌日は別の寿司屋(風呂で偶然知った元寿司職人さんに教えてもらった店)に行きました。でもそこでは辰巳寿司で得たような感動は味わえませんでした。(大将も「しけで船がでてないから明日寿司屋に行ってもいい地元の魚はないよ」と言っていましたが)

地元の呑み仲間を連れてまた辰巳寿司にくるぞと誓いつつ、歩いてホテルに戻りました。

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銚子駅近くのかもめホテルという見た目新しそうな宿。
古いビジネスホテルを若者むけのおしゃれな内装にリニューアルしたようです。
ホテルの諸案内が書かれたカードがリングでとじられています。

翌日は日曜日で、朝7時から銚子市役所前で朝市が行われるという情報をホテルのHPから入手していました。

翌朝。
ちょっと寝坊してしまい、7時20分頃に銚子市役所に行きました。
しーん。
誰もいない。何かが行われる気配はありません。情報を見間違えたのか?
市役所の中でやっているのだろうかと建物に近づく。入口は開いていたものの、中はやはり何の気配もありません。
警備員さんがいたので、朝市のことをきくと、もう終わってしまったとのこと。「まだその辺にいると思うから呼んであげるよ」と警備員さん。私と奥さんが「いや、それは‥」と言おうとするのを、いいからいいからとさえぎって警備員さんはつかつかと建物の外に出てゆきました。

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市役所の駐車場のかたわらでおばちゃんたちがお茶菓子を並べて歓談していました。警備員さんがおばちゃんに話しかけ
るとおばちゃんたちがこちらを見て腰を上げました。

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おのおののおばちゃんがいったん車に収納した農作物をまた出して私たちに見せてくれました。
大根1本100円。どの野菜も安い。

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たくさん買いました。東京に帰って食べるのが楽しみ。ありがとう警備員さん、おばちゃん。

さて、旅の再開です。
銚子にも天保水滸伝に関連した場所があるので、まずはそこをめぐることにします。

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坂東二十七番観音霊場 圓福寺。
この付近の土地は飯沼といって飯沼観音として親しまれています。銚子市街は観音様の門前町として発達したそうです。

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観音堂からちょっと離れた場所に本坊大師堂があります。ここに銚子五郎蔵と飯岡助五郎が寄進したという釜と五郎蔵の墓があることを調べていました。

まず御朱印をいただきました。俗世のことは興味はありませんといった風情の無表情な若いお坊さんは、明らかに観光客然とした私に御朱印帳を返しながら、どこから来たのかと尋ねました。私は東京から来たことを告げて、五郎蔵の釜のことを聴いてみました。お坊さんの眼鏡が一瞬光り、「ではご案内しましょう」と無表情で沈着な様子をくずさずお坊さんは立ち上がりました。

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五郎蔵と助五郎が寄進した釜。「銚子勝五良」「飯岡助五郎」の名が刻まれています。
実は本物の大釜は戦後の物資不足の際に盗まれて、その後有志が復元したものが新たに寄進されたようです。

今度は若いお坊さんに銚子五郎蔵の墓のことを聞きました。
わかりにくい場所にあるのでまた案内してくださるとのこと。本堂を出てお坊さんの後について広い墓地を進みます。
ここですと静かに言うと、無表情なお坊さんは本堂に戻って行きました。親切なお坊さん、ありがとうございました。

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銚子五郎蔵(木村勝五郎)の墓
新しそうな花が供されています。

銚子五郎蔵は銚子の陣屋の十手取縄を預けられていました。

利根水運が江戸に通じるようになってから銚子は東北各藩の物資を運ぶ中継港として重要性が増し、幕府は親藩高崎藩を銚子の統治に当らせました。高崎藩の陣屋は飯沼村に置かれ、飯沼陣屋ともいいます。

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圓福寺の近く、陣屋町にある陣屋公園の一隅に旧陣屋跡の碑がありました。

史跡を見た後、食いしん坊のわれわれは銚子にある魚市場「ウオッセ21」に向かいました。

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ウオッセ21に隣接する銚子ポートタワー

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ポートタワーの展望台から見た利根川の河口付近

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同じく展望台から見たウオッセ21

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ウオッセ21の水産物直売センターにて。
昨日辰巳寿司で教えてもらったいわしの「アゴ刺し」を見つけ購入。
その他お土産用にたくさんの缶詰を買いました。

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続いて、銚子のぬれせんの元祖「柏屋」へ。
ふつうの民家のような場所でした。辰巳寿司の大将はぬれせんではなく「わりわり」という割ったせんべいをおすすめしていました。

車の中はお土産でいっぱいになりました。
この後、犬吠埼で大衆演劇を観て、銚子で再び寿司を食べて東京に帰りました。

とても充実した2日間の旅でした。

この旅以降、早く銚子に連れてって寿司を食わせてくれ、と妻からしばしば催促されています。
プロフィール

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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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