WIKIレンタル 大衆演劇探訪記 2013年09月
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繁華街+安い入場料 大衆演劇場のシンボル 「浪速クラブ」

『日本一粗末な建物で
 日本一安い入場料で
 日本一多い入場者と
 出演役者の芸熱心が
  当館の誇りである』

自ら胸をはってボロい施設だと謳っていた大阪のザ・「大衆」演劇場[浪速クラブ]は、2011年2~3月ついに改修工事を行いました。
誇りとしていた粗末さはどうなってしまったのか。

改修の前後に浪速クラブを訪ねました。


↓【改修前】外観
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↓【改修後】外観
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↓【改修後】券売機
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<料金表>
大人1,200円
小人600円
ショー割600円
改修しても木戸銭は据え置き!

↓【改修前】場内
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↓【改修後】場内
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↓【改修前】御婦人限定桟敷席がありました
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改修後桟敷席はなくなりました

↓【改修後】緞帳
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明るく楽しい絵柄。いいですね。

↓【改修前】客席
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↓【改修後】客席
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↓【改修前】売店
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↓【改修後】売店
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↓【改修前】投光
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↓【改修後】投光
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↓【改修後】空調と照明
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↓【改修後】定式幕
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↓【改修後】公演中の様子
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浪速クラブは日本一安い木戸銭を維持したままキレイで心地よい劇場に生まれ変わりました。
入場料を低くしていろんな方に気軽に来ていただくことは大衆演劇の原点でしょう。
大衆演劇のメッカ大阪の、庶民の繁華街新世界にある浪速クラブは全国最強の大衆演劇場といえるのではないでしょうか。

(2011年11月探訪)

地元密着の大家族劇団 「南ファミリー劇団」

大衆演劇劇団は旅役者一座ばかりではありません。
その土地に根ざし地元の方々に愛されている劇団もあります。

香川県琴平町のお隣りまんのう町で活動している南ファミリー劇団は自前の劇場を持ち、週に1回毎週日曜日に公演を行っている劇団です。

四国の旅の途中で南ファミリー劇団の公演を訪ねました。

土曜日に琴平町に到着。
宿泊先に荷物を預けて、まずこの日はこんぴらさんのお参りへ。

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土産物屋が並ぶ参道を進みます。

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ちょっと寄り道をして旧金毘羅大芝居「金丸座」へ。

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館内ではボランティアの方が解説してくれます。
この日はお客さんが少なくつきっきりで説明していただきました。
パンフによると、天保6年に建てられた現存する日本最古の芝居小屋で昭和45年に「旧金毘羅大芝居」として国の重要文化財に指定される。もとは繁華街にあったが、昭和47年から4年かけて現在の場所に移築されたとのこと。

金丸座を見学後、こんぴらさん参拝再開。
参道から本宮まで785段の石段があります。

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本宮を参拝して、さらに583段の石段を登って奥社へ着きました。
十数年ぶり。前回そんなに疲れた記憶はなかったのですが、今回は体力の衰えを感じました。

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金毘羅様ときいて思い浮かぶのが森の石松。次郎長伝でいうところの「石松代参」。
裏切り者の保下田九六を斬り殺した翌年、次郎長はその太刀を金毘羅様に奉納すべく石松に代参を任じました。
「石松三十石船」(「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ」「スシくいねえ」)はこの代参の帰りの出来事です。その後の道中、石松は持っていた大金を狙われ土地の博徒の騙し討ちに合い、一旦は小松村の七五郎の家に逃れましたが、最期は大勢相手に単身真っ向勝負をして斬殺されてしまいます。
大衆演劇では「森の石松の最期」という演目でおなじみですね。私が忘れることのできないのが、玄海竜二先生が演じた森の石松。最後の決闘の場面はものすごい迫力でした。

虎造の浪曲が流行っていたかつての日本には石松代参を知らない者はいなかったでしょう。
参道の途中では石松関連と思われるものを見かけます。
今の若者はこの人形を見て森の石松だろうと認識するのでしょうか。

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「石松まんじゅう」を買いました。

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「かた目の親分」
これも石松をモチーフとしたお菓子なのでしょうが、石松は親分じゃないから誤解を与えそうですね。

こんぴらさん参拝を終え、宿で疲れをとって、翌日の日曜日。
南ファミリー劇団を観に出かけました。

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地図をたよりに琴平駅付近から二十数分歩いて「買田東」という大きな交差点に出ました。

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この交差点のすぐ近くに「カフェレストニュー道しるべ」という看板をだした喫茶店があります。
おなじみの大衆演劇幟も立っています。
ここが南ファミリー劇団のホームグラウンドです。

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ここが入口です。
入口入ってすぐ左に受付があります。

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入口入って右に廊下がのびていてその突き当りに広間があります。
廊下に今年載ったばかりの雑誌の取材記事が貼ってありました。
その記事にはこんなことが書いてありました。

現座長の父親(初代英二朗)は大阪で60人以上の座員を抱える劇団の座長だった。その後劇団を解散し、転職して香川県で三軒の喫茶店を経営するに至った。初代の父親が「もう一度芝居が観たい」と望んで亡くなり、その供養と他のおじいちゃんおばあちゃんをかわりに喜ばせようという思いから、身内と喫茶店の従業員で劇団を結成する。今から33年ほど前、現座長が18才の頃だった。4か月の猛稽古を経て老人ホームへの慰問公演をしたのが南ファミリー劇団の旗揚げ(「南」は本名の名字)。初代には3人の息子がいた。その後、長男は喫茶店の経営者として腕をふるい、二男の現座長が山口英二朗を襲名して新座長を務め、三男が副座長になった。

その他パリ公演を行ったという記事も紹介されていました。

二代目座長になってから今年で30年。今では座長の子供7人(5男2女)が舞台で活躍しています。
まさにファミリー劇団なのです。

下駄箱に靴をしまって(下駄箱がいっぱいになったら靴をビニール袋に入れて持っていく)広間にあがります。

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広間を後ろから。
よくありそうな大衆演劇場の眺めです。

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後方にはイス席があります。イス席があるかどうかで、ご老人にやさしい劇場かそうでないかがわかります。

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ここは完全予約制で指定席が準備されています。
机にはチラシやスタンプカードが置かれていました。
机の上に置いてあるお茶はセルフサービス。相席のおばちゃんが私のためにお茶をいれてくれました。

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花道

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<本日の公演内容>の案内板

南ファミリー劇団の公演の基本情報は以下のとおり

第1部 お芝居 
 お食事休憩
第2部 お芝居 
第3部 舞踊ショー

開演11時 終演15時30分頃

観劇料金3,500円(食事代込み)※要予約


この日の第一部は若座長山口桃太郎が主演の「眠狂四郎」
シリアスな芝居でした。

第一部が終わると、劇団員の皆さんがお弁当のお重を運んできてお客さんに配ります。

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観劇弁当
別料金でお味噌汁と茶碗蒸しを追加することができます(これは第1部の前にオーダーを受け付けます)。
もちろんビールやお酒も注文できます。


食事休憩が終わって第二部は座長主演の喜劇「英ちゃん旅日記」
江戸の大店の放蕩息子が浜松の親戚の店にお金を届けに行く途中、箱根で山賊に会い身ぐるみはがされてしまう。
護身用の汚い刀をもらって江戸に引き返す・・・という話。
おそらく講談の「名刀捨丸の由来」を下敷きとしてアレンジした芝居だと思いますが、私は梅沢武生劇団と劇団千章でも観たことがあります。この芝居は他の演目にはない大胆な演出があるのですが(ネタばれになるので書きませんが)南ファミリーバージョンではそれはありませんでした。他はだいたい同じ。
客席のおばあちゃん大ウケの楽しい芝居でした。

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第二部のお芝居が終わって座長口上挨拶。
お芝居ではアホで元気な若旦那の役だったのでそのままのいでたちでご挨拶。

続いて第三部「紫陽花模様」と題した舞踊ショー。
南ファミリーそろい踏み。以下1曲ずつ写真で紹介します。

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オープンニングは若座長山口桃太郎を中心とした「那須与一」
三波春夫の長編歌謡浪曲に合わせてたくさんの役者が登場します。
ずいぶん凝ったオープニングショーです。公演は週に1回しかありませんが、そのぶん中身は充実しています。

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雪太郎(20歳)の女形

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座長の女形

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「チビマツケン」こと花太郎、中学1年生。7人兄弟の末っ子。
この日の私の一番の注目役者はこの花太郎でした。きびきびとした立ち居振る舞い、元気があって気持ちのよい表情・声。他の大衆演劇劇団でもここまでセンスを感じる少年はあまりいないですね。将来がとても楽しみです。
長渕の「俺らの家まで」を溌剌と踊りました。中1にしてこの選曲センスもいい。

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座長の二人の娘
左:さくら、高校1年生
右:すみれ、中学3年生

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桃太郎の女形
大衆演劇定番ソング「酒供養」

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月太郎、18才
劇団では3枚目担当なのでしょうか。舞台上でふんどし姿になるのが好きでお尻のケアを欠かさずしているみたいです。月太郎のお尻は南ファミリー劇団のみどころのひとつと覚えておこう。

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金太郎

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副座長山口京之助の子供
たんぽぽ、小学5年生
鯉太郎、4才
この日副座長は怪我のためお休みしていました

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特別出演、山口大助

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美智子
座長の母

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桃太郎

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ラストショーも凝っています。

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カーテンコール

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送り出し

アットホームな雰囲気でとても楽しいひとときを過ごしました。
お客さん大切にしていることがひしひしと伝わる公演。また家族の結束を感じる公演。
とても素敵な劇団だなと思いました。

大衆演劇ファンの方、こんぴらさんを訪ねる折には是非「南ファミリー劇団」も観に行きましょう。

(2013年6月探訪)

吉良の仁吉終焉の地「荒神山」探訪記

吉良の仁吉終焉の地、荒神山に行ってきました。

仁吉の物語については、以前アップしたレポート「吉良の仁吉」「吉良上野介」ゆかりの地「吉良」探訪日記に書きましたのでこちらをお読みください。

8月初旬の蒸し暑い日に荒神山のある三重県に行ってきました。その旅日記をレポートします。
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まず場所の確認から。
大衆演劇や浪曲の物語中にでてくる地名を現在の地図をたよりに書いてみました。
・吉良の仁吉
・穴太の徳次郎
・神戸の長吉
・荒神山
の位置関係がわかりますでしょうか。

荒神山は大都市の近くにあるわけではありません。
なぜこの立地にある荒神山が、有数の賭場として名を馳せていたのでしょうか。
その謎は今回の旅の途中で明らかになります。

なお、「荒神山」というのはいわゆる「山」ではありません。観音寺というお寺の山号です。でも観音寺は高台にありますので「丘」くらいのイメージは持っていただいてよろしいかと思います。

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名古屋から関西本線に乗って加佐登駅へ。
関西でも関東のsuicaが使えることを知り、suicaで入場したのですが、この無人駅にはIC乗車券の端末がありませんでした。後で面倒な精算をすることとなりました。

加佐登駅から荒神山観音寺までは1.5kmくらいでしょうか。
バスもあるようですが電車の時刻と合いません。歩いて向かいます。荒神山は高台にあるので、駅からは坂道を登って行くことになります。

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荒神山観音寺はこの写真の左の方。
右に見える森の中に加佐登神社があります。

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左が観音寺、右が加佐登神社の分岐点。
角井門之助率いる穴太軍が一時陣取ったという加佐登神社に寄ることにしました。

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加佐登神社

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狛犬の近くに、いくつか箱が並んでいました。なんだろう?と近寄ってみました。

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左の箱…くじ引きの箱
真ん中の箱…「係の人は休けい中です」「新しいのを入れました」の札
右の箱…「1等の商品」「1.2.3等の商品」の札とたくさんのおもちゃ
どうやらくじを引くとおもちゃがあたるというお店らしい。

店をながめていると遠くから少年が走ってやってきて、「休けい中」の札を「えい業中」の札に変えました。
訊くとこの少年はこの神社の宮司さんの息子とのこと。今日は境内で自作のお店を開いているようです。
私はお客さんになってくじを引くことにしました。お代は?と尋ねると無料とのこと。
くじ運強く2等があたりました。タダなので気がひけましたが、2等の景品の中からマリオの人形を選んで受け取りました。

少年に別れを告げて荒神山へ向かいます。

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加佐登神社と荒神山観音寺の付近には現在は大きな池(加佐登調整池)があります。

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荒神山観音寺に着きました。

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「伊勢七福神」の幟が見えます。
観音寺は伊勢七福神で寿老人を担当している寺のようです。
私は正月によく各地の七福神めぐりをします。伊勢七福神をめぐる道は約40kmと歩くにはかなりハードなルート。皆さんどうやってめぐっているのでしょうか。

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境内。
奥に見えるのが本堂。

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看板がありました。書き出しておきます。

荒神山観音寺
 当寺は 寛治元年<西暦一〇八七年>四月堀川天皇の時代に建てられたもので 真言宗御室派仁和寺に属し 十一面観世音菩薩をお祭りしてあります 往古は神事山と云い 後ち高野山の一寺の名をとって高神山と改めました
 出羽の国湯殿山の行者 順海上人の異母姉に当る三代将軍徳川家光の乳母春日局は当寺に信仰厚く 正保四年<西暦一六四七年>銘入りのつり鐘とともに 五体の仏像を寄進されました
 また奥の院の三宝荒神は 春日局と順海上人が礼祭りしたもので 暴悪治罰の神徳があらたかなため 勝運を祈願されるかたが多くみられます
 慶應二年<西暦一八六六年>四月八日 ばく徒の神戸の長吉と桑名の穴太徳が縄張り争いから当寺裏山で死闘をつくしたのが 後の世に「荒神山の血煙り」と題した浪曲となって 当寺の名をいっそう広めることになりました
鈴鹿市観光協会
荒神山観音寺保勝会

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春日局が寄進した鐘楼。

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鐘楼の柱の1本にあるくぼみ。
荒神山の戦いにおいて鉄砲の流れ弾があたってできた跡らしいです。

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本堂の山号額。ただしくは「高神」の表記ですがいつからか「荒神」の字が一般に使われるようになったようです。「東海遊侠伝」では荒神山と表記されています。

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本堂正面すぐ右にガラス張りの間があって、中に鉄砲・三度笠・縞の合羽が陳列されています。(正面からだとガラスが光ってしまうのでこの写真は裏側から撮影しています)
荒神山観音寺のパンフレットには「仁吉を倒したといわれる火縄銃」との説明書きがあります。

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社務所で御朱印をいただき、おみやげに清水二十八人衆のれんを買いました。
仁吉の史跡目当てに来たことを告げると住職さんは「確かにここは喧嘩があったことで有名だけれどもこれだけは覚えておいてください」ときりだしてきました。

三代将軍徳川家光の乳母の春日局には順海上人という弟がありました。順海上人が目を患い、春日局はその治癒をこの寺の御本尊に祈願しました。その後順海上人の目が治り、春日の局はたいへん感謝してこの寺への信仰を篤くしました。当時も博打はご法度でしたが、この寺だけは春日局のはからいで公然と博打を打つことが許されました。賭博が行われる4月8日の祭の日には博打好きが集まってたいへんな賑わいをみせ、多大なテラ銭がこの地の親分、神戸の長吉のもとにはいりました。そこを桑名の親分、穴太の徳次郎が目をつけた、というのが喧嘩の発端なのです。
というような説明でした。荒神山の決闘を考えるにあたっては、ここが「春日局が信仰した寺」ということを忘れてはならないのですね。

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広沢虎造が建てたという吉良仁吉の碑

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寺の敷地内の林。
ここでも決闘が行われたのでしょうか。

観音寺をひととおり見て加佐登駅に戻ります。
暑いし時間もなかったので帰りはタクシーを利用しました。

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虎造の浪曲の「荒神山」は
「その手は桑名の焼き蛤ってえことを言いますが、本当は蛤の名物は桑名じゃない富田。なんといってもあの辺は蛤のおいしいところであります」ではじまります。
富田は桑名からちょっと離れた海辺の町。富田の蛤を食べてみたいと思ったのですが、現在富田には蛤料理の店はないようです。桑名駅周辺には蛤を食べられる店がたくさんあって、観光協会では「その手は桑名のはまぐり三昧クーポン」というものも売っています。
江戸時代から続く老舗の「丁子屋」に入りました。焼きはまぐり付きのランチ。ふっくらしていて香りがよくて美味しいはまぐりをいただきました。酒が呑みたくなります。この日は頼みそこねましたが焼きまぐりに日本酒は必須と胆に銘じておきたい。

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どうせ名古屋駅経由で帰るので、名古屋を観光することにしました。
熱田神宮を参拝しました。

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せっかく熱田神宮に来たので、一度は行ってみたい有名なひつまぶし屋「あつた蓬莱軒」に入ることにしました。幸い待ち時間30分程度で入ることができました。
ビール、骨せんべい、胆焼き、ひつまぶしを注文。
ひつまぶし美味しかった~。

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この胆焼きにも感動しました。これまで食べた胆焼きと全然違う。粒が大きく臭くない。絶品。

ひつまぶしをいただいた後、地下鉄で移動して繁華街を散歩しました。

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大須演芸場。
(2014年2月に閉館し、2015年にリニューアルオープンしました)

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帰りの新幹線でプチ宴会。桑名名物「安永餅」を食べました。

以上で旅日記を終わります。

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荒神山の御朱印(右)
左は熱田神宮です。

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荒神山で買ったのれんは私の部屋の入口扉につけました。サイズがぴったり。


ところで、吉良の仁吉は虎造の浪曲で有名になったようですけれども、「初代京山幸枝若 秘蔵ライヴ発掘集」というCDに収録されている「吉良の仁吉(河内音頭)」もスバラシイ。先日それがYouTubeにアップされているのを見つけました。是非聴いてみてください。

(2013年8月探訪)
プロフィール

notarico

Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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