三吉演芸場の「おかみ」本田玉江さん座談会 2011.6.27
神奈川新聞に「わが人生」という、地元ゆかりの人物の自叙伝を毎日連載しているコーナーがあります。
今年の5月6月はボクサーのカシアス内藤で、横浜でボクシング活動を続けてきた自分は毎日楽しみに読んでいました。その次の7月8月はなんと三吉演芸場のおかみ本田玉江さんが登場するとのこと。
6月27日に神奈川新聞主催のプレイベント本田玉江座談会「大衆演劇と歩む」が三吉演芸場で行われたので見に行きました。

事前に申込み送られてきた受講票

三吉演芸場は毎週月曜日は大衆演劇はお休みで、原田ヒロシのライブや桂歌丸一門の寄席をやっています。
座談会の案内の上にあるのは原田ヒロシライブのチラシ。

会場はほぼ満員
三吉演劇場は今年の12月で80周年。大衆演劇の小屋としては日本で一番古い歴史を持つそうです。
本田玉江さんは現在86歳とのこと。父親が六代目菊五郎とクラスメイトだったこともあり小学生の頃から歌舞伎を観るのが大好きだったそう。
22歳のときお見合いで嫁いで来た先が風呂屋。その2階が貸席で当時は興行師に貸していた。その後本田さんはやりたいと強情を張って芝居小屋に改修して三吉演芸場を始めたとのことです。
建物の老朽化のために廃業の危機もありましたが横浜市などの協力もあり現在の演芸場に生まれ変わったのは1998年。そして今に至る・・・とあまりにも簡単に書いてしまいましたが、1時間の座談会ではたくさんのエピソードが紹介されました。いろんなご苦労や喜びがあったかと思いますがそれは新聞でタップリ読ませていただきます。
10年前、70周年の際に本田さんがお作りになった「三吉演芸場七十周年記念だより」に本田さんによる面白いコラムがありました。昭和50年、非常に低迷していた状況を打破しようと、本田さんは映画「残菊物語」にヒントを得て「舟乗り込み」を計画・挙行したとのこと(三吉演芸場の目の前には川があるのです)。乗り込みをしたのは梅沢劇団。梅沢富美男当時19才。テレビや新聞も取材に来たそうです。そのフィルム見たいな~。

三吉演芸場の廊下の壁には本田さんの写真が貼ってありました。

翌日の神奈川新聞に座談会の様子が掲載されていました。
座談会ではゲストの原田ヒロシさんが本田さん作詞の歌を披露。それもとても良かったです。
今年の5月6月はボクサーのカシアス内藤で、横浜でボクシング活動を続けてきた自分は毎日楽しみに読んでいました。その次の7月8月はなんと三吉演芸場のおかみ本田玉江さんが登場するとのこと。
6月27日に神奈川新聞主催のプレイベント本田玉江座談会「大衆演劇と歩む」が三吉演芸場で行われたので見に行きました。

事前に申込み送られてきた受講票

三吉演芸場は毎週月曜日は大衆演劇はお休みで、原田ヒロシのライブや桂歌丸一門の寄席をやっています。
座談会の案内の上にあるのは原田ヒロシライブのチラシ。

会場はほぼ満員
三吉演劇場は今年の12月で80周年。大衆演劇の小屋としては日本で一番古い歴史を持つそうです。
本田玉江さんは現在86歳とのこと。父親が六代目菊五郎とクラスメイトだったこともあり小学生の頃から歌舞伎を観るのが大好きだったそう。
22歳のときお見合いで嫁いで来た先が風呂屋。その2階が貸席で当時は興行師に貸していた。その後本田さんはやりたいと強情を張って芝居小屋に改修して三吉演芸場を始めたとのことです。
建物の老朽化のために廃業の危機もありましたが横浜市などの協力もあり現在の演芸場に生まれ変わったのは1998年。そして今に至る・・・とあまりにも簡単に書いてしまいましたが、1時間の座談会ではたくさんのエピソードが紹介されました。いろんなご苦労や喜びがあったかと思いますがそれは新聞でタップリ読ませていただきます。
10年前、70周年の際に本田さんがお作りになった「三吉演芸場七十周年記念だより」に本田さんによる面白いコラムがありました。昭和50年、非常に低迷していた状況を打破しようと、本田さんは映画「残菊物語」にヒントを得て「舟乗り込み」を計画・挙行したとのこと(三吉演芸場の目の前には川があるのです)。乗り込みをしたのは梅沢劇団。梅沢富美男当時19才。テレビや新聞も取材に来たそうです。そのフィルム見たいな~。

三吉演芸場の廊下の壁には本田さんの写真が貼ってありました。

翌日の神奈川新聞に座談会の様子が掲載されていました。
座談会ではゲストの原田ヒロシさんが本田さん作詞の歌を披露。それもとても良かったです。