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私のもさく座探訪日記 その4:衝撃的だった橘鈴丸座長の入魂の舞踊、歴史のまち行田の中心地を行く

私のもさく座探訪日記
その4:衝撃的だった橘鈴丸座長の入魂の舞踊、歴史のまち行田の中心地を行く


行田市にある大衆演劇場、湯本天然温泉茂美の湯の「もさく座」の探訪日記シリーズ第4回目。

かつての私は、行田という土地に対して、ゼリーフライという郷土料理があるらしい、くらいの知識しかありませんでした。
もさく座探訪をきっかけに行田がとても歴史ある町であることを知ることになります。

今回は大衆演劇観劇の前に行田の歴史を探訪します。
2019年12月、それまで遠く眺めることしかなかった忍城(おしじょう)を目指しました。

忍城は秩父鉄道行田市駅が最寄駅。
東京在住の私は上野から高崎線に乗り、北鴻巣(もさく座への送迎バスがでる駅)を通りすぎて熊谷駅まで行き、秩父線に乗り換えました。

熊谷駅から西に3駅目に行田市駅があります。

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秩父鉄道行田市駅の改札を出て地上に降りる途中に「忍城」の幟がたくさん並んでいました。

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秩父鉄道行田市駅
ちなみにJR高崎線には行田駅があります。行田市駅と行田駅とは5kmくらい離れています。
行田市駅界隈が、江戸時代に忍藩十万石の城下町の名残があり、古くからの市の中心街といえます。

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駅近くの歩道橋。
「埼玉県名発祥の地 行田」と書かれています。
埼玉県名の由来も行田の歴史にかかわっていそうです。それは後ほどわかります。


街を散歩していますと、看板に「フライ」と書かれた店を見かけました。焼きそば、ミックスという文字も見えます。
ミックスというのはフライと焼きそばを一緒に食べられる一品のようです。

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忍城は駅から歩いて15分ほどのところにあります。

忍城は文明10年(1478年)頃築城された難攻不落の名城で関東七名城のひとつ。
1590年豊臣秀吉の関東平定の中で、石田三成による水攻めにも耐え「忍の浮城(うきしろ)」とも称されました。明治維新の際に取り壊された城郭は1988年。
2012年公開の映画「のぼうの城」は忍城を舞台とした物語です。

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忍城の本丸跡地には「行田市郷土博物館」があります。
この郷土博物館に入場しますと通路を渡って忍城の中に入れます。


郷土博物館の中には行田の文化材・歴史遺産を並べた展示がありました。
行田の郷土料理「フライ」と「ゼリーフライ」について確認しておきましょう。

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フライ
小麦粉を溶いてねぎを入れ、薄く延ばして焼き上げたお好み焼きに似た郷土料理。足袋工場に勤める女工さんのおやつとして普及した。
ゼリーフライ
おからとジャガイモを混ぜて揚げたコロッケに似た郷土料理。足袋工場に勤める人々に、おやつとして愛されている。

どちらも、足袋工場に勤める人々のおやつ、とあります。

そう、足袋は行田市の近代化を支えた産業なのです。

江戸時代に城下町として拡張整備が進むなか、行田の足袋は名産として知られるようになりました。天保年間の町絵図では27軒の足袋屋が記されています。
足袋は町の中心作業となり、明治20年代にミシンが導入されると大量生産されるようになります。明治22年の忍町誕生から昭和24年の行田市誕生までの60年間が行田足袋の全盛から衰退期までの時代でした。
昭和13年には年間約8500万足を生産し、なんと全国シェアの約8割を占めていたとのこと。市の中心地には足袋蔵と呼ばれる洋風の倉庫が建てられ、今もそのいくつかが街に残っています。

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そういうわけで行田の街中には「足袋蔵のまち行田」という幟をあちこちに見かけます。

郷土博物館には、江戸時代の足袋屋の店構えを再現したものや、足袋の製造工程などくわしく展示されています。

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江戸~明治の足袋の展示
右下は18世紀中頃の東海道と中山道のガイドブック。「忍のさし足袋」の記載があります。

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足袋の商品ラベル

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私が選ぶNo.1はこれ。
「登録商標 たびはみちづれ」

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郷土資料館内から忍城三階櫓(天守)に入りました。

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幕末の忍城の模型
複雑な水上都市の様相。容易に敵は寄せ付けない城であることがよくわかる。

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忍城址では、観光事業として「忍城おもてなし甲冑隊」の屋外公演が行われています。
郷土博物館を出て、甲冑隊のパフォーマンスを楽しみました。
おもてなし甲冑隊の方々は大衆演劇を観に行って参考にしたりしているのかな。

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バスの時間まで街中を散策しました。
ところどころにレトロな建物を見かけます。

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足袋蔵。現在は別用途として再活用しているよう。

忍城付近から湯本天然温泉茂美の湯へ移動します。

「市内循環バス」の「観光拠点循環コース」という路線を使います。
「右回り」のバスに乗り「市役所前」バス停から「埼玉古墳公園前」バス停まで約24分。

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市役所前バス停の時刻表。(ダイヤ改正により現在と時刻が違います)
右回りバスは1日5便しか出ていません。
もさく座昼の部前の12時すぎに到着できそうな便をピンポイントで狙って乗ります。

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市内循環バス

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「埼玉古墳公園前」バス停で下車
遠くに茂美の湯の黄色い建物が見えます。

このバス停や古墳公園がある界隈の地名は「埼玉県行田市埼玉」
そうなのです、埼玉県の県名の由来となっている「埼玉(さきたま)」という地名が残る場所です。古墳公園に隣接して前玉(さきたま)神社があります。
(埼玉古墳公園については、もさく座探訪日記第3回をご覧ください)

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明治4年7月に廃藩置県が布告され、同11月に現在の埼玉県のエリアは西部が入間県、東部が埼玉県となりました。江戸時代に埼玉郡という郡があったそうで、それが県名に使われました。
(写真は行田市郷土博物館内の展示物)
明治9年にはほぼ現在と同じ埼玉県ができました。
ということで古来から現在まで「埼玉」の地を有する行田が「埼玉県名発祥の地」と名乗っているのです。

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茂美の湯に到着。
今月の劇団は、橘小竜丸劇団鈴組。

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とりあえず天然温泉に入ってから食事。
ゼリーフライをいただきました。

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久しぶりに来たもさく座。

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以前の座椅子席はなくなり、ちょい高イスになりました。

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劇場の中ほどの席

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劇場後方

さて、この日は橘小竜丸劇団の公演を昼の部・夜の部と楽しみました。

このブログで何度か鈴丸特集記事を載せましたとおり、私は鈴丸座長ファンです。

この日の鈴丸座長をオンパレードでご紹介します!

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この日、私の胸が異様に高鳴ってしまった舞踊がありました。衝撃的でした。以下4段階に分けて(私の勝手な印象を添えて)写真でご紹介します。
SNSでの曲名表示はNGですので伏せます(ヒント:とある柑橘)。


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読書をしている青年。

何かが胸に去来したのだろうか。

天を仰ぐ。

振りほどけない追憶になすすべもなく。



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青年は立ち上がる。

自分の意志ではなく心の中の何かによって動かされているかのように。

眼鏡をはずす。

青年の瞳に映っているのは遠い過去か。

次第に溢れてくる思いに身体を委ねてゆく。



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やるせない感情が青年をせきたてる。

突き動かされたように青年は激しく舞う。

幻想と現実が入り混じった世界。



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青年の動作は鎮まってゆくが、そこには強い意志と力強さを感じる。

自分の中に残っている思いは自分そのものだ。

そこには自分が生きた証が輝いている。

それを噛みしめているかのように。


ストーリー性のある構成、舞踊の主人公への強い思い入れ、鈴丸座長らしい舞踊でした。
鈴丸座長の舞踊はどれも素晴らしいですけれど、
私の胸を揺さぶったこの一本は私にとっては正真正銘の「当たり」でした。


帰りは茂美の湯の送迎車で北鴻巣駅に運んでもらい、高崎線で帰りました。
歴史の町の探訪と魂のこもった鈴丸座長の舞踊、充実した一日となりました。


(2019年12月探訪)(2021年1月執筆)

「私のもさく座探訪日記」リンク
第1話:橘小竜丸劇団にみた一本刀土俵入の素晴らしさ、「ゆもと祭り」&「お食事会」のW衝撃
第2話:子役が活躍、マルチ座長率いる劇団暁、初体験のゼリーフライと座長部屋
第3話:それぞれ乗り越えてきた道 劇団千章、行田はみどころたくさん 城と古墳と国宝

私のもさく座探訪記 第3話:それぞれ乗り越えてきた道 劇団千章、行田はみどころたくさん 城と古墳と国宝

私のもさく座探訪記

第3話:それぞれ乗り越えてきた道 劇団千章、行田はみどころたくさん 城と古墳と国宝

2014年2月にもさく座にのったのは関東の人気劇団、一見劇団でした。
私はファミリー劇団が好き。もちろん一見劇団も好きです。
しかしもさく座で一見劇団とのお食事会がある日は私は仕事があり行田に行くことができませんでした。
でもこの日は、仕事がなかったとしても私はお食事会に行くことができなかったかもしれません。

その日は関東地方に記録的な大雪が降りました。首都圏の交通機関は乱れ、多くの路線がマヒしていました。
今日のお食事会には人が集まらないのだろうな、と私は職場でもさく座に思いを馳せていました。
後で聞いた話では、そんな状況にもかかわらずお食事会の参加者は多かったそうです。


その翌月もさく座にのったのは劇団千章。

私はお食事会の日に、例によって、送迎予約・宿泊予約・座席予約をしてもさく座に行きました。

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劇場のある新館の入口には、毎月このように座員の顔と名前がわかるポスターが貼り出されます。
足繁く通って座員の顔を覚える余裕のない大衆演劇ファンにとってこのようなポスターはとてもうれしい。

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今日の昼の芝居は「瞼の母」
キタ!

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♪軒下三寸~
「瞼の母」の歌が流れて幕が開きました。
おむかいのお客さんがBGMにあわせて歌を口ずさんでいます。


市川良二座長が忠太郎、市川千章がおはま
という配役。
千章のおはまがよかった。さすがベテランの味わい。


お昼の部を観劇後、ホテルにチェックインしました。

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今日は和室です。

この和室には露天風呂がついている。(ついていない部屋もある)

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べランダに設置された木の浴槽

さっそく入ってみよう。まずお湯を入れよう。
と思ったのです蛇口がみつかりません。
どうやってお湯を入れるのか?

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よく見ると壁にレバーのようなものが。

これか?
レバーをひねってみました。

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出た!

が、お湯がぬるい・・・
ここの温泉の源泉は41.4度。
まだ寒い3月。ここまで汲みあがるまでに冷めてしまうのでしょうか。

まあ無理してここでお風呂に入ることもない。
茂美の湯に行って温泉に浸かりました。
この日はなぜか洞窟風呂にお湯が入っていませんでした。

夜の部。
いつもは18:30からですが、この日はお食事会の日なので18時から。

お芝居が終わって第2部は舞踊ショー。

以下劇団千章のメンバーを何人か写真で紹介します。

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市川千章

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座長 市川良二

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神楽坂美佳

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天童愛勝(よしかつ)

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澤村新之介

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澤村青空・沙羅
(澤村新之介の娘です)

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夜の部ラストショーの市川良二と澤村新之介


劇団千章については、このブログをお読みの方はいろいろご存じかと思います。
人気も実力も折り紙つきであった市川千太郎劇団。どういうわけか知りませんが座長が去り、兄の良二が座長となり劇団千章として活動することとなりました。
兄の良二がどういう胸中であったか、私には知るよしもありません。ただ、人生でそうそう起こることのない試練のような時を乗り越えて来たのだろうことは想像に難くありません。

劇団千章には、他にも気になる役者がいます。

この日の公演では澤村新之介のいぶし銀の活躍が印象的でした。
夜の部の芝居では長い芝居の啖呵を実に流暢に言い放っていました。若い役者ではなかなかできないだろう芸当。プロの技というか、長い間かかって身体に染みついた旅役者の芸という感じです。

私が初めて澤村新之介を見たのは2010年10月の大島劇場、劇団扇也の公演においてでした。

↓そのときの写真
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親子での相舞踊

澤村新之介はその後、伊達劇団にいた弟の澤村龍司とともに2011年6月に劇団さわむらを旗揚げしました。
新之介と龍司の兄弟座長です。
しかし私が2011年11月に劇団さわむらの公演を観にいったとき、そこには新之介座長の姿はありませんでした。
何があったのか5か月で新之介座長は劇団さわむらを去りました。
そして今、劇団千章にいます。

私が知っているのはその程度のことであります。

「旅役者」という語はある感懐を私にもたらします。
何か郷愁を誘うこの語に魅かれて私は大衆演劇の世界にはいりこんでゆきました。
そしてこの世界に接するうちに、「旅役者」についてより複雑で広がりのあるイメージを持つようになりました。
ひとりひとり、さまざまな境遇でそれぞれの宿命に生きている。その生き様は千差万別。
その中に「人生という海を旅している根無し草」というイメージを私に与える役者がいます。
澤村新之介はそんな役者のひとり。

旅役者の父親とその手にひかれた幼い子供が、全国を転々と旅しながら、またいくつもの劇団をわたり歩きながら、それぞれの土地の楽屋で暮らす、という光景を思い描いたとき、私の胸は映画的ペーソスでいっぱいになります。
(実際どのような境遇・心境であったのかは知りません。あくまで私の勝手なイメージです)
根無し草といえば、旅役者を描いた小津安二郎の映画のタイトルは「浮草」でした。


ここでちょっと脱線をお許しいただきたい。

かつて澤村新之介が出演していた劇団扇也についてです。
主に東日本をまわっていましたから関西の方にはなじみのうすい劇団だと思います。

私が最も愛する大衆演劇場は昭和の香りがいっぱいの川崎大島劇場。
その大島劇場の雰囲気に一番マッチする劇団だと私が思うのが劇団扇也です。いや正確に言いますと劇団扇也「でした。」
扇也は今(2014年9月)はなくなってしまったのです。扇也としての活動は2014年3月が最後でしょうか。
三河家扇弥と仁蝶拓也の二人座長。それぞれの名をとって扇也。

私はどこかノスタルジーを感じるこの劇団のテイストが大好きだったのです。
なくなったことが名残り惜しく、ここに回想させていただく次第です。

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三河家扇弥座長

とにかくシブい。あの粋なかっこよさはどう表現したらよいのだろう。
扇弥座長を写真におさめると、自然とこのような昭和のブロマイドのよう雰囲気になってしまう。

そして、私にとって扇也といえば

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扇梨の歌、でもあります。

スタイルのいい扇梨にはドレスの衣装が似合う。
そしてスポットライトに浮かび上がって歌唱する様はとても絵になる。
私は扇梨の歌の時間を楽しみにしていました。

大衆演劇ファン層の圧倒的多数を占める女性にとっては、女性座員による歌は「別に・・・」な感じなのかもしれない。
が、私は少数派の男性大衆演劇ファンのひとりとして言いたい。
芝居小屋においてそこはかとなく妖艶な、どこかに陰翳をはらんだ女性が歌う様には魅了されるものがあると。
そして大島劇場においては劇場独特の場末感が扇梨のステージに蠱惑的ムードを増長する効果を生み出す。
センター公演が多かった扇也ですが、大島劇場での公演は多くの演劇ファンに見てほしいと私は思っていました。

芝居でも扇也独特の演出を見たことがあります。

芝居のいいところでBGMの演歌・歌謡曲が流れるというのはどの劇団でもある演出です。
しかし、芝居のいいところで、役者すなわち登場人物が歌いだしたのを私が見たのは扇也だけ。

その日、第2部の時間になり拍子木の音とともに音楽が流れると、芝居の開始を宣言するように女性の声で次のアナウンスがありました。
「浮世歌草子 男の劇場」(続いて場を盛り上げるBGM)
うたぞうし? 昭和の匂いがプンプンする文句です。
続いて男の声で、本日の芝居の演題がアナウンスされ、幕が開きました。

さて終盤近く、その場面がきました。
かなり省略して書くとこんな感じです。A扇弥座長とB拓也座長のやりとり。

A 「ドスを抜いて勝負しろい」
B 「相手になってやろうじゃねえか」
(音楽が流れイントロが始まる)
A 「(♪歌詞)」 (Aメロを唄う)
B 「(♪歌詞)」(Bメロを唄う)
A・B 「(♪歌詞)」 (ハモる)
A・B 「うりゃっ」(サビを唄い終わった瞬間、二人斬り結ぶ)

なんという演出。いやいいですよ。これは。
この後にも、BGMなしで二人が唄う場面がでてきます。

役者が歌う演劇といえばミュージカル。
私は大衆演劇ミュージカルというものアリなのではないかと思ったのでした。

昭和の息吹を感じるこってりした時代劇。それが扇也の芝居でした。
しかしもう見ることができないのです。

劇団扇也はなくなり劇団員はばらばらになりました。
劇団員だった扇勝也さんはその後いろんな劇団を渡り歩いています。

扇也は大きな苦難を乗り越えてきた劇団でもありました。

2011年3月11月の東日本大震災は大衆演劇界にも大きなダメージを与えました。

劇団扇也は岩手県宮古の海に近いホテルで公演していました。宴会場のあった1階が被災。着物数百枚他多くの劇団の道具が流されました。劇団員は11日間避難所で生活したそうです。
(余談:昨年大島劇場で扇也の公演中、扇弥座長の舞踊のときに震度4の地震がありました。お客さんが動揺するなか扇弥座長はふつうに踊りきり、その後にこう言いました「地震には自信があります」)

劇団戸田は公演していた岩手の大槌町のホテルが被災。海に面していたホテルの地下1階の公演場所はめちゃめちゃになり舞台道具もやられてしまった。

瀬川伸太郎座長率いる不二浪劇団は福島県の蟹洗温泉という施設で公演していました。この施設も海に面しており、津波は窓を破って1階部分を突き抜けました。その場にいたら命はなかったでしょう。劇団員は避難して逃げ延びました。しかし舞台の道具すべては津波にのまれてしまった。
その後もさく座の社長が劇団員のためにホテルを用意して劇団は避難所から茂美の湯に移動したそうです。さすが社長。
当然劇団は公演を続けることができず、4月からは劇団員はばらばらになっていろんな劇団のお世話になりました。

震災後のいろんな役者さんのブログを読んで、大衆演劇界の役者さん同士が強い絆で結ばれていることを知りました。
不二浪劇団にも多くの劇団からの支援があったようです。

当面は不二浪劇団は単独公演を打つことはできないだろうと私は思っていましたが、なんとたった3ヶ月程度の休演後、7月の公演から復帰することとなったのでした。
私はうれしくなり7月1日の復帰公演を観に茨城県まで行きました。(そのときのブログはこちら
・・・しかしその後不二浪劇団は休業となってしまい、また劇団員はばらばらになってしまいました。
瀬川伸太郎は章劇へ。大月瑠也は煌座へ。
そして、神楽坂美佳と天童よしかつは劇団千章へ。

* * *

話はもさく座の劇団千章の公演に戻ります。
私が神楽坂美佳と天童よしかつを見たのはあの復活公演以来でした。
神楽坂美佳の舞踊がとてもよかった。うまくなった。

市川良二座長、澤村新之介、神楽坂美佳
それぞれがそれぞれの荒波を乗り越えて同じ舞台に立っている。
私の目に劇団千章はそのように映っていました。


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送り出しの際、本日のお客さん全員に良二座長がお茶をプレゼントしてくれました。

夜の部が終わり2階のお食事会会場へ。

また座る場所を探すのに気をもむのかなと思ったら、机の上に名前を書いた紙が置かれていました。
お食事会は指定席になったようです。
名前は知らないけれど顔なじみになったおばちゃんの向かいでした。「待ってたよ。来ると思ってたよ」と言ってくれたおばちゃん。

前回一緒に座長部屋を訪問したTさんは参加しているだろうか、と私はまわりを見回しました。今回はいらっしゃらないようです。

皆さんがお弁当に手をつけると、例によって家から自家製漬物を持ってきたおばちゃんがまわりにふるまい始めます。

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このざっくばらんな雰囲気がいい。

隣に座った初対面の方と仲良くお話する、というのはセンターではよくある光景なのかもしれません。でもここのお食事会はもっと日常的なゆるさがあります。演劇以外の話をしていることも多い。
この日も近くに座っていたおばちゃん(初めて話す)が話しかけてきました。
「こないだね、中国のいなかの方に行ってきたの。そしたらね、むこうは全然食べるものがないのよ。それで、むこうの人たちが何か焼いていたの。何だと思う?犬なのよ」
「へー。そうですかー」
私はとても人見知りですが、自己紹介をせずとも周りの人と日常のようにお話することにようやく慣れてきました。

劇団千章の皆さんがやってきて、いつものように挨拶があって、良二座長の発声で乾杯。

場もだんだん盛り上がってきて、劇団千章のみなさんがお客さんの席にまわり出しました。

良二座長は、人のいいやさしいお兄ちゃんという感じ。ほっとするような笑顔がさわやか。

澤村新之介さんも来ました。
娘さんの舞台がよかったので、そのことを聞いてみたら、親からは積極的に芸を仕込むようなことはせず子供達にまかせているとのこと。子供達が自主的に芸の工夫を考えているみたいです。親を見て自分でやらなきゃという使命感が早くも芽生えたのでしょうか。
新之介さんが話のなかでぽつりと言ったことがとても印象に残っています。
「いくつになっても芸に精進するのみです」
このようなことをおっしゃっていました。まさにあのいぶし銀の芸を裏打ちする言葉だなと思いました。

天童よしかつさんも来ました。
私はどうしようかとちょっと悩んだあげく、蟹洗温泉のことを話題にしてみました。が、やはり思い出したくないだろうなと思い、すぐその話題はやめました。今度、若手の会のようなものがあり、その日のショーの演出をまかされているらしく張り切っていました。

飲んだりお話ししたりしている最中、せっせと働いている従業員の方とふと目が合いました。
するとその方の顔が花が開いたように笑顔になりました。
「Tさん!?」
そこに居たのは従業員用の着物を来たTさんでした。笑顔で再会した私とTさん。
訊くと、すっかりもさく座が気に入ってしまったTさんは、茂美の湯の従業員を志願して採用されたとのことでした。
束の間に知り合った方とまた再会できるって嬉しいものだな、と実感したのでした。

お食事会の後はホテル湯本で宿泊。
翌日は観劇せず朝ホテルを出ました。

もさく座に行ったのであればついでに寄るとよいスポットを紹介します。

もさく座のすぐ近く、あるいて数分のところに「さきたま古墳公園」があります。
「さきたま」は漢字では「埼玉」。つまりここの地名が「埼玉県」の県名の由来になっているのですね。

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古墳公園の名のとおり、驚くほどたくさんの古墳が点在しています。

三世紀前半に日本列島に前方後円墳が出現しました。
三世紀に奈良三輪山の麓の纏向(まきむく)遺跡に前方後円墳が造られてから飛鳥に宮都が置かれる592年までの約370年の文化を古墳文化といいます。初期の前方後円墳は初期のヤマト王権の大王墓であり、その後全国に広まっていった前方後円墳の分布範囲がヤマト王権の影響が及んでいた範囲とみられます。

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これは丸墓山古墳。日本最大の円墳だそうです。
石田三成が忍城を攻める際にこの古墳の上に本陣を構えました。

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丸墓山頂上から西北を望む。茂美の湯本館の黄色い建物が目立つ。
三成はここで忍城の水攻めを画策しました。
2012年公開の映画「のぼうの城」は忍城を守る成田長親とこれを責める豊臣方の石田三成が描かれた作品です。

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絵に描いたようなきれいな前方後円墳。
この古墳にも登ることができます。

このように古墳がゴロゴロ点在している公園です。

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古墳は大事にしよう。

これらの古墳からは多くの出土品がみつかっています。

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なかでも稲荷山古墳から出土した「金錯銘鉄剣(きんさくめいてつけん)」(さきたま史跡の博物館所蔵)は国宝に指定されています。
3世紀から4世紀にかけてはヤマト王権が、日本列島の大半を治める朝廷に発展した時代です。しかしこの頃の文字資料は国内外に乏しく「謎の4世紀」となっています(それより前の時代には支那に「魏志倭人伝」という文献がありますが、書かれているのは3世紀半ばまでのことです)。
国内で書かれた最古の文字は行田稲荷山古墳の鉄銘剣か、熊本県江田船山古墳の鉄刀銘とされています(別の遺跡から出土したもっと古い時代の土器などに文字があると報告されていますが、刻まれているのは一文字だけであり、文字かどうかも疑わしいものがあります。115文字が刻まれた「金錯銘鉄剣」は「史料」でありその価値は極めて高いといえます)。
ではその日本最古とも言われている文字史料はいつ書かれたのでしょうか。
この剣には「辛亥の年七月中、記す…」と書かれています。
「辛亥」とあることから西暦471年と見られています。これらの文字は古代国家の成立を読み解く貴重な手がかりとなっています。

この後私は茂美の湯の送迎車ではなく一般のバスを使って帰りました。

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もさく座から徒歩9分ほどの場所に「佐間交差点」があります。この交差点近くに「産業道路」バス停があり、JR吹上駅を結ぶ路線バスが走っています。
もさく座の送迎時間と都合が合わない場合は吹上駅からの路線バスを使うとよいでしょう。

(第3話おわり)


<第4話>
「その4:衝撃的だった橘鈴丸座長の入魂の舞踊、歴史のまち行田の中心地を行く」

私のもさく座探訪記 第2話:子役が活躍、マルチ座長率いる劇団暁、初体験のゼリーフライと座長部屋

私のもさく座探訪記

第2話:子役が活躍、マルチ座長率いる劇団暁、初体験のゼリーフライと座長部屋

正直、埼玉県の行田市は東京都民には(ましてや関西の方には)あまり知られていない街だと思います。
もし何かしら聞き覚えがあるとすればゼリーフライという食べ物についてではないでしょ>うか。
私も行田のゼリーフライという存在は昔どこかで聞いてはいました。しかし当時は行田がどの辺にあるのか、ゼリーフライとは何なのかといった具体的な探究心までは働きませんでした。

行田に大衆演劇場があると知り、いつか行田に行ってみようと思った私にはゼリーフライについての興味もわいてきました。

2014年1月、
行田もさく座にのったのは劇団暁(あかつき)。

栃木県に自前の劇場、船生(ふにゅう)かぶき村を持ち、そこで単独公演を行うという大衆演劇界では異色の劇団です。
座長の三咲てつや先生については、演劇グラフにもルポルタージュが連載されましたから、ご存知の方も多いでしょう。
三咲てつや先生も大衆演劇の座長の中でも際立って異色の経歴の持ち主といってよいのではないでしょうか。

劇団暁に興味を持ち、私が船生かぶき村を訪ねたのが2010年11月。
三咲てつや先生40周年、船生かぶき村17周年の記念イベントの日でした。
まわりに山と畑しかないような、こんなところに劇場が?と思わせる場所に船生かぶき村はありました。
そのときの探訪ブログはこちら

アットホームな雰囲気に心が洗われたような気持ちになった私は、船生かぶき村が、劇団暁が好きになったのでした。

自前の劇場での公演がほとんどだった劇団暁が2012年ごろからいろいろな劇場で公演するようになりました。
特に東京大衆演劇協会系の劇場にのることが増えてきました。
2013年12月には東京いや関東の老舗劇場、篠原演芸場に乗りました。
そしてのその翌月はもさく座での公演。
お客さんを大事にするアットホームな劇団との交流が楽しみで私は「お食事会」の日にもさく座を訪ねました。


もさく座経験者の私の準備に迷いはありませんでした。
お食事会の時間が長引くことを想定して、現地(ホテル湯本)に宿泊することとしました。

HPでお食事会の日を確認する。
電話をして、送迎車の予約、昼の部・夜の部の指定席の予約、お食事会の予約、宿泊予約を済ませる。
そして当日。
10:30上野駅発の高崎線に乗る。
11:23に北鴻巣駅に着く。
11:30発の送迎車に乗る。
11:43頃、もさく座に到着する。

完璧だ、と思っていたのですがここで私はミスをしていたことに気付きました。
演劇グラフについているクーポン券を持ってくるのを忘れた。 
演劇グラフにはもさく座の土日観劇付き入館料2,200円が1,600円になるクーポンがついています。
私は「クーポン券忘れ」をよくしてしまう。たかだか数百円の損得なのだけれど、けっこうくやしさがつきまとう。

さて入館して券売機でチケットを購入します。
ここでクーポン忘れはミスでなかったことがわかりました。
観劇して宿泊する人は、宿泊パックというチケットを買えばよいのです。
宿泊パックは、お風呂+大衆演劇+宿泊で5,750円
安い!(注:このときH2014年1月、消費税率が8%に上がる前の値段です)
このおトクなチケットを買えば演劇グラフのクーポンは不要だったわけです。

さっそく温泉に入ります。壺湯が気持ちいい。

この日は温泉を早めに切り上げ、ゼリーフライに初挑戦するべく食堂に向かいました。
食堂は本館の2階です。

茂美の湯の食堂でアピールしているあるものが壁に掲示されていました。
それはとらふぐ。
最近とらふぐの養殖を始めたようです。

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飲み物(生ビール等)+ふぐ刺身+つまみ(5品から選ぶ)で1,780円と書いてあります。
よし、これも頼もう。

食堂の精算も例によって券売機。
とらふぐ3点セットとゼリーフライを選択。

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とらふぐ3点セット(生ビールと冷奴を選択)とゼリーフライ

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これがゼリーフライ。

行田市観光協会のHPからゼリーフライについての説明文を抜粋引用させていただきます。
「ゼリーフライは、じゃがいも、おからをベースに小判型に整えて油で揚げた食べ物」
「形が小判(銭)にそっくりだったことから「ゼニーフライ」が「ゼリーフライ」に変わったためと伝えられています」
「明治後期には既に食されており、長い間庶民のおやつとして愛されています」

いわゆる 「ゼリー」とは何の関係もない のですね。
ソースをつけて食べます。コロッケに近い素朴な庶民の食べ物です。

とらふぐの刺身も美味しかったです。


食事を終え、大衆演劇昼の部を観るために1階へ降ります。

会場ではなんと、座長の三咲てつや先生お手製の新聞が配布されていました。

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題して「劇団暁・茂作座日々かわら版」

内容はもりだくさん。
・昼の部と夜の芝居の配役と解説
・劇団暁最新ニュース…この号では、この日ゲスト出演の流星が所属する劇団菊と劇団暁が親しい間柄であることが説明されています。
・茂作座館内ぶら散歩…この号では茂美の湯にあるいくつかの湯船の名称の由来が記されています。
・三咲てつやの芸道談義
など。
これだけ情報満載の新聞を毎日作ってお客さんに配っているようです。さすが三咲てつや先生。

芝居は「源太しぐれ」
劇団暁には総帥的立場として三咲てつや先生がいらっしゃいますが、その他に3人の座長がいます。もさく座に出演しているのは三咲夏樹・三咲春樹の兄弟座長。この芝居では春樹座長が主役でした。もうひとりの座長三咲きよ美はこの月は船生かぶき村の公演を任されています。
劇団暁がかぶき村以外で公演していてもかぶき村の公演に穴をあけることはありません。

続いて舞踊ショー。

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三咲暁人

私は劇団暁は久し振りの観劇になります。三咲暁人の変りっぷりに一番びっくりしました。細身の子供だと思っていたのが体格のいい青年になっていました。そして剣のさばきがめちゃめちゃ上手い。いろんな意味で成長しました。

劇団暁の特徴として子役の多さ も挙げられます。

多くの劇団で子役が舞台に立ちますが、子役の群舞があるのはこの劇団ぐらいではないでしょうか。

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子供がみんな楽しそうにやっているのがいいですね。
スパイダーマンのコスチュームもいます。

舞踊ショーでは洗練された芸をじっくり見るのもいいですが
このようなアットホーム感あふれるエンタメが入るのもよいアクセントとなります。

会場では最近上梓された三咲てつや先生の著書も売っていました。
「桟敷は皆んなの楽天地」

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三咲てつや先生の生い立ちや芸道の記録がおもしろく綴られています。
橋本正樹「晴れ姿!旅役者街道」に三咲てつや先生のルポルタージュが収録されておりますが、そこで記されているような先生の自伝に加えて座員エピソードもたくさん書かれている本です。
そのほか、先生が作った歌の歌詞・楽譜や先生が作った戯曲も収録されています。
先生は役者であることはもちろんですが、文章も書けるし、戯曲も書ける。作詞・作曲もできて歌も歌えるシンガーソングライターでもある。本当にマルチな才能をお持ちの方です。そしてこの本を読むと「逆境の中でも前向きにやりたい道を進む才能」が何よりも秀でているのだなと感銘を受けます。

昼の部の後にホテルにチェックインしました。
ホテルには洋室・和室があります。

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この日は洋室

もう1度お風呂に入って夜の部を待つ。
あ~、いいなあ、このだらけた時間。

お食事会の日は、いつもより30分早い18時に夜の部が始まります。

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夜も子供達による楽しい群舞がありました。

劇団暁のたくさんの小学生座員は日々競い合って技・芸を磨いています。
5年後、10年後の劇団暁楽しみだな~。

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飛竜貴
芝居では肝心な役を務めます。
三咲てつや先生の著書「楽屋つれづれ草」から飛竜貴の項を冒頭のちょっとだけ引用させていただきます。
「彼は私の弟子の中で、もっとも特異な存在である。なぜなら、ほかの弟子達が最終学歴中学卒業という中で、貴君だけが高校卒業なのである。その上、ほかの弟子達がズブの素人から弟子になったのに、貴君だけが役者の経歴があって、あの『日光江戸村』で活躍していたのである」

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三咲てつや

夜の部が終演すると、2階ではもうお食事会の用意が整っています。
私が会場の食堂に行くと、もうほとんどの席に参加者が座っていました。

前回同様、どこが空いているだろうか、どこに座ろうかとうろうろしていると、あるおばちゃんが「ここ空いてるよ」と声をかけてくれました。前回とは違う方です。

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お食事会のお弁当。

私が席に着くとさっそく近くの方がグラスにビールをついでくれました。

前回同様、家からタクアンや梅干しを持ってきているおばちゃん方がいて、周りの人にわけています。
「ボク、お弁当に入れとくね」
とおばちゃんが私のお弁当に梅干しを置きました。
このトシになってボクと呼ばれたことに意表をつかれ、私が笑っていると
「あたしにとっちゃそのくらいの年よ」
とその方は言いました。

私はたいへん人見知りで初対面の方々との集いは苦手なのですが、ここのお食事会は、誰とも話さなくても疎外感を感じません。気兼ねすることなくくつろげます。

30分ほどすると、劇団員の方が会場にやってきました。拍手して「お疲れ様」の掛け声をかける人もいれば相変わらずしゃべっている人もいる。
第1話でも書きましたが、ここのお食事会は「劇団ファンの集い」という感じではない。参加者はほぼ毎回出席しているもさく座の常連さん。みんなマイペース。自然体。
たとえば私の近くにいたおばさまは、劇団員が入場しても特に気に留める様子もなくとなりの方とお話していて、ふと劇団席に目をやって「どの方が座長の奥さん?あ、あの方ね」と確認を終えるとまた話をし出すといった感じで。

劇団員がそろうとお食事会が開式?します。
もさく座スタッフの司会から…湯本茂作社長の挨拶→もさく座後援会会長挨拶→東京大衆演劇劇場協会篠原会長挨拶→座長挨拶、メンバー紹介→乾杯
これがお決まりの流れ。
お食事会には必ず篠原会長が出席されるのです。

茂作社長は、一般的な社長のイメージから遠い、愛嬌のある話し方をする明るく面白い方。
社長が挨拶でまず「あけましておめでとうございます」というとお客さんも「おめでとうございます」と明るく答えます。
このやりとりだけで、常連のお客さんがふだんから茂作社長に親しみをもって接していることがわかります。
茂作社長は、夏樹・春樹座長とは5年くらい前に知り合い、かぶき村にも2,3度行ったことがあり、いつか劇団暁がもさく座に来てほしいと思っていた、とおっしゃっていました。

乾杯が終わり歓談が続きます。
しばらくまわりのおばさま方とお話したあと、私は前回席が一緒だったおばさま方の近くに移動しました。
「覚えていますか」と訊いたら「覚えているよ」親しく応え、また私のためにウーロン杯をつくってきてくれました。

しばらくすると、劇団員および茂作社長が客席をまわり始めました。
あちこちで、やってきた劇団員ともさく座常連さんとの交流が始まりました。

場内がいい感じに盛り上がってきた頃、歌の発表がありました。
三咲てつや座長がここ茂美の湯のテーマソングを作ったというのです。
題して「茂美の湯、茂作座、楽天地」 作詞・作曲・編曲 三咲てつや

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歌詞を書いたプリントが配られました。

歌うのはてつや座長の一番弟子、三咲さつき。

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歌詞を見ながらリズムをとる方、拍手をする方、ノリノリの方が多い。

歌の発表が終わると、となりのおばさまは、今聞いたばかりのメロディを口ずさみつつ
「振付もつけたらどうかしら、ここはこう」と言って片手の指先をこめかみにあてました。
片手を額にあてる兵隊さんの敬礼のようなポーズは茂作社長のトレードマークなのです。

劇団が暁がもさく座にきてまだ10日ほど。
公演だけでもお忙しいでしょうに、かわら版もつくりつつ、こんな短期間で歌まで作ってしまうとは、三咲てつや先生の才能には舌を巻きます。

その後もまだまだ歓談は続き、私は移動してきた暁人さんと話をしたりしていました。

私同様、一人で参加していてこの会合の常連ではない方がいました。(この女性をTさんとします)
Tさんは、ご近所にお住まいですがもさく座は最近見はじめた方。私よりはだいぶ年上だと思いますが、雰囲気がとても若々しい。紀子様のような笑顔がすてきなチャーミングな方です。
私とTさんの近くに三咲てつや座長がやってきました。お客さんとの触れ合いを大事にする劇団らしく三咲てつや座長も客席をまわっていたのでした。はじめ何人かの参加者が先生を交えて歓談していましたが、いつの間にか、先生が自分のエピソードを語るのに私とTさんの二人が聞き入るという図になりました。
某有名競輪選手のファンになって全国の競輪場を渡り歩いた話。
夜の街を流しのアコーディオン弾きとして歩いていた頃の話。
船生に土地を見つけてかぶき村を建てた話。
自分は自前の劇場でしかやらないと思っていたが篠原会長との出会いによってそれが変ったという話。
先生は波乱万丈の人生をアクティブに生きてきましたが、話し方はとてもおだやかでジェントル、物腰やわらかかつ謙虚で自己主張もありません。たいしたこともしていないのに虚栄をはる輩の対極のような方です。
そして音楽の話になり、私はもさく座の歌などをどのように作っているのかと質問しました。
先生は音楽の話が大好きのようで、パソコンソフトで作曲・編曲しているなどいろいろ話してくださいました。
マルチの才能を持つ先生は何でもできるのかと私は思っていましたが、以外にもデジタル機器はやらないとのこと。
パソコンのことはほぼわからずホームページやブログを作ったりもできない、スマホは使わない、ガラケーは持っているけど写真は撮らない、デジタルカメラさえ持っていないとのこと。しかし、好きこそものの上手なれで、パソコンによる作曲・編曲はなんとか自力で修得したそうです。
そんな話を目を輝かせながら聞いていた私とTさんに先生が言いました。
作曲しているところをお見せしましょうか? 

「えっ!?」と、私とTさんの目が驚きと喜びでさらに輝いたことは言うまでもありません。

私とTさんは先生の後についてお食事会会場を抜け出しました。

劇団員の宿泊所に着きました。
共用部分にはたくさんの洗濯物が干してありました。
先生はある扉に私たちを招き入れました。
そこが三咲てつや先生が使っている個室。座長部屋。
突然の訪問にもかかわらず部屋の中はきれいに整頓されていました。

先生はPCを立ち上げ作曲ソフトを開きました。
「茂美の湯、茂作座、楽天地」 の音符が並んでいます。
曲のアレンジの作り込みがすごいなと思いました。
ドラム、ギター、ベースいろんな楽器それぞれに、前奏・間奏を含めて細かい音符が書きこまれています。
ソフトにはいろいろな楽器や音色が用意されていて、曲ごとに似合う楽器を選択してゆきます。
ある曲ではポンポン船の音を入れたくて、ソフトに入っていたヘリコプターのプロペラの音で代用したとか。
こういう音作りもとても楽しい作業なのでしょう。

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座長部屋で作曲用PCを操作する三咲てつや先生
(この写真をブログに掲載するご許可をいただきました)


お食事会の会場に戻ると、もう宴は終わりに近づいていました。

暁もアットホーム、もさく座のお客さんもアットホーム。
そして三咲てつや先生とたくさんお話できた楽しいお食事会でした。


ホテル湯本に宿泊して翌日。

行田の町を少し散策しました。
行田ゼリーフライののぼりをたまに見かけます。
そこにはゼリーフライのゆるキャラが描かれています。

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行田をゼリーフライを宣伝した看板。
ん、ゼリーフライの上に似てるけど違うキャラがいるぞ。
何奴ッ?

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これはとある店舗の写真。

行田フライのフラべぇと言うらしい。

実は行田には「フライ」と「ゼリーフライ」の2種類の名物があり、それらは別物なのでした。
「行田フライ」は小麦粉を使ったお好み焼きのようなクレープのようなものらしいです。

昔ゼリーフライを食べたことがあるという妻に確認してみたところ、それは行田フライの方であることがわかりました。
名前が似ているからごっちゃになりやすい。
行田フライを食べることも私の宿題となりました。
(第2話おわり)


<第3話予告>

「それぞれが乗り越えてきた道 劇団千章、行田はみどころたくさん 城と古墳と国宝」

私のもさく座探訪記 第1話 橘小竜丸劇団にみた一本刀土俵入の素晴らしさ、「ゆもと祭り」&「お食事会」のW衝撃

私のもさく座探訪記

【プロローグ】

このブログをお読みの皆さんはご存じの方が多いでしょうが、
大衆演劇を題材とした、なんと漫画本が最近出版されました。

木丸みさき「私の舞台は舞台裏 大衆演劇裏方日記」

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これまでほとんど知られることがなかった大衆演劇の舞台裏の世界。
涙あり、笑いあり、人情あり、まさに大衆演劇ファンが楽しめる内容です。

大衆演劇ファンのみならず、大衆演劇を知らない人にこそ是非おすすめしたいですね。
大衆演劇の特徴をこんなに楽しく、わかりやすく教えてくれる本はありません。
この漫画を読んで大衆演劇に興味を持ってくれる方が増えたらいいなと思います。

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浅草木馬館にも宣言が貼ってありました。

さてこの本では、大衆演劇を見に来るお客さんには3つのタイプがあると言っています。
・特定の劇団を追いかける「ひいき型」
・地元の劇場に通う「常連型」
・いろんな公演地でいろんな劇団を自由に観る「自由型」

私は自由型。
東京の自宅を拠点に主に近場の大衆演劇場に行きます。

しかし、東京は大阪に比べて大衆演劇場の数が少ない。
私の自宅から休日にふらりと出かける気になる距離にある劇場は、東京の「篠原演芸場」「浅草木馬館」「小岩湯宴ランド」、川崎の「大島劇場」、横浜の「三吉演芸場」の5か所だけです。

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私は、1か月のうちにこの5か所全部に行くことを「グランドスラム」と勝手に命名し、大衆演劇を見初めてのめりこんでいった頃はそれを自然と達成していました。

でもここ数年グランドスラムができていません。
同じ劇団がこれらの劇場を転々と移動することがしばしばあり、「こないだ見たから今月はいいや」「こんど大島劇場にきたときに見ればいいや」などと思うことが多いのです。

ちなみに私のホームグランドはいちおう川崎の大島劇場ということにしております(そんなに足しげく通っていないのですけれど)。自宅から一番近い劇場で雨の心配がなければ自転車でも見に行きます。

さて、東京・神奈川から目を広げて南関東をみてみますと、大衆演劇場はいくつか点在しています。
東京在住の「ひいき型」のファンはこのエリアくらいであれば日帰りで追っかけをするのにそれほど躊躇はないかもしれません。

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しかし自由型の私にとってはこのエリアは広すぎる。

たとえば北に目を向けると、わたくしにとって埼玉県は、大宮以北は遠いというイメージが心に強く内在していて(そのエリアに住む埼玉県民の方すみません)、その地に足を運ぶには、「おでかけ」の気軽い気持ちに「遠足」や「小旅行」の気分を足す必要がありました。

そんなわけで、埼玉県北部の行田市にある大衆演劇場にはかなりの心理的距離を感じていました。さらにこの劇場にのる劇団は、東京大衆演劇協会系の関東まわりの劇団で、東京の小岩湯宴ランドとほぼかぶっていると言ってよいでしょう。大衆演劇場めぐりが好きな私であっても、行田の大衆演劇場にゆくにはそれなりのモチベーションが必要でした。

さて、これから先に記述しますブログは、そんな心理的距離を感じていた劇場に、私が心の劇場と思えるほど愛着を持つに至った過程を日記形式で綴ってみようとするものです。

「私の舞台は舞台裏」を読んで、自分も舞台の上で起こること以外で大衆演劇にまつわる世界を楽しく伝えられたらいいなと思いました。つたない文章ですが楽しさを心がけて連載したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。


私のもさく座探訪記

第1話:橘小竜丸劇団にみた一本刀土俵入の素晴らしさ、「ゆもと祭り」&「お食事会」のW衝撃

12月のある金曜日、振替休暇を取得できることになりました。平日のお休み、となれば私はまず芝居か寄席に行くことを考えます。この日は、かねてから行く機会をうかがっていた行田の大衆演劇場もさく座を訪ねることにしました。
なぜなら、この月のもさく座は橘小竜丸劇団の公演だったのです。

大衆演劇観客タイプ「自由型」の私は、特定の劇団や役者をあまり追っかけたりしません。初めて追っかけめいたことをしたのが3年前。
2011年5月に橘小竜丸劇団の橘鈴丸誕生日公演を観るために秋田県のホテルこまちまで行きました。
↓そのときの思い出 (そのときのブログはこちら)
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そう、私は橘鈴丸のファンなのです。

2010年3月篠原演芸場で行われた橘龍丸の座長昇進公演、この日龍丸の姉の鈴丸は椎名林檎の「積木遊び」を踊っていました。かつてよく聴いていた椎名林檎の曲にこんなにも似合う役者がいたのかと感動し、またその日のラストショーの女性役者を中心とした群舞がすばらしく、私は鈴丸のセンスによるショーが好きになりました。以来私は鈴丸見たさに小竜丸劇団の公演に行くことがありました。鈴丸は芝居ではもっぱら立ち役というのも私の気に入りました。


もさく座観劇を決めた私はまずネットで劇場までのアクセスを確認しました。
どうも最寄駅からはだいぶ離れているらしい。
けれども高崎線北鴻巣(きたこうのす)駅から送迎バスがでている模様。1日1便、11:30発。この時間に合わせて電車で行くことにしました。

調べてみると私の家から北鴻巣駅まではとても行きやすいことがわかりました。
自宅の最寄駅から高崎線始発駅の上野駅まで電車1本。
10:30に上野駅で高崎線に乗ると11:23に北鴻巣駅に着きます。上野は始発駅なので高崎線内ではずっと座って行くことができます。
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さて当日。
10:20頃に上野駅に着けばよいので、朝はかなりゆっくりすることができます。
上野へ移動して予定通りの高崎線に乗りました。座席で小一時間読書してたらもう北鴻巣駅。
なんて快適w
大宮以北の埼玉県、ずいぶん行きやすいじゃないか。埼玉のイメージが変わった私。

北鴻巣駅の改札を出て東口方面へ下ります。

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ひな人形・・・?

何かいわくつきの歴史がありそうな街だな鴻巣。
しかし今の私は鴻巣市にあまり興味がない。私が目指しているのは行田市。

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東口ロータリーで送迎車が待っていました。

この送迎は予約制です。
予約制ということは送迎希望者が多いために定員制限をしているのかなとはじめは思いました。後で気づいたのですが、お客さんひとりひとりをしっかりフォローするために、名前と電話番号を確認しているようです。
この日は5人の予約があったようですが時間までに来たのは3人。運転手さんは残り2名をしばらく待っていましたが、来る気配ないのでそのまま出発しました。

12,3分くらい送迎車に揺られていると、黄色い建物があらわれました。

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ここがもさく座です。

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「茂美の湯 源泉」
ここで天然温泉を汲み上げていることがアピールされています。

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ここは2つの建物から成ります。
左の白い建物には温泉と宿泊施設(ホテル湯本)があります。
右の黄色い建物(本館)には大衆演劇場、食事処、遠赤外線サウナと休憩室があります。

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ここは2つの建物をつなぐ廊下のあたり。
劇団の看板やのぼりがあります。

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お風呂が目的の人も大衆演劇が目的の人も入口は一緒。白い建物から入館します。

入口で靴を靴用ロッカーに入れます。

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券売機。
この施設ではお金の精算はほとんど券売機で行われる。
通常の入館料、芝居付き入館料、遠赤外線サウナ(火蔵処という)、散髪代、マッサージ代、貸しタオル代、座イス代、予約席代、等々。

初心者の私は、どのチケットを購入すればよいか受付で確認しました。

この日は金曜日。
毎週金曜日は「ゆもと祭り」の日で、そのチケットを買えばよいことがわかりました。

お金を入れて券売機の「ゆもと祭り」というボタンを押します。
金額はたったの1000円!

これには、茂美の湯入泉料と観劇料金が含まれます。さらに火蔵処という遠赤外線サウナルームにも入れるのです。

通常のお風呂+お芝居の料金は、
平日2000円(会員1400円)、土日2200円(会員1600円)です。
なのに、毎週金曜日のゆもと祭りの日は非会員でも1000円。
温泉とサウナ入り放題+大衆演劇昼の部+大衆演劇夜の部で1000円。
なんてオトク。すごいぞ、ゆもと祭り。

大衆演劇場での座イス代や指定席代もこの券売機で買います。
どちらも100円。小岩の湯宴ランドは座イス300円、指定席500円。
100円だと「高いなあ・・・」とイヤな感情を持つことなく気持ちよく借りることができます。

大衆演劇を行うセンターには、入館料に演劇料金が含まれている場合と、演劇は別料金のところがありますね。
ここは、演劇は別料金。お風呂目的だけで来るお客さんも多いのでしょう。

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受付で靴箱の鍵とチケットを渡し、指定席希望を告げて座席表から希望の席を指定しました。
お風呂のロッカーの鍵と名札をもらいました。この名札は観劇料金を払った人の目印のようなもので、指定席を買った場合はこのように場所を記した名札となります。

昼の部は13:30から。
時間があるのでお風呂に入ることにします。

ここのお風呂は温泉。しかも源泉かけ流しです。

大衆演劇をやっているセンターで源泉かけ流しのところは珍しいいのではなかろうか。
もうひとつここのお風呂で特筆すべきことがあります。それは

露天風呂が広い!

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スペースにして内湯の何倍もの広さがあります。

露天コーナーにはたくさんの種類のお風呂があります。
一人用の壺に入る「壺湯」が超気持ち良い。壺湯は他の健康ランドでも見かけますが、サイズが小さくくつろげないことがあります。茂美の湯の壺はゆったりサイズでもたれかかってぐでっとするのにちょうどよい。

洞窟風呂という子供が喜びそうな露天風呂もあります。
昼前にこの洞窟に入りますと、外から差し込んでくる太陽の光が水面を反射して洞窟の天井にゆらゆらとした神秘的な模様を描き出しているのが見られます。そういうことを狙って設計したのではないと思いますが、なかなかアトラクションめいていてよいです。

お風呂を満喫、サウナも楽しんで浴場を出ました。

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浴場入口のそばにマッサージ屋さんと床屋さんがあります。
どちらも券売機で購入したチケットで支払います。

大衆演劇が行われる本館へ移動します。

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本館入口。
大衆演劇場「もさく座」は1階にあります。

本館に入ってすぐある掲示が目にとまりました。

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偶然にもこの日は劇団とのお食事会がある日でした。
ゆもと祭りに続き、なんてラッキーな日なのだろう。
さっそくフロントでお食事会の申込をしました。

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もさく座入口。
入ってすぐ右に係りの方がいます。座イスはそこでチケットと交換して入手します。

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もさく座平面図。
この図で示されているのは指定席エリア。
図にはありませんがその後方に自由席があります。
指定席エリアも指定が入っていない席は自由に座れます。指定が入った席のテーブルには札が貼られるので区別がつきます。

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後方自由席から見た場内

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自由席エリア。
席というより単に畳敷きスペース。

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花道

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中央花道。
芝居やショーで役者さんが通ります。

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この日は、ゆもと祭り&お食事会ということでかなり指定席が埋まっているようでした。
隣同士で席が埋まるとちょっと窮屈そう。

さて、この日の橘小竜丸劇団
昼の部の外題は一本刀土俵入

えっ?あのか細い龍丸が駒形茂兵衛?
と私は正直思いました。
一本刀土俵入はストーリーが単純なので、見ごたえある芝居にするには主役の存在感がなにより大事なのではないかと思っていました。
うーん、龍丸の茂兵衛だいじょうぶだろうか・・・。
お蔦は必然と鈴丸になるでしょう。私は鈴丸は立ち役が好きだけれども、これはこれで見てみたい。

どうなるものかと期待しながら芝居を観ましたが
期待以上にとても良かったです。

龍丸はやはりみかけは細いけれども役作りがしっかりしていました。
というより長谷川伸の原作に忠実に演じていたように思いました。
とても魅力的な茂兵衛でした。
龍丸の演技がよかったということ以上に、長谷川伸のセリフのすばらしさが龍丸を通じて伝わったという感じでしょうか。
戯曲を読んだだけではよさ伝わらない、舞台上で役者に発せられることで命が宿るセリフ。それに伴い存在感が浮き立ってくる登場人物。長谷川伸先生のすごさに触れた思いがしました。

長谷川伸先生はこの戯曲を2日で書き上げましたが、その前の3,4日には生む前の苦悶、その後の3,4日には育ての苦悶があったと述べています。この苦悶の毎日は日に少なくとも15,6時間は戯曲に集中し、食事は1回のみでトイレにもなるべく行かなかったそうです。「尿を放つと書きかけの人物のセリフのイキが変り、書きかけの事柄の波の打返しが別のものになり易いからであった」と書いています。それほどセリフにこだわった作家でした。

ちなみにこの芝居は長谷川伸の少年期の出来事がタネとなっています。品川で出前持ちをしていた頃の思い出を「ある市井の徒」で次のように綴っています。
『出前持ちをしているときに、今もあるかどうか知らないが、沢岡楼という遊女屋に越後生まれの遊女がいて、本名を確かおたかさん、源氏名は忘れた。この人が新コ(長谷川伸)に身の上を聞き、その若さでこんな処にいて末はどうなるのかと意見され、銭と菓子を貰いました』
長谷川伸は後年になっておたかさんを探しましたが結局みつからずお礼を言うことができませんでした。それで戯曲において恩返ししたい気持ちを茂兵衛に託したのでした。主役の茂兵衛が取り的になっているのは、窮迫した少年期の長谷川伸がなんとか食う道がないかと力士のもとに弟子入りに行って追い返されたという事実を拠りどころとしています。その後伸少年は落語家や講釈師のもとに弟子入りに行きますがいずれもまとまりませんでした。

話をこの日の芝居に戻しましょう。

龍丸の茂兵衛もよかったけれど、さらに
鈴丸のお蔦がとてもイイ。

役作りと性格描写が見事でした。第一場、お蔦が茂兵衛を見送るシーン、とてもよかった。全財産を茂兵衛にあげても笑顔で茂兵衛を勇気づけて送り出すお蔦。ウソっぽくなく、とても自然でお蔦のやさしさに胸が熱くなりました。
茂兵衛と故郷の話をするところもお互いの望郷の思いがそこはかとなく伝わってきてよかった。

このお芝居の第1場の一番の見どころは取手の宿屋、安孫子屋の2階にいるお蔦が道にいる茂兵衛に櫛簪を渡す場面です。もさく座の舞台では天井が低く2階建てのセットなどできません。そこも小竜丸劇団は、帯に櫛簪を結び付けて2階から垂らして茂兵衛に渡すという場面をうまく工夫して表現していました。

この戯曲の第1場の設定は茂兵衛が23,4才くらい。お蔦が23,4才。龍丸、鈴丸とほぼ同年代なのですね。
長谷川伸は歌舞伎役者が演じることを念頭にこの戯曲を書いたのだと思いますが、この日の公演の第1場ににおいては、長谷川伸が描こうとした人情や心の機微は、設定と同世代の龍丸・鈴丸だったからこそ、ある種のリアルさをもって私に響いてきたのかもしれません。

なかなかグッとくるものがあった第1場でした。

10年後の茂兵衛。龍丸は着太りして登場。
腹がへって情けない風体とはうってかわって、たのもしい博徒の旅人姿。
お蔦を助け、座長らしくかっこよく舞台を締めました。

昨今の大衆演劇において、もっと格調ある芝居が見たいなと思うことが少なからずあります。
はやり長谷川伸先生の作はずっと大衆演劇の定番として残ってほしいと思います。
かつては旅役者はこぞって一本刀土俵入を演じていたそうです。みな無断上演で長谷川伸先生もそのことを知っていましたが特にとがめる気持ちもなかったのだと思います。旅役者の中には東京に来た際に先生のお宅を訪問して無断上演のお詫びとお礼にと菓子を置いて行った者もいたそうです。

余談ですが、先日、宝塚演出部の方が大衆演劇に興味をお持ちになったようで、おすすめの劇団や劇場、演目について教えてほしいとのことだったので私なりにコメントしたことがありました。その方が、一本刀土俵入を宝塚でやってみたいと思っていた、とおどろきのコメントをしていたことを知りました。確かにそれは衝撃的におもしろそうです、が・・・冒険しすぎじゃないか?私は普段宝塚を見ませんが、実現したら絶対見にゆきます。

芝居が終わって2部の舞踊ショーまでしばしの休憩

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休憩時間にアイスの販売があります。

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舞踊ショーでの橘鈴丸

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女の座員が多い橘小竜丸劇団。
こういう華やかなステージもこの劇団ならでは。

昼の部の公演が終わって送り出し。

基本的に私は送り出しのときに座員さんと話したりしまぜんが、橘鈴丸には感想を伝えることにいています。
もちろんこのときはお蔦がとてもよかったことを伝えました。

夜の部までまたお風呂に入ったりして時間をつぶします。

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ここは2階の食事処。

ここの施設はお客さんでごみごみしていなくてゆったりできるのがいいですね。
経営的にはお客さんで賑わっている方のいいのでしょうけれども、こちらとしては好きな場所でのんびりできるのはありがたい。

今日はお食事会の日なので、
夜の部は普段より30分早く18時に開演します。

夜の部のお芝居は「眠狂四郎」
小竜丸劇団に似合う演目。

舞踊ショーでは、鈴丸の「黒い花びら」が良かった。
大衆演劇では原曲よりもKEITHがカバーしたバージョンの方が使多くわれますね(劇団荒城のがめっちゃかっこよかった)。
鈴丸もKEITHバージョンでした。女優でこの曲にここまで似合うのも鈴丸くらいでしょう。

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夜の部ラストショー。
この若々しい元気のよさが小竜丸劇団。

さて夜の部が終わり、次はお食事会です。
お食事会は本館2階とは聞いておりましたが、なにぶん初めてで要領がよくわからない。
おそるおそる会場に行ってみる。

会場は昼間見た食堂。そこを半分に仕切っています。
テーブルが4列並んでいいます。席数にして70名分くらいでしょうか。
それぞれの席にお弁当が乗っています。

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お食事会の出席者は慣れた常連さんばかりのようで、もう多くの方が席についていて、お弁当を食べ始めている人もいます。
4列ある机のうち1列は劇団用のようで、そこだけ誰も座っていません。

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会場の後ろにはドリンクコーナー。
ビール、焼酎、ソフトドリンクなどが用意されています。

皆さん席でおしゃべりしていてもうすでに団らんの雰囲気ができあがっています。私はアウェー感を抱いてとまどいつつ、どこに座ろうかときょろきょろしていると、「ここあいてるよ」と声をかけてくれたおばちゃんがいました。
わ、ありがたいなと思いながら、私はその方の前に座りました。
「何飲む?ビールでいい?」
私が座るなり、旧知の友達のように話しかけてくるおばちゃん。
あ、なんかこの気兼ねない感じ、なつかしいなと思いました。
初めて会う親族に緊張しながらも、やさしく温かく迎えられてほっとした子供の頃の記憶のような。

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お食事会のお弁当

私のまわりはおばちゃん方ばかり。左隣には私より2回りは上くらいのおじさまがいらっしゃいました(Aさんとします)。
みなさんは、初対面の私に特段の気遣いをするわけでもなく、いつものように会話しています。が、私のコップが少なくなると必ず誰かが「次何飲む?」と聞いてくれます。どなたかが自宅で漬けた漬物をタッパに入れて持ってきて、みんなに分けていて、私にも当然のようにタッパが差し出されました。私はそれをいただいて「おいしいですね」などとごく自然にコメントしていました。
なんだろうこの居心地の良さは。
この日私は何人かの方々とお話しましたけれども、誰とも自己紹介はしていません。その必要がない場なのです。
私にとってこのお食事会は非日常的なイベントです。
けれども、このお食事会の常連さんは、舞台の外で役者さんに会えるというイベント性や知らない人も集う会合という非日常性を特に気にするでもなく、単に日常の延長としてここにいる感じ。

劇団員とのお食事会は他の劇場やセンターでも行われています。私はそういうのに参加したことはなかったのですが、想像として、お客さんからしてみたら好きな劇団・好きな役者と交流できるめったにない場であり、劇団からしてみたらファンサービスの場、みたいな構図なのかと思っていました。

ここのお食事会はもさく座に通う常連さんが毎月1回集まるお決まりの場、というとても和やかな雰囲気に包まれておりました。
ただしこの日は熱心な小竜丸劇団ファンの若い方々も数名参加されていました。

参加者の皆さんの食事も終わりかけた頃、橘小竜丸劇団のみなさんが会場にやってきました。
舞台用の化粧もおとして普段着になって、ふだんの姿に、私たちからみれば裏の姿になっています。
劇団員は空いていたテーブルの1列に座りました。
このテーブルにはもさく座(というより湯本グループ)の社長や東京大衆演劇協会の篠原会長も同席しています。

ここでようやく司会(もさく座のスタッフ)がはいり、お食事会の本番が始まりました。
もさく座後援会長、篠原会長、社長、座長の挨拶や劇団員紹介があり乾杯となりました。

先ほど書きましたように、このお食事会は、劇団の営業活動という側面は少ないです。
劇団は劇団用のテーブル、参加者は参加者用のテーブルでそれぞれ飲み食いしゃべっています。

それも時間がたつにつれ、お酒がはいるにつれ崩れてきて、
若い劇団ファンはそれぞれ話したい役者をとりまくようになりました。

私も鈴丸に声がけぐらいしようと思っていたのですが、その場になってみるとそれができませんでした。
というのも、舞台用の化粧を落とした鈴丸にどうも面と向かって話しにくかったのです。

若い女性は人前では必ず化粧をするものですし、すっぴんの顔は見られたくないでしょう。
鈴丸は劇団の副座長もつとめる若い女役者です。舞台用の化粧を落とした顔を見られるということは、すっぴんの顔を見られるということに近い抵抗がもしかしたらあるのではないか。
実は私は一度舞台化粧を落とした鈴丸の顔を見たことがあります。それは秋田での鈴丸誕生日公演の日、となりに座っていた常連のおじさんが見せてくれた秋田ホテルこまちでのお食事会の写真です。この時私は素顔(といってもある程度の化粧はしているでしょうが)の鈴丸を見て、勝手に他人のすっぴんをのぞきこんだようなうしろめたさを覚えたのでした。

その時の記憶がよぎり、結局私はこのお食事会では声をかけるどころか一度も鈴丸の顔を見ることができずに終わりました。

そのかわり同席したもさく座常連の方々とはいろんな話をしました。

「もさく座」の名は社長の名前(茂作)からきている。
「茂美の湯」の名は社長の名前と奥さんの名前からきている。
大衆演劇が始まったばかりの頃はこの食堂で公演が行われた。
1階はもともとパチンコだった。大衆演劇場に改修するにあたり、龍新のお父さんが監修した。だから役者にやりやすいつくりになっている。
といった劇場にまつわる話。

若い役者と握手するのはなんてことないけれども、40代50代の役者さんとは握手できないの。この間やっと握手できたけれど、それも指先にちょっと触っただけ。
と、乙女な発言をするおばちゃま。そうか、若ければいいってものではないのか、自分の子供よりも年齢が下くらいになるとトキメキの対象から外れてしまうのだな、と思った私。

もさく座常連の方は、ここ以外に大宮のゆの郷やメヌマラドン温泉にも行く人も多いみたいですね。
哀川昇と片岡梅之助(どちらもゆの郷にのる)のどちらがいいかなんて話しているおばちゃまの話を、ボクは駒澤輝龍も好きだナなどと思いながら聞いていたり。

で、私のグラスが空になると、「何飲む?ウーロン茶割り?作ってきてあげる」とドリンクコーナーまで行ってウーロン割りを持ってきてくれるおばちゃん。

ところでこのお食事会はドリンクが飲み放題なのです。
お弁当付き飲み放題。それで2000円。安いっ。
とはいえ参加者年齢層的にはたくさんお酒を召し上がる方はいらっしゃらないでしょう。若い参加者は役者さんとお話するのに夢中。

あるとき、茂作社長が若い女の子の参加者に囲まれて話しておりました。
しばらくして、司会者から発表が。夕方以降の入館料が安くなるという制度を復活します、というアナウンスでした。
どうも夕方にしかもさく座に来られない小竜丸劇団ファンの方々が社長に直談判していたようです。
ファンのパワーすごいなーと思ったのでした。(注:この制度がこの後どうなったのかは知りません)

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東京からやってきた私は帰りの終電を気にしなければなりません。
私は終電に間に合うように北鴻巣駅まで車で送迎していただくようフロントでお願いしていました。
席が隣で男同士ということもあり、私はAさんといろいろお話していました。
Aさんは柔らかい笑顔が似合う、温和でいかにも性格がよさそうな方。
気付けば、お食事会は予定終了時間を大幅に超え、送迎車がでる時間が迫っておりました。

私はAさんに別れを告げ、本館を出てフロントで靴の鍵をもらいました。
玄関口で送迎車が待機しているようでした。そこにAさんがやってきました。私が送迎車に間に合うかどうか心配で見にきたようです。Aさんは間に合ってよかったと、笑顔でつぶやきました。そして私の帰りを見送ってくださいました。

高崎線の終電に乗りながら、私はこの日の出来事を思い出していました。
こうして私のもさく座探訪1日目は幕を閉じました。
(第1話 おわり)


<第2話へのリンク>

「子役が活躍、マルチ座長率いる劇団暁、初体験の行田ゼリーフライと座長部屋」 



プロフィール

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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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