神仏習合の里 国東半島旅行記
大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記その⑤
神仏習合の里 国東半島旅行記
旅の5日目。今日は中津を出発して国東(くにさき)半島を旅します。

豊後高田は江戸時代から戦後高度成長期にかけて国東半島の中で最も栄え賑わった街。
時代はかわって往時の賑わいは失せてしまったようですが、活気があった昭和の時代の町の雰囲気を再現した「昭和の町」があるとのことで訪ねることにしました。

昭和の町のアーケード。

こんな昔風の商店がたくさんあります。商店街の総延長は550mもありました。
昭和の町を模したテーマパークはありますが、現役で営業している商店街全体を昭和にしてしまったという例は他にないのではないか。

神仏習合発祥の地(宇佐神宮・国東半島)の看板があります。
宇佐神宮は八幡大菩薩として菩薩号を最初に冠した神社。
今日は神仏習合の郷をめぐります。

雨にそぼ濡れるの商店街。
昭和の町を離れ、国東半島中央部の山の方に車を走らせます。
国東半島の宗教文化をわらわす言葉に「六郷満山(ろくごうまんざん)」があります。
国東半島の六つの村に所在する寺院を総称してこう呼びました。
六郷満山の寺々は多くが仁聞菩薩の開基と伝えられていますが、実は仁聞菩薩という菩薩は仏教の経典には存在しません。
宇佐神宮の神仏習合の思想の中から生み出されたらしいミステリアスな菩薩なのです。
宇佐神宮の中にはかつて弥勒寺という大きな寺があり(明治の廃仏毀釈によってなくなった)豊後と豊前に多くの荘園を支配していました。宇佐神宮の神宮寺(神社の境内にある寺のこと)である弥勒寺の影響下にある寺が国東半島にたくさんできました。
また国東半島は、奇岩奇峰が多く古くから山岳修験がさかんだった場所でもあります。修験には仏教伝来前からのアニミズムの影響もあるはずです。
神と仏が自然と融合した独自の仏教による六郷満山文化は奈良から平安にかけて花開きました。

長岩屋川にある川中不動。
大分県は磨崖仏が多く、全国の約八割の磨崖仏があるそうです。中でも修験の地であった国東半島に多くの磨崖仏が残されています。
ほとんどの磨崖仏は誰が作ったのかわかっていません。川中不動は水害防止を祈念して作られたと言われています。

川中不動のすぐ近くにある、天念寺(左)と身濯神社(右)。
同じ棟でつながっていて、まさに神仏習合の姿がありました。
天念寺は718年の開基。後ろには天念寺岩屋と呼ばれる岩峰郡がそびえ立ち、修験と祈願の寺院として栄えたそうですが、今では無住の寺となっています。

川中不動の近くに小屋がありました。おじいさんがひとりでお土産屋を営んでいるようです。
妻ははちみつを購入。私は壁に鬼の面がかかっていることに気づき、これは何かと聞いてみると、天念寺でお行われる「衆正鬼会」という宗教行事で使用する鬼の面を模して、ある和尚さんが家庭用の魔除けのお面を作っていたとのこと。その和尚さんは亡くなってもう魔除けの面を作る人はいなくなってしまったそう。とても味わい深いお面だったので私は1つ求めました。

お面は帰宅した後、玄関に付けました。
続いて、六郷満山の総寺院、両子寺(ふたごじ)を訪ねました。

両子寺境内、奥の院に向かう階段。
鳥居が大きく、しかしとても自然に建っています。

両子寺奥の院
次に訪ねた富貴寺の近くの食堂で昼食をとりました。

だんご汁定食。
だんご汁は大分県の郷土料理でだんごを手延べした平べったい麺を味噌ベースの汁に入れたものです。
国東半島には、現存する九州最古の建造物があり国宝に指定されています。
それが富貴寺にある阿弥陀堂です。
富貴寺は六郷満山のなかでは末寺にあたります。寺は718年開基と伝えられていますが、阿弥陀堂の建立は浄土思想阿弥陀信仰全盛期の平安後期ではないかと推定されています。

富貴寺の大堂(阿弥陀堂)。
「百寺巡礼」で五木寛之先生がとても興味深いことを取材しています。
富貴寺の境内には白山神社という神社があります。この神社やこの地域にあるお稲荷さんや金比羅さんなどが祀られている祠は富貴寺の管轄下にあって、神社のお祭りでは僧侶の袈裟を身につけた富貴寺の住職がお経をあげているそうです。
明治の神仏分離令の後もこのような文化が残ったのは神仏習合が深く根付いていた国東半島ならではのことでしょう。
この後、真木大堂へ車で移動、藤原時代作の9体の仏像を拝観。
真木大堂の次は日本一の雄大さを誇るという磨崖仏を見るためにさらに車で移動します。

国指定史跡熊野磨崖仏へは駐車場からこのような石段を登って向かいます。

熊野磨崖仏。
高さ約8mの不動明王像。
この写真には写っていませんが隣に高さ6.8mの大日如来像もあります。
いつ頃できたかのかは不明。鎌倉初期の文書にはそれらしき記述があるようで平安後期と推定されています。
熊野磨崖仏から少し進めば杵築市。
杵築といえば、大衆演劇場きつき衆楽観。
この日は恋瀬川翔炎座長が公演していたので夜の部に行こうと思いました。が、調べてみるとなんと劇場がある杵築の中心街に宿泊施設がみつからない。夜の部を見てから他の町に移動して宿泊することも考えましたが、ちょっとハードなスケジュールになってしまうので、大衆演劇はあきらめ、磨崖仏の近く杵築市にある宿に泊まりました。

宿の近くにあった、観光案内所兼近所の集会所のようなところにきつき衆楽観のチラシがありました。
大衆演劇を観なかった分、夜はゆっくりできます。
温泉につかって旅の疲れを癒しました。
旅は終盤にさしかかりました。
(つづく)
■大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記 もくじ
1日目:映画シアターも大衆演劇場もあるサービス多彩な健康ランド 「くだまつ健康パーク」
2日目:山に囲まれた歴史ある温泉地の巨大娯楽施設付ホテル 「湯本観光ホテル西京 夢遊湯亭」
3日目:大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」
4日目:福岡と大分の境にある広大な複合施設の中の劇場 「湯の迫温泉 ぶらり劇場」
5日目:神仏習合の里 国東半島旅行記
6日目:かつて炭鉱で栄えた地に復活した旅芝居の文化 「見聞劇場」
7日目:博多の大衆演劇と十日恵比須
神仏習合の里 国東半島旅行記
旅の5日目。今日は中津を出発して国東(くにさき)半島を旅します。

豊後高田は江戸時代から戦後高度成長期にかけて国東半島の中で最も栄え賑わった街。
時代はかわって往時の賑わいは失せてしまったようですが、活気があった昭和の時代の町の雰囲気を再現した「昭和の町」があるとのことで訪ねることにしました。

昭和の町のアーケード。

こんな昔風の商店がたくさんあります。商店街の総延長は550mもありました。
昭和の町を模したテーマパークはありますが、現役で営業している商店街全体を昭和にしてしまったという例は他にないのではないか。

神仏習合発祥の地(宇佐神宮・国東半島)の看板があります。
宇佐神宮は八幡大菩薩として菩薩号を最初に冠した神社。
今日は神仏習合の郷をめぐります。

雨にそぼ濡れるの商店街。
昭和の町を離れ、国東半島中央部の山の方に車を走らせます。
国東半島の宗教文化をわらわす言葉に「六郷満山(ろくごうまんざん)」があります。
国東半島の六つの村に所在する寺院を総称してこう呼びました。
六郷満山の寺々は多くが仁聞菩薩の開基と伝えられていますが、実は仁聞菩薩という菩薩は仏教の経典には存在しません。
宇佐神宮の神仏習合の思想の中から生み出されたらしいミステリアスな菩薩なのです。
宇佐神宮の中にはかつて弥勒寺という大きな寺があり(明治の廃仏毀釈によってなくなった)豊後と豊前に多くの荘園を支配していました。宇佐神宮の神宮寺(神社の境内にある寺のこと)である弥勒寺の影響下にある寺が国東半島にたくさんできました。
また国東半島は、奇岩奇峰が多く古くから山岳修験がさかんだった場所でもあります。修験には仏教伝来前からのアニミズムの影響もあるはずです。
神と仏が自然と融合した独自の仏教による六郷満山文化は奈良から平安にかけて花開きました。

長岩屋川にある川中不動。
大分県は磨崖仏が多く、全国の約八割の磨崖仏があるそうです。中でも修験の地であった国東半島に多くの磨崖仏が残されています。
ほとんどの磨崖仏は誰が作ったのかわかっていません。川中不動は水害防止を祈念して作られたと言われています。

川中不動のすぐ近くにある、天念寺(左)と身濯神社(右)。
同じ棟でつながっていて、まさに神仏習合の姿がありました。
天念寺は718年の開基。後ろには天念寺岩屋と呼ばれる岩峰郡がそびえ立ち、修験と祈願の寺院として栄えたそうですが、今では無住の寺となっています。

川中不動の近くに小屋がありました。おじいさんがひとりでお土産屋を営んでいるようです。
妻ははちみつを購入。私は壁に鬼の面がかかっていることに気づき、これは何かと聞いてみると、天念寺でお行われる「衆正鬼会」という宗教行事で使用する鬼の面を模して、ある和尚さんが家庭用の魔除けのお面を作っていたとのこと。その和尚さんは亡くなってもう魔除けの面を作る人はいなくなってしまったそう。とても味わい深いお面だったので私は1つ求めました。

お面は帰宅した後、玄関に付けました。
続いて、六郷満山の総寺院、両子寺(ふたごじ)を訪ねました。

両子寺境内、奥の院に向かう階段。
鳥居が大きく、しかしとても自然に建っています。

両子寺奥の院
次に訪ねた富貴寺の近くの食堂で昼食をとりました。

だんご汁定食。
だんご汁は大分県の郷土料理でだんごを手延べした平べったい麺を味噌ベースの汁に入れたものです。
国東半島には、現存する九州最古の建造物があり国宝に指定されています。
それが富貴寺にある阿弥陀堂です。
富貴寺は六郷満山のなかでは末寺にあたります。寺は718年開基と伝えられていますが、阿弥陀堂の建立は浄土思想阿弥陀信仰全盛期の平安後期ではないかと推定されています。

富貴寺の大堂(阿弥陀堂)。
「百寺巡礼」で五木寛之先生がとても興味深いことを取材しています。
富貴寺の境内には白山神社という神社があります。この神社やこの地域にあるお稲荷さんや金比羅さんなどが祀られている祠は富貴寺の管轄下にあって、神社のお祭りでは僧侶の袈裟を身につけた富貴寺の住職がお経をあげているそうです。
明治の神仏分離令の後もこのような文化が残ったのは神仏習合が深く根付いていた国東半島ならではのことでしょう。
この後、真木大堂へ車で移動、藤原時代作の9体の仏像を拝観。
真木大堂の次は日本一の雄大さを誇るという磨崖仏を見るためにさらに車で移動します。

国指定史跡熊野磨崖仏へは駐車場からこのような石段を登って向かいます。

熊野磨崖仏。
高さ約8mの不動明王像。
この写真には写っていませんが隣に高さ6.8mの大日如来像もあります。
いつ頃できたかのかは不明。鎌倉初期の文書にはそれらしき記述があるようで平安後期と推定されています。
熊野磨崖仏から少し進めば杵築市。
杵築といえば、大衆演劇場きつき衆楽観。
この日は恋瀬川翔炎座長が公演していたので夜の部に行こうと思いました。が、調べてみるとなんと劇場がある杵築の中心街に宿泊施設がみつからない。夜の部を見てから他の町に移動して宿泊することも考えましたが、ちょっとハードなスケジュールになってしまうので、大衆演劇はあきらめ、磨崖仏の近く杵築市にある宿に泊まりました。

宿の近くにあった、観光案内所兼近所の集会所のようなところにきつき衆楽観のチラシがありました。
大衆演劇を観なかった分、夜はゆっくりできます。
温泉につかって旅の疲れを癒しました。
旅は終盤にさしかかりました。
(つづく)
(2017年1月)
■大衆演劇場と寺社仏閣をめぐる旅<山口・福岡・大分編> 旅日記 もくじ
1日目:映画シアターも大衆演劇場もあるサービス多彩な健康ランド 「くだまつ健康パーク」
2日目:山に囲まれた歴史ある温泉地の巨大娯楽施設付ホテル 「湯本観光ホテル西京 夢遊湯亭」
3日目:大衆演劇の灯を絶やさないために・・・ 小倉にオープンした待望の劇場 「宝劇場」
4日目:福岡と大分の境にある広大な複合施設の中の劇場 「湯の迫温泉 ぶらり劇場」
5日目:神仏習合の里 国東半島旅行記
6日目:かつて炭鉱で栄えた地に復活した旅芝居の文化 「見聞劇場」
7日目:博多の大衆演劇と十日恵比須