歴史ある温泉地にオープンした大衆演劇場を併設した温泉ホテル 「あだたら温泉ホテルパラダイスヒルズ」
歴史ある温泉地にオープンした大衆演劇場を併設した温泉ホテル 「あだたら温泉ホテルパラダイスヒルズ」
2020年から北海道にある「くりやま温泉ホテルパラダイスヒルズ」で、2021年から福島県にある「あだたら温泉ホテルパラダイスヒルズ」で大衆演劇の単発公演が行われるようになりました。
昨年10月に栗山温泉を探訪しました。今回は安達太良(あだたら)山の麓にある温泉地を目指します。
東京から新幹線で郡山へ。郡山から東北本線福島行きに乗って5駅目の二本松駅で降ります。

二本松駅

駅前からバスに乗ってホテルパラダイスヒルズがある岳(だけ)温泉街へ向かいます。

岳温泉街に着きました。正面に見えるのがメインストリートのヒマラヤ大通り。交差点右手に見える建物が岳温泉観光協会。バスはこの観光協会の裏手に停まります。
この写真の正面方向に安達太良山があるはずなのですが、この日が天気が悪くてよく見えませんでした。

先ほどの交差点を逆方向から見たところ。左に見えるのが観光協会。
この交差点をまっすぐ坂を下りるように進むと左手にホテルパラダイスヒルズがあります。

ホテルパラダイスヒルズの敷地入口

建物入口

建物入ってすぐ左手に検温ゲート。その奥にフロント。
この青いゲートといい、内装の雰囲気といい北海道のパラダイスヒルズそっくり。カフェバーの名称やレストランの名称も北海道のホテルと同じだ。経営者が同じであることが一目瞭然。
ここで、あだたら温泉ホテルパラダイスヒルズの大衆演劇公演概要を記しておきます。
昼の部 13:00~ 芝居&舞踊ショー 2,200円
夜の部(平日)17:30~ 舞踊ショー 1,300円
夜の部(土日祝)17:30~ 芝居&舞踊ショー 2200円
私が訪ねたのは土曜日。昼の部と夜の部の両方を観劇したいと思います。

この日私はこのホテルに宿泊しますが、宿泊料金に観劇料金は含まれていません。
券売機で観劇券を買います。ちなみに観劇料金に入浴料は含まれています。

昼の部の観劇券を受け取りました。
このホテルの大衆演劇会場は全席指定です。
当日の11:30までに指定席を確保すると指定席料金がかかります。
指定席料金を払いたくない人は11:30以降にフロントにて好みの席を選んで指定席を確保します。

フロント脇の壁にこのように座席図とマグネットが用意されています。
マグネットが置かれた席はすでに他のお客さんが確保済み。
マグネットが置かれていない席を選んで伝えますと、その席を確保した証としてストラップを渡してくれます。

指定席ストラップ。
大衆演劇場に入るにはこのストラップが必要です。

ホテル内のサイネージに劇団駒三郎公演のイベント情報が表示されています。
昼の部まで時間があるのでお風呂に入ることにします。
お風呂はもちろん天然温泉。
ここでホテルパラダイスヒルズがある岳温泉について記しておきましょう。
安達太良山に並びそびえる鉄山に豊富な温泉地帯があります。
その付近にあった陽日(ゆい)温泉は西暦800年代から知られており江戸時代は賑やかな湯治場として栄えていたが山津波によって壊滅。その後二本松藩が再興した十文字岳温泉は戊辰戦争で全滅。その後再建された深堀温泉は明治36年の大火のために旅館街が全滅。明治39年に現在の場所に岳温泉が再興された。岳温泉は2011年の東日本大震災でも甚大な被害を受けたようです。
温泉地としての歴史は古いですが苦難の連続だったのですね。
そんな由緒ある温泉地に2021年4月にオープンしたのが「あだたら温泉パラダイスヒルズ」なのです。
岳温泉の泉質は全国でも珍しいという酸性泉。お肌の角質を溶かしてくれるそうです。
私の好きなサウナも完備されており、岳温泉のお風呂を満喫しました。
昼の部が近づいてきましたので大衆演劇場に向かいます。
会場は館内表示によるとイベントホールコスモス。紙でもらった館内案内図には「劇場さくら座」とも書いてある。どちらが正しい名称なのか。

イベントホールコスモス(さくら座)入口

劇場内右後方より

劇場前方

劇場内左サイドの花道
最初から大衆演劇公演を行うことを想定して設計されたのではないかと思われるほど、大衆演劇場っぽいつくりです。

劇場前方から後方を見たところ

劇場最後方の席

座席は座り心地のよりリラックスチェア。ふくらはぎ部分のパッドを上げて膝を伸ばして見ることもできます。
13時、お昼の部が始まりました。
第一部はお芝居。
口上挨拶、休憩をはさんで第二部舞踊ショー。

舞踊ショーの様子。
劇団駒三郎 三好辨太郎座長。
大衆演劇公演を行うにあたり十分な舞台スペースがあることがわかります。

ラストショーの様子
昼の部の観劇が終わりチェックイン。
夜の部まで時間があるので岳温泉街のお土産屋さんに行きました。
夜の部は17:30から。終演は20時近くになってしまいます。
夜の部を観劇する宿泊客はフロントに言っておくと、観劇後すぐに食事できるよう手配してくれます。
この日の劇団駒三郎夜の部の芝居は「百太郎騒ぎ」と書いてありました。
これを見て私は「おおっ」と少し興奮しました。
というのも「百太郎騒ぎ」というのはあの長谷川伸先生の戯曲。
私は古本屋で新国劇の「百太郎騒ぎ」の台本を購入して所有しているのです。

昭和32(1957)年 新国劇「百太郎騒ぎ」台本
かつては歌舞伎でも演じられたことがあるようですが、私はてっきり現代においては廃れてしまった演目なのかと思っていました。
大衆演劇にこの演目が今日まで引き継がれていることを知りませんでしたし、思いがけず旅先で出会ったので驚いたのでした。
興味津々な劇団駒三郎の「百太郎騒ぎ」
以下私がこの日みた劇団駒三郎の「百太郎騒ぎ」と新国劇台本「百太郎騒ぎ」のあらすじを記します。
劇団駒三郎「百太郎騒ぎ」2022あらすじ
源五郎一家が秩父の旅籠伊勢屋に乗り込んでいる。5年前に貸した金(当時5両、今は利子がついて50両)を返せと伊勢屋の女将のおつるに迫っている。おつるが金がないと困っていると、源五郎は夕方までに金が出来なければこの旅籠とこの旅籠にいるおいちをもらってゆくと言い残して去る(はなからおいちが目的だった)。旅人連雀の百太郎が伊勢屋に客として来る。おつるは百太郎に事の経緯とともに、おいちは昔亭主が連れてきた親なし子だということを話す。百太郎はおいちと二人で話しているうちに、おいちが昔別れ離れになった自分の娘であることに気付く。夕方になり源五郎一家が伊勢屋に来る。百太郎は自分が金を払うから証文を見せろという。百太郎は証文を破り捨て、源五郎一家と百太郎は屋敷の外に出る。
百太郎は源五郎一家を斬り倒す。百太郎はおつるに、おいちが自分の子であること、いつか必ず迎えにくることを伝える。百太郎はおいちの花嫁費用としておつるに金を渡して去ってゆく。
新国劇「百太郎騒ぎ」1957年あらすじ
連雀の百太郎は秩父吾野宿の吾野屋という旅籠に投宿している際、宿の娘のお米と良い仲になった。それに反対したお米の両親は、百太郎を追い出すことをやくざの親分弥兵衛に依頼する。百太郎は弥兵衛ら三人を斬り倒し、お米に「生きて生きて生き抜け」と伝えると馬を盗んで去る。
24年後の吾野宿。吾野屋はなくなりかわりに江戸屋という飯屋になっている。もう死んでしまったお米の娘のお時が江戸屋に来ている。お時は吉原の遊女だが、吉原から逃げてきたのだ。お時はお時を追って来た仁吉に連れ去られそうになるが百太郎が現れ仁吉をこらしめる。お時は百太郎が父親であることを見抜くが、百太郎はそれを否定する。目明しが百太郎を捕えようとするが逆に百太郎に打ち倒される。百太郎は馬に乗ってその場を去ってゆく。
このようにふたつの「百太郎騒ぎ」は全く違う話となっています。おそらく新国劇版は長谷川伸先生の原作にだいぶ忠実であると思われるので、大衆演劇版が長い年月のうちに独自に変化をして今の形となったのでしょう。こんなにも別話になってしまっていても、劇団駒三郎公演ではしっかりと「長谷川伸原作」とアナウンスしていました。娘が鏡を持って来て百太郎の顔と自分の顔を見比べる場面はどちらにもあり、駒三郎版にも若干の原作の面影が残っているといえるでしょう。

夜の部が終わって夕食会場へ。
先付、前菜三種、刺身、皿物、焼物、鍋、揚げ物、ご飯、水菓子の懐石料理。
ちなみに宿泊料は1泊2食付きで税込み17,000円。
このホテルでは館内のいたるところ(廊下など共用スペース、お風呂、食事場所)で80年代歌謡曲、ポップス、ニューミュージックが流れていて、昭和後期の懐かしさを旅情とともに味わうことができます。
食事の後はまた温泉に入って就寝。

翌朝の朝食も品数豊富。
朝食の後チェックアウトしてホテルを出ました。
ここ安達太良山や二本松付近には観光地がいろいろあります。
あだたら山ロープウェイで山に登ることができます。
また高村光太郎の妻の智恵子は二本松の生れで、市内には智恵子の生家を再現した家や智恵子記念館があります。
だが、どこも車がないと移動できません。電車・バス旅行者の私は仕方なく二本松を離れ福島の飯坂温泉に寄って帰りました。
さて、せっかく二本松市の大衆演劇場の旅のレポートしたので、その近辺にある是非とも紹介したい施設をご案内します。
JR二本松駅から郡山方面に2駅目の本宮駅に、知る人ぞ知るレトロな旧劇場があります。
それは「本宮映画劇場」
以下2019年に私が探訪した際の写真にてご紹介します。
今から100年以上前、1914年(大正3年)に芝居小屋兼公民館「本宮座」として生れました。戦時中に「本宮映画劇場」と改称。1963(昭和38年)に閉館。その後、建物は取り壊されることなく、オーナー家が手入れを続け現在に至っています。

本宮映画劇場外観

映写室
現存しているのが奇跡的と思われるカーボン式映写機

劇場内
公式に劇場見学などはやっていないのですが、「行けば劇場関係者がいることが多い」「快く内部を見学させてくれる」という口コミを頼りに、私は突撃訪問しました。噂どおりに劇場入口にはご老人(おそらく館長)がいて内部を案内してくださいました。
戦前には多くの旅芝居役者がここで公演したのだろうなあと想像をふくらませつつ染み渡るレトロな雰囲気に浸っておりました。
現在も女性館長と多くのファンによって守り続けられている劇場です。
つい先日も東京で「本宮映画劇場祭り」という劇場プロデュースのイベントがあり私は足を運びました。
大衆演劇の劇場ではさすがに100年を超える歴史のある古い小屋はありませんが、半世紀近く存続している現役の芝居小屋はあります。
大衆演劇界は苦境に立たされていると思いますが頑張って存続し続けてほしいです。
(2022年6月探訪)
(本宮映画劇場は2019年9月探訪)
2020年から北海道にある「くりやま温泉ホテルパラダイスヒルズ」で、2021年から福島県にある「あだたら温泉ホテルパラダイスヒルズ」で大衆演劇の単発公演が行われるようになりました。
昨年10月に栗山温泉を探訪しました。今回は安達太良(あだたら)山の麓にある温泉地を目指します。
東京から新幹線で郡山へ。郡山から東北本線福島行きに乗って5駅目の二本松駅で降ります。

二本松駅

駅前からバスに乗ってホテルパラダイスヒルズがある岳(だけ)温泉街へ向かいます。

岳温泉街に着きました。正面に見えるのがメインストリートのヒマラヤ大通り。交差点右手に見える建物が岳温泉観光協会。バスはこの観光協会の裏手に停まります。
この写真の正面方向に安達太良山があるはずなのですが、この日が天気が悪くてよく見えませんでした。

先ほどの交差点を逆方向から見たところ。左に見えるのが観光協会。
この交差点をまっすぐ坂を下りるように進むと左手にホテルパラダイスヒルズがあります。

ホテルパラダイスヒルズの敷地入口

建物入口

建物入ってすぐ左手に検温ゲート。その奥にフロント。
この青いゲートといい、内装の雰囲気といい北海道のパラダイスヒルズそっくり。カフェバーの名称やレストランの名称も北海道のホテルと同じだ。経営者が同じであることが一目瞭然。
ここで、あだたら温泉ホテルパラダイスヒルズの大衆演劇公演概要を記しておきます。
昼の部 13:00~ 芝居&舞踊ショー 2,200円
夜の部(平日)17:30~ 舞踊ショー 1,300円
夜の部(土日祝)17:30~ 芝居&舞踊ショー 2200円
私が訪ねたのは土曜日。昼の部と夜の部の両方を観劇したいと思います。

この日私はこのホテルに宿泊しますが、宿泊料金に観劇料金は含まれていません。
券売機で観劇券を買います。ちなみに観劇料金に入浴料は含まれています。

昼の部の観劇券を受け取りました。
このホテルの大衆演劇会場は全席指定です。
当日の11:30までに指定席を確保すると指定席料金がかかります。
指定席料金を払いたくない人は11:30以降にフロントにて好みの席を選んで指定席を確保します。

フロント脇の壁にこのように座席図とマグネットが用意されています。
マグネットが置かれた席はすでに他のお客さんが確保済み。
マグネットが置かれていない席を選んで伝えますと、その席を確保した証としてストラップを渡してくれます。

指定席ストラップ。
大衆演劇場に入るにはこのストラップが必要です。

ホテル内のサイネージに劇団駒三郎公演のイベント情報が表示されています。
昼の部まで時間があるのでお風呂に入ることにします。
お風呂はもちろん天然温泉。
ここでホテルパラダイスヒルズがある岳温泉について記しておきましょう。
安達太良山に並びそびえる鉄山に豊富な温泉地帯があります。
その付近にあった陽日(ゆい)温泉は西暦800年代から知られており江戸時代は賑やかな湯治場として栄えていたが山津波によって壊滅。その後二本松藩が再興した十文字岳温泉は戊辰戦争で全滅。その後再建された深堀温泉は明治36年の大火のために旅館街が全滅。明治39年に現在の場所に岳温泉が再興された。岳温泉は2011年の東日本大震災でも甚大な被害を受けたようです。
温泉地としての歴史は古いですが苦難の連続だったのですね。
そんな由緒ある温泉地に2021年4月にオープンしたのが「あだたら温泉パラダイスヒルズ」なのです。
岳温泉の泉質は全国でも珍しいという酸性泉。お肌の角質を溶かしてくれるそうです。
私の好きなサウナも完備されており、岳温泉のお風呂を満喫しました。
昼の部が近づいてきましたので大衆演劇場に向かいます。
会場は館内表示によるとイベントホールコスモス。紙でもらった館内案内図には「劇場さくら座」とも書いてある。どちらが正しい名称なのか。

イベントホールコスモス(さくら座)入口

劇場内右後方より

劇場前方

劇場内左サイドの花道
最初から大衆演劇公演を行うことを想定して設計されたのではないかと思われるほど、大衆演劇場っぽいつくりです。

劇場前方から後方を見たところ

劇場最後方の席

座席は座り心地のよりリラックスチェア。ふくらはぎ部分のパッドを上げて膝を伸ばして見ることもできます。
13時、お昼の部が始まりました。
第一部はお芝居。
口上挨拶、休憩をはさんで第二部舞踊ショー。

舞踊ショーの様子。
劇団駒三郎 三好辨太郎座長。
大衆演劇公演を行うにあたり十分な舞台スペースがあることがわかります。

ラストショーの様子
昼の部の観劇が終わりチェックイン。
夜の部まで時間があるので岳温泉街のお土産屋さんに行きました。
夜の部は17:30から。終演は20時近くになってしまいます。
夜の部を観劇する宿泊客はフロントに言っておくと、観劇後すぐに食事できるよう手配してくれます。
この日の劇団駒三郎夜の部の芝居は「百太郎騒ぎ」と書いてありました。
これを見て私は「おおっ」と少し興奮しました。
というのも「百太郎騒ぎ」というのはあの長谷川伸先生の戯曲。
私は古本屋で新国劇の「百太郎騒ぎ」の台本を購入して所有しているのです。

昭和32(1957)年 新国劇「百太郎騒ぎ」台本
かつては歌舞伎でも演じられたことがあるようですが、私はてっきり現代においては廃れてしまった演目なのかと思っていました。
大衆演劇にこの演目が今日まで引き継がれていることを知りませんでしたし、思いがけず旅先で出会ったので驚いたのでした。
興味津々な劇団駒三郎の「百太郎騒ぎ」
以下私がこの日みた劇団駒三郎の「百太郎騒ぎ」と新国劇台本「百太郎騒ぎ」のあらすじを記します。
劇団駒三郎「百太郎騒ぎ」2022あらすじ
源五郎一家が秩父の旅籠伊勢屋に乗り込んでいる。5年前に貸した金(当時5両、今は利子がついて50両)を返せと伊勢屋の女将のおつるに迫っている。おつるが金がないと困っていると、源五郎は夕方までに金が出来なければこの旅籠とこの旅籠にいるおいちをもらってゆくと言い残して去る(はなからおいちが目的だった)。旅人連雀の百太郎が伊勢屋に客として来る。おつるは百太郎に事の経緯とともに、おいちは昔亭主が連れてきた親なし子だということを話す。百太郎はおいちと二人で話しているうちに、おいちが昔別れ離れになった自分の娘であることに気付く。夕方になり源五郎一家が伊勢屋に来る。百太郎は自分が金を払うから証文を見せろという。百太郎は証文を破り捨て、源五郎一家と百太郎は屋敷の外に出る。
百太郎は源五郎一家を斬り倒す。百太郎はおつるに、おいちが自分の子であること、いつか必ず迎えにくることを伝える。百太郎はおいちの花嫁費用としておつるに金を渡して去ってゆく。
新国劇「百太郎騒ぎ」1957年あらすじ
連雀の百太郎は秩父吾野宿の吾野屋という旅籠に投宿している際、宿の娘のお米と良い仲になった。それに反対したお米の両親は、百太郎を追い出すことをやくざの親分弥兵衛に依頼する。百太郎は弥兵衛ら三人を斬り倒し、お米に「生きて生きて生き抜け」と伝えると馬を盗んで去る。
24年後の吾野宿。吾野屋はなくなりかわりに江戸屋という飯屋になっている。もう死んでしまったお米の娘のお時が江戸屋に来ている。お時は吉原の遊女だが、吉原から逃げてきたのだ。お時はお時を追って来た仁吉に連れ去られそうになるが百太郎が現れ仁吉をこらしめる。お時は百太郎が父親であることを見抜くが、百太郎はそれを否定する。目明しが百太郎を捕えようとするが逆に百太郎に打ち倒される。百太郎は馬に乗ってその場を去ってゆく。
このようにふたつの「百太郎騒ぎ」は全く違う話となっています。おそらく新国劇版は長谷川伸先生の原作にだいぶ忠実であると思われるので、大衆演劇版が長い年月のうちに独自に変化をして今の形となったのでしょう。こんなにも別話になってしまっていても、劇団駒三郎公演ではしっかりと「長谷川伸原作」とアナウンスしていました。娘が鏡を持って来て百太郎の顔と自分の顔を見比べる場面はどちらにもあり、駒三郎版にも若干の原作の面影が残っているといえるでしょう。

夜の部が終わって夕食会場へ。
先付、前菜三種、刺身、皿物、焼物、鍋、揚げ物、ご飯、水菓子の懐石料理。
ちなみに宿泊料は1泊2食付きで税込み17,000円。
このホテルでは館内のいたるところ(廊下など共用スペース、お風呂、食事場所)で80年代歌謡曲、ポップス、ニューミュージックが流れていて、昭和後期の懐かしさを旅情とともに味わうことができます。
食事の後はまた温泉に入って就寝。

翌朝の朝食も品数豊富。
朝食の後チェックアウトしてホテルを出ました。
ここ安達太良山や二本松付近には観光地がいろいろあります。
あだたら山ロープウェイで山に登ることができます。
また高村光太郎の妻の智恵子は二本松の生れで、市内には智恵子の生家を再現した家や智恵子記念館があります。
だが、どこも車がないと移動できません。電車・バス旅行者の私は仕方なく二本松を離れ福島の飯坂温泉に寄って帰りました。
さて、せっかく二本松市の大衆演劇場の旅のレポートしたので、その近辺にある是非とも紹介したい施設をご案内します。
JR二本松駅から郡山方面に2駅目の本宮駅に、知る人ぞ知るレトロな旧劇場があります。
それは「本宮映画劇場」
以下2019年に私が探訪した際の写真にてご紹介します。
今から100年以上前、1914年(大正3年)に芝居小屋兼公民館「本宮座」として生れました。戦時中に「本宮映画劇場」と改称。1963(昭和38年)に閉館。その後、建物は取り壊されることなく、オーナー家が手入れを続け現在に至っています。

本宮映画劇場外観

映写室
現存しているのが奇跡的と思われるカーボン式映写機

劇場内
公式に劇場見学などはやっていないのですが、「行けば劇場関係者がいることが多い」「快く内部を見学させてくれる」という口コミを頼りに、私は突撃訪問しました。噂どおりに劇場入口にはご老人(おそらく館長)がいて内部を案内してくださいました。
戦前には多くの旅芝居役者がここで公演したのだろうなあと想像をふくらませつつ染み渡るレトロな雰囲気に浸っておりました。
現在も女性館長と多くのファンによって守り続けられている劇場です。
つい先日も東京で「本宮映画劇場祭り」という劇場プロデュースのイベントがあり私は足を運びました。
大衆演劇の劇場ではさすがに100年を超える歴史のある古い小屋はありませんが、半世紀近く存続している現役の芝居小屋はあります。
大衆演劇界は苦境に立たされていると思いますが頑張って存続し続けてほしいです。
(2022年6月探訪)
(本宮映画劇場は2019年9月探訪)