WIKIレンタル 大衆演劇探訪記 国定忠治をめぐって
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大衆演芸の中の国定忠治

大衆演芸の中の国定忠治

国定忠治は実在した人物ですが、その活躍は多岐にわたって脚色され、映画・文学・大衆演芸などでさまざまな物語が生み出されました。
本ブログでは大衆演芸において描かれた国定忠治像をご案内いたします。

大衆演劇においては様々な「忠治もの」の芝居がかかっております。
そのルーツとなる、かつて国民に大人気であった頃の国定忠治の物語を知ることで、
忠治の世界を豊かに広げてゆく一助となれば幸いです。

※タイトルをクリックするとそのページにとびます。

「講談 国定忠治」
昭和24年刊行の講談本「講談 国定忠治」(講談研究会編著)のあらすじを紹介します。
全26話
講談国定忠治_表紙2_2

浪曲 広沢虎造「国定忠治」
国民的人気を得た浪曲師広沢虎造の「国定忠治」のあらすじを紹介します。
・忠治唐丸篭破り
・火の車お萬
・赤城の血煙り
・名月赤城山
・忠治さすらい(二人忠治~忠治大戸の別れ)
・山形屋乗り込み

新国劇「極付 国定忠治」(行友李風作)
『赤城の山も今夜を限り…』人口に膾炙した忠治の台詞を生み出した行友李風の戯曲のあらすじを紹介します。
新国劇を大衆「演芸」の枠の中で紹介してはよくないと思いますけれど、後の大衆演劇に多大なる影響を与えた作品ですのでここに掲載させていただきます。

 * * *

◇国定忠治の「女」
上に紹介しましたあらすじを読みますと、国定忠治の女房の設定が異なっておりますので補足しておきます。
史実としては国定忠治には三人の女がいたといわれています(正妻の鶴、妾の町、一家を支えた徳)。下仁田にもかねという愛人がいたようです。
大衆演芸においては、行友李風の戯曲では、道案内の川田屋惣次の娘が忠治の女房という設定になっています。
虎造の浪曲では、火の車お万という女侠客が忠治の女房になっています。
講談の方で忠治の妻がどう語られたかは私はわかっておりませんが、講談社の講談本ではお万は越後三条の女侠客ということになっています。

「講談 国定忠治」(昭和24年 講談研究会編) あらすじ

「講談 国定忠治」(昭和24年 講談研究会編) あらすじ

戦後間もない頃に刊行された講談本「国定忠治」のあらすじです。
講談国定忠治_表紙2_2

私の手元には、講談名作文庫「国定忠治」(昭和51年講談社発行)もあり、こちらの方が物語のボリュームが大きいですが、
講談文庫_国定忠治_2

今回は内容がコンパクトで古典の趣きある昭和24版の講談本を紹介します。

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「講談 国定忠治」(S24) 全二十六席

一 地獄に仏
国定忠治の父忠作は国定村でも立派な家柄であった。しかし不運なことに、忠治が産まれると、忠作と妻お安は病気になってしまった。お安が死んで、忠作は百姓をしながら男手ひとつで忠治を育てていた。それを見かねた名主が二度目の妻としてお辰を世話してくれた。夫婦の仲睦まじかったが忠作はまた病にかかって、貧しい暮らしとなった。
名主の東雲卯右衛門が、自分の家の馬をつかって忠治に馬子をさせる話を持ってきた。忠作とお辰は地獄に仏の話だと喜び、十二三才の忠治も親孝行したいと引き受けた。

二 孝行馬子
忠治は名主の馬を借りて御料の松原まで来た。そこには何人も馬子がいて、国定村の孝行息子と知られていた忠治に馬子の手ほどきをしてやった。なんとかお客をとった忠治。伊勢崎まで運んだ客人からなんと一両をもらった。喜ぶ忠作とお辰。国定村の孝行馬子の忠治の名は近方に知れ渡るようになった。

三 悪い遊び
忠治は十六になった。孝行馬子の忠治も悪い遊びを覚えるようになった。この頃上州では丁半博奕が流行っていて馬子達もやっていたので忠治も手を出した。博奕にのめりこんだ忠治は、負けた日には「今日は客がいなかった」と嘘をついて家に帰った。ある日お辰は忠治が博奕しているのを見てしまう。お辰は家に帰ってきて嘘をつく忠治を詰ってなぐりつけた。病床の父は辛抱して働いてくれと涙ながらに忠治に言う。忠治は死んだ母に会いたくなったとつぶやいた。

四 大天狗額太郎(だいてんぐがくたろう)
博奕に手を出すまいと決めていた忠治だが、馬子仲間にそそのかされて博奕をしてしまい、名主様からいただいた二百文をとられてしまう。
金をつくらないと帰れないが、寒い街道には人通りが少ない。困っていたところ、頭巾をして菅笠をかぶった武士が乗ってくれた。忠治のことを気に入った武士は五両もの金を渡した。びっくりした忠治は名を聞き、顔を拝見させてもらった。男は日光の大谷(おおや)河岸の貸元で大天狗額太郎という親分だった。他人の命を三人助けるために三千両盗んで逃げるところだという。額太郎を見送った忠治は、人の命を助けるために金を盗った立派な親分と感心した。

五 継母お辰
忠治が五両の金を持って帰ると忠作は病の床にいるのにお辰はいない。今ではお辰は薬や飯の用意などろくに忠作の世話をしていない。病人をうちやって夜になっても帰らぬお辰に腹をたてた忠治は家を出た。お辰は、百々村(どうどうむら)の紋治という博奕の親分の子分の蝮の仁蔵と酒を飲んでいた。そこに忠治が乗り込んでゆくと、お辰はきせるで忠治を叩いて忠治の額を割った。お辰が帰っていった後、忠治は紋治親分の家の賭場に飛び込んだ。そこで忠治は三両を元手に八十両ほど儲けた。子分からこのことを聞いた紋治親分は豪(えら)い度胸だと感心した。

六 親の仇
親分の家からの帰り道、藪の中から忠治を槍で突く者があった。忠治はそれを受け止め、一太刀浴びせた。その曲者はお辰であった。仁蔵と共謀して忠治と忠作を殺める計画だったとお辰は息も絶え絶えに供述した。家に帰ると仁蔵がいて、忠治はこれを斬った。忠作はすでに殺されていた。父親が死んでしまってはこの世に何の望みはないと、忠治はいさぎよく死んでしまおうと思ったが、紋治親分の首をもらって死んだ方が父もうかばれるだろうと紋治の家へ乗り込んだ。だが、紋治親分の貫禄の前では忠治は訳を話すので精一杯。名主の卯右衛門も介入して、本件は親を殺された忠治の仇討として役人に届けた。孝行馬子の仇討として忠治の評判はますますよくなってきて、紋治親分は忠治に跡目を継がせることとした。忠治は十五で紋治親分の若親分になり、二十一歳で剣術の免許皆伝となって、立派な親分として村人の話題となった。

七 盗賊様のお通り
忠治が高崎と安中の間の並木道を通っていると、捕らえられた盗賊が籠に入れられて運ばれていた。盗賊は大天狗額太郎であった。忠治は籠のあとをつけ、高崎の城下に入っていった。忠治は額太郎を救い出し、国定村の家へ連れ帰った。額太郎は日光の円蔵と名を変え、忠治の相談相手となった。忠治の勢いはますます強くなり、子分も多くなってきた。

八 島の伊三郎
忠治と同じ上州に島の伊三郎という親分があった。馬方あがりの忠治が売り出しているのがねたましくてたまらない。伊三郎は紋治親分の縄張りを荒してやろうと福島天神に賭場を開いた。子分達が出向こうとしたが忠治はそれを押しとどめた。年の暮れ、忠治はたったひとりで天神の森に行き賭場荒らしをして帰り、子分達はその度胸に感心した。天保二年の正月、伊三郎は涅槃山に賭場を開いた。忠治がまた一人で出かけたが、待ち構えていた伊三郎の子分二三十人に捕らえられてしまい、伊三郎の家に運ばれた。伊三郎は子分に忠治の指をへし折れと命じるが、そこに三河屋の房次郎という大親分が割って入り、この喧嘩は房次郎が預かることとなった。忠治は房次郎に礼を言って帰ったが、喧嘩に負けたことが残念でならなかった。

九 喧嘩あともどり
家に帰った忠治は、円蔵の忠告に従って、二三十人に囲まれても切り抜けられる技量を得るために高崎で半年か一年稽古することとした。忠治が留守の間、伊三郎の子分治三郎と強蔵が天神の賭場で盗られた金を取り戻そうと、忠治の家に押し入った。日光の円蔵と板割の朝太郎は返り討ちに殴り倒して二人を放り出した。伊三郎一家では大騒ぎになって伊三郎はじめ七八十名の者どもが武器を持って忠治の家に向かった。高崎の先生への挨拶を済ませ戻ってきた忠治は、百姓からこのことを聞いて一目散に家に帰った。忠治一家の方では、日光の円蔵、板割の浅太郎、三ツ木の文蔵、清水の岩鉄ら十三四人しかいなかったが綱取明神の坂で伊三郎一家を待ち構えた。忠治一家と伊三郎一家の出入りが始まった。そこに役人が現れ「御用」の声がかかると忠治は引き下がった。役人の前に三河屋房次郎親分が出てきて、この喧嘩は房次郎親分が預かることとなった。
講談国定忠治_見開き本文_2


十 だましうち
忠治の子分に山王堂の谷五郎という男があった。その日は朝から風邪気味で頭痛がしていたが一家の喧嘩の話を聞くと妻のお清が止めるのも聞かず家を飛び出し明神坂に向かった。すでに房次郎が仲人(ちゅうにん)として入って喧嘩が終わった後で、伊三郎一家の身内がどやどや帰るところに谷五郎がすれ違った。伊三郎の子分の謙信治三郎が忠治は斬られて死んだなど谷五郎にでたらめを吹聴した。それがきっかけで口論となり、ついに二人は刀を抜こうとした。その際、何者かが背後から谷五郎を斬りつけて谷五郎はその場に倒れた。
百姓が谷五郎を見つけて忠治を呼んだ。谷五郎は息も絶え絶えに伊三郎の子分の治三郎に斬られたと忠治に言い遺して死んだ。忠治は房次郎のもとへ行き、子分のうらみを晴らしたいから仲人を引いてくれと頼んだ。房次郎は了解し、忠治は伊三郎を討つ機会を今か今かとねらっていた。

十一 子分の仇、役人のなさけ
六月十五日、世良田の天王様のお祭りの日。お宮裏の田圃道、ひっそりとした森かげで忠治と伊三郎が対峙していた。それぞれの子分がそれを見守っている。一騎討ちが始まり、ついに忠治は伊三郎を斬り倒した。伊三郎の子分は一家へ逃げ帰った。伊三郎一家の者は、世良田の森で首のない親分の死骸を引き取った。すぐに忠治一家へ親分の首を取り返しにゆこうと子分達ははやったが、結局伊三郎の兄弟分で甲州にいる鬼の大八親分に来てもらうこととした。甲州からやってきた大八は八州の役人中山清一郎に国定忠治を召し捕るよう頼んだ。中山清一郎は、役人のつとめとして罪人を放っておくことはできないが、忠治という立派な男を縄にかけるのは惜しいと思っていた。
中山清一郎は一計を案じて、目明しの勘助を呼んだ。勘助は忠治の子分の板割の浅太郎の伯父である。夕方、勘助は忠治を訪ねて、ひとまず立ち退くよう勧めた。
その夜、忠治は円蔵とともに日光へ立ち退くこととした。稲荷の森まで来たときに、鬼の大八ら二三人が忠治と円蔵の前に現れ「伊三郎の仇だ覚悟しろ」と忠治を取り囲んだ。どうやらあと四五十人はいるらしい。忠治と円蔵は数人と切り結んだ後森の中に逃げ込んだ。その時、目明しの勘助を先頭に中山清一郎の捕手の役人が赤い提灯を手にやってきた。伊三郎の子分は逃げてしまう。捕手は「御用、御用」と呼ぶばかりで忠治らを捕えようとしない。これは「早く逃げろ」の合図だと捉えた忠治と円蔵は役人のなさけをありがたく受け取って日光へ逃げた。

十二 沼の中
忠治は三年日光にいたが故郷が恋しくなり国定村へ帰った。六月十五日に子分三人を連れて刀を差さずに世良田の天王様にお参りにいった。拝殿では伊三郎の子分が参詣者の顔をこっそりと確認していて忠治を見つけると飛んで帰った。帰り道、忠治は鬼の大八らに取り囲まれた。丸腰の忠治はそこにあった下馬札をとって応戦するが、ついに大八に肩先から斬られてしまう。忠治は沼の中に飛び込んだ。そこに役人が駆け付け、大八の一味は逃げてしまう。忠治と子分の四人は代官所へ連れられ牢につながれた。忠治は傷を手当したら江戸へ送られることとなった。

十三 岩鉄
今まで忠治に世話になってきた百姓たちは忠治が召し捕られたと聞いて騒ぎ立った。百姓からせがまれた名主が、忠治を返してもらうよう代官所に嘆願したが聞き入れられなかった。忠治の子分の中でも一番の大男の岩鉄が槍を持って代官所へ乗り込んだ。丸腰の忠治を傷つけた伊三郎の一味を一人も捕えないで忠治を江戸に送ろうものなら、一家の者の命に代えてでも役人を叩き殺すとすごんだ。役人の方も、毎日のように百姓が嘆願に来るし、こんな子分が何人もいるようでは江戸送りは無理だろうと判断した。あらためて名主百姓の嘆願により忠治は解放されることとなった。

十四 百姓のために
忠治が戻ってきたことを知った伊三郎の身内の者は散り散りに逃げてしまった。
天保八年大飢饉が起こり、貧しい百姓の中には飢え死にする者もあった。見かねた忠治は自分の命を捨ててでも百姓の難儀を救いたいと子分を集めて金集めを始めた。多くの金持ちは忠治の名を恐れて金を差し出した。金を出さない富豪からは夜におしかけて刃物をつきつけて金を出させた。それでも金は足りなかった。

十五 お金の雨がふる
忠治は、蔵の中に金が眠っているという噂の上州太田の大光院という寺を目指して旅立ち、桐生の町を通り過ぎた。桐生の町に佐兵衛という米の買い占めをしている悪い商人がいて、佐兵衛の遣いで重兵衛という男が三千両を運んでいた。忠治は重兵衛を襲って三千両を奪い、大光院の蔵からは二千両を盗み出して国定村に帰った。その夜、国定村の百姓達の家に金の雨が降った。忠治一家の者が投げ込んでいたのである。百姓達はその金で麦や米を買って飢饉をしのいだ、

十六 赤城山へ
百姓達は、金は忠治がくれたに違いないと忠治の家にお礼にいったが忠治は自分がやったのではないとしらばっくれた。しかし役人は重兵衛殺しや大光院の蔵破りは忠治の仕業に違いないと、商人に化けて忠治の家の周りを詮索していた。百姓は、忠治を捕えようとする役人が商人になりすまして村に潜入していると見抜いて、怪しい商人はつかまえて池に放り込んでしまうことにした。実際ある役人が池に放り込まれると、役人の方ではこれに加担する主だった百姓を片っ端から召し捕ることとした。これを知った忠治は、自分のために百姓が捕らえられることがあってはならないと村から立ち退くことを決める。忠治は十四五人の子分を連れて赤城山の滝沢不動に立てこもった。役人は忠治が遠くへ国超えしたものと思っていたが、百姓は忠治が近くの赤城山にいることに気付いて、食べ物を持ってこっそり滝沢不動に置いてゆくようになった。

十七 孝行息子の難
忠治が村からいなくなったと聞いて喜んだのが代官の松井軍兵衛であった。軍兵衛は代官という役を笠に着て百姓をいじめる悪者だが、忠治がいるうちは思うように振舞えなかった。
国定村の隣の室沢村に才助という孝行息子がいて、目の見えない母と妹のお梅と貧しいながらも仲良く暮らしていた。才助が伊勢崎に薪を売りに行っていたとき、軍兵衛に仕えている定助という荒くれ者から喧嘩をふっかけられた。才助は酔っ払った定助を薪で打ち据え、定助は額から血を流して逃げ帰った。軍兵衛は才助を召し捕り牢につないだ。

十八 忠治の徳
百姓達が孝行息子の才助を救おうと代官所へおしかけた。河島慶助という用人は百両の金を出せば代官にお願いして牢から出してやると告げた。村人は金を工面してなんとか六十両は集まった。才助の妹のお梅が自分の身を売って四十両の金を作った。そうして才助は牢屋から出ることができたが、お梅が身を売ったために才助も母も泣き暮らしていた。それから5日目、才助の家に駕篭がかつぎこまれ、中からお梅がでてきた。忠治の代理で板割の浅太郎が店からお梅を身請けしたのである。浅太郎はさらに八十両を才助に渡し、村人への借金を返して母の目の薬を買うように言うと、赤城山に帰っていった。

十九 悪い代官
十二月二十日の雪の日、松井軍兵衛の仲間(ちゅうげん)の定助は無銭飲食をして高崎の町を歩いていた。金を巻き上げようとわざと商人にぶつかり喧嘩をふっかけた。実はそれは国定忠治であった。青ざめる定助を忠治一味は林の中に連れて行き締め上げた。定助は代官松井軍兵衛の悪事を隠さず白状した。その夜忠治一家は定助に案内させて代官所に乗り込むと代官松井軍兵衛と用心河島慶助を斬り殺した。
国定忠治が代官を殺したとあって上州ではお騒ぎとなった。八州の中山清一郎は忠治を召し捕るために厳重に手を配り赤城山を取り囲んだ。

二十 思い違い
何百人の捕手が待ち構える中、忠治は板割の浅太郎を連れて悠々と山を下った。浅太郎と別れて定吉という床屋に入った。そこに運悪く役人がやってきて忠治がいることがばれてしまった。忠治は床屋の屋根の上にのぼった。床屋の周りは百人近くの役人が取り巻いている。そこに浅太郎の伯父で目明しの御室の勘助がやってくる。勘助は忠治に「逃がさねえぞ」と声をかけてはいたが内心では忠治を助けようとしていた。この場を切り抜ける逃げ道を暗に忠治に示唆しながら、逃がすなと仲間にどなった。忠治はそれを聞いて逃げることができた。だが忠治は、勘助の配慮には思い至らず、板割の浅太郎が伯父の勘助に密告したものだと思い違いをした。忠治は浅太郎に親分子分の縁を切ると告げる。浅太郎が弁明するが聞き入れない。そんなに言うなら勘助の首をとってこいと忠治は浅太郎に告げる。浅太郎は赤城山を下って勘助の家を訪ねる。勘助は妻を亡くし九才になる息子勘太郎と暮らしていた。事の次第を知った勘助は自分の首を差し出すことに了解するが、忠治に対する御恩は忘れていないことは伝えほしいと浅太郎に頼む。浅太郎は勘太郎を背負い、勘助の首を持って赤城山に戻り忠治に勘助の言葉を伝えた。忠治は自分の思い違いを知り、一生の誤りを悔いた。浅太郎は勘太郎を育てるために忠治に別れを告げるが、忠治はそれを引き留めた。日光の円蔵はぷいと山をでたまま帰ってこなかった。

二十一 赤城を落ちて
百姓がこっそり忠治の手助けをするために八州の役人はなかなか忠治を捕えられないでいた。中山清一郎は百姓達を三日間村から出さないようにして、百五十人近くの捕手が一気に赤城山を登った。これは山を下りるしかないと覚悟を決めた忠治は、三ツ木の文蔵や清水の岩鉄ら四人に役人の足止めをまかせて、蟻の戸渡りの細道から山を抜けた。十四五人の子分を従えた忠治は信州との国境大戸に来ると加部安左衛門という大金持ちの家を訪ねた。だいぶ昔、赤城明神の祭りの日に娘を助けてもらったことがある安左衛門は喜んで忠治を迎えた。その夜、島の伊三郎の弟分の鬼の大八が安左衛門の家に押し入り、自分は忠治だと騙って三千両を巻き上げた。これを見た忠治は外に出て大八を待ち伏せた。大八と子分を斬って忠治は三千両を持って安左衛門の家に戻った。安左衛門が金を受け取らないというので、忠治は千両だけ受け取り、勘太郎を残して立派な商人にしてほしいと安左衛門に頼んだ。
大戸の関所では、忠治が子分を引き連れてくるというのは役人は逃げてしまい、無事に通り抜けて信州に入った。忠治は、いずれ自分は捕まるので子分は逃がしてやりたいと、子分に金を分け与え一味は散り散りとなった。忠治は一人になった。

二十二 娘は売るな
忠治はただひとり、信州の善光寺にお参りしようと千曲川のほとりにやってきた。そこで身投げしようとしている老人をみつけこれを押しとどめた。聞くと、老人は吉田村の喜右衛門といい、年貢の金に困って二十歳になる娘を山形屋藤蔵という芸妓屋に身請けさせて百両の金を受け取ったが、帰る途中で若い男二人につかまってその金を盗られてしまったとのこと。忠治は、金を盗った若い男が藤蔵の手下ではないかと勘づき、喜右衛門を連れて山形屋へ向かった。はじめは忠治が自分を彦六と名乗っていたので強気にでていた藤蔵だが、忠治が正体を明かすと恐れおののいて百両の金を差し出した。さらに忠治は喜右衛門の娘を身請けして証文を焼かせた。親子には駕篭を手配して自分は悠々甲州路へ向かった。

二十三 猿橋の危難
忠治は甲州の小野沢斧右衛門親分のところに身を寄せた。斧右衛門は以前上州で忠治に助けられたことがあるから喜んでもてなした。忠治は風邪をひいてしまい四五日床についたがなかなか治らない。ある日忠治が裏手の森の方に行くと、斧右衛門と山形屋藤蔵が相談しているのを見つけた。十七日の明神の祭りの際に忠治を連れ出して召し捕るという計画のようだ。忠治はなに知らぬ顔で斧右衛門の家に帰った。忠治の風邪は治り、当の十七日となった。斧右衛門は忠治を連れ出したが、忠治に計画がばれていると気づくと逃げ出した。忠治が甲州上野原の猿橋を渡ろうとした際に役人に取り囲まれた。逃げ場を失った忠治は谷底へ飛び込んだ。

二十四 子分の力
ずぶぬれになった忠治は川上の方へ歩いて行った。一軒家をみつけて訪ねた。そこは美濃の加納の重吉という盗賊の隠れ家だった。なんと忠治の子分の浅太郎もここに一緒に住んでいた。浅太郎は忠治を追って信州から甲州へ来る途中、大菩薩峠で重吉と知り合い、重吉と兄弟分になってこの山中に隠れていたのだ。忠治は元気になり信州に向かう。浅太郎と重吉は山形屋藤蔵を殺した。忠治は信州から越後に出た。以前娘を助けてやった吉田の喜右衛門の世話で、忠治は酒屋の番頭となった。だが、鷲津の音蔵という侠客が、酒屋の番頭が忠治であると見抜いて奉行所に訴え出た。忠治はつかまり、長岡の奉行所に引き立てられて牢に入れられた。忠治は関所破りの罪人として江戸に送られることとなった。
忠治を乗せた籠は高崎で一泊した後、柳瀬川の渡し場に来た。忠治を乗せた籠の船には忠治の子分がいて、船は川下に逃れた。忠治は子分の高崎重吉、板割の浅太郎、清水の岩鉄に助けだされた。

二十五 木隠霧太郎
腹をすかせた忠治一行は、山道の途中、天然の岩屋の広間で飲み食いしている五六十人の山賊に会った。それは、女をあざむく美しい顔で恐ろしい腕前を持つ木隠霧太郎の一味であった。霧太郎は、強欲な金持ちから金を奪い貧しい者に分け与えている義賊であった。忠治も霧太郎もお互い会いたいと思っていた。忠治一家は霧太郎一味を酒を酌み交わし疲れを癒した。

二十六 忠治の最期
忠治は霧太郎と上方に向かった。遠州秋葉で霧太郎と別れた忠治は、伊勢でお参りして大阪に行く。そこで浪花の侠客勢力富五郎と知り合い兄弟分となる。だが富五郎が金毘羅山で自害してしまい、大阪がいやになり、国定村に帰っていった。そこで忠治は役人に捕らえられた。嘉永三年二月十六日、四十二歳の国定忠治は大戸の関所のそばではりつけにされ、役人の突き出す槍を受けて命を落とした。


浪曲 広沢虎造「国定忠治」 あらすじ

浪曲 広沢虎造「国定忠治」 あらすじ

国定忠治は浪曲でももちろん人気演目で、現代でもかけられているネタです。
国民的人気を誇った広沢虎造の音源が手に入りやすいです。

板割の浅太郎の勘助の首取りの場は、浪曲では様々なバージョンがあるようです。

A.忠治が浅太郎に勘助の首をとってこいというのは、勘助のもとに堅気になった浅太郎を戻してやろうという情けであり、それを汲み取れなかった浅太郎が命令を間に受けて勘助の首をとってしまう。
B.忠治は勘助が本当に裏切ったと思い込み、短絡的にも浅太郎に勘助の首取りを命じてしまう。

浪曲では前者が多いようですが、虎造版では後者をとっています。

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浪曲 広沢虎造「国定忠治」

※クリックするとあらすじにとびます
・忠治唐丸篭破り
・火の車お萬
・赤城の血煙り
・名月赤城山
・忠治さすらい(二人忠治~忠治大戸の別れ)
・山形屋乗り込み


■忠治唐丸篭破り


上州佐位郡(さいごおり)国定村の近くの百々村(どうどうむら)に紋治という貸元がいた。紋治には子供がなく、国定村で馬方をしていた16歳の忠治を養子にとった。忠治が21歳のときに紋治は跡目を忠治に譲って隠居した。その半年後、紋治は死に際に、島村の伊三郎とだけは付き合うなと言い遺して死んだ。
ある日忠治が一人で高崎城下へ出かけてゆくと、罪人を運ぶ唐丸篭が通った。大天狗額太郎と記してある。篭の覗き穴から見えた顔から、忠治は罪人が6年前に助けてくれた大恩人だと気づいた。忠治は唐丸篭の後を付け、梅鉢屋という旅籠屋に入ったのを確認した。夜、忠治は額太郎を救い出そうと梅鉢屋に忍び込んだ。
忠治は、長脇差を着物に包んで帯で結わいて松の枝にぶらさげると、雪隠の掃除口に侵入しそこから屋敷に忍びこもうとした。そこにちょうど役人に連れられて額太郎が雪隠に来た。額太郎は忠治から受け取った小刀で縄を切り、忠治にかかえられて屋敷から脱出した。地蔵堂まで来て一息ついたが額太郎はまだ自分を助けたのが誰だかわからない。忠治は、馬方をしていた6年前、客にあぶれて困っていた雪の日に、堅気になれ親孝行しろと意見をくれた上に5両もの金をめぐんでくれた恩人が額太郎であることを告げ、額太郎もそれを思い出した。地蔵堂で忠治は、やはり額太郎を救い出そうと待ち伏せしていた額太郎の兄弟分の三ツ木の文蔵にも出会う。大天狗額太郎は名を改め日光円蔵となる。円蔵と文蔵が番頭役になり、国定忠治は上州一の男になった。

■火の車お萬


国定村から離れた忠治。床屋をみつけるとそこにはいった。忠治が髭をあたってもらっているところに真庭村の貸元、火の車お萬という女親分が床屋に立ち寄って、今日は堅気の衆だけが集まるよい賭場を開くと、この床屋の主人亀吉に告げる。実は亀吉はお萬の子分で博奕好き。お萬に興味がある忠治は、自分を国定村の質屋の番頭と偽って、一緒に真庭村のお萬の家へ連れてゆくよう亀吉にたのむ。これを聞いた亀吉内心喜んだ。実は、お萬の子分でいかさま賽を使う壺振りの三次と亀吉は、床屋に金持ちの客が来たら賭場に連れてきて金を巻き上げようと以前から共謀していのだ。
お萬の家の賭場で、忠治は勝負に負けて二百両をすってしまう。忠治は正体を明かして右足を差し出して、この足をカタに二百両賭けると言い出す。そこに火の車お萬が現れる。お萬は質屋が忠治であることを見抜いていた。以前お萬は、小金井の賭場でいかさま賽を使ったのがばれて命がないところだった三次を救いだした。三次には二度といかさま賽を使うなと約束させて一家に置いていたのにこんなことになってしまったと、お萬は忠治に手をついて詫びた。忠治とお萬の馴れ初めの一席。

■赤城の血煙り


島村伊三郎のところへ日光の円蔵が忠治からの喧嘩状を届けた。「天保八年四月十六日喧嘩の場所は赤城山明神付近 返事を待つ 忠治より伊三郎どん」と書いてあり、伊三郎はこれを受けた。
羽黒山の法印だった清水の頑鉄は喧嘩好きで乱暴者。ついに山にはいられなくなって、忠治を頼ってやくざになろうと上州に出てきた。茶屋で飲んでいると、今日は忠治一家と伊三郎一家の喧嘩の日だという。女中の話では忠治一家百人に対し伊三郎一家は三百人。それにさっきこの茶屋を出た島村方の用心棒、国蔵と幸吉ら六人はめっぽう強いとのこと。それを聞いた頑鉄は赤城山まで追いかけて行ってこの六人を斬り倒した。
喧嘩場では両一家が対峙している。伊三郎方の用心棒、鹿島流の棒遣い熊川大五郎が忠治の前に現れた。私が相手しましょうと忠治の女房の火の車お萬が出てきた。一対一では忠治に引けをとらぬ長刀遣いのお萬だったが、わらじの紐が木の枝に引っかかって倒れてしまい、ついには大五郎に殺された。そこに清水の頑鉄が「我こそは国定忠治の子分四天王の一人で清水の頑鉄なり」と勝手に名乗りを上げて現れて、熊川大五郎を斬り殺した。頑鉄は伊三郎方の用心棒をもうひとり討ち取る。
喧嘩場では忠治と伊三郎の一騎討ちが始まっていた。

■名月赤城山


忠治が一人で赤城の山を下って茶屋で休んでいると、役人に取り囲まれた。どうやら忠治が山を下ったのを目明しに密告したものがあるらしい。忠治は役人を斬りつけながらなんとか切り抜けようとする。そこに目明しの御室の勘助が現れて十手をつきつけてきた。そこからなんとか赤城の山まで逃げてくることができた。忠治は板割の浅太郎を呼ぶ。忠治は浅太郎に、浅太郎の伯父の御室の勘助が俺をつかまえようとした、俺が山を下るのをお前が勘助に内通したのだろう、もし違うというのなら身の潔白を晴らすために勘助の首を持ってこい、でなければ親分子分の縁は切る、と言う。親分思いの浅太郎は山を下って伯父の勘助の家を訪ねた。勘助は三年前に病で目が見えなくなりそうになったところ忠治に助けてもらった恩がある。女房は看病疲れで死んでしまったが今は幼い勘太郎と暮らしている。浅太郎は勘助を背後から斬りつける。内心感づいて覚悟を決めていた勘助は浅太郎に告げる-親分に殺された代官松田軍兵衛の息のかかった目明しが待ち構えているところへ忠治親分がその網にかかったと知らせがあり飛んでいった。忠治が道に迷っているようだったから捕まえるふりをして耳元で赤城山への道のりを教えてやった。でも忠治親分のために死ぬなら本望だ。昨日、お上から八州の中山清一郎様にむこう十日の間に忠治を必ず召し捕れという厳しいご沙汰があった。もしできなければ中山様はお役を召し上げられ、切腹なさるに違いない。中山様には親分を目にかけてくれた恩がある。忠治親分が赤城山から姿を消せばよい。ひとまず山を下ってくれと忠治親分に伝えてほしい。俺が死んだら勘太郎のことを頼む。堅気に育ててくれ-
勘助は、浅太郎を伯父殺しの大罪人にしたくないと、脇差を取って自分の腹を突いて死んだ。
浅太郎は勘助の首をとって、勘太郎を背負って赤城山を登った。浅太郎は勘助の言葉を忠治に伝えた。すでに忠治は思い違いしていたことを後悔していた。忠治は持ち金を子分に配って山を下ることとした。子分の仙八が忠治の山下りを目明しに密通したことがわかり忠治は仙八を斬った。

■忠治さすらい(二人忠治~忠治大戸の別れ)


旅に疲れた忠治の一行七人は上州と信州の境に近い大戸の宿へ。忠治は加部安左門の屋敷を訪ねる。二年前、安左衛門と娘のおさよは赤城明神の祭りの帰り、おいはぎに襲われたところを忠治に助けてもらったことがある。安左衛門は忠治一家をもてなす。
夜、どなり声が聞こえて忠治が見に行くと、四人の押し込み強盗が安左衛門と番頭の新兵衛前に金を強請っている。強盗は自らを、国定忠治、三ツ木の文蔵、板割の浅太郎、清水の頑鉄、と騙った。忠治に起こされた本物の文蔵と頑鉄も強盗を覗きにゆく。あれは、去年赤城の出入りでお万をだまし討ちにした鬼の大八だ。
忠治達は外に出て谷の近くで大八らを待ち伏せた。そこに大八らがやって来て本物の忠治を見て驚く。忠治一味は大八ら四人を斬り倒した。忠治は盗られた三千両を安左衛門に返す。忠治は安左衛門に、浅太郎が連れていた五才の勘太郎を育ててほしいと頼む。安左衛門は引き受け、忠治らは信州へ向かった。

■山形屋乗り込み


善光寺街道を通りかかった忠治。老人が川に身投げしようとしている。訳を聞くと、この老人は越後柏崎の百姓嘉右衛門といい、年貢の金に困り一人娘のお光を権堂の廓の山形屋に身売りして五十両の金を受け取って国に帰ろうとしたところおいはぎに出会ってその金をとられたとのこと。山形屋藤蔵は300人の子分がいる信州きっての目明しでもある。忠治はその金を取り返そうと、嘉右衛門と一緒に山形屋に行く。
忠治は、嘉右衛門の遠縁の者で甲州吉田の忠兵衛と名乗って、おいはぎに五十両を盗られたのでもう五十両貸してほしいと頼むが藤蔵に断られる。だが忠治が、善光寺近くの庚申堂でおいはぎ同士の会話を聞いたこと、そしてそのおいはぎそっくりの者が藤蔵の後ろにいることを告げると、藤蔵は怒りだす。藤蔵の子分が忠治を縛り付けようとするが逆に忠治に打ち据えられる。忠治は藤蔵を組み伏せると正体を明かした。忠治と聞いて藤蔵は態度を変え、下手に出るように。忠治は藤蔵から五十両を受け取り嘉右衛門に渡す。お光も返してもらい、嘉右衛門とお光を駕篭で越後に送った。


行友李風 「極付 国定忠治」 あらすじ

行友李風 「極付 国定忠治」 あらすじ

大正6年沢田正二郎は新国劇を立ち上げました。同年大阪松竹と提携。大阪松竹の白井社長は座付き作家として行友李風を送りこみました。大正8年に「国定忠治」発表。殺陣師段平と立案した立ち回りで観客を虜にしました。

その行友李風の戯曲のあらすじを以下まとめてみました。
「赤城の山も今夜を限り…」の有名な場面はそのまま抜粋いたします。

* * *

行友李風 「極付 国定忠治」 

序幕 赤城山麓室沢村才兵衛茶屋

(代官斬りの重罪を負った忠治一家は赤城の天神山、滝沢不動の万年溜に潜んでいる)
中山清一郎が御用聞きの三羽烏といわれた御室勘助と川田屋惣次を才兵衛の茶屋に呼ぶ。中山はふたりに今夜のうちに忠治召し捕りの手筈を整えるよう命じる。
皮肉にもふたりとも忠治一家の縁者(勘助の娘婿は忠治の片腕の板割浅太郎、惣次の娘のお万の亭主は忠治)である。勘助と惣次はライバル同士で表面上は仲が悪い。
惣次が帰った後、板割の浅太郎が飛び込んでくる。先日勘助が忠治親分に御用の声をかけたこと、今回の捕親の御用を受けたことに対し、日頃の義理を考えたらそんなことはできないはずだ、親分の無念晴らしと勘助に斬りかかる。勘助は「俺の男は俺が立てる」と腹を切る決心で奥へ行く。

二幕目 赤城天神山不動の森

川田屋惣次が忠治の潜伏地へやってくる。惣次は忠治に向かって「この捕親の顔を立て、お縄を受けてもらいたい」と告げる(が、本心では忠治一家に斬られる覚悟である)。子分らは色めき立つが忠治が制する。忠治は、自分の身柄と引き換えに子分一同の罪を許してほしいと告げる。
そこに浅太郎が現れる。勘助の首を持っている。役目と義理の板挟みに逢い、浅太郎に悪名を着せまいと勘助は自分で腹を切ったとのこと。それを見た惣次は、自分も斬られる覚悟でここに来た、勘助の後を追いたいと告げる。惣次が自害しようとするのを忠治が止める。
そこで日光の円蔵が、忠治一家の三百人が今宵のうちに残らず山を下りて散り散りになってしまえばよいと提案する。話は決まり子分と惣次はその場を離れる。残ったのは忠治と子分の巌鉄、定八である。

忠治 鉄。
巌鉄 へい。
忠治 定八。
定八 なんです、親分。
忠治 赤城の山も今夜を限り、生れ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ。
定八 そう云ゃなんだか嫌に寂しい気がしやすぜ。

 雁の声
巌鉄 あゝ、雁が鳴いて南の空へ飛んで往かあ。
忠治 月も西山に傾くようだ。
定八 俺ぁ明日ぁどっちに行こう?
忠治 心の向くまま足の向くまま、当ても果てしもねえ旅へ立つのだ。
巌鉄 親分!

 笛の音、聞ゆ。
定八 あゝ円蔵兄哥が……。
忠治 あいつも矢っ張り、故郷の空が恋しいんだろう。

 忠治、一刀を抜いて溜池の水に洗い、刀を月光にかざし-
忠治 加賀の国の住人小松五郎義兼が鍛えた業物、万年溜の雪水に清めて、俺にゃあ、生涯手めえという強い味方があったのだ。
  定八、刀を拭う。

三幕目 第一場 信州権堂町外れ庚申塚

吉右衛門は山形屋に娘を売って百両の金を持って故郷の越後へ帰る途中である。山形屋の子分三太と馬吉が吉右衛門から百両を強奪する。庚申塚にやってきた忠治、金を奪い終わった三太と馬吉の会話を聞いている。三太と馬吉が去ると吉右衛門が追いかけてくる。忠治は吉右衛門から訳を聞く。

三幕目 第二場 信州権堂山形屋店先

忠治は自分を吉右衛門の甥の彦六と名乗って、吉右衛門とともに山形屋を訪ねる(彦六はひどい越後なまりである)。彦六は山形屋藤蔵に、喜右衛門がおいはぎに逢って財布をとられたからもう百両貸してほしいと頼む。藤蔵は断るが、彦六はおいはぎが藤蔵の子分だったことを指摘する。権蔵は目明しであることを笠に着て彦六を威圧する。忠治は彦六の演技をやめ正体を明かす。相手が忠治とわかって権蔵は下手に出る。忠治は藤蔵から百両ださせ吉右衛門に渡す。さらに身請け金として後で百五十両届けるからと言って吉右衛門の娘お芳を解放させ、吉右衛門とお芳を駕篭で越後に送り届ける。山形屋を去ってゆく忠治を見送って、藤蔵の女房のおれんが口惜しがる。おれんにたきつけられた藤蔵は忠治を待ち伏せして斬ることを決める。

三幕目 第三場 半郷の松並木

山形屋藤蔵と子分が木のかげに隠れている。提灯を手に忠治が通り過ぎる。藤蔵が背後から槍を突き出す。忠治は藤蔵と子分を斬り倒して去る。

四幕目 上州木村の庵室

(忠治は三年の旅の後故郷に戻る途中で子分の頑鉄と定八に逢う。頑鉄と定八は忠治を分家の伯父の家へ届けようとしている。国定村へは後三里)
妙真という尼が住む尼寺。寺では妙真の息子長五郎が拐かしてきて無理やり女房にしたお縫が妙真から折檻を受けている。
忠治と定八、頑鉄は尼寺を訪ね、一晩泊めてもらいたいと頼む。忠治と顔見知りの妙真は表面上は喜んで迎え入れるが、内心金儲けをたくらむ。妙真は忠治が戻ってきているという情報を売ろうと息子の伊三と共謀する。忠治はそのことに感づいた。忠治は尼寺の奥から、縛られているお縫とその赤ん坊を救い出す。寺に戻ってきた妙真を忠治が殺し、三人は寺を出る。

大詰 国定村分家の土蔵の内

(忠治が国定村に帰って二十日が経った。忠治は尼寺での傷がもとで中風に罹り、今では口もきけない)
忠治は全身不随で寝ている。頑鉄と定八が看病していると、御用だ、という声。
分家の多左衛門は役人につかまり、忠治を引き渡そうと役人を案内して土蔵にやってきた。
男らしく死んでゆこうと頑鉄と定八は最後の抵抗をし、斬られて死ぬ。中山清一郎は多左衛門の縄を解き、伯父・甥の最期の別れをさせる。多左衛門は安らかに成仏してくれと、数珠を取り出し忠治の首に懸ける。いたましい忠治の姿。忠治は涙を流す。


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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
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