道東の大自然と湖畔の観光ホテルと旅芝居 「ニュー阿寒ホテル」
道東の大自然と湖畔の観光ホテルと旅芝居 「ニュー阿寒ホテル」
朝早く羽田空港を離陸した飛行機の中で私はずっと眼下の景色を眺めていました。
飛行機は東北地方上空から海に抜け、やがて北海道中南部に差し掛かりました。
北海道の大自然と聞くと、どこまでも広い牧場やラベンダー畑を想像するけれど、それは人間が開発に成功したごく一部の土地なのだろう。眼下にゆっくり流れる風景はジオラマ模型のような樹林や峰の連なりばかりで、そこにはただうすら寒い寂寞だけが君臨している。人間の生活を寄せ付けないような、ましてや豊かな文化的生活など想像できない峻厳とした土地にも、ぽつりぽつりと建物や耕地のようなものが見える。あの畑を耕している人は上空を過ぎる飛行機の影が山肌を滑りゆくのを見て何か感懐を抱くのだろうか、などとそこに暮らす人々に思いを馳せながら私は眼下の風景に見入っていました。山間に糸を垂らしたように筋を引いている道路は、かろうじて何かの命をつないでいる細い血管のようだ。
今回の目的地の阿寒湖には大きな観光ホテルがたくさんあります。年間60万人が宿泊しているという。それだけ観光客が多ければ、受け入れる土地の住民も多く、経済も活発でそれなりの街が形成されているような気もする。
女満別空港へ向かう飛行機は阿寒湖近くを通るルートをとりました。注意深く観察していると、山の起伏の連なりの中に顔をのぞかせている阿寒湖の湖面とその脇にちょこんと存在している白い建物群が見えました。あれが阿寒湖温泉街だろう。しかしその周りにcityはない。他惑星に人類が作ったコロニーかのごとく、大自然の中に湖畔の建物群だけが小さくひっそりと佇んでいる。
なおも私は飛行機の小さい窓に頰を寄せていました。朝方の陽光を受けて輝いている山林が美しい。点在する湖の姿は神秘的で、太古に写し取った景色がそのまま保存されているかのようだ。私はアイヌ語で神とか霊的な存在を示すカムイという語を連想していました。

北海道東部、北見と網走の間にある女満別空港への着陸に向け飛行機は高度を下げます。
今回目指すニュー阿寒ホテルでの大衆演劇初日は11月4日。公演地が北海道となると1日からの興行は無理でしょう。
私が北海道に降り立ったのは11月2日。週末の3連休の初日の土曜日です。2日と3日は大衆演劇から離れ観光の日としました。
網走や釧路には行ったことがあるので世界自然遺産の知床に行くことにしました。

空港でレンタカーを借りる。
私はあまり運転が得意ではないですが、北海道のドライブはとても楽しい。信号がほとんどないし、他の車もあんまり見かけない。
写真はどこまでも続くように見えるまっすぐの道。
知床半島に入り最初の観光スポット、オシンコシンの滝を見る。
その後、知床観光の拠点ウトロへ。
私が携行していった「るるぶ知床阿寒」はカラフルな表紙・紙面で、観光者のウキウキ・ワクワク感を高揚するデザインに徹している。
そのイメージを覆すかのように、私の目に映ったウトロは「北の果ての地」を思わせる暗い陰を持った港町であった。
そう感じた大きな要因はこの季節および観光客の少なさであろう。
知床観光の大きな目玉であるクルーズ船は各社がほぼ10月までで運航を終えている。1月下旬からは流氷観光船が出るようで、つまり11月は船の観光のオフシーズン。さらに知床五湖は閉園間近で一部しか開放されていなかった。そして最高気温が10度を下回る晩秋の気候…。観光するにはさみしすぎる季節だったのです。
昼食。私は地元の方も利用するような食堂で郷土料理でも食せないかと思っていたのですが、事前リサーチできていませんでした。
観光案内所もある「道の駅うとろシリエトク」へ。ここは比較的新しくできたきれいな建物です。

鮭とイクラの親子丼。
シーズンオフとはいえ観光地。るるぶに掲載されているのと同じインスタ映えするどんぶりがでてきました。
活気がなくさみしい道の駅の食堂で薄く切られた鮭の身を食べながら知床をどう観光するか考えていました。
知床のもうひとつの中心地羅臼にも行きたい。ウトロから羅臼まで知床横断道路を通って約40分。行って帰ってくる時間はあるけれど、他の観光スポットとの組み立てが難しいと考え、羅臼は明日の朝行くことにしました。

世界遺産の原生林に囲まれた知床五湖へ。
この日は小ループというコースのみ開放されていました。もう数日後になるとそこも散策できなくなり閉園となります。
ウトロの天気は移ろいやすかった。ちょうど私が知床五湖に滞在した時間帯が曇りだったのが残念だ。
知床五湖の南西つまりウトロ方面には原生林はなく草原が広がっています。この地区は戦前・戦後に開拓者が切り拓いて入植した土地です。最盛期には60戸あったそうですが、土地の条件が悪く、1960年代に離農が進んで誰もいなくなってしまいました。開拓跡地は高度経済成長期の投機ブームの流れで乱開発の危機にありましたが、町が全国に土地買取の寄付を募った運動が実を結び、今では森への再生が進んでいます。
日本の果てのような土地に自らの居場所を求めていった人々がいた。畑作にも向かず水利の悪い土地で集落を営んでいた人々がいた。でも今は何もない草原。そこにはただ風が吹いているだけ。るるぶを携えレンタカーで快適に知床を走っていた私はしばしここで足を止めていました。
この後、フレペの滝、オロンコ岩、プユニ岬をめぐる。

夕陽台から眺めた夕暮れのウトロの町。海に突き出している台形の巨岩がオロンコ岩。上に登ることができる。
残念ながらきれいな夕陽は見られなかった。
この日宿泊したのは、楽天トラベルでほぼすべてのウトロの町の宿を調べて吟味した末に決めた旅館。大きめのホテルの夜食はブッフェになるようで個人的にはあまり期待できない。心のこもった料理を出してくれそうな宿を選びました。
期待通り北海道の旬の料理を提供してくれるよい宿でした。宿の方が鮭をさばいて作ったというイクラの醤油漬けがなまら美味しかったです(使い方あってる?)。
翌日。本当は朝早く出かけて知床横断道路を渡って羅臼に行くつもりだったけれど、10/23~11/6は夜間通行止めで9:00以降にしか渡れないことに前日夕方に気付く。ちなみに11/7からは通行止めとなる。まあ渡れるだけよいかと思って9:00に出発するべく宿で準備をしていたらザーッというすごい音がした。宿を出て車を見るとたくさんの雹(ひょう)がフロントガラスに積もっている。
知床横断道路の入口で多くの車が立往生していました。どうやらさきほどの雹のせいで知床横断道路は通行禁止となったらしい。知床の冬の訪れがもう2時間ほど遅かったら羅臼に行けたのに、、、。この先私は大衆演劇場で羅臼の歌を聞くたびにこの残念さを思い出すであろう。
気を取り直して、中標津町の開陽台へ。ここはぐるっと地平線が見渡せる展望台として人気。
展望台の売店はやはり10月末をもって営業終了していた。
この後も観光スポットに立ち寄りながら阿寒湖へ向かってドライブ。

とってもよく晴れた摩周湖

硫黄山

美幌峠から眺めた屈斜路湖
11月3日の夕刻、阿寒湖に到着しました。
ホテルに行く前に阿寒湖アイヌコタンを観光します。

私は道東の旅は2回目。20年振りに阿寒湖アイヌコタンに来ました。このあたりの雰囲気は変わっていない(と思う)。
とある民芸屋さんで店主のおじさんと話していたら、奥様が大衆演劇ファンでニュー阿寒ホテルの公演を楽しみにしているとのこと。
我々は大衆演劇でアイヌ舞踊を観ますが、アイヌ集落の方が大衆演劇を観るというのは想像したことがなかったな。
この集落の奥に20年前にはなかった大きな建物がありました。
それは阿寒湖アイヌシアターイコロ。
イコロの「ロ」は、「ァ」や「ャ」のような小さい字にするのが正式な表記らしい。一体どう発音するのだろうか。
この日のシアターでは「ロストカムイ」という映像・舞踊ショーと「イオマンテの火祭り」というショーを時間をずらして公演しているようでした。「イオマンテ」の文字を観て私の中の大衆演劇スイッチが入ってしまったのは言うまでもありません。
ホテルにチェックインして夕食をいただいた後、アイヌシアターイコロに行きました。

「イオマンテの火祭り」の様子。
最後はお客さんも舞台に上がって、焚火の周りを回りながら踊ります。
公演の中でムックリという民族楽器が使われています。私はビヨ~ンという音がする口琴(こうきん)という楽器が好きでいくつか持っています。ムックリは口琴に似た竹でできた楽器です。大衆演劇のショーでもイヨマンテ演目の際に取り入れると面白そうだな、と思って観ていました。
北海道の旅2日目終了。
宿は、大衆演劇公演が行われるニュー阿寒ホテルはとれませんでした。
飛行機の窓から見た阿寒湖温泉街は大きな自然に比してこじんまりと見えたけれど、実際には大きいホテルがゴンゴン密集している。他の宿の確保に困ることはありませんでした。

11月4日。大衆演劇公演初日。午前中は阿寒湖を船で観光します。
観光船は湖の複雑に入り組んだ界隈を遊園地のクルーズアトラクションのようにくねくねと運行した後、湖北部のチュウルイ島で乗客を降ろしました。

この辺りの湖底にはマリモがたくさんいて、島にはマリモ展示観測センターがあります。
阿寒湖遊覧後、まだ時間が余っていたので町の観光客向けのメインストリートを散歩しました。
お土産屋や民芸品屋がたくさん並んでいます。

素敵な外観のお店。ガラス越しに店内を見るととてもおしゃれな感じ。扉をくぐりました。
手作りのアイヌアート作品が展示されているお店。
私はアイヌ模様のデザインのカフスを買いました。
この店で驚きの展開が。
店主の女性とお話ししていたら、この方(Mさん)がディープな大衆演劇ファンであることが判明。
それどころか、ニュー阿寒ホテルの大衆演劇公演の際に、劇団の助っ人として投光などを手伝ったこともあるとのこと。
Mさんに北海道の大衆演劇事情についてお話をうかがいました。
まず、北海道には大衆演劇ファンが多いとのこと。とはいえ現在の北海道の公演地は、ニュー阿寒ホテル、定山渓ビューホテル、笹井ホテルの3か所。どさんこの熱心な大衆演劇ファンは東北地方の公演地まで遠征に行くのだとか。
若い世代にも大衆演劇の知名度があるようで、その理由は、修学旅行で秋田の康楽館に行って大衆演劇に出会うかららしい。康楽館がそんな素晴らしい役割を担っていたとは!ニュー阿寒ホテルにも高校生大衆演劇ファンがよく観劇に来るのだとか。
康楽館、定山渓ビューホテル、ニュー阿寒ホテルで公演を行うのは下町かぶき組の劇団。下町かぶき組は北海道の大衆演劇文化においてとても大きな存在なのです。
このお店を紹介しておきます。
AKANKO STYLE ART LABO
ホームページはこちら
Mさんにおすすめの観光スポットを聞いたところ、オンネトーという湖をとても推していました。季節によって表情を変える景色がとても美しいそうです。
この後、阿寒湖畔エコミュージアムセンターにも行き、いよいよ旅の目的地「ニュー阿寒ホテル」へ。

ニュー阿寒ホテル
建物が横に長すぎて写真1枚に収まらない。

阿寒湖畔には大きいホテルが多いが、このホテルはひときわ大きく見える。

ホテル入口。
劇団三峰組の公演看板が出ています。

大きなロビー。

フロントで公演チケットを購入。
大衆演劇は地下1階の宴会場で行われます。

地下1階廊下。この先右手が会場です。

廊下の壁に芝居年表が貼り出されていました。
大衆演劇は平成23年11月から年に2回(主に11月と5月)行われています。
阿寒湖の観光シーズンは夏と湖面に氷が張る冬のよう。その合間の時期の集客イベントとして大衆演劇が採用されたのでしょうか。
ここでの公演は下町かぶき組が務めていますが、不思議なのは芝居の演目を1ヶ月に原則たった3本だけに絞って、それをローテーションしていること。
確かに地方で行われる単発の大衆演劇公演では全日程外題替えでないことが多い。同じ演目を3日ごとに変える、数本の演目をローテーションする、といった具合に。地方の単発公演では毎日でも来ようと思う常連さんは生まれにくいでしょうからそれでよいと思います。でも3本は少なすぎる。バラエティに富んだ芝居の持ちネタを日々替えながら上演出来るのが大衆演劇の強み。それを活かさないなんてもったいない。
もう少し演目を多くしてもそんなに劇団に負担にならないのではないか。劇団(あるいはかぶき組)とホテル側とでどういう合意形成があって「芝居は3演目」が決まったのだろう。
今回の公演チラシには「2泊5食マイカープラン税込17000円」」など2泊して3公演を観ることのできるプランがいくつか宣伝されています。こうしたお客さんをメインターゲットに考えたためH23の最初の公演時に3演目と決めたのではないか。毛色の違う3演目に固定すれば2泊のお客さんは確実に飽きずに3演目観ることができます。また演目数を絞っておけば、過去に行われた公演と演目がかぶらないようにするのは容易だ。毎年2泊プランで来ても飽きない、ということも計算しているかもしれない。
でもこれだけ公演を重ねてきたら地元の大衆演劇常連の方も増えてきたことでしょう。常連さんのリピート率を上げるために演目数を増やそうとは思わないのかしら?
歩合でなく委託費固定の公演地の場合(ここでの契約形態がどうかは知りません)、劇団にしてみたら演目が少ない方が楽でしょう。けれど、即興性の高い大衆演劇の舞台においてマンネリズムに陥った芝居はやる方も観る方もつらくなる可能性があるように思います(例えば私は「アドリブのふりをした予定調和の演技」を観るとしらけてしまいます)。

大衆演劇場入口。
昼の部は13時に開場しました。

後方より

前方は座椅子席

その後ろは椅子席

広間後方

花道

正面から見た舞台幕
11月公演初日。この日を待ち遠しくしていたお客さんが集まります。

公演中の様子
三峰組はこの公演地は2回目。5年振りになります。初日ですが、地元のお客さんと馴染んている印象を受けました。
この暖かい雰囲気が今月いっぱい続くことでしょう。
東京からとっても遠いところに来てみれば、いつもと変わらぬ大衆演劇の姿。
日本人のDNAには旅芸人を受け入れる心があり、日本のどこに行っても旅芝居は受け入れられるのでしょう。
ニュー阿寒ホテルでは昼と夜に公演がありますが、私は旅の都合で昼だけの観劇となりました。
劇団三峰組の公演を観終えて、私はまた北海道のとても空いている長い道路に車を走らせました。
(2019年11月探訪)
朝早く羽田空港を離陸した飛行機の中で私はずっと眼下の景色を眺めていました。
飛行機は東北地方上空から海に抜け、やがて北海道中南部に差し掛かりました。
北海道の大自然と聞くと、どこまでも広い牧場やラベンダー畑を想像するけれど、それは人間が開発に成功したごく一部の土地なのだろう。眼下にゆっくり流れる風景はジオラマ模型のような樹林や峰の連なりばかりで、そこにはただうすら寒い寂寞だけが君臨している。人間の生活を寄せ付けないような、ましてや豊かな文化的生活など想像できない峻厳とした土地にも、ぽつりぽつりと建物や耕地のようなものが見える。あの畑を耕している人は上空を過ぎる飛行機の影が山肌を滑りゆくのを見て何か感懐を抱くのだろうか、などとそこに暮らす人々に思いを馳せながら私は眼下の風景に見入っていました。山間に糸を垂らしたように筋を引いている道路は、かろうじて何かの命をつないでいる細い血管のようだ。
今回の目的地の阿寒湖には大きな観光ホテルがたくさんあります。年間60万人が宿泊しているという。それだけ観光客が多ければ、受け入れる土地の住民も多く、経済も活発でそれなりの街が形成されているような気もする。
女満別空港へ向かう飛行機は阿寒湖近くを通るルートをとりました。注意深く観察していると、山の起伏の連なりの中に顔をのぞかせている阿寒湖の湖面とその脇にちょこんと存在している白い建物群が見えました。あれが阿寒湖温泉街だろう。しかしその周りにcityはない。他惑星に人類が作ったコロニーかのごとく、大自然の中に湖畔の建物群だけが小さくひっそりと佇んでいる。
なおも私は飛行機の小さい窓に頰を寄せていました。朝方の陽光を受けて輝いている山林が美しい。点在する湖の姿は神秘的で、太古に写し取った景色がそのまま保存されているかのようだ。私はアイヌ語で神とか霊的な存在を示すカムイという語を連想していました。

北海道東部、北見と網走の間にある女満別空港への着陸に向け飛行機は高度を下げます。
今回目指すニュー阿寒ホテルでの大衆演劇初日は11月4日。公演地が北海道となると1日からの興行は無理でしょう。
私が北海道に降り立ったのは11月2日。週末の3連休の初日の土曜日です。2日と3日は大衆演劇から離れ観光の日としました。
網走や釧路には行ったことがあるので世界自然遺産の知床に行くことにしました。

空港でレンタカーを借りる。
私はあまり運転が得意ではないですが、北海道のドライブはとても楽しい。信号がほとんどないし、他の車もあんまり見かけない。
写真はどこまでも続くように見えるまっすぐの道。
知床半島に入り最初の観光スポット、オシンコシンの滝を見る。
その後、知床観光の拠点ウトロへ。
私が携行していった「るるぶ知床阿寒」はカラフルな表紙・紙面で、観光者のウキウキ・ワクワク感を高揚するデザインに徹している。
そのイメージを覆すかのように、私の目に映ったウトロは「北の果ての地」を思わせる暗い陰を持った港町であった。
そう感じた大きな要因はこの季節および観光客の少なさであろう。
知床観光の大きな目玉であるクルーズ船は各社がほぼ10月までで運航を終えている。1月下旬からは流氷観光船が出るようで、つまり11月は船の観光のオフシーズン。さらに知床五湖は閉園間近で一部しか開放されていなかった。そして最高気温が10度を下回る晩秋の気候…。観光するにはさみしすぎる季節だったのです。
昼食。私は地元の方も利用するような食堂で郷土料理でも食せないかと思っていたのですが、事前リサーチできていませんでした。
観光案内所もある「道の駅うとろシリエトク」へ。ここは比較的新しくできたきれいな建物です。

鮭とイクラの親子丼。
シーズンオフとはいえ観光地。るるぶに掲載されているのと同じインスタ映えするどんぶりがでてきました。
活気がなくさみしい道の駅の食堂で薄く切られた鮭の身を食べながら知床をどう観光するか考えていました。
知床のもうひとつの中心地羅臼にも行きたい。ウトロから羅臼まで知床横断道路を通って約40分。行って帰ってくる時間はあるけれど、他の観光スポットとの組み立てが難しいと考え、羅臼は明日の朝行くことにしました。

世界遺産の原生林に囲まれた知床五湖へ。
この日は小ループというコースのみ開放されていました。もう数日後になるとそこも散策できなくなり閉園となります。
ウトロの天気は移ろいやすかった。ちょうど私が知床五湖に滞在した時間帯が曇りだったのが残念だ。
知床五湖の南西つまりウトロ方面には原生林はなく草原が広がっています。この地区は戦前・戦後に開拓者が切り拓いて入植した土地です。最盛期には60戸あったそうですが、土地の条件が悪く、1960年代に離農が進んで誰もいなくなってしまいました。開拓跡地は高度経済成長期の投機ブームの流れで乱開発の危機にありましたが、町が全国に土地買取の寄付を募った運動が実を結び、今では森への再生が進んでいます。
日本の果てのような土地に自らの居場所を求めていった人々がいた。畑作にも向かず水利の悪い土地で集落を営んでいた人々がいた。でも今は何もない草原。そこにはただ風が吹いているだけ。るるぶを携えレンタカーで快適に知床を走っていた私はしばしここで足を止めていました。
この後、フレペの滝、オロンコ岩、プユニ岬をめぐる。

夕陽台から眺めた夕暮れのウトロの町。海に突き出している台形の巨岩がオロンコ岩。上に登ることができる。
残念ながらきれいな夕陽は見られなかった。
この日宿泊したのは、楽天トラベルでほぼすべてのウトロの町の宿を調べて吟味した末に決めた旅館。大きめのホテルの夜食はブッフェになるようで個人的にはあまり期待できない。心のこもった料理を出してくれそうな宿を選びました。
期待通り北海道の旬の料理を提供してくれるよい宿でした。宿の方が鮭をさばいて作ったというイクラの醤油漬けがなまら美味しかったです(使い方あってる?)。
翌日。本当は朝早く出かけて知床横断道路を渡って羅臼に行くつもりだったけれど、10/23~11/6は夜間通行止めで9:00以降にしか渡れないことに前日夕方に気付く。ちなみに11/7からは通行止めとなる。まあ渡れるだけよいかと思って9:00に出発するべく宿で準備をしていたらザーッというすごい音がした。宿を出て車を見るとたくさんの雹(ひょう)がフロントガラスに積もっている。
知床横断道路の入口で多くの車が立往生していました。どうやらさきほどの雹のせいで知床横断道路は通行禁止となったらしい。知床の冬の訪れがもう2時間ほど遅かったら羅臼に行けたのに、、、。この先私は大衆演劇場で羅臼の歌を聞くたびにこの残念さを思い出すであろう。
気を取り直して、中標津町の開陽台へ。ここはぐるっと地平線が見渡せる展望台として人気。
展望台の売店はやはり10月末をもって営業終了していた。
この後も観光スポットに立ち寄りながら阿寒湖へ向かってドライブ。

とってもよく晴れた摩周湖

硫黄山

美幌峠から眺めた屈斜路湖
11月3日の夕刻、阿寒湖に到着しました。
ホテルに行く前に阿寒湖アイヌコタンを観光します。

私は道東の旅は2回目。20年振りに阿寒湖アイヌコタンに来ました。このあたりの雰囲気は変わっていない(と思う)。
とある民芸屋さんで店主のおじさんと話していたら、奥様が大衆演劇ファンでニュー阿寒ホテルの公演を楽しみにしているとのこと。
我々は大衆演劇でアイヌ舞踊を観ますが、アイヌ集落の方が大衆演劇を観るというのは想像したことがなかったな。
この集落の奥に20年前にはなかった大きな建物がありました。
それは阿寒湖アイヌシアターイコロ。
イコロの「ロ」は、「ァ」や「ャ」のような小さい字にするのが正式な表記らしい。一体どう発音するのだろうか。
この日のシアターでは「ロストカムイ」という映像・舞踊ショーと「イオマンテの火祭り」というショーを時間をずらして公演しているようでした。「イオマンテ」の文字を観て私の中の大衆演劇スイッチが入ってしまったのは言うまでもありません。
ホテルにチェックインして夕食をいただいた後、アイヌシアターイコロに行きました。

「イオマンテの火祭り」の様子。
最後はお客さんも舞台に上がって、焚火の周りを回りながら踊ります。
公演の中でムックリという民族楽器が使われています。私はビヨ~ンという音がする口琴(こうきん)という楽器が好きでいくつか持っています。ムックリは口琴に似た竹でできた楽器です。大衆演劇のショーでもイヨマンテ演目の際に取り入れると面白そうだな、と思って観ていました。
北海道の旅2日目終了。
宿は、大衆演劇公演が行われるニュー阿寒ホテルはとれませんでした。
飛行機の窓から見た阿寒湖温泉街は大きな自然に比してこじんまりと見えたけれど、実際には大きいホテルがゴンゴン密集している。他の宿の確保に困ることはありませんでした。

11月4日。大衆演劇公演初日。午前中は阿寒湖を船で観光します。
観光船は湖の複雑に入り組んだ界隈を遊園地のクルーズアトラクションのようにくねくねと運行した後、湖北部のチュウルイ島で乗客を降ろしました。

この辺りの湖底にはマリモがたくさんいて、島にはマリモ展示観測センターがあります。
阿寒湖遊覧後、まだ時間が余っていたので町の観光客向けのメインストリートを散歩しました。
お土産屋や民芸品屋がたくさん並んでいます。

素敵な外観のお店。ガラス越しに店内を見るととてもおしゃれな感じ。扉をくぐりました。
手作りのアイヌアート作品が展示されているお店。
私はアイヌ模様のデザインのカフスを買いました。
この店で驚きの展開が。
店主の女性とお話ししていたら、この方(Mさん)がディープな大衆演劇ファンであることが判明。
それどころか、ニュー阿寒ホテルの大衆演劇公演の際に、劇団の助っ人として投光などを手伝ったこともあるとのこと。
Mさんに北海道の大衆演劇事情についてお話をうかがいました。
まず、北海道には大衆演劇ファンが多いとのこと。とはいえ現在の北海道の公演地は、ニュー阿寒ホテル、定山渓ビューホテル、笹井ホテルの3か所。どさんこの熱心な大衆演劇ファンは東北地方の公演地まで遠征に行くのだとか。
若い世代にも大衆演劇の知名度があるようで、その理由は、修学旅行で秋田の康楽館に行って大衆演劇に出会うかららしい。康楽館がそんな素晴らしい役割を担っていたとは!ニュー阿寒ホテルにも高校生大衆演劇ファンがよく観劇に来るのだとか。
康楽館、定山渓ビューホテル、ニュー阿寒ホテルで公演を行うのは下町かぶき組の劇団。下町かぶき組は北海道の大衆演劇文化においてとても大きな存在なのです。
このお店を紹介しておきます。
AKANKO STYLE ART LABO
ホームページはこちら
Mさんにおすすめの観光スポットを聞いたところ、オンネトーという湖をとても推していました。季節によって表情を変える景色がとても美しいそうです。
この後、阿寒湖畔エコミュージアムセンターにも行き、いよいよ旅の目的地「ニュー阿寒ホテル」へ。

ニュー阿寒ホテル
建物が横に長すぎて写真1枚に収まらない。

阿寒湖畔には大きいホテルが多いが、このホテルはひときわ大きく見える。

ホテル入口。
劇団三峰組の公演看板が出ています。

大きなロビー。

フロントで公演チケットを購入。
大衆演劇は地下1階の宴会場で行われます。

地下1階廊下。この先右手が会場です。

廊下の壁に芝居年表が貼り出されていました。
大衆演劇は平成23年11月から年に2回(主に11月と5月)行われています。
阿寒湖の観光シーズンは夏と湖面に氷が張る冬のよう。その合間の時期の集客イベントとして大衆演劇が採用されたのでしょうか。
ここでの公演は下町かぶき組が務めていますが、不思議なのは芝居の演目を1ヶ月に原則たった3本だけに絞って、それをローテーションしていること。
確かに地方で行われる単発の大衆演劇公演では全日程外題替えでないことが多い。同じ演目を3日ごとに変える、数本の演目をローテーションする、といった具合に。地方の単発公演では毎日でも来ようと思う常連さんは生まれにくいでしょうからそれでよいと思います。でも3本は少なすぎる。バラエティに富んだ芝居の持ちネタを日々替えながら上演出来るのが大衆演劇の強み。それを活かさないなんてもったいない。
もう少し演目を多くしてもそんなに劇団に負担にならないのではないか。劇団(あるいはかぶき組)とホテル側とでどういう合意形成があって「芝居は3演目」が決まったのだろう。
今回の公演チラシには「2泊5食マイカープラン税込17000円」」など2泊して3公演を観ることのできるプランがいくつか宣伝されています。こうしたお客さんをメインターゲットに考えたためH23の最初の公演時に3演目と決めたのではないか。毛色の違う3演目に固定すれば2泊のお客さんは確実に飽きずに3演目観ることができます。また演目数を絞っておけば、過去に行われた公演と演目がかぶらないようにするのは容易だ。毎年2泊プランで来ても飽きない、ということも計算しているかもしれない。
でもこれだけ公演を重ねてきたら地元の大衆演劇常連の方も増えてきたことでしょう。常連さんのリピート率を上げるために演目数を増やそうとは思わないのかしら?
歩合でなく委託費固定の公演地の場合(ここでの契約形態がどうかは知りません)、劇団にしてみたら演目が少ない方が楽でしょう。けれど、即興性の高い大衆演劇の舞台においてマンネリズムに陥った芝居はやる方も観る方もつらくなる可能性があるように思います(例えば私は「アドリブのふりをした予定調和の演技」を観るとしらけてしまいます)。

大衆演劇場入口。
昼の部は13時に開場しました。

後方より

前方は座椅子席

その後ろは椅子席

広間後方

花道

正面から見た舞台幕
11月公演初日。この日を待ち遠しくしていたお客さんが集まります。

公演中の様子
三峰組はこの公演地は2回目。5年振りになります。初日ですが、地元のお客さんと馴染んている印象を受けました。
この暖かい雰囲気が今月いっぱい続くことでしょう。
東京からとっても遠いところに来てみれば、いつもと変わらぬ大衆演劇の姿。
日本人のDNAには旅芸人を受け入れる心があり、日本のどこに行っても旅芝居は受け入れられるのでしょう。
ニュー阿寒ホテルでは昼と夜に公演がありますが、私は旅の都合で昼だけの観劇となりました。
劇団三峰組の公演を観終えて、私はまた北海道のとても空いている長い道路に車を走らせました。
(2019年11月探訪)