泉州にできたワイドな舞台の大衆演劇場 「麗央泉州座」
泉州にできたワイドな舞台の大衆演劇場 「麗央泉州座」
関東生まれ育ちの私にとって「泉州」という地名はふだん耳にすることがなく、今回大衆演劇場を探訪するまでどの辺にある土地なのかと思いを寄せることすらありませんでした。
昔の国の分け方における摂津、河内、和泉の国がおおまかにいうといまの大阪府に相当し、南部が和泉の国、すなわち泉州である。という大阪の方にとってはごく常識であろうことを今回私はようやく認識したのでした。
さてその泉州地区は旅芝居の芝居小屋がなくなってしまっていた土地でありました。
ところがここ数年次々と大衆演劇場が生れました。
麗央泉州座はそのひとつです。

南海電鉄泉佐野駅。
この駅から麗央泉州座の送迎バスが運行しています。(予約が必要かもしれません)

送迎バス
また、泉佐野駅からは無料のコミュニティバスも運行しているようです。劇場の最寄のバス停は「泉佐野保健所」です。

私は電車の最寄駅から歩いて向かうことにしました。
泉佐野駅の隣駅、井原里駅で下車しました。

瀬戸内海式気候の大阪南部は盛夏に雨が少ない土地で古くから農業用のため池が多く作られたそうです。麗央泉州座も大きなため池の近くにあります。
広大なため池はハスの葉で埋め尽くされていました。

十数分歩くと赤い幟がたくさん見えてきました。

麗央泉州座の建物
赤黒デザインの幟が見えます。ふつう、幟には大きく役者名が書かれたりしていますが、どの幟も人物のシルエットが描かれています。
この人物は誰?

駐車場

喫煙所は屋外にありました。

館内に入り受付を済ませますと、ロビーの壁一面に額が飾られているのが目に入ります。
見るとこれらは皆「一富士麗央」という少年のポスターです。
外の幟のデザインはこの少年のシルエットだったのですね。
ここで麗央泉州座のネーミングの由来がわかりました。この少年の名前をとったとのこと。
ということはこの劇場は一富士麗央のために建てたのか?その前に一富士麗央という少年は誰?
彼は「スーパーボーイ麗央」という芸名もあるようです。この名を見て私ははっきりと思い出しました。
2014年5月、大阪の天然温泉ゆの蔵で一竜座(竜美獅童さんも帯同)の公演を観ていた際に、舞踊ショーでスーパーボーイ麗央がゲスト出演で踊っていました。

これがその時の写真
どうも沖縄(琉球)に関係ありそうな舞踊でした。伴奏の方が手にしているのは三線でしょうか。スーパーボーイ麗央はその音にあわせてゆったりと踊っていました。
私に限らず多くのお客さんは、誰この少年?と思うのが先行していたためか、あまりその舞踊を盛り上げようと拍手をしなかったのかもしれません。伴奏の方は、ここのお客さんはこの芸を理解してくれないのが残念といった感じのことをおっしゃっていたのを覚えています。スーパーボーイの舞踊の途中で客席から現れた方が彼にお花をつけました。少年の胸にはたくさんの諭吉さんが。印象に残る場面でした。
以上の記憶がよみがえりました。また後述するように麗央泉州座は沖縄色が強いです。---沖縄出身の麗央少年には同郷の熱烈な支援者がいて、その方は麗央少年や大衆演劇界に惜しみなく金銭的援助をしている、という推測が私の中で導きだされました。
さて、この麗央泉州座はいろいろ特徴のある大衆演劇場でした。

飲み物・食べ物の持ち込みは禁止です。

飲み物はアルコールを含め各種そろっています。
オリオンビールがあります。

お弁当やカップラーメンも売っています。
石垣牛みそ、沖縄そば、ゴーヤーチップスなど沖縄の食材もたくさんありました。

ロビーの奥には休憩所があります。
お湯や電子レンジが用意されていました。
家族?で来てここで食事をとって劇場内に入る方もいました。仲間でこういう過ごし方ができるのはいいですね。

劇場内。
広い!というかあまりに広すぎやしないか?こんなに横に長い舞台はそうそう見かけません。
そして中央に見える柱が気になる。

客席を区切るように、中ほどに花道があり、前方に柱が建っています。
ああここでも柱問題が・・・と私はどんよりした気分になりましたが、客席誘導の方がいて、柱から左の席に座るよう案内していました。大衆演劇はあの柱の左側ゾーンで行われるようです。それなら柱は気にならない。よかった。
でも大きいイベントがある時はこの広い舞台と広い客席全部使うのだろうなあ・・・

舞台左にも花道があります。

前方の座椅子席ゾーンには靴を脱いで上がります。

座椅子席
前の2列は予約料金を払った者のみ座れるよう。

後方の椅子席
4列あって、前2列は低い椅子、後ろ2列は普通の椅子。
ということは、もしここにお客さんがすべて埋まったと仮定した場合、2列目と4列目の席は前のお客さん(1列目・3列目)の席と同じ高さだから、前の席の方の頭が邪魔でかなり視界をさえぎられるでしょう。
私はいろんな劇場を見てきましたが、舞台面の高さが低いのに客席の段差をつけないのは、正直劇場としてアウトだと思っています。その不公平感を解消するためなのか、1列目と3列目には追加予約料金を払わないと座れないことになっています。この設定もどうかなあと思います。舞台が観やすい席がいいからと1列目の席を予約しても、自分が後ろのお客さんにとって迷惑な存在になってしまうのは大変居心地が悪い。舞台の作り、客席の作り、システム、どれもちぐはぐな印象を受けます。もう少し客席の造成に投資してせめて椅子席に適切な傾斜がつけられないかなと思います。
天井が低い場所に大衆演劇場を作ろうとした場合にはどうしてもこのような問題がつきまといます。
劇場物件探しの際には<天井が高い場所にする→舞台面を高くする>は優先的な条件とするべし、と多くの大衆演劇場を見て思うようになりました。そうは言っても室内の天井が高い物件なんてそうそうないのでしょうね。ここに劇場を作ろうと決めた際もいろんな候補物件の中から時間をかけて選んだのだと掲示してあった記事に書いてありました。

前方
このように舞台面が低い。
舞台の床の質感がいいですね。

公演中の様子。

左側の花道も中央の花道も活用していました。
ところでこの日の口上挨拶で座長から、言いにくいことで恐縮ですが・・・という前置きを置いてからこんなアナウンスがありました。
公演のお帰りに劇場に「応援ボックス」が用意されています。前売り券をそこに入れていただきますと、その日の入場者数にカウントさせていただきます。
とのことでした。つまり前売り券を寄付することでそれが入場者数に追加カウントされて、その数で大入りかどうかも判断されるよう。
これは関西では当たり前のシステムなのでしょうか?
私は以前から関西では簡単に大入りが出ることを不思議に思っていました。私は大入りの基準値が低いからと思っていたのですが、実はこの「入場者数を金で買う」というシステムも大きな要因だったのでしょうか。
ここで、2017年7月に麗央泉州座にのった長谷川武弥座長のブログを思い出しました。
<2017年7月の長谷川武弥座長のブログ抜粋>
皆さん今晩は
今日もありがとうございました
やっとお客様が増えて来ました
もう少し来てくれたら毎日大入りに
買えば出るけど
それは違うと思うんだよね
そんな事をしてると自分で自分の首を絞めることに
良い場所に乗りたい気持ちは解るけど
なんかそんな話を聞くと虚しいよね
1枚でも2枚でも買わない劇団さんもいるし
凄いと思う!
この文章はいったいどういう大衆演劇裏事情のもとに綴られたのでしょうか?私は以下のように読み解きました。
どの劇団もよい劇場に乗りたいと思っている。
よい劇場にふさわしい劇団であるために「大入りの数」という実績値をだしたい。
そのために「前売券を寄付すれば入場者数が追加カウントされる」というシステムを利用して
自ら、自分の劇団の公演の前売券を買う劇団もある。
この解釈が的を得ているかどうかわかりませんが、もしこのとおりだとしたら、まったくバカげた話ではないでしょうか。
暗澹たる気持ちになってくるのは私だけでしょうか。
劇団の立場になっても考えてみたいと思います。
上記の文脈でいうところの「良い劇場」とは、お客さんの集客がある程度見込めて、劇団経営が助かる劇場としておきます。事実として、大衆演劇場の集客は劇場によってびっくりするくらい違うと思います。集客の少ない劇場を回り続けていたらジリ貧になってしまうでしょう。劇団にとって「よい劇場」に乗れるかどうかは死活問題といえるのかもしれません。「大入り」という、劇団の箔にかかわる数値にどうしても敏感になるのでしょう。
ひとつの背景として、その劇団を評価するにあたって、「実際の集客数=どれだけその劇団の芸をみたい人がいるか」ではなく「見せかけの集客数=前売券寄付数を含め劇団のお金を呼び込む力」の方を劇場側も重視しているということがあるのではないでしょうか。経営を考えればそれは当たり前のことかもしれません。
劇場に入ってお客さんの数を数えればその回の売上(木戸銭×客の数)は私でも判断できます。この程度の売上でなぜ劇場の経営が成り立つのかと不思議に思うこともよくあります。
劇団はご贔屓さんからの「お花」という収入によって経営の足しにすることができますが、劇場に直接寄付するお客さんはほぼいないでしょう。そこで「前売券の寄付」という劇団にも劇場にもメリットがあるシステムが定着することになったのかもしれません。
と書きましたが、そもそも私は劇団の公演先の劇場がどのように決まっているかを知りません。手配をしている演芸社さんと、劇団・劇場との間でどんなやりとりがあるのでしょう。
それはどうであれ、この業界に、一般のお客さんからは安い木戸銭しかもらわないが、一部のお金に余裕がある方の援助があるから、全体として経済活動が成立している、という構造があり、多くの関係者はその構造に依存することに慣れきってしまっている、とは言えそうです。この構造を変える、つまり一般のお客さんの木戸銭だけでも劇場も劇団もやっていける、という状態にすることが今後の大衆演劇界の一番の命題でしょう。
大衆演劇に関わる誰もがこの構図に抗したい、つまり、「実際の集客数(=芸の力)」を「見せかけの集客数(=集金力)」より重視する業界にしたいと望んでいるのではないでしょうか。けれども現実的にはそうも言ってられない。
前売り券寄付システムは大衆演劇界が難しい局面を迎えていることの象徴なのではないか。
業界に新しい潮流が必要だということは誰もが感じているでしょう。興行に対する態度がとても問われる時期だと思います。
一方で、試行錯誤しなければならない時だからこそ見失ってはいけない大切な意識というものもあると思います・・・
・・・生かじりな私が大それたことを書いてしまいました。
けれども私なりに大衆演劇の未来について考え続けてゆきたいと思っています。
(2017年8月探訪)
関東生まれ育ちの私にとって「泉州」という地名はふだん耳にすることがなく、今回大衆演劇場を探訪するまでどの辺にある土地なのかと思いを寄せることすらありませんでした。
昔の国の分け方における摂津、河内、和泉の国がおおまかにいうといまの大阪府に相当し、南部が和泉の国、すなわち泉州である。という大阪の方にとってはごく常識であろうことを今回私はようやく認識したのでした。
さてその泉州地区は旅芝居の芝居小屋がなくなってしまっていた土地でありました。
ところがここ数年次々と大衆演劇場が生れました。
麗央泉州座はそのひとつです。

南海電鉄泉佐野駅。
この駅から麗央泉州座の送迎バスが運行しています。(予約が必要かもしれません)

送迎バス
また、泉佐野駅からは無料のコミュニティバスも運行しているようです。劇場の最寄のバス停は「泉佐野保健所」です。

私は電車の最寄駅から歩いて向かうことにしました。
泉佐野駅の隣駅、井原里駅で下車しました。

瀬戸内海式気候の大阪南部は盛夏に雨が少ない土地で古くから農業用のため池が多く作られたそうです。麗央泉州座も大きなため池の近くにあります。
広大なため池はハスの葉で埋め尽くされていました。

十数分歩くと赤い幟がたくさん見えてきました。

麗央泉州座の建物
赤黒デザインの幟が見えます。ふつう、幟には大きく役者名が書かれたりしていますが、どの幟も人物のシルエットが描かれています。
この人物は誰?

駐車場

喫煙所は屋外にありました。

館内に入り受付を済ませますと、ロビーの壁一面に額が飾られているのが目に入ります。
見るとこれらは皆「一富士麗央」という少年のポスターです。
外の幟のデザインはこの少年のシルエットだったのですね。
ここで麗央泉州座のネーミングの由来がわかりました。この少年の名前をとったとのこと。
ということはこの劇場は一富士麗央のために建てたのか?その前に一富士麗央という少年は誰?
彼は「スーパーボーイ麗央」という芸名もあるようです。この名を見て私ははっきりと思い出しました。
2014年5月、大阪の天然温泉ゆの蔵で一竜座(竜美獅童さんも帯同)の公演を観ていた際に、舞踊ショーでスーパーボーイ麗央がゲスト出演で踊っていました。

これがその時の写真
どうも沖縄(琉球)に関係ありそうな舞踊でした。伴奏の方が手にしているのは三線でしょうか。スーパーボーイ麗央はその音にあわせてゆったりと踊っていました。
私に限らず多くのお客さんは、誰この少年?と思うのが先行していたためか、あまりその舞踊を盛り上げようと拍手をしなかったのかもしれません。伴奏の方は、ここのお客さんはこの芸を理解してくれないのが残念といった感じのことをおっしゃっていたのを覚えています。スーパーボーイの舞踊の途中で客席から現れた方が彼にお花をつけました。少年の胸にはたくさんの諭吉さんが。印象に残る場面でした。
以上の記憶がよみがえりました。また後述するように麗央泉州座は沖縄色が強いです。---沖縄出身の麗央少年には同郷の熱烈な支援者がいて、その方は麗央少年や大衆演劇界に惜しみなく金銭的援助をしている、という推測が私の中で導きだされました。
さて、この麗央泉州座はいろいろ特徴のある大衆演劇場でした。

飲み物・食べ物の持ち込みは禁止です。

飲み物はアルコールを含め各種そろっています。
オリオンビールがあります。

お弁当やカップラーメンも売っています。
石垣牛みそ、沖縄そば、ゴーヤーチップスなど沖縄の食材もたくさんありました。

ロビーの奥には休憩所があります。
お湯や電子レンジが用意されていました。
家族?で来てここで食事をとって劇場内に入る方もいました。仲間でこういう過ごし方ができるのはいいですね。

劇場内。
広い!というかあまりに広すぎやしないか?こんなに横に長い舞台はそうそう見かけません。
そして中央に見える柱が気になる。

客席を区切るように、中ほどに花道があり、前方に柱が建っています。
ああここでも柱問題が・・・と私はどんよりした気分になりましたが、客席誘導の方がいて、柱から左の席に座るよう案内していました。大衆演劇はあの柱の左側ゾーンで行われるようです。それなら柱は気にならない。よかった。
でも大きいイベントがある時はこの広い舞台と広い客席全部使うのだろうなあ・・・

舞台左にも花道があります。

前方の座椅子席ゾーンには靴を脱いで上がります。

座椅子席
前の2列は予約料金を払った者のみ座れるよう。

後方の椅子席
4列あって、前2列は低い椅子、後ろ2列は普通の椅子。
ということは、もしここにお客さんがすべて埋まったと仮定した場合、2列目と4列目の席は前のお客さん(1列目・3列目)の席と同じ高さだから、前の席の方の頭が邪魔でかなり視界をさえぎられるでしょう。
私はいろんな劇場を見てきましたが、舞台面の高さが低いのに客席の段差をつけないのは、正直劇場としてアウトだと思っています。その不公平感を解消するためなのか、1列目と3列目には追加予約料金を払わないと座れないことになっています。この設定もどうかなあと思います。舞台が観やすい席がいいからと1列目の席を予約しても、自分が後ろのお客さんにとって迷惑な存在になってしまうのは大変居心地が悪い。舞台の作り、客席の作り、システム、どれもちぐはぐな印象を受けます。もう少し客席の造成に投資してせめて椅子席に適切な傾斜がつけられないかなと思います。
天井が低い場所に大衆演劇場を作ろうとした場合にはどうしてもこのような問題がつきまといます。
劇場物件探しの際には<天井が高い場所にする→舞台面を高くする>は優先的な条件とするべし、と多くの大衆演劇場を見て思うようになりました。そうは言っても室内の天井が高い物件なんてそうそうないのでしょうね。ここに劇場を作ろうと決めた際もいろんな候補物件の中から時間をかけて選んだのだと掲示してあった記事に書いてありました。

前方
このように舞台面が低い。
舞台の床の質感がいいですね。

公演中の様子。

左側の花道も中央の花道も活用していました。
ところでこの日の口上挨拶で座長から、言いにくいことで恐縮ですが・・・という前置きを置いてからこんなアナウンスがありました。
公演のお帰りに劇場に「応援ボックス」が用意されています。前売り券をそこに入れていただきますと、その日の入場者数にカウントさせていただきます。
とのことでした。つまり前売り券を寄付することでそれが入場者数に追加カウントされて、その数で大入りかどうかも判断されるよう。
これは関西では当たり前のシステムなのでしょうか?
私は以前から関西では簡単に大入りが出ることを不思議に思っていました。私は大入りの基準値が低いからと思っていたのですが、実はこの「入場者数を金で買う」というシステムも大きな要因だったのでしょうか。
ここで、2017年7月に麗央泉州座にのった長谷川武弥座長のブログを思い出しました。
<2017年7月の長谷川武弥座長のブログ抜粋>
皆さん今晩は
今日もありがとうございました
やっとお客様が増えて来ました
もう少し来てくれたら毎日大入りに
買えば出るけど
それは違うと思うんだよね
そんな事をしてると自分で自分の首を絞めることに
良い場所に乗りたい気持ちは解るけど
なんかそんな話を聞くと虚しいよね
1枚でも2枚でも買わない劇団さんもいるし
凄いと思う!
この文章はいったいどういう大衆演劇裏事情のもとに綴られたのでしょうか?私は以下のように読み解きました。
どの劇団もよい劇場に乗りたいと思っている。
よい劇場にふさわしい劇団であるために「大入りの数」という実績値をだしたい。
そのために「前売券を寄付すれば入場者数が追加カウントされる」というシステムを利用して
自ら、自分の劇団の公演の前売券を買う劇団もある。
この解釈が的を得ているかどうかわかりませんが、もしこのとおりだとしたら、まったくバカげた話ではないでしょうか。
暗澹たる気持ちになってくるのは私だけでしょうか。
劇団の立場になっても考えてみたいと思います。
上記の文脈でいうところの「良い劇場」とは、お客さんの集客がある程度見込めて、劇団経営が助かる劇場としておきます。事実として、大衆演劇場の集客は劇場によってびっくりするくらい違うと思います。集客の少ない劇場を回り続けていたらジリ貧になってしまうでしょう。劇団にとって「よい劇場」に乗れるかどうかは死活問題といえるのかもしれません。「大入り」という、劇団の箔にかかわる数値にどうしても敏感になるのでしょう。
ひとつの背景として、その劇団を評価するにあたって、「実際の集客数=どれだけその劇団の芸をみたい人がいるか」ではなく「見せかけの集客数=前売券寄付数を含め劇団のお金を呼び込む力」の方を劇場側も重視しているということがあるのではないでしょうか。経営を考えればそれは当たり前のことかもしれません。
劇場に入ってお客さんの数を数えればその回の売上(木戸銭×客の数)は私でも判断できます。この程度の売上でなぜ劇場の経営が成り立つのかと不思議に思うこともよくあります。
劇団はご贔屓さんからの「お花」という収入によって経営の足しにすることができますが、劇場に直接寄付するお客さんはほぼいないでしょう。そこで「前売券の寄付」という劇団にも劇場にもメリットがあるシステムが定着することになったのかもしれません。
と書きましたが、そもそも私は劇団の公演先の劇場がどのように決まっているかを知りません。手配をしている演芸社さんと、劇団・劇場との間でどんなやりとりがあるのでしょう。
それはどうであれ、この業界に、一般のお客さんからは安い木戸銭しかもらわないが、一部のお金に余裕がある方の援助があるから、全体として経済活動が成立している、という構造があり、多くの関係者はその構造に依存することに慣れきってしまっている、とは言えそうです。この構造を変える、つまり一般のお客さんの木戸銭だけでも劇場も劇団もやっていける、という状態にすることが今後の大衆演劇界の一番の命題でしょう。
大衆演劇に関わる誰もがこの構図に抗したい、つまり、「実際の集客数(=芸の力)」を「見せかけの集客数(=集金力)」より重視する業界にしたいと望んでいるのではないでしょうか。けれども現実的にはそうも言ってられない。
前売り券寄付システムは大衆演劇界が難しい局面を迎えていることの象徴なのではないか。
業界に新しい潮流が必要だということは誰もが感じているでしょう。興行に対する態度がとても問われる時期だと思います。
一方で、試行錯誤しなければならない時だからこそ見失ってはいけない大切な意識というものもあると思います・・・
・・・生かじりな私が大それたことを書いてしまいました。
けれども私なりに大衆演劇の未来について考え続けてゆきたいと思っています。
(2017年8月探訪)