見晴らし抜群のお風呂がある瀬戸内の大衆演劇場 「みはらし温泉」
【広島大衆演劇場めぐり4日間一人旅】1日目
見晴らし抜群のお風呂がある瀬戸内の大衆演劇場 「みはらし温泉」
2016年10月、広島県の大衆演劇場をめぐる旅に出かけました。
4日間の一人旅です。
最初の目的地は三原市にある大衆演劇場「みはらし温泉」。
東京から新幹線のぞみに乗って福山駅まで。そこで山陽本線に乗りかえて約30分で三原駅に到着する。
駅のすぐ目の前に三原城の遺構の石垣が見える。というより、かつて三原城本丸があった場所を山陽本線と新幹線が貫くかたちでここに駅舎ができたのだ。

駅のまわりあちらこちらで三原の名産である蛸の絵やオブジェを目にする。
駅の北側彼方にはゆるやかな山の連なりがあり、反対側の駅舎南の広いロータリーの周りにはそれほど高くないビルがいくつか並んでいる。人通りは少なく、せわしなく歩く者はいない。小さな綿雲は絵画のように青空に貼り付いていて、時間がとまった町に入り込んだかのようだ。ここからは海も港も見えないが、なぜかしら「海が近い地方都市」という気配を感じる。
ホテルに大きな荷物を預けて、みはらし温泉を目指す。

西口通路から、みはらし温泉の送迎バス乗り場がある隆景広場に向かう。

隆景広場。
右手、タクシーの奥に見えるのがみはらし温泉の送迎バス。
この広場のすぐとなりに広大な三原城跡がある。
三原城は毛利元就の三男、小早川隆景によって築かれた。築城以降兵火に遭うことはなかったというが明治時代に城郭のほとんどが壊されてしまった。
みはらし温泉の送迎バスがしばらく市街地を走ると左手の車窓が海に変わった。海の向こうにはいくつもの山が深閑と連なっている。あれは皆島なのだろう。いかにも瀬戸内海らしい光景。本州と四国を結ぶしまなみ海道はあの山の向こうにあるはずだ。

海沿いの道の右手に見えてきた円柱状のシルエット。あれが今日の目的地みはらし温泉の建物。

みはらし温泉到着。
建物1階に小さなロータリーがあって送迎バスはそこでお客さんを降ろす。
すぐには建物に入らずまわりを少し歩いてみる。

みはらし温泉は宿泊施設も併設している。「夢の宿」という大きな宿泊棟。

入口は2階にある。2階には道路を隔てた駐車場からの連絡通路が接続されている。
2階フロントで受付。
入館料は980円。もちろんこれで温泉に入れる。
大衆演劇観劇は別料金だ。プラス870円必要。
昼の部と夜の部を両方観たければ入館料に加え、870×2=1740円必要

フロントでロッカーキーと観劇入場券を受け取る。
入館時に支払いはない。退館時にすべて精算するシステム。
大衆演劇お昼の部の開場時間は13時とのこと。
それまで温泉に入ることにする。
4階の廊下に浴場カウンターがあり、そこでタオルと館内着を受け取る。
旅先で昼間っからお風呂に入っていると、ふだん頭の中にこびりついている「あれやんなきゃ、これやんなきゃ」というノイズが霧消し、脳みそを洗い流したような開放感に包まれる。
湯船に面した壁一面が硝子張りになっていて、瀬戸内海の海と島々がよくみえる。
なるほど、これは「見晴らし」温泉だ。
露天風呂がないのが少々残念である。硝子越しではなく直接この光景を見ながらお湯につかれたら相当な旅情を味わえたに違いない。
温泉はしょっぱい。かなりナトリウムの含有量が高い泉質のようだ。いかにも温泉に入っている感じがする。

3階の休憩室から撮った写真。お風呂からもこのような風景が見える。
お風呂から上がって大衆演劇場へ。

3階の廊下の壁に演目が貼り出されている。
13時前に劇場入口に来てみると、もうすでに入場が始まっていた。
開場時間はあまり厳格に運用していないみたい。
入口で係員に入場券を渡す。

劇場後方より

舞台前
舞台はそれほど高くない。

前方は座椅子席

後方は椅子席
舞台が高くないので、フラットな床に椅子をただ並べただけでは、椅子席2列目より後ろの席では、視野が前のお客さんの頭でかなり遮られてしまうだろう。
椅子席に関しては、はっきり申せば「劇場」として絶望的なつくりといえる。せめて舞台がもう50cmぐらい高ければよかったのだが、天井が高くないから現状の高さでやむを得ないだろう。

自由にお取りください式の座布団。

花道。
ホテルの宴会場を大衆演劇場に改修した場合にこういう花道をよくみかける。
この劇場は見やすい席とそうでない席の差がはげしい。
多分人気順では、
①椅子席最前列
②前方座椅子席
③椅子席2列目以降
ということになるだろう。
実際この日は椅子席最前列の多くは予約がはいっていた。
予約が入っていない席=自由席については、少しでもよい席ととろうとお客さんがガツガツしそうだが、そういう殺伐とした空気がない。みはらし劇場のお客さんからは「他の人をおしのけて自分がなるべくいい席を」という気概が感じられない。あるがままを受け入れる、というか、ただのんびりとしている。この日のお客さんの年齢層はさまざま。センター公演の常として、お客さんの多くが中年以降の女性、と想定していたが、若者も多く、その中には男性もいる。家族で来ているのだろう、子供もよくみかける。館内着を着ているのは1~2割くらい、ということは観劇だけが目的で来ている方が以外と多いのかな。
そんな人々が開演前の客席でスマホをいじっていたり、ぼーっとしていたり、自宅の居間でくつろいでいるかのようにのんびりしている。
ああ、時間の流れがゆるやかだ。
東京近辺の劇場の開演前とは何か根本的なところで雰囲気が違う感じがする。
なぜみはらし温泉に別世界の時の流れを感じたのか。ここに集うお客さん方は、東京人に比してふだんから時間に寛容な暮らしをしているのではないか。やりたいことを効率的にこなすことで得られる豊かさより、気忙しさから開放されることの豊かさを選んでいるのではないか。そんな憶測がよぎるのどかさであった。
立川談志は、「上品」を「欲望に対してスローモーなこと」と定義したそうで、私はこれをなるほどと思ったが、この箴言を敷衍して私は「急いで得をしようとしない人は心豊かな庶民」とでも言ってみたい。
寄席や演芸場は、そういう心豊かな庶民の日常的な居場所であってほしい。日本では、人々が日常の延長・生活の延長として過ごすような演芸場の数がもう何十年も低迷している。近所の人や仕事帰りの人が予約なしでぶらっと入って、ゆったりとした時間に身をまかせて過ごし、劇団から元気をもらって帰る・・・そんな大衆演劇場がもっとあったらなあ・・・
最近の私は気づいたら、こんな大衆演劇場を作って経営してみたいな、という夢想をしていることが多い。しかし今のところそれは、佐藤春夫の「美しき町」のごとくの妄想であり、現実的な夢と呼べるものではない。
このときみはらし温泉にのっていたのは美波大吉座長率いる劇団春駒。
劇団春駒は以前石川県に射なか座という大衆演劇場を持っていた。
美波大吉座長が難病の息子のために、その主治医の病院の近くに劇場をつくったそうだが、建物の持ち主の意向により2014年9月に閉館してしまった。閉館のニュースをききつけて私は石川県まで射なか座を見に行ったことを思い出す。(そのときの探訪記はこちら)
第一部お芝居は「文七元結」
主人公の男が娘を女郎屋に預けてまで作った金を、身投げしようとしていた若者にあげてしまうという話である。
大衆演芸の物語は「なんでそうなるの」と突っ込みを入れたくなるような展開が多い。
だから、演者においてはお客さんに心の中で突っ込みを入れさせないような工夫と技量が必要だし、お客さんにおいてはその術中に入り細かいことを気にしないのが心得といえる。と書きつつも、告白すれば私は、昨今の大衆演劇の芝居の途中で「?」と思わないことの方が少ない。大衆演劇ではお客さんの興味が芝居から舞踊にシフトしつつある、というコメントを目にすることがあるが、これは単にお客側の嗜好の変化の問題だけではなく、劇団側の内省不足(お客さんに「?」を与えないかどうかの考察不足)の問題もあろうかと思う。どうしてこうも辻褄の合わない展開に無頓着でいられるのだろうか、と思うことがある。それと、ぐだぐだな芝居も多くなっている気がする。セリフにリズムがあるように、芝居の構造・展開にもリズムがある。セリフのリズムを楽しむのと同時に展開のリズムも楽しみたい。リズムのある芝居は話が多少の矛盾をはらんでいても気にならない。
文七元結は、現代人の感覚では起こりえない展開で、お客さんの突っ込みを誘発しやすい演目だろう。
だが、劇団春駒の文七元結はとてもよかった。
主人公が若者を助ける場面では、登場人物の心の機微を無理なく丁寧に描いていて、話の展開に説得力があった。
美波大吉座長の芝居を他にももっと見てみたい。

美波大吉座長
唯一、主人公にお金が戻ってくるときに主人公が返金を拒む場面は「?」であったが、全体としてとても楽しめた芝居だった。
小学生くらいの子供が何人もいたのに、かなりきわどいセリフのやりとりがあり、私の前に座っていたおじいちゃんは子供をあやして注意を逸らそうとしていた。
芝居が終わり、休憩をはさんで第2部の舞踊ショー。
座長の息子をはじめ若手中心に奮闘している。

椅子席最前列の左側の席より。ここは見やすい。

椅子席後ろの方にも座ってみた。
3つ前の席のお客さんの頭でさえかなり気になる。
前の席や前の前の席にお客さんがいたらさぞ見にくいことだろう。
この日は演歌歌手がプロモーションに来ていて、劇団公演の後引き続き歌謡ショーとなった。
公演後、私の心に持ち上がったのは今日の夕食の問題である。
みはらし温泉には食事できる場所が1箇所ある。

2階フロントの近くに活魚料理専門店魚三昧という、ダイレクトなネーミングのレストランの入口がある。
ここで一人じゃさみしそうだなと思い、夜は三原の町で居酒屋を探すこととした。
フロントで精算を済ませる。

出入口近くに飲泉場がある。
どれどれ、と備え付けの紙コップをとって何気なしに温泉を飲んだら、、、
しょっぱっ!!!
思わずむせてしまった。
よく見ると「初めての方はうすめると飲みやすいです(5倍~10倍)」と書いてある。
逆に常連はこのかなりしょっぱい温泉をそのまま飲んでいるのか。
朝晩コップ1杯が適量らしい。
「悩み解消ね!」と言いながら温泉を飲む女性の写真があるけど、塩分の摂りすぎ大丈夫?

帰りも無料送迎バスを利用。
みはらし温泉近くのバス停から公共バスで三原駅に行くこともできる。
夕方、三原駅近くの繁華街を歩く。
30分も歩けば飲み屋があるあたりはだいたいまわれる。
目星をつけた居酒屋に入り、瓶ビールを傾ける。
カウンターで蛸料理をつまみながらゆっくりと三原の夜を過ごした。
(1日目おわり。2日目につづく)
見晴らし抜群のお風呂がある瀬戸内の大衆演劇場 「みはらし温泉」
2016年10月、広島県の大衆演劇場をめぐる旅に出かけました。
4日間の一人旅です。
最初の目的地は三原市にある大衆演劇場「みはらし温泉」。
東京から新幹線のぞみに乗って福山駅まで。そこで山陽本線に乗りかえて約30分で三原駅に到着する。
駅のすぐ目の前に三原城の遺構の石垣が見える。というより、かつて三原城本丸があった場所を山陽本線と新幹線が貫くかたちでここに駅舎ができたのだ。

駅のまわりあちらこちらで三原の名産である蛸の絵やオブジェを目にする。
駅の北側彼方にはゆるやかな山の連なりがあり、反対側の駅舎南の広いロータリーの周りにはそれほど高くないビルがいくつか並んでいる。人通りは少なく、せわしなく歩く者はいない。小さな綿雲は絵画のように青空に貼り付いていて、時間がとまった町に入り込んだかのようだ。ここからは海も港も見えないが、なぜかしら「海が近い地方都市」という気配を感じる。
ホテルに大きな荷物を預けて、みはらし温泉を目指す。

西口通路から、みはらし温泉の送迎バス乗り場がある隆景広場に向かう。

隆景広場。
右手、タクシーの奥に見えるのがみはらし温泉の送迎バス。
この広場のすぐとなりに広大な三原城跡がある。
三原城は毛利元就の三男、小早川隆景によって築かれた。築城以降兵火に遭うことはなかったというが明治時代に城郭のほとんどが壊されてしまった。
みはらし温泉の送迎バスがしばらく市街地を走ると左手の車窓が海に変わった。海の向こうにはいくつもの山が深閑と連なっている。あれは皆島なのだろう。いかにも瀬戸内海らしい光景。本州と四国を結ぶしまなみ海道はあの山の向こうにあるはずだ。

海沿いの道の右手に見えてきた円柱状のシルエット。あれが今日の目的地みはらし温泉の建物。

みはらし温泉到着。
建物1階に小さなロータリーがあって送迎バスはそこでお客さんを降ろす。
すぐには建物に入らずまわりを少し歩いてみる。

みはらし温泉は宿泊施設も併設している。「夢の宿」という大きな宿泊棟。

入口は2階にある。2階には道路を隔てた駐車場からの連絡通路が接続されている。
2階フロントで受付。
入館料は980円。もちろんこれで温泉に入れる。
大衆演劇観劇は別料金だ。プラス870円必要。
昼の部と夜の部を両方観たければ入館料に加え、870×2=1740円必要

フロントでロッカーキーと観劇入場券を受け取る。
入館時に支払いはない。退館時にすべて精算するシステム。
大衆演劇お昼の部の開場時間は13時とのこと。
それまで温泉に入ることにする。
4階の廊下に浴場カウンターがあり、そこでタオルと館内着を受け取る。
旅先で昼間っからお風呂に入っていると、ふだん頭の中にこびりついている「あれやんなきゃ、これやんなきゃ」というノイズが霧消し、脳みそを洗い流したような開放感に包まれる。
湯船に面した壁一面が硝子張りになっていて、瀬戸内海の海と島々がよくみえる。
なるほど、これは「見晴らし」温泉だ。
露天風呂がないのが少々残念である。硝子越しではなく直接この光景を見ながらお湯につかれたら相当な旅情を味わえたに違いない。
温泉はしょっぱい。かなりナトリウムの含有量が高い泉質のようだ。いかにも温泉に入っている感じがする。

3階の休憩室から撮った写真。お風呂からもこのような風景が見える。
お風呂から上がって大衆演劇場へ。

3階の廊下の壁に演目が貼り出されている。
13時前に劇場入口に来てみると、もうすでに入場が始まっていた。
開場時間はあまり厳格に運用していないみたい。
入口で係員に入場券を渡す。

劇場後方より

舞台前
舞台はそれほど高くない。

前方は座椅子席

後方は椅子席
舞台が高くないので、フラットな床に椅子をただ並べただけでは、椅子席2列目より後ろの席では、視野が前のお客さんの頭でかなり遮られてしまうだろう。
椅子席に関しては、はっきり申せば「劇場」として絶望的なつくりといえる。せめて舞台がもう50cmぐらい高ければよかったのだが、天井が高くないから現状の高さでやむを得ないだろう。

自由にお取りください式の座布団。

花道。
ホテルの宴会場を大衆演劇場に改修した場合にこういう花道をよくみかける。
この劇場は見やすい席とそうでない席の差がはげしい。
多分人気順では、
①椅子席最前列
②前方座椅子席
③椅子席2列目以降
ということになるだろう。
実際この日は椅子席最前列の多くは予約がはいっていた。
予約が入っていない席=自由席については、少しでもよい席ととろうとお客さんがガツガツしそうだが、そういう殺伐とした空気がない。みはらし劇場のお客さんからは「他の人をおしのけて自分がなるべくいい席を」という気概が感じられない。あるがままを受け入れる、というか、ただのんびりとしている。この日のお客さんの年齢層はさまざま。センター公演の常として、お客さんの多くが中年以降の女性、と想定していたが、若者も多く、その中には男性もいる。家族で来ているのだろう、子供もよくみかける。館内着を着ているのは1~2割くらい、ということは観劇だけが目的で来ている方が以外と多いのかな。
そんな人々が開演前の客席でスマホをいじっていたり、ぼーっとしていたり、自宅の居間でくつろいでいるかのようにのんびりしている。
ああ、時間の流れがゆるやかだ。
東京近辺の劇場の開演前とは何か根本的なところで雰囲気が違う感じがする。
なぜみはらし温泉に別世界の時の流れを感じたのか。ここに集うお客さん方は、東京人に比してふだんから時間に寛容な暮らしをしているのではないか。やりたいことを効率的にこなすことで得られる豊かさより、気忙しさから開放されることの豊かさを選んでいるのではないか。そんな憶測がよぎるのどかさであった。
立川談志は、「上品」を「欲望に対してスローモーなこと」と定義したそうで、私はこれをなるほどと思ったが、この箴言を敷衍して私は「急いで得をしようとしない人は心豊かな庶民」とでも言ってみたい。
寄席や演芸場は、そういう心豊かな庶民の日常的な居場所であってほしい。日本では、人々が日常の延長・生活の延長として過ごすような演芸場の数がもう何十年も低迷している。近所の人や仕事帰りの人が予約なしでぶらっと入って、ゆったりとした時間に身をまかせて過ごし、劇団から元気をもらって帰る・・・そんな大衆演劇場がもっとあったらなあ・・・
最近の私は気づいたら、こんな大衆演劇場を作って経営してみたいな、という夢想をしていることが多い。しかし今のところそれは、佐藤春夫の「美しき町」のごとくの妄想であり、現実的な夢と呼べるものではない。
このときみはらし温泉にのっていたのは美波大吉座長率いる劇団春駒。
劇団春駒は以前石川県に射なか座という大衆演劇場を持っていた。
美波大吉座長が難病の息子のために、その主治医の病院の近くに劇場をつくったそうだが、建物の持ち主の意向により2014年9月に閉館してしまった。閉館のニュースをききつけて私は石川県まで射なか座を見に行ったことを思い出す。(そのときの探訪記はこちら)
第一部お芝居は「文七元結」
主人公の男が娘を女郎屋に預けてまで作った金を、身投げしようとしていた若者にあげてしまうという話である。
大衆演芸の物語は「なんでそうなるの」と突っ込みを入れたくなるような展開が多い。
だから、演者においてはお客さんに心の中で突っ込みを入れさせないような工夫と技量が必要だし、お客さんにおいてはその術中に入り細かいことを気にしないのが心得といえる。と書きつつも、告白すれば私は、昨今の大衆演劇の芝居の途中で「?」と思わないことの方が少ない。大衆演劇ではお客さんの興味が芝居から舞踊にシフトしつつある、というコメントを目にすることがあるが、これは単にお客側の嗜好の変化の問題だけではなく、劇団側の内省不足(お客さんに「?」を与えないかどうかの考察不足)の問題もあろうかと思う。どうしてこうも辻褄の合わない展開に無頓着でいられるのだろうか、と思うことがある。それと、ぐだぐだな芝居も多くなっている気がする。セリフにリズムがあるように、芝居の構造・展開にもリズムがある。セリフのリズムを楽しむのと同時に展開のリズムも楽しみたい。リズムのある芝居は話が多少の矛盾をはらんでいても気にならない。
文七元結は、現代人の感覚では起こりえない展開で、お客さんの突っ込みを誘発しやすい演目だろう。
だが、劇団春駒の文七元結はとてもよかった。
主人公が若者を助ける場面では、登場人物の心の機微を無理なく丁寧に描いていて、話の展開に説得力があった。
美波大吉座長の芝居を他にももっと見てみたい。

美波大吉座長
唯一、主人公にお金が戻ってくるときに主人公が返金を拒む場面は「?」であったが、全体としてとても楽しめた芝居だった。
小学生くらいの子供が何人もいたのに、かなりきわどいセリフのやりとりがあり、私の前に座っていたおじいちゃんは子供をあやして注意を逸らそうとしていた。
芝居が終わり、休憩をはさんで第2部の舞踊ショー。
座長の息子をはじめ若手中心に奮闘している。

椅子席最前列の左側の席より。ここは見やすい。

椅子席後ろの方にも座ってみた。
3つ前の席のお客さんの頭でさえかなり気になる。
前の席や前の前の席にお客さんがいたらさぞ見にくいことだろう。
この日は演歌歌手がプロモーションに来ていて、劇団公演の後引き続き歌謡ショーとなった。
公演後、私の心に持ち上がったのは今日の夕食の問題である。
みはらし温泉には食事できる場所が1箇所ある。

2階フロントの近くに活魚料理専門店魚三昧という、ダイレクトなネーミングのレストランの入口がある。
ここで一人じゃさみしそうだなと思い、夜は三原の町で居酒屋を探すこととした。
フロントで精算を済ませる。

出入口近くに飲泉場がある。
どれどれ、と備え付けの紙コップをとって何気なしに温泉を飲んだら、、、
しょっぱっ!!!
思わずむせてしまった。
よく見ると「初めての方はうすめると飲みやすいです(5倍~10倍)」と書いてある。
逆に常連はこのかなりしょっぱい温泉をそのまま飲んでいるのか。
朝晩コップ1杯が適量らしい。
「悩み解消ね!」と言いながら温泉を飲む女性の写真があるけど、塩分の摂りすぎ大丈夫?

帰りも無料送迎バスを利用。
みはらし温泉近くのバス停から公共バスで三原駅に行くこともできる。
夕方、三原駅近くの繁華街を歩く。
30分も歩けば飲み屋があるあたりはだいたいまわれる。
目星をつけた居酒屋に入り、瓶ビールを傾ける。
カウンターで蛸料理をつまみながらゆっくりと三原の夜を過ごした。
(1日目おわり。2日目につづく)