WIKIレンタル 大衆演劇探訪記
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炭坑の町の記憶と旅芝居 筑豊に復活した常打ちの芝居小屋 「飯塚セントラル劇場」

炭坑の町の記憶と旅芝居 筑豊に復活した常打ちの芝居小屋 「飯塚セントラル劇場」

エネルギー資源が石炭から石油に転換される以前の日本では、石炭の産地は国内経済発展に多大な役割を果たしてきました。特に第2次大戦前後の20年間は石炭需要が多く、石炭は黒ダイヤと呼ばれ、石炭産業は繁栄しました。
筑豊炭田は、石狩炭田、常磐炭田とともに日本の三大炭田地域でした。歴史が古く広大な地域をかかえる筑豊炭田地域の中心都市だったのが飯塚です。

このブログをお読みの方ならばご存知でしょう、飯塚には大衆演劇の聖地、あの嘉穂劇場があります。あまりにも立派すぎる嘉穂劇場では座長大会が行われることはあっても通常の大衆演劇公演はありません。飯塚の方々は、近くに嘉穂劇場がありながら皮肉にも大衆演劇を身近に楽しめない状況にありました。
そんな飯塚に常打ちの大衆演劇場として2017年12月にオープンしたのが飯塚セントラル劇場です。

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新飯塚駅
博多駅からは約45分

駅から飯塚の中心地までは少し距離があります。
途中で遠賀川(おんががわ)を渡ります。
遠賀川は筑豊を流れる一級河川でかつては石炭運送の大動脈を担っていました。

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遠賀川を渡る橋からの眺め。
遠くに「筑豊富士」と呼ばれるピラミッドが連なったような山が見えます。
飯塚セントラル劇場が入っているセントラルビルも見えます。

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セントラルビルの屋上を望遠で撮影
「大衆演劇上演中」の垂れ幕が見えます

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セントラルビルに着きました
飯塚セントラル劇場はこのビルの4階にあります

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ビルの1階
ここからエレベータに乗って劇場へ

昼の部は13時開演
夜の部(平日以外開催)は18時開演

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エレベーター前に劇場からの案内文書と時計が置いてありました。

ごめんなさい
昼の部12:00まで入場できません
夜の部17:30まで入場できません
お掃除やリハーサルや作戦会議をしております

といった内容。
開場時間が開演30分前や1時間前というのは別に標準的であります。
それでも「ごめんなさい」と書いてあるのは、
大衆演劇場は芝居を見る場所であるとともにお客さんがゆっくりくつろぐ場所、という前提意識を劇場の方がお持ちだからでしょう。

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別の掲示には飲み物を注文した方やお弁当を予約注文した方は11:15から入場可ということが書いてあります。

それではエレベーターで4階へ。
降りると正面に受付カウンターがあります。ここで木戸銭を支払う。

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受付から左を向くと劇場の入口が見えます。

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受付から右を向きますと、「芝居茶屋」の暖簾がかかった部屋の入口が見えます。

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芝居茶屋内部。
お客さんが飲食してくつろげるスペースになっています。

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受付近くの掲示
お手ごろ価格のお弁当

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いよいよ劇場内部へ
客席後方からの眺め

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このように客席は段差になっています。
一番前のフラットなスペースには座布団が敷かれている。

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その後ろに椅子席

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後方の高くなっているフロアの席。
この一番前の長テーブルが置かれている席が、きっと一番見やすいいい席でしょう。

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花道

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舞踊ショーの様子

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天井のミラーボール

観劇後は街の中心地、本町(ほんまち)商店街を散歩しました。

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飯塚セントラル劇場オープンののぼりと動画ディスプレイがありました。

さて、この旅行で私は九州の旅芝居に思いをめぐらすことが多くありました。

大衆演劇の劇団はよく出自の系統から「九州」「関西」「関東」と3つに分類されます。
「九州」は橋本正樹先生の著書から引用させていただくと「ドサ周りのメッカ」
かつては旅役者を受け入れる土地や小屋がたくさんありました。

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嘉穂劇場内に掲示されている「明治末期~昭和中期の劇場群 筑豊の芝居小屋(遠賀川流域)」というポスター。
地図には50の劇場が示されています。実際にはここには記されていない公演地もたくさんあったことでしょう。
黄金期の九州の旅芝居は力強い魂のこもった芸が評判だったそう。
そのような芸が人気を得た土壌がなぜ九州にあったのか。

筑豊という土地と炭坑の歴史に私の意識は向いました。

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新飯塚駅から遠賀川を渡る際に見えた「筑豊富士」
この正体は<住友石炭鉱業忠隈炭坑のボタ山>です。ボタというのは選炭した後に残る石や岩石です。この山は半世紀近くボタを積み上げてできました。炭坑全盛期の頃のこの山は不夜城のように照明が灯っていたそうです。
筑豊には石炭遺産がたくさん残っており観光スポットとなっています。

今回私が飯塚セントラル劇場で観劇したのは九州大衆演劇協会所属の劇団正道。私は別の劇場で司大樹座長が「織江の唄」を女形で踊っているのを観たことがあります。
五木寛之「青春の門」は筑豊(田川・飯塚)を舞台とした大河小説で「織江の唄」はそのイメージソング。作詞は五木寛之、作曲・唄は山崎ハコ。

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「織江の唄」を踊る司大樹座長

遠賀川 土手の向こうにボタ山の 三つ並んで見えとらす
信ちゃん 信介しゃん うちはあんたに逢いとうて カラス峠ば 超えて来た


この歌を九州の役者が踊ることに感懐を覚えました。
筑豊が「炭坑の町」であった記憶を大衆演劇役者がつなぎとめているかのような・・・

ここから先は、筑豊の炭坑について私が本で読み知ったことを綴りたいと思います。

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昭和33年の筑豊の炭坑分布
昭和30年の筑豊には274の炭坑、10万人以上の石炭労務者があって日本最大の産炭地域でした。昭和30年代から炭坑閉山が進み、昭和50年の筑豊はわずか5の炭坑、35人の石炭労務者となりました。翌51年に筑豊から石炭産業は姿を消しました。

昭和30 炭坑274 労務者10万人以上
昭和50 炭坑5 労務者35
このように書くと約20年の間に筑豊の町から人がほとんどいなくなってしまったような印象を受けるかもしれませんが、実際にはそんなことはありません。
飯塚市の人口推移は以下のとおり。
昭30 10万7千人
昭31 10万4千人
昭60  8万2千人
平 2 8万3千人
それほど人口は落ち込んでいません。鉱業従事者や農業従事者は減りましたが製造業や第3次産業が増えました。

筑豊においては、炭坑と旅芝居が同じ時期に急激に衰退しましたので、両者の間に小さくない因果関係があるのではないかと思っていたのですが、石炭から石油へのエネルギー転換のタイミングとテレビの台頭による娯楽文化の激変のタイミングが重なった、と考えるのが妥当なのかなと思っています。

では炭坑労働者の娯楽はどのようなものだったのでしょう。

とある手記より(おそらく大正か昭和初期)
この沈滞した炭坑の空気も賃金支払日になると少し活気がみなぎっていた。各所から勘定日目当てに物売りや香具師の連中が押し寄せて、店の近くの広場には、のぞき、硝子蓋のなかからゴム管を数十本出して耳に当てて聞く浪曲、アメ細工、もち米細工、操り人形、薬売り、バイオリンを弾いた流行歌売り、雑貨類売り、玩具売りなどの市がたち、 (後略)

盆休みは酒瓶がよく動き、バクチも始まっていた。近くの飯塚の町に出てゆく者も多くなり、その頃には活動写真館が二、三軒できていて、芝居は榮座(後に吾妻座と改座)、中座(嘉穂劇場)があり(中略)働く者は気前よく金を使い、若者は赤線地区に走り、年配者は活動写真か芝居見物に行っていた。

七月十三日から始まる飯塚の祇園祭りは賑やかだった。 (中略)お宮の境内や、神社下、遠賀川の河川敷にも、テント張りの小屋掛けのいろいろな見世物小屋が立ち並んだ。ことに河川敷のサーカス小屋は、電気を明明とつけ、音楽を高々と響かせて、人の心を扇情的に誘っていた。

上山田(筑豊南部)での聞き取りより
賭博・花札をする抗夫が多かった。昭和20年代上山田大橋に玉突きが6件ほどあった。常盤座には、芝居、浪花節、万歳、舞踊など近辺の劇団がやってきた。後に映画館になった。永楽館という映画館があった。吉田座という劇場があってどさ回りがやってきて演芸をやっていた。
遊郭は炭坑街にはいずこでもあって、上山田大橋には20軒が並んでいた。赤線が廃止になって姿を消した。


筑豊の炭坑夫の暮らしを最も活き活きと現代に伝えてくれる資料は、山本作兵衛の炭坑記録画でしょう。作兵衛の作品群はユネスコの世界記憶遺産に日本で初めて登録されました。山本作兵衛は明治39年から昭和30年まで約50年間抗夫として働き膨大な絵と文章を残しました。
先ほど引用した「ゴム管を数十本出して耳に当てて聞く浪曲」も文字だけでは何のことかよくわかりませんが作兵衛の「発音機」という文と絵では克明に説明されています。
作兵衛の記録の価値を示す例を挙げておきます。

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「大ツヅラ二個を一荷にして担うて歩く傀儡師。一人で浄瑠璃も語り人形も使いわける」と説明されている絵。
1615年に淡路島が徳島藩の所領となり、淡路島の農民の人形芝居興行が流入し徳島で人形浄瑠璃が発達しました。阿波人形浄瑠璃では「箱廻し」(人形を入れた箱を天秤棒で担いで、二人か一人で巡業する)という大道芸・門付け芸が生まれました。箱廻しを稼業とする人は明治の初め頃には200人ほどいましたが昭和30年代に消えました。作兵衛の記録は箱廻しが筑豊にまで巡業していたことを証明しています。

作兵衛の絵に芝居文化に関係する記述がないか探してみました。

明治時代のヤマにはいまのように映画、パチンコ、ビンゴ、競馬、競輪、オートレースなどなんの娯楽施設も福祉施設もありません。上三緒抗の場合、約五キロ離れた飯塚の町に養老館があるばかり。そこまで運炭線路を通って歩いて往復するとなるとよほどよほど芝居好きでも何ヶ月ぶりということになります。(中略)公休日も月に1日で、観劇するにも作業を休まなければならないし、切符金券制度が足かせになって金が自由になりません。こんなわけで、酒、バクチ、ケンカがうっぷんのはけどころとなっていました。
「ケンカ」より

「明治末期の青年は盆会休の二、三日間カケ小屋を造って芝居をしていた。」
下はその稽古中の場面
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「コレハ新派劇の義理のシガラミ、正義快男児山岡金之助が悪党マムシの源太に忠告してフイに眉間を割られ、昂奮して復讐に出かける処を女房や児分が押とどめる場面」
大衆演劇でもありそうな場面ですね~

昔の炭坑生活を知る上で欠かせないのが炭鉱労働者の集合住宅である納屋(なや)の存在です。また差別の問題があったことも無視できません。
最後に、芝居とは離れますが、筑豊の炭坑について私の印象に残った事柄を記します。

江戸の藩政下で採炭が始まって以来長い間、炭坑労働者は人々から蔑まされ社会から隔絶された存在でした。土地を持たず各抗を転々と流浪する抗夫が基幹的な労働力でした。また明治・大正を通じて西日本各県の部落民が筑豊の炭坑に流入し、炭坑のあるところには必ず部落があったそうです。また明治20年頃に大財閥が囚人を炭坑労働に始めたことでも炭坑労働者への賎視が増幅されたことでしょう。
長崎では納屋(なや)という抗夫管理制度が発達しました。炭坑経営者は直接抗夫を直接管理せずに、納屋と呼ばれる抗夫小屋を取り仕切る納屋頭に管理をまかせました。納屋頭は納屋に住む抗夫を拘禁といってよいくらい厳しく管理し、逃げようとした者には惨い懲罰が加えられました。特に高島炭坑(軍艦島とともに世界遺産に登録されています)の惨状は全国に伝わり社会問題となりました。
明治に蒸気機械が導入されて通年採炭が可能になると出炭高は10~30倍になり抗夫の需要が高まりました。抗夫は季節雇用から常時雇用となり単身者ではない家族持ちの出稼ぎ抗夫も増えました。
筑豊では高島炭坑の納屋問題が落ち着いてきた時期になって納屋制度が普及してゆきました。納屋制度が確立してくると、納屋頭には絶対服従し分身として悪役を引き受ける補佐役が必要となりました。納屋の頭領は親分子分のように補佐役や用心棒を抱えるようになり、仁義をきって渡世する遊び人を留め置くこともありました。また納戸頭は対抗勢力に抵抗するため武闘力も備えてゆきます。男を売ることは精神的に重んじられました。明治後半の抗夫は多少なりとも刺青を入れていない者はいなかったようで、ケンカになると裸になって刺青を見せ、啖呵をきって、ドスを抜いたそうです。どこかで大喧嘩があれば、義理がある抗主や頭領のもとへ子分を連れて加勢に行きました。まるで幕末の侠客の世界のようですね。
その他、戦時中に朝鮮半島から強制連行された労働者など、歴史の闇を感じる記録も目にしました。

現在筑豊には炭坑はありませんし「ドサ回りのメッカ」の面影もありません。
遠賀川を渡る橋から、筑豊富士と呼ばれる3つのボタ山と飯塚セントラル劇場が入ったビルが見えます。いつかもう一度あの橋に立って、往時の筑豊の炭坑と旅芝居の賑わいを想起してみたいと思います。

(2018年9月探訪)

参考文献
「筑豊炭坑絵物語」山本作兵衛
「戦争と筑豊の炭坑」
「筑豊万華 炭坑の社会史」永末十四雄
「旧産炭地の都市問題」
「見知らぬわが町」中川雅子

はじめての大衆演劇、はじめての三吉演芸場マニュアル

はじめての大衆演劇、はじめての三吉演芸場マニュアル
(2019.7.16更新)


「いちど大衆演劇を観てみたい」
と思っている方のために
横浜にある唯一の大衆演劇場「三吉演芸場」の観劇ガイドをつくりました。

以下、大衆演劇の基本情報を交えながら
三吉演劇場での観劇をご案内します。

【どんな劇団が公演を行っているのか】
全国には100を超える大衆演劇の劇団があります。
そのほとんどが全国を転々と巡業する旅役者の集団です。
座員は家族・親族を中心に構成されています。
梅沢富美男、早乙女太一は大衆演劇出身の役者さんです。

【どこで観ることができるのか】
全国には100を超える大衆演劇の公演場所があります。
公演場所は大きく2つタイプに分けられます。
大衆演劇専門の「劇場」および業界で「センター」と呼んでいるお風呂付きの施設(スーパー銭湯、健康ランド、温泉ホテルなど)です。
東京・神奈川には5つの「劇場」があります。
十条の「篠原演芸場」、浅草の「木馬館」、立川の「立川けやき座」、川崎の「大島劇場」、そして横浜の「三吉演芸場」です。
公演する劇団は1か月ごとに変わります。
1つの劇場では1年に12の団体が公演を受け持つことになります。

【いつやっているか】
大衆演劇の公演は1月1日のお正月から1年中ほぼ毎日行われています。
劇団の移動日にあたる月末の1~2日は公演がありません。
また月の途中で休演日が設けられることもあります。

三吉演芸場は毎週月曜日と月末が休演日です。
(これでも他の劇場と比較すると休演日は多いです)

【公演内容】
一般的な劇場の公演時間は3時間~3時間半ほどです。
三吉演芸場の公演時間は3時間です。
「お芝居」と「舞踊ショー」から成ります。
現代のほとんどの劇場のプログラムは以下のようになっています。
第1部:ミニショー(舞踊ショー)
第2部:お芝居
第3部:グランドショー(舞踊ショー)
お芝居は約60分。
特選狂言など尺の長い芝居の場合は第1部からお芝居をはじめて2部構成となる場合があります。

お芝居もショーも毎日内容がかわります。
ですから毎日行っても楽しめます。
劇団はたくさんのレパートリーを持っていて、その土地柄やお客さんの反応をみながら芝居の内容を決めてゆきます。
また、本番中もお客さんの反応次第で、また役者の気分・思い付き次第で芝居はたやすく変化します。
他の演劇に比べるとアドリブが多いことが特徴といえます。
芝居はほぼ時代劇です。


三吉演芸場に行ってみましょう

<三吉演芸場基本情報>

公演日:毎日(月曜日および月末の2日ほどをのぞく)
昼の部:開場12:00 開演13:00 終演16:00頃
夜の部:開場17:00 開演18:00 終演21:00頃
入場料:一般席2200円 指定席2500円
予約:不要(特別なイベントでもない限り席が埋まることはありません)
    思い立ったらひょいと出かけましょう。

公演している劇団は三吉演芸場のホームページで確認できます。
芝居の演題や特別ゲストなどの情報も掲載されています。
・三吉演芸場ホームページ

なお、大衆演劇劇場の木戸銭(入場料)の相場は1700円くらいです。(この安さが「大衆」と名が付くゆえんでもあります)
三吉演芸場の入場料は相場より高いですが、施設はとてもキレイです。
古くさい場所やごちゃごちゃした場所が苦手の方でも安心して観に行けます。

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三吉演芸場は横浜駅の南方にあります。
最寄駅は横浜市営地下鉄「阪東橋(ばんどうばし)駅」(横浜駅から9分)です。
京浜急行の「黄金町(こがねちょう)駅」からも歩いて行ける距離です。
私は京浜東北線の石川町駅や関内駅も利用しています。
はじめて行く方は阪東橋駅を利用するのが無難でしょう。

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地下鉄阪東橋駅1A出口を出て、横浜橋通り商店街を通って行くのが、わかりやすい行き方。

黄金町駅から一目散に劇場に向かう場合は、大通りをまっすぐ進み、中村川で左折するルートが人通りが少なくてよいと思います。
時間があるのなら横浜橋通り商店街を通るのが楽しくてよいでしょう。

地下鉄が阪東橋駅に近づくと、車内に「三吉演芸場へはこちらです」というアナウンスが流れます。

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阪東橋駅の改札を出ると、三吉演芸場の案内看板があります。

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阪東橋駅1A出口を出てしばらく進みますと横浜橋通り商店街の入口に着きます。

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長いアーケード商店街をひたすらまっすぐ進みます。

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アーケードの出口で大通りにぶつかります。
ここで横浜橋通り商店街は終わり。
この大通りを渡ると、三吉橋通り商店街という小さな商店街になります。

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三吉橋通り商店街をちょっと歩いて左手に三吉演芸場があります。

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入口は2階。
階段を上ります。

2階に上がりますとすぐ演芸場入口があります。
入って左手に受付があります。
ここで入場料2200円を支払いチケットを受け取ります。
前の方の席で観劇したい場合は2500円の指定席を求めましょう。
どの指定席が空いているかは受付で確認できます。

支払いを済ませましたら、劇場に入る前に、
受付前にあるチラシラックから公演チラシをとりましょう。

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これは、2014年10月の都若丸劇団のチラシ。
出演者の名前が書いてあります。
大衆演劇は役者さんの顔と名前を覚えると楽しさが倍増します。
このチラシで役者さんの名前をチェックしましょう。

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三吉演劇場の内部をおおざっぱに描いてみました。

受付前のチラシを取ったら、劇場内に入りましょう。
前方が指定席、後方が自由席です。

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場内には「ここより前指定席」という札がさりげなくかかっているだけで、
初めて来た方は前方が指定席であることに気付かないことが多いでしょう。
知らずに指定席に座ってしまい後で気付いて席を移動する、というお客さんをよく見かけます。

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場内の様子。

座を定めましたら、あとはごゆるりと大衆演劇を楽しんでください。
なお、大衆演劇場は「飲食持ち込み可」です。
お菓子をつまんだりしながら開演を待つ、このくつろぎの時間もまたいいのです。
飲食は開演前や休憩時間にして、公演中は舞台を楽しみましょう。

公演が終わりますと、劇団員一堂が劇場の外でお客さんをお見送りします。
気に入った役者さんがいたら「よかったです」などと声がけしてもよろしいかと思います。お客さんの喜びの声は役者さんの元気のもととなるようです。
座長さんと握手して帰宅しましょう。


気軽にふらっと観に行けるところ、家の居間にいるようにくつろげるところも、大衆演劇の魅力です。
お時間がありましたら是非三吉演芸場へお越しください。


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橘小竜丸劇団鈴組 「鈴丸COS祭り」 2019.6.16 川崎大島劇場

橘小竜丸劇団鈴組 「鈴丸COS祭り」 2019.6.16 川崎大島劇場

旗揚げ以来毎年大島劇場に乗っている橘小竜丸劇団鈴組。
2019年6月16日昼の部の舞踊ショーにて、鈴丸座長が様々なコスチュームでパフォーマンスする「鈴丸COS祭り」が行われました。
当日は超大入りのお客さんで賑わいました。


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橘小竜丸劇団鈴組「鈴丸COS祭り」
2019年6月16日 川崎大島劇場 昼の部

まんてん星の湯 三国館 日帰り遠征レポート

まんてん星の湯 三国館 日帰り遠征レポート

群馬県猿ヶ京温泉にある三国館というホールでは年に数ヶ月大衆演劇公演が行われています。
2019年6月三国館にのったは劇団あやめ。私の推しの劇団です。

劇団あやめの主たる活動地域は九州と関西。
群馬県での公演は初めてとのこと。
今こそ関東地方の大衆演劇ファンに劇団あやめの存在をアピールする時。

東京から日帰り遠征した私の体験を交えながら
三国館での観劇をガイドさせていただきます。

三国館は「まんてん星(ぼし)の湯」という日帰り温泉施設のとなりにあります。
この二つの施設は同時に出来た双子のようなものです。
ネットで交通経路を検索する場合は、目的地は三国館よりまんてん星の湯とした方がよいかもしれません。

【注:以下の旅程や時間は2019年6月の平日のものです。土日は時刻表が変わります。】

以下は、仮に東京駅を起点として三国館を目指した場合の、手段と時間・費用の比較です。

手段A:自分で車を運転 ・・・ 約2時間40分

手段B:新幹線を利用 ・・・ 約1時間40分~2時間 片道 6,270円

手段C:JR普通電車を利用 ・・・ 約3時間50分 片道 3,470円


手段A【車】について

お車をお持ちの方は、体調に問題なければ車移動がよいでしょうか。
自家用車がなくても、2名以上で行くならレンタカーを借りて行った方が電車より安いでしょう。
検索サイトでは、仮に東京駅を起点としますと2時間40分ですが、
関越自動車道練馬入口を起点としますと2時間10分かかるという結果がでています。

手段B 【新幹線】について

上越新幹線の上毛高原駅で降りてバスで猿ヶ京温泉に向かいます。
上毛高原駅に停まる新幹線やバスの本数があまり多くないので、旅程が必然的に絞られます。

8:04 東京駅発 新幹線Maxたにがわ403号 - 9:21上毛高原駅着
9:32 上毛高原駅バス停発 関越交通バス猿ヶ京行き - 10:06 まんてん星の湯バス停着
このコースがおすすめです。まんてん星の湯の開館時間(10時)着後に着きますのでお風呂や食事もゆっくり楽しめます。

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上毛高原駅の改札はひとつ。この改札を出て右側の東口に出ます。

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東口を出るとすぐバス停が見えます。バス停乗り場は1・2・3とみっつあります。
一番後ろの3番乗り場に猿ヶ京行きバスが来ます。バスはここが始発ではないので定刻より遅れて到着することもあるかもしれません。

手段C 【普通電車】について

経費をおさえたい方や旅気分をたくさん味わいたい方は鈍行列車を使用しましょう。
ただし早起きしなければなりません。
8時16分高崎着の上野東京ライン高崎行きに乗りましょう。
この電車の主要駅到着時間は、5:53横浜-6:11品川-6:20東京-6:52大宮-8:16高崎 です。
高崎駅で8:24発 JR上越線水上行に乗り、9:18後閑(ごかん)駅下車。
後閑駅で9:22発のバスに乗ります。乗り換え時間が4分しかありませんが心配無用。

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ホームに降りるとすぐ改札があって、改札を出た広場に猿ヶ京行きバス乗り場があります。乗り換え時間は1分あれば大丈夫。
これが手段Bのおすすめコースで書いたのと同じバスで、10:06 にまんてん星の湯下バス停に着きます。

この時間はあまりにも早すぎるのであれば、もちろん別の旅程も組めます。まんてん星の湯下バス停に11:12に到着する便、12:02に到着する便があります(これは平日バスダイヤです。土日はこの時間とは異なります)。
今回レポートした時間はあくまで一例にすぎませんので、実際お出かけの際は必ずネットで路線検索して調べるようお願いします。

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バスの車窓。
赤谷湖が見えてきたら猿ヶ京はすぐそこ。バスの左手車窓から赤谷湖の上にあるまんてん星の湯の施設が見えました。

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まんてん星の湯下バス停下車。
この写真の正面に見える階段を上ると、そこはもうまんてん星の湯の敷地です。

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車で来た場合はここから駐車場に入ります。

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左に見えるのが大衆演劇公演が行われる三国館。
右に見えるのが日帰り温泉施設 まんてん星の湯。

観劇だけだと1,800円。
観劇と入浴セット券は2,000円。
せっかくここまで来たのだから温泉も楽しんで帰りましょう。

まんてん星の湯の建物に入ります。

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入口に入るとコビー。その目の前に食事処があります。その上に垂れ幕がいくつかぶら下がっている。
「でんでこ座三国館 笑いあり涙ありの大衆演劇 豪華絢爛の舞踊ショー」という幕もある。
三国館は「でんでこ座」と付けるのが正式名称らしい。

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ロビー右手に靴箱とフロント。
靴を靴箱に入れて、フロントで靴箱の鍵を渡します。
料金を支払い観劇チケットと受付票を受け取ります。
受付票にはバーコードが表示してあって、食事所ではバーコードで精算できます。
なお、入浴&観劇セットは6時間制。10時15分に入館した場合は、16時15分までに退館しなければなりません。
大衆演劇公演は15時15分頃には終わりますので芝居を見てからまたお風呂に入る時間はありますね。
貸しタオルは有料です。荷物にならなければタオルを持参しましょう。

三国館で行われる大衆演劇は、12時30分開場、13時開演です。

それまでまんてん星の湯でくつろぎましょう。

お風呂は1階にあります。
源泉掛け流しの温泉。露天風呂は広々としていて赤谷湖を見下ろす景色がいい。
内湯にはぬる湯があるのがうれしい。ゆっくりお湯に浸かれます。サウナもあります。

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2階にある休憩所。眺めがよいです。

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1階にもごろごろくつろげるスペースがあります。

1階にはマッサージマシンがたくさん置いてある。私の好きな「あんま王Ⅱ」

お風呂→食事→マッサージマシン と施設をのんびり過ごしているうちに三国館の開場時間になりました。

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三国館入口

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受付でチケットをもぎってもらいます

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三国館は収容人数約350名の大ホール。
大衆演劇の公演場所としてはかなり大きいハコ。

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1階客席

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2階席もあります

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2階席から見た舞台

13時に劇団あやめの公演が始まりました。
第1部芝居 第2部舞踊ショー

この日の芝居は「天竜親恋笠」
お客さんが30人くらいだったけれど、この大きなホールに散らばって座っている。
姫猿之助座長はいつも以上に、ゆっくりと大きな所作で演技しているように見えました。
いつ見ても猿之助座長の表現力には感嘆します。自分が役者だったら猿之助座長の立ち位置の取り方とか目線の動かし方とかかなり勉強になるのではないかと思う。

第二部は舞踊ショー。
劇団あやめの派手な衣装は、小さい劇場では窮屈に見える。空間的余裕がある方が見映えがする。相舞踊は広い舞台ならではののびのびとした感じがよかった。恒例の巨大な敵も存分に動き回っていました。
初音きららさんのバク転もやりやすそう。
少ない人数にもかかわらずこの広いホールの舞台をここまで華やかに盛り上げるとはさすが劇団あやめだ。
劇団あやめは公演中の写真撮影NGなので公演の様子は本ブログでは紹介できません。
でもあやめの舞踊ショーは、カメラのファインダーごしに見たら迫力が半減以下になってしまうので、写真NGでもあまり残念な気がしない。

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送り出しの写真撮影&ネットへのアップはOK。
集合写真を撮影させていただきました。

かなり貴重な機会と思われる劇団あやめの群馬公演。
皆さまもぜひ三国館の大きなホールで劇団あやめの存在感あふれるパフォーマンスを楽しんでください。

(2019年6月探訪)

寂れた温泉街でのゴージャスなひととき  「大川荘」

寂れた温泉街でのゴージャスなひととき  「大川荘」

冬、福島県にある芦ノ牧温泉街では大衆演劇公演が行われている。

東京から新幹線で郡山へ。

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郡山から磐越西線会津若松行きに乗り換える。

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会津若松駅から会津鉄道に乗り換える。
会津若松駅から2つ隣の西若松駅までがJRの路線で、西若松駅から先が会津鉄道の路線区間となるが、会津若松駅から会津鉄道直通のリレー号が出ている。運賃の精算がやや面倒

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芦ノ牧温泉駅
駅から温泉街までは遠い。
今日の宿泊先「大川荘」に送迎をお願いしていた。

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芦ノ牧温泉駅の扉に貼ってった大川荘での大衆演劇公演のポスター

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芦ノ牧温泉街の遠景

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それなりの規模の温泉街ではあるが・・・

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静かだ。さびれてしまった雰囲気。
この写真の右手に見える建物の奥に芦ノ牧劇場というストリップ劇場があったが2018年6月に閉館となった。

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温泉街のビュースポットは大川の渓谷美
「大川荘」はこの渓谷の上に聳え立つ巨大リゾートホテルだ。
崖の中腹に見える赤茶色の屋根の建物が大川荘自慢の空中露天風呂

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大川荘正面
施設が大きすぎて写真におさまりきらない

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高級感あふれる館内
フロント、ロビー、ラウンジどこも和風モダンな洗練されたデザイン

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「浮き舞台」では16時~18時に三味線演奏が行われる

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三味線演奏が行われている様子を下のフロアから

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空中露天風呂に向かう廊下
廊下の先から木造の階段を降りる(エレベーターもある)
異世界に来たようなわくわく感がある。

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夕食のビュッフェはクオリティが高い!
バラエティに富みとても全種類食べきれない

これまであまりお客さんが映っていない写真ばかり掲載しましたけれども
実際にはとても多くのお客さんで賑わっていました。

このゴージャス感、このブッフェ
宿泊料金はそれほど高くない
人気があるはずです

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ここでは20時30分から餅つきが行われる。
イベント中は多くのお客さんが集まっていました。
(私はブッフェの後でとてもお腹にはいらない)

お風呂に入って就寝

翌朝ももちろんブッフェ
ああ、1回の宿泊で何日分のダイエットが相殺されてしまったのだろう

大川荘ではここ数年は2月3月に大衆演劇を行うことが多い。
大衆演劇公演は午前の10時~12時
宿泊者は観劇無料

早めにチェックインを済ませて観劇会場へ

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花魁(はなさきがけ)という大宴会場が会場
正面にある「花魁」の額を右に進む

9:30頃までは通路が衝立でふさがれているけれども
開場時間になると衝立が撤去される。
廊下には長テーブルでお菓子を販売しているスタッフがいる。

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入口
靴は脱ぐ

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会場内
定式幕がかけられている

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客席は椅子席
旅芝居の客席としてはハイソな雰囲気

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横に長い舞台

大衆演劇公演は
第1部芝居 60分
休憩15分
第2部舞踊ショー 45分

地方の大衆演劇単発公演では公演時間105分で請け負っていることが多い。

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この月、大川荘にのっているのは劇団美松
第一部芝居が終わり、松川翔也座長の口上

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第二部舞踊ショー

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舞台と客席の間に広くスペースをとっているのも何かお上品な感じ。
しばしば役者はそのスペースに降りてきて舞う。

公演後、あの旗丈司後見と松川さなえ太夫元がにこにこと二人並んで物販をやっていたのがエモく、グッズを購入してしまう。

帰りも駅まで送迎してもらう。
ただ電車の本数が少ないので、時間をつぶさなくてはならなかった。

芦ノ牧温泉街内には特に観光的みどころはない(と思う)。
ひとつなかなかよい時間つぶしスポットがあるので紹介しておきます。

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国道から温泉街に入るところに「芦ノ牧温泉」の看板が出ている。
実はあの看板の下に足湯がある。

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足湯から大川荘がよく見える。
冬の足湯は気持ちよい。

この寂しい雰囲気の温泉街にあって大川荘の賑わいは驚きだ。
大衆演劇がこの賑わいの一助となっていることをうれしく思います。

(2019年2月探訪)

プロフィール

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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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