WIKIレンタル 大衆演劇探訪記
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活気があり居心地が良い 大衆演劇愛を感じる劇場 「楽笑演劇殿」

活気があり居心地が良い 大衆演劇愛を感じる劇場 「楽笑演劇殿」

今回は福岡県の久留米に2018年にオープンした大衆演劇場「楽笑演劇殿」を訪ねます。


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JR久留米駅前

世界最大級のタイヤが展示されています。

久留米はゴム産業を中心に栄えた街です。
明治時代に創業した「つちやたび」と「しまやたび」(のち「日本足袋」)が、大正時代に足袋にゴム底を貼り付けた商品を開発して大当たり。それをきっかけに両社はゴム製品製造業へ移行。
つちやたびは現在の株式会社ムーンスターとなりました。
日本足袋は昭和5年に純国産の自動車のタイヤの試作に成功。その翌年に久留米で「ブリッヂストンタイヤ」(現在の「ブリヂストン」が創業しました。

久留米の玄関口はJR久留米駅と西鉄久留米駅。
両駅間はちょっと遠い。2kmは離れています。
久留米の繁華街はこの両駅の間にあります。
繁華街は西鉄久留米駅前から大きく広がっています。両駅の中間くらいに、スナックやバーが多い夜の繁華街「文化街」があります。

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文化街の中で目をひく大きな紅い入口の建物。
楽笑演劇殿はここにあります。

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夜の楽笑演劇殿建物入口

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入口上の大きな掲示
九州ゆかりの劇団座長がずらり

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建物に入って進むと奥にエレベーター
楽笑演劇殿へは左のエレベーターに乗って3階に昇ります。(右は住居用なので3階に停まらない)

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エレベーターを降りて右手に券売所があります

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ちなみにエレベーターを降りて左手には待合スペースがあります。

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券売所のすぐ先に受付カウンターがあります。
その先、床が赤くなっているところからは土足禁止。靴は袋に入れて持って中に入りましょう。

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劇場後方より

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舞台前

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前方は座椅子席

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後方は椅子席
予約席にはわかりやすくクッションが置いてあります。

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後方サイドのテーブル席

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楽笑演劇殿はキャバレーを改修してできたそう。
その名残を感じる天井の装飾。

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ここはフードメニューがとても充実!

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ホットショーケースもあります。

別の場所ではホットプレートでフランクフルトを焼いていました。
縁日のような楽しさがあります。

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私は「てんぷら」(6枚200円)と「レモンサワー」(300円)を求め、開演を待ちました。

なんだろう、この幸せな感じ。
この庶民的なつまみ、酒が何故こんなにもうまく感じるのか。
何よりこの劇場の雰囲気がよい。スタッフの活気、広い空間、靴を脱いでることもポイントだな。
居心地のよい場所、開演前のワクワクした心持ち、この時点で幸福のベースはできたも同然。そこにてんぷらとレモンサワー、最高だ。

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他に個人的にポイントが高いと思っているのがこの筆書きの演目掲示。
この掲示は探訪前からツイッターの写真で見ていて、ここはいい劇場だろうなと私に思わしめていました。
プリンターで印刷したほうがうんと楽でしょう。しかし合理化より自分のこだわりを優先しているところに小屋主さんの熱い思いを感じます。
来客者数掲示もあります。

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この回は75名のお客さんが入りました。
役者さんが大入りの幕を引きます。

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公演中の様子

予想通りとても良い劇場でした。
お客さん目線で作った芝居小屋だと思いました。
九州の大都市にこんな良い雰囲気の大衆演劇場がある、その存在価値は大きい。

今後どんどん常連のお客さんが増えて賑わい続ける劇場となるでしょう。

(2018年10月探訪)

大衆演劇ファンが劇団を立ち上げ! とんかつ屋さんの中の劇場 「金太郎劇場」

大衆演劇ファンが劇団を立ち上げ! とんかつ屋さんの中の劇場 「金太郎劇場」

旅芝居専門誌KANGEKI 2019年10月号に大衆演劇ファンのとんかつ屋店長が店内に劇場を作ったという記事が載っていました。なんてわくわくする話なんでしょう。2019年9月、さっそく私はその「金太郎劇場」を訪ねました。

目指すお店、とんかつ屋金太郎本店(2019年8月にとんかつレストランてつ兵衛から改名)は宮城県の北、岩手県との県境近くにあります。
幹線道路沿いにありお客さんのほとんどは車で来店するものと思われます。旅人である私は公共交通機関と徒歩にて向かいます。

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岩手県の一関駅から東北本線に乗り隣の有壁駅で下車。
この駅に電車は1時間に1本くらいしか停まらない。帰りの電車の時刻をチェック。

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広い空。民家すらまばらな土地を貫いている国道187号線を進む。

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一般人が徒歩で歩くことを想定していないのだろうか。歩道のない道路を車に気を付けながら進む。緑に囲まれた誰もいない道路をリュックを背負って一人歩くのはさみしいようで旅人ならではの楽しさがある。

この道の突き当りで大きな幹線道路国道4号線にぶつかります。そのT字路交差点を左折してすぐそばにお店があります。

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とんかつ屋金太郎本店に着きました。
KANGEKIには有壁駅から徒歩18分と書いてありましたが、私は早歩きしたので15分で着きました。

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国道4号線をはさんで見た店舗

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「とんかつ屋金太郎」と「金太郎劇場」の看板がかかっています。

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店内
昼食はここでいただくことにしました

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たくさんのメニューの中から、「上ロースかつ定食(150g)」(1280円:消費税込み・当時価格)を選択。お店のイベントで人気投票を行った際に4年連続人気No.1だったというメニューです。

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お肉やわらか~
衣サックサク
美味しかった~!

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お品書きに異彩を放っているメニューを発見。
「ばななカツ」
ばななのカツ!? OH MY GOD. これ取材だったら絶対頼まないといけないやつだよね?引くに引かれぬ男一匹。チョコレートとストロベリーのハーフ&ハーフを注文。
生クリームでデコレートされたいかにも女子が喜びそうなフォルムのデザートにアイスクリームが添えられて届きました。だが生クリームの下に見えるのは紛れもなくカツ・・
フォークとナイフでいただきました。
美味しい!ウマいよこれ!甘くやわらかいバナナとサクサク衣とまろやか生クリームのハーモニー。衣に油を感じないのです。あと熱いバナナと冷たいアイスクリームのコントラストもいいですね~。

私は本題の劇場をレポートしなければならない。

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お店に貼ってあった金太郎劇場の案内
「当店奥のお座敷席にございます!」「舞台付のご宴会場!」「ご宴会料理!」「ご宴会・イベント各種のご予約承ります!」
金太郎劇場はとんかつ屋さんの一部。通常営業の客席としても使われています。

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店内北側の奥に劇場(=宴会場)の入り口があります。

劇場内をレポートする前にここでどのような公演が行われているのか確認しておきましょう。
KANGEKI 2019年10月号に詳しく掲載されておりますがここでは簡単に紹介させていただきます。

* * *

とんかつ屋金太郎の店長の息子金太郎さんが劇団要に入団。一方大衆演劇好きな店長は地元を盛り上げる場を作りたいと店内に舞台付きの宴会場を設ける。その後金太郎さんが劇団を退団してお店で働くようになり、この機に店長は家族とお店のお客さんとで「劇団夢処族(むしょぞく)」を立ち上げる。族頭銀太郎(店長)、副族頭金太郎を中心に劇団夢処族は金太郎劇場での不定期公演の他、介護施設の慰問公演やお祭りでの公演を行っている。

* * *

私が訪ねた日は店長銀太郎さんと金太郎さんは介護施設慰問のため不在でした。

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劇団夢処族のロゴ

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2017年11月13日金太郎劇場のこけら落とし公演、劇団要による舞踊ショーの写真が飾ってありました。

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金太郎劇場場内

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舞台上に宴会の盛り上げグッズのカツラがありました。

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舞台上手にカラオケセットもあります。

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舞台の前の座敷の天井近くの照明設備。ライトがたくさん。
この照明の下の襖の先にはさらに大きな宴会場があります。

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舞台から遠い方の座敷

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奥の座敷からの眺め
襖およびテーブルを全部取り払って座布団を敷いた場合の最大席数は80にもなります。

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舞台用照明だけにするとこのようなムードたっぷりのステージとなります。

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写真ではお伝えできませんが、実際は色も豊かできらびやかに変化する照明なのです。

この日は金太郎劇場のイベント日ではありませんでしたが、いつかここで公演を観てみたいです。

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この店に来ていろんなところに目を向ければ、店長の銀太郎さんがアイデアマンで何でも明るく楽しくやっていこうという姿勢の方なのだということがよく伝わってきます。
たとえば、お店の前にはかかし人形があってそのコミカルな姿が見る者を和ませます。これまでに設置されたたくさんのかかし人形作品の写真が店内に飾られています。

大衆演劇の原点は旅芝居。全盛期は日本全国津々浦々で公演が行われたことでしょう。どこに行っても受け入れてもらえる芸能。
その特性を活かして大衆演劇の力で地元に元気と明るさをもたらそうという取り組みはとてもいいなと思います。
劇団夢処族と金太郎劇場の認知度がますます高まりますようご活躍を祈念しております。

(2019年9月探訪)

平成の終わりに生まれたショッピングモール内の劇場 「なら香芝 天満座」

平成の終わりに生まれたショッピングモール内の劇場 「なら香芝 天満座」


大衆演劇場は「劇場」と「センター」に大別されますが、「劇場」の形態はここ10年で大きな変化を見せています。かつては芝居小屋として単独の建物であることが一般的でしたが、ここ数年はテナント型劇場が増えてきました。

今回訪ねる「なら香芝天満座」はその象徴といえるでしょう。
奈良県香芝(かしば)市の「じゃんぼスクエア香芝」というショッピングモール内にあります。

なら香芝天満座の最寄駅はふたつ。
近鉄下田駅とJR香芝駅。近鉄下田駅の方が近い。

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近鉄下田駅前広場

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近鉄下田駅から徒歩で約5分
じゃんぼスクエア香芝が見えてきました。
約40の専門店からなる大きな商業施設です。

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じゃんぼスクエア香芝に入ります

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エスカレーターで劇場がある2階に上がりました。
いかにもデパートなどにありそうなフロア案内板

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壁に公演ポスターが貼ってありました。
この貼り方、いかにも天満座って感じがします。

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じゃんぼスクエア香芝は2階建てではありますが、中央部分は吹き抜けになっています。

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2階天満座スペース前の通路

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受付

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受付で木戸銭を払って右に目をやるとディスプレイがありました。
ほとんどがシングルCDとカセットテープ…。この劇場って昨年できたばかりではなかった?なぜここに置いてある?売っているのかなあ。とにかくシブすぎる品揃え。真山一郎全曲集、鏡五郎「天野屋利兵衛」etc.…

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劇場入口

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劇場内後方より
天満座おなじみの黄色い座席台

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劇場前方

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いかにも天満座なつくり

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立派な花道がしつらえてあります

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貸出ブランケット

何から何までザッツ天満座な劇場、と思っていましたが、私が訪ねたときはちょうど運営者が変わったばかりのタイミングでした。
2018年にオープンしたものの、客の入りがのびず、小屋をたたもうという話がでた際に、泉州座が運営に乗り出したようです。入口も明るくつくりなおして入りやすくしたとか。

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それまで昼の部・夜の部の1日2部公演だったのが、昼の部とその後に続くイブニング公演(1時間の舞踊)という公演形態に変わりました。

「芝居+舞踊」の本公演の後に、もっとショーを観たいお客さんをターゲットに追加舞踊ショー公演を行うというスタイルが現れ始めたのは、現代の大衆演劇業界の世相といえるでしょう。

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この日の公演は市川ひと丸劇団。
私好みの芝居と舞踊。四代目座長の公演をもっと観たい。
首都圏に関西の劇団が乗る劇場が増えないかと、いつもながらに思います。

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ラストショー

ショッピングモール内という立地とイブニングショー。
大衆演劇業界史の観点から平成という時代の終焉をとらえるとしたら私はこの劇場を思い浮かべるでしょう。

(2019年8月探訪)

炭坑の町の記憶と旅芝居 筑豊に復活した常打ちの芝居小屋 「飯塚セントラル劇場」

炭坑の町の記憶と旅芝居 筑豊に復活した常打ちの芝居小屋 「飯塚セントラル劇場」

エネルギー資源が石炭から石油に転換される以前の日本では、石炭の産地は国内経済発展に多大な役割を果たしてきました。特に第2次大戦前後の20年間は石炭需要が多く、石炭は黒ダイヤと呼ばれ、石炭産業は繁栄しました。
筑豊炭田は、石狩炭田、常磐炭田とともに日本の三大炭田地域でした。歴史が古く広大な地域をかかえる筑豊炭田地域の中心都市だったのが飯塚です。

このブログをお読みの方ならばご存知でしょう、飯塚には大衆演劇の聖地、あの嘉穂劇場があります。あまりにも立派すぎる嘉穂劇場では座長大会が行われることはあっても通常の大衆演劇公演はありません。飯塚の方々は、近くに嘉穂劇場がありながら皮肉にも大衆演劇を身近に楽しめない状況にありました。
そんな飯塚に常打ちの大衆演劇場として2017年12月にオープンしたのが飯塚セントラル劇場です。

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新飯塚駅
博多駅からは約45分

駅から飯塚の中心地までは少し距離があります。
途中で遠賀川(おんががわ)を渡ります。
遠賀川は筑豊を流れる一級河川でかつては石炭運送の大動脈を担っていました。

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遠賀川を渡る橋からの眺め。
遠くに「筑豊富士」と呼ばれるピラミッドが連なったような山が見えます。
飯塚セントラル劇場が入っているセントラルビルも見えます。

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セントラルビルの屋上を望遠で撮影
「大衆演劇上演中」の垂れ幕が見えます

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セントラルビルに着きました
飯塚セントラル劇場はこのビルの4階にあります

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ビルの1階
ここからエレベータに乗って劇場へ

昼の部は13時開演
夜の部(平日以外開催)は18時開演

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エレベーター前に劇場からの案内文書と時計が置いてありました。

ごめんなさい
昼の部12:00まで入場できません
夜の部17:30まで入場できません
お掃除やリハーサルや作戦会議をしております

といった内容。
開場時間が開演30分前や1時間前というのは別に標準的であります。
それでも「ごめんなさい」と書いてあるのは、
大衆演劇場は芝居を見る場所であるとともにお客さんがゆっくりくつろぐ場所、という前提意識を劇場の方がお持ちだからでしょう。

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別の掲示には飲み物を注文した方やお弁当を予約注文した方は11:15から入場可ということが書いてあります。

それではエレベーターで4階へ。
降りると正面に受付カウンターがあります。ここで木戸銭を支払う。

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受付から左を向くと劇場の入口が見えます。

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受付から右を向きますと、「芝居茶屋」の暖簾がかかった部屋の入口が見えます。

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芝居茶屋内部。
お客さんが飲食してくつろげるスペースになっています。

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受付近くの掲示
お手ごろ価格のお弁当

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いよいよ劇場内部へ
客席後方からの眺め

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このように客席は段差になっています。
一番前のフラットなスペースには座布団が敷かれている。

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その後ろに椅子席

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後方の高くなっているフロアの席。
この一番前の長テーブルが置かれている席が、きっと一番見やすいいい席でしょう。

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花道

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舞踊ショーの様子

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天井のミラーボール

観劇後は街の中心地、本町(ほんまち)商店街を散歩しました。

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飯塚セントラル劇場オープンののぼりと動画ディスプレイがありました。

さて、この旅行で私は九州の旅芝居に思いをめぐらすことが多くありました。

大衆演劇の劇団はよく出自の系統から「九州」「関西」「関東」と3つに分類されます。
「九州」は橋本正樹先生の著書から引用させていただくと「ドサ周りのメッカ」
かつては旅役者を受け入れる土地や小屋がたくさんありました。

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嘉穂劇場内に掲示されている「明治末期~昭和中期の劇場群 筑豊の芝居小屋(遠賀川流域)」というポスター。
地図には50の劇場が示されています。実際にはここには記されていない公演地もたくさんあったことでしょう。
黄金期の九州の旅芝居は力強い魂のこもった芸が評判だったそう。
そのような芸が人気を得た土壌がなぜ九州にあったのか。

筑豊という土地と炭坑の歴史に私の意識は向いました。

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新飯塚駅から遠賀川を渡る際に見えた「筑豊富士」
この正体は<住友石炭鉱業忠隈炭坑のボタ山>です。ボタというのは選炭した後に残る石や岩石です。この山は半世紀近くボタを積み上げてできました。炭坑全盛期の頃のこの山は不夜城のように照明が灯っていたそうです。
筑豊には石炭遺産がたくさん残っており観光スポットとなっています。

今回私が飯塚セントラル劇場で観劇したのは九州大衆演劇協会所属の劇団正道。私は別の劇場で司大樹座長が「織江の唄」を女形で踊っているのを観たことがあります。
五木寛之「青春の門」は筑豊(田川・飯塚)を舞台とした大河小説で「織江の唄」はそのイメージソング。作詞は五木寛之、作曲・唄は山崎ハコ。

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「織江の唄」を踊る司大樹座長

遠賀川 土手の向こうにボタ山の 三つ並んで見えとらす
信ちゃん 信介しゃん うちはあんたに逢いとうて カラス峠ば 超えて来た


この歌を九州の役者が踊ることに感懐を覚えました。
筑豊が「炭坑の町」であった記憶を大衆演劇役者がつなぎとめているかのような・・・

ここから先は、筑豊の炭坑について私が本で読み知ったことを綴りたいと思います。

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昭和33年の筑豊の炭坑分布
昭和30年の筑豊には274の炭坑、10万人以上の石炭労務者があって日本最大の産炭地域でした。昭和30年代から炭坑閉山が進み、昭和50年の筑豊はわずか5の炭坑、35人の石炭労務者となりました。翌51年に筑豊から石炭産業は姿を消しました。

昭和30 炭坑274 労務者10万人以上
昭和50 炭坑5 労務者35
このように書くと約20年の間に筑豊の町から人がほとんどいなくなってしまったような印象を受けるかもしれませんが、実際にはそんなことはありません。
飯塚市の人口推移は以下のとおり。
昭30 10万7千人
昭31 10万4千人
昭60  8万2千人
平 2 8万3千人
それほど人口は落ち込んでいません。鉱業従事者や農業従事者は減りましたが製造業や第3次産業が増えました。

筑豊においては、炭坑と旅芝居が同じ時期に急激に衰退しましたので、両者の間に小さくない因果関係があるのではないかと思っていたのですが、石炭から石油へのエネルギー転換のタイミングとテレビの台頭による娯楽文化の激変のタイミングが重なった、と考えるのが妥当なのかなと思っています。

では炭坑労働者の娯楽はどのようなものだったのでしょう。

とある手記より(おそらく大正か昭和初期)
この沈滞した炭坑の空気も賃金支払日になると少し活気がみなぎっていた。各所から勘定日目当てに物売りや香具師の連中が押し寄せて、店の近くの広場には、のぞき、硝子蓋のなかからゴム管を数十本出して耳に当てて聞く浪曲、アメ細工、もち米細工、操り人形、薬売り、バイオリンを弾いた流行歌売り、雑貨類売り、玩具売りなどの市がたち、 (後略)

盆休みは酒瓶がよく動き、バクチも始まっていた。近くの飯塚の町に出てゆく者も多くなり、その頃には活動写真館が二、三軒できていて、芝居は榮座(後に吾妻座と改座)、中座(嘉穂劇場)があり(中略)働く者は気前よく金を使い、若者は赤線地区に走り、年配者は活動写真か芝居見物に行っていた。

七月十三日から始まる飯塚の祇園祭りは賑やかだった。 (中略)お宮の境内や、神社下、遠賀川の河川敷にも、テント張りの小屋掛けのいろいろな見世物小屋が立ち並んだ。ことに河川敷のサーカス小屋は、電気を明明とつけ、音楽を高々と響かせて、人の心を扇情的に誘っていた。

上山田(筑豊南部)での聞き取りより
賭博・花札をする抗夫が多かった。昭和20年代上山田大橋に玉突きが6件ほどあった。常盤座には、芝居、浪花節、万歳、舞踊など近辺の劇団がやってきた。後に映画館になった。永楽館という映画館があった。吉田座という劇場があってどさ回りがやってきて演芸をやっていた。
遊郭は炭坑街にはいずこでもあって、上山田大橋には20軒が並んでいた。赤線が廃止になって姿を消した。


筑豊の炭坑夫の暮らしを最も活き活きと現代に伝えてくれる資料は、山本作兵衛の炭坑記録画でしょう。作兵衛の作品群はユネスコの世界記憶遺産に日本で初めて登録されました。山本作兵衛は明治39年から昭和30年まで約50年間抗夫として働き膨大な絵と文章を残しました。
先ほど引用した「ゴム管を数十本出して耳に当てて聞く浪曲」も文字だけでは何のことかよくわかりませんが作兵衛の「発音機」という文と絵では克明に説明されています。
作兵衛の記録の価値を示す例を挙げておきます。

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「大ツヅラ二個を一荷にして担うて歩く傀儡師。一人で浄瑠璃も語り人形も使いわける」と説明されている絵。
1615年に淡路島が徳島藩の所領となり、淡路島の農民の人形芝居興行が流入し徳島で人形浄瑠璃が発達しました。阿波人形浄瑠璃では「箱廻し」(人形を入れた箱を天秤棒で担いで、二人か一人で巡業する)という大道芸・門付け芸が生まれました。箱廻しを稼業とする人は明治の初め頃には200人ほどいましたが昭和30年代に消えました。作兵衛の記録は箱廻しが筑豊にまで巡業していたことを証明しています。

作兵衛の絵に芝居文化に関係する記述がないか探してみました。

明治時代のヤマにはいまのように映画、パチンコ、ビンゴ、競馬、競輪、オートレースなどなんの娯楽施設も福祉施設もありません。上三緒抗の場合、約五キロ離れた飯塚の町に養老館があるばかり。そこまで運炭線路を通って歩いて往復するとなるとよほどよほど芝居好きでも何ヶ月ぶりということになります。(中略)公休日も月に1日で、観劇するにも作業を休まなければならないし、切符金券制度が足かせになって金が自由になりません。こんなわけで、酒、バクチ、ケンカがうっぷんのはけどころとなっていました。
「ケンカ」より

「明治末期の青年は盆会休の二、三日間カケ小屋を造って芝居をしていた。」
下はその稽古中の場面
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「コレハ新派劇の義理のシガラミ、正義快男児山岡金之助が悪党マムシの源太に忠告してフイに眉間を割られ、昂奮して復讐に出かける処を女房や児分が押とどめる場面」
大衆演劇でもありそうな場面ですね~

昔の炭坑生活を知る上で欠かせないのが炭鉱労働者の集合住宅である納屋(なや)の存在です。また差別の問題があったことも無視できません。
最後に、芝居とは離れますが、筑豊の炭坑について私の印象に残った事柄を記します。

江戸の藩政下で採炭が始まって以来長い間、炭坑労働者は人々から蔑まされ社会から隔絶された存在でした。土地を持たず各抗を転々と流浪する抗夫が基幹的な労働力でした。また明治・大正を通じて西日本各県の部落民が筑豊の炭坑に流入し、炭坑のあるところには必ず部落があったそうです。また明治20年頃に大財閥が囚人を炭坑労働に始めたことでも炭坑労働者への賎視が増幅されたことでしょう。
長崎では納屋(なや)という抗夫管理制度が発達しました。炭坑経営者は抗夫を直接管理せずに、納屋と呼ばれる抗夫小屋を取り仕切る納屋頭に管理をまかせました。納屋頭は納屋に住む抗夫を拘禁といってよいくらい厳しく管理し、逃げようとした者には惨い懲罰が加えられました。特に高島炭坑(軍艦島とともに世界遺産に登録されています)の惨状は全国に伝わり社会問題となりました。
明治に蒸気機械が導入されて通年採炭が可能になると出炭高は10~30倍になり抗夫の需要が高まりました。抗夫は季節雇用から常時雇用となり単身者ではない家族持ちの出稼ぎ抗夫も増えました。
筑豊では高島炭坑の納屋問題が落ち着いてきた時期になって納屋制度が普及してゆきました。納屋制度が確立してくると、納屋頭には絶対服従し分身として悪役を引き受ける補佐役が必要となりました。納屋の頭領は親分子分のように補佐役や用心棒を抱えるようになり、仁義をきって渡世する遊び人を留め置くこともありました。また納戸頭は対抗勢力に抵抗するため武闘力も備えてゆきます。男を売ることは精神的に重んじられました。明治後半の抗夫は多少なりとも刺青を入れていない者はいなかったようで、ケンカになると裸になって刺青を見せ、啖呵をきって、ドスを抜いたそうです。どこかで大喧嘩があれば、義理がある抗主や頭領のもとへ子分を連れて加勢に行きました。まるで幕末の侠客の世界のようですね。
その他、戦時中に朝鮮半島から強制連行された労働者など、歴史の闇を感じる記録も目にしました。

現在筑豊には炭坑はありませんし「ドサ回りのメッカ」の面影もありません。
遠賀川を渡る橋から、筑豊富士と呼ばれる3つのボタ山と飯塚セントラル劇場が入ったビルが見えます。いつかもう一度あの橋に立って、往時の筑豊の炭坑と旅芝居の賑わいを想起してみたいと思います。

(2018年9月探訪)

参考文献
「筑豊炭坑絵物語」山本作兵衛
「戦争と筑豊の炭坑」
「筑豊万華 炭坑の社会史」永末十四雄
「旧産炭地の都市問題」
「見知らぬわが町」中川雅子

はじめての大衆演劇、はじめての三吉演芸場マニュアル

はじめての大衆演劇、はじめての三吉演芸場マニュアル
(2019.7.16更新)


「いちど大衆演劇を観てみたい」
と思っている方のために
横浜にある唯一の大衆演劇場「三吉演芸場」の観劇ガイドをつくりました。

以下、大衆演劇の基本情報を交えながら
三吉演劇場での観劇をご案内します。

【どんな劇団が公演を行っているのか】
全国には100を超える大衆演劇の劇団があります。
そのほとんどが全国を転々と巡業する旅役者の集団です。
座員は家族・親族を中心に構成されています。
梅沢富美男、早乙女太一は大衆演劇出身の役者さんです。

【どこで観ることができるのか】
全国には100を超える大衆演劇の公演場所があります。
公演場所は大きく2つタイプに分けられます。
大衆演劇専門の「劇場」および業界で「センター」と呼んでいるお風呂付きの施設(スーパー銭湯、健康ランド、温泉ホテルなど)です。
東京・神奈川には5つの「劇場」があります。
十条の「篠原演芸場」、浅草の「木馬館」、立川の「立川けやき座」、川崎の「大島劇場」、そして横浜の「三吉演芸場」です。
公演する劇団は1か月ごとに変わります。
1つの劇場では1年に12の団体が公演を受け持つことになります。

【いつやっているか】
大衆演劇の公演は1月1日のお正月から1年中ほぼ毎日行われています。
劇団の移動日にあたる月末の1~2日は公演がありません。
また月の途中で休演日が設けられることもあります。

三吉演芸場は毎週月曜日と月末が休演日です。
(これでも他の劇場と比較すると休演日は多いです)

【公演内容】
一般的な劇場の公演時間は3時間~3時間半ほどです。
三吉演芸場の公演時間は3時間です。
「お芝居」と「舞踊ショー」から成ります。
現代のほとんどの劇場のプログラムは以下のようになっています。
第1部:ミニショー(舞踊ショー)
第2部:お芝居
第3部:グランドショー(舞踊ショー)
お芝居は約60分。
特選狂言など尺の長い芝居の場合は第1部からお芝居をはじめて2部構成となる場合があります。

お芝居もショーも毎日内容がかわります。
ですから毎日行っても楽しめます。
劇団はたくさんのレパートリーを持っていて、その土地柄やお客さんの反応をみながら芝居の内容を決めてゆきます。
また、本番中もお客さんの反応次第で、また役者の気分・思い付き次第で芝居はたやすく変化します。
他の演劇に比べるとアドリブが多いことが特徴といえます。
芝居はほぼ時代劇です。


三吉演芸場に行ってみましょう

<三吉演芸場基本情報>

公演日:毎日(月曜日および月末の2日ほどをのぞく)
昼の部:開場12:00 開演13:00 終演16:00頃
夜の部:開場17:00 開演18:00 終演21:00頃
入場料:一般席2200円 指定席2500円
予約:不要(特別なイベントでもない限り席が埋まることはありません)
    思い立ったらひょいと出かけましょう。

公演している劇団は三吉演芸場のホームページで確認できます。
芝居の演題や特別ゲストなどの情報も掲載されています。
・三吉演芸場ホームページ

なお、大衆演劇劇場の木戸銭(入場料)の相場は1700円くらいです。(この安さが「大衆」と名が付くゆえんでもあります)
三吉演芸場の入場料は相場より高いですが、施設はとてもキレイです。
古くさい場所やごちゃごちゃした場所が苦手の方でも安心して観に行けます。

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三吉演芸場は横浜駅の南方にあります。
最寄駅は横浜市営地下鉄「阪東橋(ばんどうばし)駅」(横浜駅から9分)です。
京浜急行の「黄金町(こがねちょう)駅」からも歩いて行ける距離です。
私は京浜東北線の石川町駅や関内駅も利用しています。
はじめて行く方は阪東橋駅を利用するのが無難でしょう。

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地下鉄阪東橋駅1A出口を出て、横浜橋通り商店街を通って行くのが、わかりやすい行き方。

黄金町駅から一目散に劇場に向かう場合は、大通りをまっすぐ進み、中村川で左折するルートが人通りが少なくてよいと思います。
時間があるのなら横浜橋通り商店街を通るのが楽しくてよいでしょう。

地下鉄が阪東橋駅に近づくと、車内に「三吉演芸場へはこちらです」というアナウンスが流れます。

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阪東橋駅の改札を出ると、三吉演芸場の案内看板があります。

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阪東橋駅1A出口を出てしばらく進みますと横浜橋通り商店街の入口に着きます。

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長いアーケード商店街をひたすらまっすぐ進みます。

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アーケードの出口で大通りにぶつかります。
ここで横浜橋通り商店街は終わり。
この大通りを渡ると、三吉橋通り商店街という小さな商店街になります。

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三吉橋通り商店街をちょっと歩いて左手に三吉演芸場があります。

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入口は2階。
階段を上ります。

2階に上がりますとすぐ演芸場入口があります。
入って左手に受付があります。
ここで入場料2200円を支払いチケットを受け取ります。
前の方の席で観劇したい場合は2500円の指定席を求めましょう。
どの指定席が空いているかは受付で確認できます。

支払いを済ませましたら、劇場に入る前に、
受付前にあるチラシラックから公演チラシをとりましょう。

miyoshi_wakamaru.jpg
これは、2014年10月の都若丸劇団のチラシ。
出演者の名前が書いてあります。
大衆演劇は役者さんの顔と名前を覚えると楽しさが倍増します。
このチラシで役者さんの名前をチェックしましょう。

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三吉演劇場の内部をおおざっぱに描いてみました。

受付前のチラシを取ったら、劇場内に入りましょう。
前方が指定席、後方が自由席です。

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場内には「ここより前指定席」という札がさりげなくかかっているだけで、
初めて来た方は前方が指定席であることに気付かないことが多いでしょう。
知らずに指定席に座ってしまい後で気付いて席を移動する、というお客さんをよく見かけます。

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場内の様子。

座を定めましたら、あとはごゆるりと大衆演劇を楽しんでください。
なお、大衆演劇場は「飲食持ち込み可」です。
お菓子をつまんだりしながら開演を待つ、このくつろぎの時間もまたいいのです。
飲食は開演前や休憩時間にして、公演中は舞台を楽しみましょう。

公演が終わりますと、劇団員一堂が劇場の外でお客さんをお見送りします。
気に入った役者さんがいたら「よかったです」などと声がけしてもよろしいかと思います。お客さんの喜びの声は役者さんの元気のもととなるようです。
座長さんと握手して帰宅しましょう。


気軽にふらっと観に行けるところ、家の居間にいるようにくつろげるところも、大衆演劇の魅力です。
お時間がありましたら是非三吉演芸場へお越しください。


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Author:notarico
東京在住。大衆芸能(大衆演劇、落語、浪曲、講談等)が好きです。特に大衆演劇の世界に興味をもっています。
twitterアカウント:notarico

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